ウェーバー近代への診断

ウェーバー 近代への診断

ウェーバー 近代への診断

 

1923年11月インフレ収束の

ドイツはアメリカブーム。

ヘンリー・フォード自伝が20万部突破。ルドルフ・カイザーは1925年にアメリカ人をよくは知らないがと前置きしてこう書いた。

われわれは他のこと、つまりトラストや高層ビル、交通巡査、映画、技術上の諸奇蹟、ジャズバンド、ボクシング、絵入り雑誌や舞台演出・・・のことはよく知っている。アメリカニズムはヨーロッパの新しい方法である。・・・それは具体的なものを表現し、エネルギーを操作する方法であり、・・・その全関心を現実の統御に向けている。それに対応して、見た目にも新しいタイプの(アメリカ的な)ヨーロッパ人が生まれた。ひげのないシャープな顔立ちをし、目標をまっすぐ見すえ、しまった強靱な身体つきをした男性と、きびきびした動作で、足どりも確かに大股で歩く、ボーイッシュで背筋をしっかり伸ばした女性のタイプ・・・がそれである。

だが世界恐慌で「アメリカ」の時代は「終わりを告げた」。社会福祉予算が削減され『資金の支出に値する者の選別が宣告され、その結果、

「値しない者」は社会保障の対象から除外された。

そして、きわめて多くの生活改革運動の提唱者たちが、反応のにぶい分からず屋の大衆にたいして業を煮やした、大衆は相変わらず卑俗な趣味にひたりきりであり、酒・煙草をやめられず、衝動に身をまかせたままだからである。彼ら改革運動家たちは失望のあまり、人間には二種類ある、この二種類の人間をきちんと区別せねばならぬ、と言い出した。彼らによれば、出来のいい人種、多分アーリア人種に属する人間と、まちがいなくそれ以外の人種に属する人間のくずとがいるわけである。

機能しない合理化プロジェクト

新旧の職能エリートたちがいとも簡単にファシズムの軍門に降ったのは、なにも彼らがドイツ特有の道の昂じた反近代主義ルサンチマンの虜となったせいばかりでは決してない。むしろファシズムは、近代化に酔いしれた二〇年代の騒々しい合理化運動の紛れもない一つの帰結でもあった。このモダン幻想に浮かされた合理化運動が恐慌期に酔いを覚まされ、宿酔状態のままファシズムヘなだれ込んで行ったのである。その場合に、ファシズムの政治は、合理化プロジェクトのなかの強制的要素を受け継ぎ、自由や寛容の要素を切り捨てて、強制的合理化を思いもよらない形で推し進めた。むろん合理化のプログラム、理性の夢が不可避的にファシズムをもたらしたというのではない。しかし、その意気ごみにもかかわらず、二〇年代の合理化運動は一貫して現実との大きな距離を埋めることができず、その隔絶感から、苛立ちがつのるばかりであった。そのため、危機に出くわすと、これまで合理化プロジエクトが前面に掲げてきた進歩の約束は反古にされ、プロジェクトを進める基本的コンセプトが一変した。プロジェクトを妨げる社会的紛争要因は暴力的にその根を断ち、労働世界も社会国家も、価値の優劣を基準とする選別パラダイムにしたがって再編成せねばならぬと考えられるにいたったのである。

ナチスの大衆運動は近代化の危機の所産である。近代化推進者たちの失望とその犠牲者たちの不安とが混然一体となって、テロルで打ち固めた共同性という幻想を受け入れる基盤ができあがった。

ある機構が合理的形式をとって動くからといって、その内容までが理性的になる保証は決してない。これはウェーバーのつねづね強調したところであった。何百万人の人々が飢えに苦しんでいるというのに、市場の合理的メカニズムは食糧の大量廃棄を命ずることもある。ここに見られる実質的な非合理性を疑う者は誰もいないだろう。粋をきわめた技術的合理性といえども、完全な狂気に一変しうるのである。