下世話なアウグスティヌス

「青春の落ち着かない様子」「県知事くらいにはらくになれる」etc。 

デキ婚、真理教、幼女

(17-8歳)(略)父親が死亡。ほどなくある女性と同棲し(おそらく女性の身分上の問題で正式に結婚することはできなかった)、息子アデオダトゥスを得る。(略)
(19-22歳)(略)聖書を手にとるも失望し、マニ教に賛同するようになり、母と不和になる。いつのころからか 占星術に夢中になる(略)
(31歳)[結婚適齢期に二年足りない12歳の少女と婚約、妨げになる内縁の妻と離別]

ちょっと寄り道して下記本から引用すると 

カルタゴでの学習はアウグスティヌスを当時のローマ的な生活になじませ、幼少時のキリスト教的雰囲気から遠ざけました。観劇を好み、闘技場に足を運び、愛欲を求めて、一人の女性と同棲し、男子を得ました。(略)
[聖書に失望]真理を教えると称するマニ教に加わることになります。(略)合理的な形で真理を教えてくれるというので、アウグスティヌスはこれに身を寄せたようです。(略)
[母モニカは]良家の出の幼い娘と婚約させ、それまで同棲していた女性を結婚の妨げになるからといって引き離してしまいます。この女性は、今後ほかの男を知ることはないと誓って、彼との間にもうけた息子アデオダトゥスを置いて、アフリカに帰ってゆきます。しかし、婚約した娘が法的な結婚年齢に達していなかったため結婚はできず、アウグスティヌスは我慢ができなくて、別の女性を閨に迎えいれてしまいます。

再び最初の本に戻って。

息子の「性のめざめ」に両親は

青年は性に目覚めた。両親は、教育には熱心だったのに、性の目覚めには無頓着だったという。いや、無頓着だったわけではない。金策に腐心していた父親は、息子の肉体の成長に目を細めていた。「わたしが思春期に達し、青春の落ち着かない様子をただよわせているのを浴場で見た父は、これで孫が期待できるかのように、よろこんで母に告げた」。成長をよろこび、ますます期待し、できのいい息子をなんとかしてカルタゴにやろうと思ったか。さすがに母親は心配し、「不品行なことをしてはいけない。とりわけ人妻と姦通などしてはいけない」と、こっそり息子に忠告した

情欲

わたしは一人の女性と同棲するようになっていたが、それはいわゆる合法的婚姻によって識りあった仲ではなく、思慮を欠く落ち着きのない情熱にかられて見つけだした相手だった。けれどもわたしは、彼女一人をまもり、彼女にたいして閨の信実をつくした。この女性との関係においてわたしは、自分の経験によって、子を産むことを目的に結ばれる婚姻の契約の節度と、情欲的な愛による結合とのあいだに、なんという大きなへだたりがあるかを、身にしみて知らされた。情欲的な愛の結合にあっても、子は親の意に反して生まれる。いったん生まれると、その子は愛さずにはいられなくなる。

盗んだ「梨の実」で走り出すw

わたしは、非難されまいとして、かえっていっそう悪徳漢になっていった。やったら無頼漢にひとしいことを、じっさいやらなかった場合には、やらないことまでやったようなふりをした。それは仲間に、いくじのない奴、くだらない奴と思われたくないからだった。(略)
われわれ邪悪な若僧どもは、真夜中にしのびこんだ。それまでわたしたちは、いとわしい習慣によって、広場でだらだら遊びつづけていたのだった。そしてどっさり実をもぎとったが、自分たちの御馳走にはしないで、けっきょく豚に投げてやるかどうかしてしまった。もっともわたしたちも、いくらかは食べたが、それは、禁じられていることをするのがおもしろかったからにすぎない。

教職に追われ学問の時間が取れない

はじめて知恵の探究熱に燃え、知恵を見つけたならば、むなしい欲望にかかわるつまらない希望やおろかな欺瞞はいっさいかなぐりすてようと決心した19の年から、なんという長い年月がたってしまったことか。しかもどうだ、もう30だというのに、おなじ泥沼のなかをうごめいて(略)
午前中の時間は学生にとられる。他の時間はなにをしているのだ。なぜそれをしないのだ。でも、有力な先輩のところにはいつ挨拶にいったらよかろう。こういう先輩の愛顧も必要だからな。学生に売るものは、いつ仕入れたらいいか。(略)
県知事くらいにはらくになれる。そうしたら、いくらか持参金つきの妻をもらう。こうすれば生活費の負担は軽くなる。これで欲望に節度をつけるのだ。もっとも、模範とすべきえらいひとで、妻帯しながら知恵の探究に没頭してきたひとだってたくさんいるんだ

肉欲

どうしてインテリのぼくが肉欲に囚われ、回心できないのだ、ムキィー

「どうしてぼくたちは、こんな目にあわなければならないのだろう。聞いたかい。学もない連中が立ちあがって、天国をかっぱらってしまったんだよ。ぼくたちは、なまじ学がありながら心がないから、どうだ、肉と血のなかをころげまわっている。さきをこされたからといって、あとにつづくのを恥ずかしく思ってはいけない。せめてそのあとにでも、ついていこうとしないことを恥じるべきではないか」わたしはなにかこういったようなことを口ばしった。

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