妄想ジャップロック

注意:著者に対する批判のように受け取られる方がおられるかもしれませんが、そういう意図はないのでヨロシク。対象となっている音楽が好きな人には面白いだろうし、そうでない人にも、まあそれなりに……。

同姓同名ではなく、まさしくあのジュリアン・コープが日本のアングラ音楽について書いた本。日本語ができない彼が熱意と妄想で書き上げたため、邦訳編集者による膨大な訂正脚注がついてます。
「エリ・チエリ(→江利チエミ)」「コサカ・カズラ(→小坂一也)」「ハシ・ユクイオ(→橋幸夫)」「山村シンジル(→山村新治郎)」「ホンダ・イシラ(→本多猪四郎)」といった日本人には考えつかない固有名詞はまだ御愛嬌だが、「永島慎二の漫画『フーテン』が、『男はつらいよ』と題する長編映画になった」といった事実誤認が多数。肝心の音楽ネタにおいてもかなり誤謬・妄想が炸裂。著者によって日本暗黒ロックのボスキャラにされてしまった折田育造氏の困惑(or否定)インタビュー(巻末収録)[「ポリドール・レコードのボスなどではない、一介のディレクター。やっていないことをやったと書かれても困る]からも著書の妄想ぶりがかなり伺え、どこまで信じていいのかという気にさせられる。[「若大将」を時代劇の侍大将と勘違いしている著者は、GSと命名したのは加山雄三と書くのだが、そのネタ元が69年のローリング・ストーン誌・日本特派員記事だったりするから不安。]
小林信彦が「W・C・フラナガン」名義で日本文化を誤解しているガイジンというネタをやっていたけど、ちょっとそんなカンジになっている。勿論こっちの本はいたってマジなだけに……、これを信じた海外の方々が間違った認識を持たないか心配。
「誤謬妄想は多いけど、今まで書かれなかった分野を日本語ができないガイジンがよくこれだけ詳細に調べまとめあげた、感動した!」みたいな空気を伝えるべく近田春夫マーティ・フリードマン対談が巻末に。

マニア

マーティ (略)書き方も英語だとよくあるちょっとインテリ系の音楽雑誌のアルバム・レヴューみたいな書き方ですね。感じの悪い書き方ではないんですけど、なんかちょっとすごく通、ちょっとだけタカビーのイギリスの音楽雑誌みたいな。読めば意外とすごいカラフルなんですけど、アーティスト本人が読めば、何について話しているかさっぱり分かんないぞっていう感じもあるんですね。(略)全体的に意外と英語でも読みにくい。かなり描いてるけど、ストレートでは全然なくて、すごい苦労しました。
(略)
近田 (略)ここで書かれていることは、日本でも特殊なジャンルのものだよ。(略)ある年代の、極端に言うとマニアにしか通じないものがほとんど。俺だって、今回、この本を読んで、初めて分かったことが多いもの。

内田裕也

近田 [裕也さんは、懐かしい人にならず、ずっと現役で新しいことをやろうとして、だから一回も商売になっていない人]
この中に書いてある内田裕也に対する評価は正しいと思う。本当に、今まであの人について日本でも書かれたことってあんまりないんだ。

[これだけ詳しく書けるエネルギーのある人は日本にはいない、という高評価を与えつつも]

近田 外道はね、ここにも書いてあったけど、最初、外道の事務所のマネージャーのおやじが村八分を見て、ああいうのやったらもうかるんじゃないかって、インチキで作ったものなんだ、実は。その秀人っていうやつと俺は、それまではどっちかっていったらもうちょっとソウルっぽい音楽をやってたわけよ。それで急に、それまで、そういうギター弾いてたやつが、グィーンとかってさ、だから秀人はものすごい器用なのよ、あいつ。反逆者っぽいけど、そうじゃないわけよ、実は。(略)
だけど、お客さんみんなそれでだまされて。だから、みんなは外道を見てすげーと思ったとき、なんでこんなインチキなものにだまされるんだろうって、俺思ったもん。そこら辺はジュリアン・コープも見破れてないね。
(略)
 ――内田裕也さんに関しての資料は、オフィシャル・サイトだけだと思います。あとはだから、音を聞いて感じたとしか思えないですね。
近田 でも、裕也さんのそのキャラクターみたいなことについて、かなり雰囲気つかんでいるんだよね。そこはすごい謎なんだよね。
(略)
マーティ いや〜、でも、この本、すごい学習になりますね。
近田 いや、俺もだよ、これは勉強になるよ。勉強にもなったし、面白かった。そうじゃなかったら、途中で読むのやめてるね。

以下、雰囲気を伝えるべく、無作為に本文紹介

東京の超ファンキーな六本木エリアで野外コンサートのリハーサルをしていた山口冨士夫は、うっとりとした顔つきのフーテン女性たちに囲まれて、踊り、笑う、驚くほど髪の長い男に目を留めた。男の常軌を逸した言動から、東京に不時着した海外のロックスターだろうとあたりをつけた冨士夫は、近寄って声をかけた。だがこのクスリで朧朧としたエイリアンは、実のところ、自分の縄張りに戻ってきた、新生チャー坊にほかならなかった。(略)○△□のカントのアパートでさらに話しこんだふたりは、マリファナをしこたま決め、ストーンズのLP《ベガーズ・バンケット》を何度もくり返しかけながら、強い友情で結ばれていった。緑色のもやのなかで、チャー坊は冨士夫に、悪名高い日本赤軍派の創設者、塩見孝也がその前日に逮捕され、ストリートのうわさによると、暴力の提唱者と見なされた長髪族が、ことごとく当局に撃ち倒されていると告げた。頭脳警察のパンタとトシは一時的に東京を捨て、ドクター・アシッド・セヴンは悲嘆のあまり、ただのドクター・セブンに改名しようかと考えていた……それが何かの足しにでもなるかのように。その晩遅くに寝入ったふたりは、翌朝の日の出とともに、日本のアンダーグラウンド文化が驚くべき変化を遂げることになるとは夢にも思っていなかった……。
 1970年4月1日の正午前、ロックンロールによる世界征服を夢見ていたチャー坊は、ゆっくりと眠りから覚め、時間を確認しようとラジオをつけた。
[ラジオからは、よど号ハイジャックのニュース]

ヨーコも別れた夫がケージの大使として日本でめざましい活躍を見せている今、独自のパフォーマンスでみずからの力を証明する必要を感じていた。(略)
 東京の羽田空港で、凍てつくような2月の空気のなかに踏みだしたジョン・ケージとヨーコ・オノは、どちらも日本で過ごす日々への期待に胸を膨らませていた。(略)
 しかし別居中だった一柳夫妻の再会は、ヨーコのもくろみ通りには進まなかった。事実、ヨーコはその足で日本の土を踏むか踏まないかのうちに、かつての夫が様変わりし、ニューヨークではついぞ見たことのない、押しの強さを身に着けたことを知った。すっかり雄々しくなった慧は、ケージを師ではなく、共作者として迎え入れ、再会に沸き立ったふたりは、東京までの道中、ほとんど休みなくしゃべりつづけた。1962年2月の寒い夜、草月会館に集った観衆は、ヨーコのパフォーマンスに冷淡な反応を示し、しかしジョン・ケージの登場を告げるために、彼女の夫が壇上に現われると、熱狂的な声援を浴びせかけた。(略)
ひとり幻滅し、期待に胸膨らませて帰国した自分の愚かしさを呪いながら、かつての一柳夫人は睡眠薬を過量摂取し、過度の鎮静状態に陥ったまま、精神病院で目を覚ました。

 唇をかみ、よだれを垂らしながら、ジョーイ・スミスが赤裸々な歌を次々とうたっていくにつれ、折田育造と陳信輝は、自分たちがやっとのことで、秘密のコンビネーションを見つけだしたという確信を深めた。新しいバンド・サウンドの鍵は、空間だった。無茶苦茶自信のある人間にしか使いこなせない空間と強烈なまでのスローさ。柳田ヒロがフード・ブレインに押しつけた、恐ろしく陳腐なブラックプール風のオルガンは打ち捨てられ、それに取って代わるものは……皆無。キーボードのサウンドがいっさい入らない、みごとなまでに純粋な空虚さのなかに、ジョーイ・スミス、加部正義、陳信輝は自分たちの溶けた脳ミソの中身を空けていった。この最初のセッションでは、大量のワインが飲まれ、大量のマルサン・プロ・ボンドが吸引され、大量のアンフェタミンが吸いこまれ、大量のマリファナが消費された。なぜならこのバンドは自分たちを偽るのではなく、ありのままの姿で足跡を残すつもりでいたからだ。