リベラリズムはなぜ失敗したのか

リベラリズムはなぜ失敗したのか

リベラリズムはなぜ失敗したのか

 

はしがき 

[この本を脱稿したのはトランプ当選三週間前](略)

わたしが大前提としたのは、わたしたちが受け継いだ文明的な秩序の基盤――家庭や共同体の中で、あるいは宗教や精神的支柱となる文化をとおして学び取る基準――は、リベラルな社会と政治の影響を受けて否応なく価値を失っていくだろうということだった。

(略)

正当性の危機が深刻になり、その擁護者が、反発を強める大衆にリベラリズムイデオロギーを押しつけざるをえなくなったとしても、国家主義者が応急処置をすれば、リベラリズムは伝統文化の規範と慣習を執拗に押しのけつづけるだろうと見ていた。

(略)

 そうした見地から私が示唆したのは、このような政情は結局はもちこたえられず、抑圧を強めるリベラルな秩序に対して大衆が、権威主義的非リベラリズムの形で答えるのではないかということだった。権威主義的非リベラリズムは、もはや制御不能に思える政府や経済、社会規範の解体、生活様式の混乱の勢いを、市民の力で抑えつけられると約束する。リベラリストにとってはそうしたことこそが、リベラルな体制が強制を強めるべき証しとなるのだが、リベラリズム自体が正当性の危機を招く原因を作っていることには気づきそうもない。

(略)

 自律と自己統治に不可欠な文化規範と政治的慣習をリベラリズムが解体しはじめてから何十年も経った今になって、強いリーダーを切望する声が広がっている。リベラリズムの形をとった官僚的政府とグローバル化された経済の支配権を、国民の手に取り戻そうとする指導者が求められているのだ。

(略)

現在多くの者は、目下の支配階級に対抗するために、リベラリズムが生む国家主義者の権力を利用しようとしている。また一方ではとてつもないエネルギーが、自己立法や熟慮ではなく、集団での抗議運動に注がれている。しかもその前面に押しだされているのは、民主的ガヴァナンスの刷新の要求ではなく、政治への怒りや絶望なのだ。この状況をつくり出したのはリベラリズムと、そのひどい悪夢を昇華させるために用いられた手段である。だが自己理解が欠落しているので、内在する過失は認識されていない。

(略)

賢明な道は政治革命などではなく、この非人格的な政治経済の秩序の中で避難場所となりえる、新しい形の共同体を忍耐強く育んでいくことなのである。『無力な者の力』は、チェコスロバキアのヴーツラフ・ハヴェルが反体制活動に身を投じていた当時にしたためた随筆である。この中でハヴェルはこう述べている。「体制の改善で無条件に生活の改善が保障されるわけではないだろう。むしろその逆が正しい。生活の改善が実現してはじめて、改善された体制が発展できるのである」現代の不信や不和、敵意や憎しみと入れ替われる可能性があるのは、古代の都市国家、ポリスでの経験に根差した政治体制しかない。ポリスの市民が共通していだいていた目的意識や責任感、感謝の気持ちといったものは、世代を超えて生活の中で経験する悲しみや希望、喜びから生じていた。また市民はおしなべて相互に信頼する能力を養っていた。

序 リベラリズムの終焉

 リベラリズムを創案し構築した者が約束したことは、ほぼすべて打ち砕かれた。リベラルな国家は生活のほとんどあらゆる面をコントロールするほどまでに拡大したが、国民は政府を遠くて制御不能な権力とみなしている。政府がたえず「グローバリズム」を推進するので、その無力感は強まるばかりだ。今日唯一保障されていると感じられる権利は、十分な富をもちそれを守る立場にいる者のものである。しかもそういった自立性――財産権、選挙権とそれに付随する代表的機関の支配、宗教の自由、言論の自由、書類と住居の安全の保障といった権利――も、合法的な意図や技術力から生じる既成事実によってますます侵害されつつある。経済がひいきにする新たな「メリトクラシー」(実力主義)は、勝者と敗者を容赦なく振り分ける教育制度によって強化され、世代間の継承によって優位性を永続させている。

(略)

 リベラリズムは失敗した。リベラリズムを実現できなかったからではなく、リベラリズムに忠実だったからである。成功したために失敗した。リベラリズムが「完成形に近づき」、秘められていた論理が明らかになり自己矛盾が目に見えてくると、リベラリズムイデオロギーは実現されているが、その主張通りにならないという病弊が生じた。平等を促進し、さまざまな文化や信念が織りなす多元的タペストリーを擁護し、人間の尊厳を守り、そしてもちろん自由を拡大するために世に送りだされた政治哲学が、現実にはとてつもない格差を生み、画一化と均質化を押しつけて、物心両面での堕落を助長し自由をむしばんでいる。成功が、達成してくれると信じていたことの逆の成果によって評価されているのだ。

(略)

今日のリベラリズムの「小さな政府」を見たら、昔の専制君主は羨み篤くだろう。何しろ市民運動や財政、国民の行動や思想まで監視しコントロールできるのだ。これほどまでに万能な権限は夢にすぎなかったはずだ。生活のあらゆる領域で政府活動が拡大しているので、リベラリズムが個人の良心、宗教、結社、言論、自己統治の権利を守るために誕生させた自由は、広範囲にわたって侵害されている。それでもこの拡大は止まらない。

(略)

名目上はむしろ支配下に置いているはずのひとつの存在に人々がさらなる介入を求める結果になっているからだ。

(略)

リベラリズムは、民主的手続きを経て選出されない冷淡な指導者による恣意的な支配を、選挙で選ばれた公僕を通じ民意を反映する統治に変えると主張していた。だが現在の選挙の過程は、一八世紀のロシア帝国の軍人、グレゴリー・ポチョムキン張りぼての景色を用意してエカチェリーナ二世に荒涼とした風景を見せまいとした逸話を彷彿させる。つまりなんとか取り繕って、国内政策や国際協定、そしてとくに戦争の遂行に、とてつもなく恣意的な権力を行使しそうな人物に対して、民衆の同意らしきものを与えているように思えるのだ。

 このように強く感じられる隔たりと手に余る状況は、改善され完成に近づいたリベラリズムによって解決できるものではない。それどころかこの統治の危機は、リベラルな秩序の成果なのである。

 リベラルアーツ

 先進的リベラリズムは、教養教育をイデオロギー的にも経済的にも実用的でないと考えて、躍起になって抹殺しつつある。

(略)

大学はあわてて実用的な「学習成果」を出すべく、学生を即戦力にするための新講座を数多く導入している。また既存の研究にイメージチェンジや新たな方向づけをして、経済との関連性を売りこもうとしている。グローバル化し経済の競争が激化する世界では、ただ単にほかに選択肢がないのだ。

(略)

 リベラリズムが絶頂にあるこのときに、リベラルアーツ(一般教養課程)は猛烈な勢いで撤退している。この科目は古くから、自由民でもとくに自律を望む市民にとって、不可欠な教育の形であると理解されてきた。重視されていた偉大な教科書は、古いというだけでなく、いや古いからでさえなく、人が自由になるために学ぶ技――それもとくに欲望をむき出しにする専制政治から自由になるための方法について、苦労して得られた教訓が記されているために偉大だったのだが、それでも切り捨てられてしまっている。その代わりに選択されたのは、かつて「奴隷教育」と考えられていたものである。もっぱら金儲けや働く者の生活をテーマにしていたので「市民」の称号を与えられなかった者のために取っておかれた教育だ。

(略)

リベラルアーツというその名は自由人の教養を支える基礎を意味するのにもかかわらず、そうした教育を受ける贅沢がなくなった理由を問おうともしない。

 リベラリズムの自滅後に何が続くのか

 またリベラリズムの自滅後に何が続くのかを考えるときに、ただその反対のことを考案したり、リベラリズムの功績の中で偉大で不朽の価値のあるものを否定したりすればよいというものではない。リベラリズムの魅力は、西洋の政治が伝統的に深く関与してきたものを受け継いでいることにある。その代表例が、専制政治や恣意的な支配、不当な権力の行使を抑制することによって、人間の自由と尊厳を保障しようとする努力である。この点においてリベラリズムはまちがいなく、何世紀もかけて古代ギリシャ・ローマの古典古代やキリスト教の思想と実践の中で発達を遂げてきた、きわめて重要な政治的誓約を土台にしていると考えられる。ところがリベラリズムの革新的技術――発案者が人間の自由と尊厳を強固に保障すると信じていたもの――でも、とくに自由の理想の再定義と人間の本性の再考によって成立しているものが、この誓約の実現を阻んでいる。

(略)

 世界で最初に生まれ最後まで残ったイデオロギーを拒絶するのに、新しくて、おそらくはほぼ代わり映えのしないイデオロギーとすげ替えるのはお門違いである。革新的な秩序を転覆させる政治革命は、ただ無秩序と悲惨さを呼ぶだけだろう。それにまさる道は、規模を抑えた地域型の抵抗運動に見出せる。たとえば理論より慣習に重きを置いて、リベラリズムのアンチカルチャーに対抗して復元力のある新たな文化を築くのである。

(略)

今のこの時代に必要なのは、わたしたちの哲学をさらに極めることではなく、もう一度自分自身に今以上の敬意を払うことである。よりよい自己をあらたに養い、共同体の文化の育成や弱者へのケア、自己犠牲、小規模な民主主義の促進などをとおして、他の者の自己の運命に惜しみなく投資することからよりよい慣習が生まれる。そしてそういった中から、いつしかリベラリズムの破綻しかけたプロジェクトよりすぐれた理論が現れるはずなのである。

 カール・ポランニー『大転換』

カール・ポランニーの古典的研究論文『大転換』ほど、この介入を明確に分析した著作はない。特定の文化的・宗教的な背景において経済的仕組みは、モラルに沿った目的をかなえるものと理解されていた。ポランニーはそうした背景から、いかにして経済的仕組みが切り離されたかを説明している。またそのような伝統的要素のために、経済行為が制限されただけでなく、経済行為を適切に行なえば個人の利益と優位性を向上できるという理解が妨げられてもいたと結論づけた。ポランニーによれば、そのように規定された経済交換は、社会的、政治的、宗教的な生活の主要な目的を優先させている。つまり共同体の秩序の維持とその秩序内の家族の繁栄である。自己の利益を最大化する個人の集積を土台に理解された経済は、正確にいえば、市場ではなかった。市場は、現実の物理的スペースで社会秩序の中にあり、抽象的な行為者が有用性を最大化するために取引を行なう、独立した理論上のスペースであるとは考えられていなかったのだ。

 ポランニーの論によれば、このような経済の置き換えには、計画的でしばしば力ずくの地域経済の再形成が必要だった。その際はほとんどの場合、経済と国のエリートの行為者が伝統的な共同体と慣習を崩壊させて消滅させている。人々の「個人主義」が必要としたのは、市場を社会的・宗教的な背景から切り離すことだけではない。自分たちの労働と生産物が、価格メカニズムに支配される商品にすぎないということの受容、つまり、新たな功利的で個人主義的な観点から人間と自然を同列に見るような考え方の転換も必要としたのである。しかも市場リベラリズムも、市場をモラルから切り離して、個人と自然は互いに分離していると考えるよう人々を「再訓練」するために、労働者と天然資源をこうした「擬制商品」――産業的工程で使用する材料――として扱うことを求めた。ポランニーがこの変革の本質を端的に突いているように、「自由競争主義は仕組まれていた」のである。

 個人の創出

 リベラリズムの哲学と実践から生じた個人主義は(略)国家を求めているし、むしろ同時にその権力を増大させてもいる。

(略)

リベラリズムにとっての急務は、人間の繁栄を支える非リベラル的なあらゆる形態(学校、医療機関、慈善団体など)と入れ替わることと、市民のあいだに深く根づいている将来や運命についての共通の意識を形骸化することであり、そうした切迫感に突き動かされて、さらなる法的・行政的な制度を必要としているのである。公的でない人間関係が行政指導や政治政策、法的規制にとって代わられて、自発的な市民の関わりが阻まれるなか、拡大しつづける国家機関が社会的協働を受け合うよう求められている。市民間の信頼と相互の関与が弱まりつつある一方で、市民の規範が脅かされ衰退しつつある兆しが表れているために、そのようなリベラリズムの成功の結果を抑えこむために、集中監視や警察の存在の誇示、刑罰国家が必要となっている。古典的リベラリズム個人主義の哲学と革新的リベラリズム国家主義の哲学が、結局互いに補強し合っている手管はたいてい気づかれていない。保守的リベラリストは、自由市場だけでなく家族の価値と連邦主義を擁護していると主張するが、最近政権を取ったときに継続的に実施して成功している保守的な政策は、規制緩和、グローバリゼーション、巨大な経済格差の擁護といった経済的リベラリズムだけである。そして革新的リベラリストは、個人主義的経済の勢いを緩めて所得格差を縮小させるべきだという、国家の運命と団結にかんする共通の意識を高めると主張するが、これまで左派が成功を収めた政策は、性の自己決定にかんするプロジェクトに代表される、個人についての事例にかぎられていた。共和党民主党も政治の場で首を絞め合っていると主張しているが、互いにリベラリズムによる自立と格差の原因となるものを推進しているのは、単なる偶然だろうか?

ソルジェニーツィンの指摘

ソ連の小説家アレクサンドル・ソルジェニーツィンは、リベラルな秩序の核心にある無法状態を明確に認識していた。この無法状態は何よりも、リベラリズムがあらゆる社会規範や習慣を空洞化しながら、法典を選択して「法の支配」の重視を主張しているところから生じている。一九七八年にハーヴァード大学の卒業式で行なった講演「引き裂かれた世界」で、ソルジェニーツィンは現代のリベラリストが「法律尊重主義的」な生き方に偏っていると批判して、物議を醸した。ホッブズとロックは法を、もともとは完璧に自然状態にあった自立を抑制する、実証哲学的な「石垣」として理解していた。そうした理解を反映するリベラルな法律尊重主義は、わたしたちの自然的自由と対立するので、可能なかぎり避けたりごまかしたりすべき強制とみなされる。あらゆる「達成」の――究極の目的もしくは繁栄の――概念からも、自然法の規範からも切り離された法律尊重主義は、その結果法的禁止をできるかぎり軽視しながら、いたるところで最大限の欲望を追求しようとする。ソルジェニーツィンは次のように述べている。

 

ある人が法律的に見て正しいなら、それ以上何も要求されません。それでもまだその人は完全に正しいとは言えないかもしれないと指摘して、自己抑制や法律上の権利を放棄するよう呼びかけたり、犠牲や無私のリスクを求めたりする人はだれもいません。そんなことを要求するのは愚かなことだと思われるでしょう。自発的な自己抑制を目にすることはほとんどありません。だれもがそういう法律の枠組みのぎりぎりのところで動いているのです。

 

 ソルジェニーツィンリベラリズムの大きな欠点と急所に切りこんでいる。それは自律を育む能力がないことである。

 リベラリズムに代わる共同体

 このような取り組みで力を注ぐべきなのは、共同体の中で文化を支える慣習の構築、生活経済の普及、そして「ポリスの生活」、つまり市民の共同参加から生じる自律の形である。

(略)

 一八二〇年代末にアメリカを訪れたトクヴィルは、アメリカ人の政治版DIY精神に驚いた。同国のフランス人は、中央集権化した貴族制秩序に従っていたが、アメリカ人は問題を解決するためにすぐに自治体に集まった。そうするうちに「組織や結社を自主的に形成し協力しあえる能力」も身につけた。(略)

トクヴィルは、地方のタウンシップ自治体を「民主主義の校舎」と呼んで、共通の暮らしのよさを守ろうとみずから関与する市民を賞賛した

(略)

土台にするのは、実際の人間関係や人づき合い、他の人間のために自分の狭い個人的利益を犠牲する後天的能力である。人間の抽象化などはしない。

(略)

文化とリベラルアーツの復活や、個人主義国家主義の抑制、リベラリズムの技術の制限を求めれば、まずまちがいなく警戒心から疑念をあおることになる。人種的、性差的、民族的な偏見から生じる不平等と不公平を先手を打って防ぐ、あるいは地域的な専制政治神政政治を法律で阻止する、といったことを、すべて確約するよう要求されることにもなりかねない。このような要求がこれまでもずっとリベラリズムの覇権拡張に貢献してきたのである。と同時にわたしたちは、拡張する国家と市場にますます従属し、自分の運命が意のままにならなくなったとしても、かつてなく平等で自由になったと自画自賛しているのである。

 わたしたちは今では、リベラリズムが理想を保障すると謳いながら、逆に格差を広げて自由を抑制することによって、世界への支配を拡大しつづける可能性を歓迎すべきである。いや、おそらく別の方法はあるのだろう。まずは何よりもリベラリズムが促進した、孤立し非人格化された生活とは異なるように、善意の人々の努力で他にないカウンターカルチャーの共同体を作るところからスタートする。栄華の極に達したリベラリズムの全体像がますます見えてくるにつれて、その病的失敗のために経済的、社会的、家庭的に不安定かつ不確実な状態に陥る人々が増えるにつれて、個人の解放の名のもとにますます市民社会の制度の形骸化が目立つようになるにつれて、そしてトクヴィルが予言したように、かつてなく完成された自由な状態がわたしたちを「独立して弱く」している事実に気づくにつれて、こうした実践にもとづく共同体は、かつてはそれを奇異でうさん臭いと思ったことのある者にとって、次第に灯台野戦病院のように見えてくるだろう。リベラリズムに代わる共同体の活動と例から、いつかは異なる政治生活を体験できるようになるかもしれない。その基軸となるのは、共通の自己統治の実践と相互教育である。

 今のわたしたちが必要としているのは、新しく現実的な文化の創造に目を向けて地域の環境で育まれる慣習、家庭内の高度な技術に根差した経済、ポリスでの市民生活の実現である。よりよい理論ではなく、よりよい実践。このような状態と、そこから形成される異なる哲学は、最終的に「リベラル」の名にふさわしいものになるだろう。

 

暴君――シェイクスピアの政治学・その2

前回の続き。 

リチャード三世の人物像 

 シェイクスピアが利用したリチャード三世の人物像は、トマス・モアによって書かれた、テューダー王朝にかなり都合のよい偏向的な書物に拠っており、この本はテューダー王朝の年代記作家たちが大いに利用していた。しかし、その精神病理学はどこからくるのだろうとシェイクスピアは考えた。どのように形成されたのか?シェイクスピアがイメージした暴君は、己の醜さを意識して内的に苦しむ男だ。生まれた瞬間から人々が恐怖や嫌悪におののいたほどの奇形のせいだ

(略)

不吉な出生の話はもっぱら母親から出たようだ。ヨーク公爵夫人は、難産や息子の体にあった嫌な印の話をして、息子たちを楽しませたらしい。

 暴君の支援者たち

 リチャードの悪事に気づかない人など、まずいない。その皮肉な態度や残酷さや裏切り体質は秘密でも何でもない。人間として救われる要素など持ちあわせていないし、国を効果的に統治できると信じられる理由も一切ない。つまり、この劇が探求しているのは、そんな人間がそもそもどうしてイングランドの王位に就けるのかという問いだ。

(略)

 リチャードの主張や誓いを信じてしまい、その感情の発露を額面どおりに受け取って、純粋にリチャードに騙される人物も何人かはいる。(略)

政治で重要な働きをするには無力すぎであり、利用される犠牲者でしかない人たちだ。

 暴力で脅されたり、いじめられたりして、怯えて何もできない連中もいる。(略)

リチャードは何でもやりたいようにやってきた裕福で特権階級の人間であるために、人の道に悖る行為もできてしまうのだ。

 そしてまた、リチャードが外見ほど悪い人ではないかもしれないと思ってしまう連中がいる。とんでもない嘘つきであることはわかっているし、あれやこれやの悪事を働いたことは承知しているが、それがどんなにひどいかを覚えていられないかのように、不思議な忘れ癖がある人たちだ。彼らは尋常でないことを尋常なこととして受け容れてしまう。

 ほかにも、リチャードの悪党ぶりを忘れられないにもかかわらず、何もかも平穏に続いていくと信じてしまう人々もいる。言ってみれば、分別のある大人たちがまわりにたくさんいるのだから、約束は守られ、同盟は大切にされ、重要な制度は尊重されるだろうと思ってしまう人たちだ。リチャードは最高の権力の座には明らかにふさわしくないので、リチャードのことなど気にかけず、ほかの誰かがリーダーになるだろうとずっと考えているうちに、やがて手遅れの事態となる。ありえないと思っていたことが実際に起こっていると気づいたときには遅いのだ。頼りにしていた基盤が意外にも脆かったと知ることになる。

 リチャードが権力の座に就く際に、甘い汁を吸ってやろうと企む悪い連中もいる。リチャードがどれほど破滅的かは他の人同様重々承知しているのだが、悪より一歩先を行って、何かしらの利益を得てやれると妙な自信を持っている連中だ。

(略)

こうした手合い(略)は、リチャードをどんどん押し上げる手助けをし、その汚い仕事に手を貸し、次々と犠牲が出るのを冷ややかに眺める。

(略)

『リチャード三世』は、耐えがたい抑圧を受けて必死に考える人々が、理性的なコントールの利かない感情的な流れの中で、とんでもない決断をしてしまう様子を見事に描いている。

トリクルダウン 

収穫が悪くても、貴族らが手放す気にさえなれば、餓えを防ぐに十分な穀物が貯蔵されていると、人々は叫ぶ。ところが、金持ちは、市場の価格を落とすくらいなら、蔵の中で穀物を腐らせたほうがいいのだ。しかも、根本的な問題は、貯蔵者の強欲以上に、国家全体の経済システムが貧富の収入の差を狭めるのでなく悪化させるようにできていることだ。

 税法を定め、経済上の取り決めをした貴族には、このシステムを作った責任があるわけだが、もちろんそんな意図など認めない。シェイクスピアは、メニーニアス・アグリッパという温厚な政府の代表を、会話上手の有能政治家として上手に描き、金持ち側でありながら、巧みに庶民の味方として振る舞わせている。庶民の窮状に親身になって同情しつつ、「善良な友、わが正直な隣人」と呼ぶ暴徒らに、飢饉を起こした悪天候は貴族のせいではないと言うのだ。暴力では何も解決しないから、辛抱して祈りなさいと忠告し、貴族が自分たちより恵まれない人たちに対して施す「慈善」を当てにするように言う。

(略)

メニーニアスは主張する。元老院議員たちがいればこそ、人々の生活が恵まれたものになっているのだ、と。

 

君たちが受けている公的な恩恵は、

彼らから君たちへ届いているのであった、

君たち自身からは出ていない。

 

 そう考えれば、何もかもまずは富裕層の財布に入るのは正しいのだ。きちんと消化されたのち、適正な量となってほかの皆に流れていくのだから。

 腹をすかせた暴動者たちが、このエリート階級の消費についての御伽噺めいた弁明で納得したかどうかは、不明である。

(略)

[そこに登場した]コリオレイナスはその政策を温和な寓話に包み込んだりするどころか、民衆を皆殺しにしてやりたいという、右翼ならではの声を発する。

コリオレイナス 

 コリオレイナスはその傲慢さや過激主義、そして激しい気性ゆえに引きずりおろせると正しく見積もった護民官たちは、きちんとした手続きを守るように頑強に主張する。すなわち、候補者は、人々に投票を求める義務を免除されてはならないと言うのだ。自分たちのチャンピオンを執政官にしたがっている貴族たちは、コリオレイナスにそのプライドを抑えて、真似事でいいから人々に話しかけてくれと頼む。「連中に君のことをよく思ってもらうよう/願わなければならない」と、メニーニアスは告げる。「俺のことをよく思うだと?」コリオレイナスは憤慨する。「あんなやつら、くたばっちまえ!」

(略)

 コリオレイナスが嫌な人間であることに変わりはないが、劇は、少なくとも他の貴族たちと比べて、コリオレイナスに対して奇妙にも同情的だ。貴族たちはコリオレイナスに、選挙されるためには、その強固な信念はこの際、脇へ置くようにと促す。つまり嘘をついて迎合し、デマゴーグを演じろというわけだ。一旦執政官の地位に就いてしまえば、本来の立場を取り戻し、貧民に対して行った譲歩を巻き戻す時間はたっぷりあると言う。(略)

選挙に勝ったとたんに手のひらを返すという、あれである。頭を撫でつけた政治家たちが建築現場での集会でヘルメットをかぶるのと同様に、ローマ人たちはこれを因習的な儀式としていたわけである。

(略)

 コリオレイナスは、この見せかけのジェスチャーが嫌でたまらなかった。仲間が求めるとおりにしようと努力はするが、不快で吐き気がしてしまう。

(略)

最初、人々は、疑わしきは罰せずとして、彼に投票しようと約束するのだが、なんだか馬鹿にされたような不安な気持ちで市場での集会をあとにする。ブルータスとシシニアスが、コリオレイナスは「諸君の自由に/反対していた」と群衆に思い出させ、その不安を後悔に変えて、意見を変えさせ、支持を取り消させるのは容易なことだった。

(略)

一瞬、貴族階級の元老院議員たちが勝ったかに見えた。忠告されたとおりにコリオレイナスは市場に立って、必要数の「声」を獲得するのに成功したのだから。(略)

背水の陣を敷いたブルータスとシシニアスは、この形式的手続きを利用して、選挙そのものを頓挫させてしまう。

 護民官たちは、敵であるエリート階級と同じぐらいずるく、相手の裏をかこうとする。

(略)

「我々のせいにするがいい」と、二人は悪賢く提案する――つまり、護民官たちに圧力をかけられて、ついコリオレイナスを支持してしまったけれど、あの人の執念深い敵意と嘲笑を思い出して、支持を取り消すことにしたと言えというのである。

 人々がそのとおりにすると、コリオレイナスは激怒し、選挙が終わるまでは隠しておいてくれと貴族たちが必死でお願いしていた民衆への憎悪を爆発させる。あんな有象無象どもの機嫌を取ろうとするなんて、「叛乱、尊大さ、扇動」を呼ぶだけだと、彼は息巻く。貧民など「麻疹」であり、権力に少しでも近づけたら、病気が移ると言う。友人たちはコリオレイナスを黙らせようとする。友人たちも同じように思ってはいるのだが、公にはしたくないのだ。だが、コリオレイナスは黙らない。国家に権力は二つあってはならないと、彼は断言する。貴族階級が平民を支配するのが当然であるが、そうでないなら、社会秩序そのものがひっくり返る。「連中が元老院議員となるなら、/あなたがた貴族は平民だ」。最低限の社会保障――飢餓を防ぐための無料の食糧供給――など、そんなものは「不従順を育み、/国家の荒廃を招いてきた」にすぎないと言う。

(略)

 ついにコリオレイナスが何もかもぶちまけてしまったので、すべては明るみに出る。より穏健な元老院議員たちは、人民の健康の重大な危機を回避し、大掛かりな社会抗議運動が起こらないようにする程度にわずかに譲歩する気はあった。

(略)

ところが、偽善や迎合が我慢ならないコリオレイナスにとって、その「わずか」が許せない。貧民は餓え死にすればいいというのが、彼の穏やかな提案だ。飢饉でのらくら者の数が減り、生き残った連中も施し物をそれほど求めはしないだろう。そうした施しをするから、下層階級は自立しないのであり、福祉政策それ自体、ある種の麻薬のようなものだと彼は考える。

 必要なのは、平民が欲しがっているものの実は平民自身をそして国家をも傷つけているに過ぎないものを、貴族が勇気をもって、平民から取り上げることなのだと、コリオレイナスは公に断言する。つまり、食糧無償配布を廃止するのみならず、貧民に政治的な声を与える護民官制度自体をやめるということだ。平民の代表制を制限する(略)だけでは十分ではない。コリオレイナスは、より抜本的方策を提案する。「大衆の舌を引っこ抜け。/甘い汁を舐めさせるな。/やつらには毒だ」。根本的に、ローマの共和政を壊そうというわけだ。

 護民官らは直ちにコリオレイナスを謀叛の罪で訴える。(略)

 今や内乱が起ころうとし、コリオレイナスや貴族たちの軍事力にもかかわらず、圧倒的数によって怒りの民衆が優位に立つ。(略)

もう一度暴徒を説得する役回りとなったメニーニアスは(略)

今度は、コリオレイナスを市場に連れ戻し、法律に従わせ、その嫌疑に答えさせる役回りをも引き受ける。

シェイクスピア

 これは、ずっと昔、言論の自由を守る憲法もなければ、民主主義社会の基本的形もまだなかった、かなり異なった政治体制の社会の話である。シェイクスピアが子供のころ、ジョン・フェルトンという裕福なカトリック教徒が、ローマ教皇の正式な宣言の写しを柱に貼りつけて、「女王はイングランドの真の女王であったことはない」と断言したために、首吊り・内臓抉り・四つ裂きの刑にあった。数年後、ジョン・スタッブズというピューリタンが、女王とカトリックのフランス人との縁談を非難する小冊子を書いたために、公的処刑人により右手を切り落とされた。その小冊子を配布した者も同様の刑を受けた。政府から有罪と判断された発言・執筆をした者には比較的厳しい罰則が、エリザベス女王とジェイムズ王の治世のあいだ続いたのである。

 シェイクスピアは、そのようなおぞましい処刑に立ち会ったことがあるに違いない。そうした処刑を見ながら、ぎりぎり受け入れられる表現の限界を思い知っただろうし、耐えがたい痛と苦悩の瞬間に人間はどうなるものかということも学んだだろう。さらには、大衆が抱く恐怖と欲望についてもいろいろわかっただろうが、それこそまさに劇作家の十八番とすべき感情だった。

(略)

シェイクスピアは、劇場の実入りや、不動産投資や、商品売買や、時折のちょっとした金貸しによって、裕福になろうとしている途中だったのだ。混乱などに、興味はなかった。

(略)

 だが、その作品を見ると、政府お墨つきの「従順さの説教」のような決まり文句(略)を毛嫌いする様子も見える。

(略)

 シェイクスピアは、言うべきことを言う手段を見出していた。舞台上で誰かを立たせて、二千人の聴衆に「犬だって権力をもてば、人を従わせられる」と語らせたのだ――中には政府の回し者もいたはずなのに。金持ちは、貧乏人なら厳しく罰せられるようなことをしても、罰を逃れることができる。「罪を金でメッキすりゃ」

(略)

こんなことを居酒屋で言おうものなら、両耳を切り落とされかねない。だが、この言葉は毎日堂々と話されても、警察は呼ばれない。なぜか?なぜなら、こう言っているのは、狂気のリアだからだ。  

暴君――シェイクスピアの政治学

 なぜ国全体が暴君の手に落ちてしまうのか

 一五九〇年代初頭に劇作をはじめてからそのキャリアを終えるまで、シェイクスピアは、どうにも納得のいかない問題に繰り返し取り組んできた。

 ――なぜ国全体が暴君の手に落ちてしまうなどということがありえるのか?(略)

一見堅固で難攻不落に思える国の重要な仕組みが、どのような状況下で不意に脆くなってしまうのかと、シェイクスピアは考えた。なぜ大勢の人々が、嘘とわかっていながら騙されるのか?

(略)

国民がその理想を捨て、自分たちの利益さえも諦める心理の働きを、シェイクスピアの劇は探っている。なぜ、明らかに統治者としてふさわしくない指導者、危険なまでに衝動的で、邪悪なまでに狡猾で、真実を踏みにじるような人物に心惹かれてしまうのか

(略)

本来ならプライドも自尊心もある人々が、暴君の完璧な厚顔無恥に屈するのはなぜか?やりたい放題の、目を瞠るほどの不道徳になぜ屈するのか?

(略)

シェイクスピアは、決して当時のイングランドの統治者エリザベス一世を暴君として非難してはいない。(略)そんなことを舞台でおくびにでも出そうものなら自殺行為だった。女王の父ヘンリー八世の時代に遡る一五三四年、治世者を暴君と呼ぶ者は謀叛人なりと法で定められたのだ。そんな罪を犯せば死刑だ。

(略)

表現の自由などなかった。『犬の島』という劇が一五九七年に公演されて扇動的とされ、劇を書いたベン・ジョンソンが逮捕され、投獄され、ロンドンじゅうの劇場を取り壊せとの政令が発せられた。

「神に喜ばれる行為」 

「神に喜ばれる行為」――これこそが、洗脳された連中が信じていたことだった。裏切りの暴虐行為をしたことで、天国で報いを得られると思い込んでいたのである。

(略)

問題となっている脅威はローマ・カトリックの教義だった。女王の主たる顧問官たちが心底困ったのは、エリザベス一世自身がそのことをはっきり言いたがらず、顧問官たちが必要と考える対策をとろうとしなかったことだ。女王は、強力なカトリック国家を相手に金のかかる血みどろの戦争をしたくはなかったし、一部の狂信者の犯罪のせいでローマ・カトリックという宗教全体を貶めたくなかったのである。

(略)

女王陛下は、表向きは公的な国家の宗教に改宗するのであれば、臣下に密かにカトリックを信仰することを許してきた。そして、事態がかなり逼迫してきても、陛下はいとこであるカトリック信者のスコットランド女王メアリの処刑の認可を繰り返し拒絶したのだ。

(略)

スコットランドから追放されたメアリは、責められることも裁判にかけられることもなく、イングランド北部に保護を兼ねて拘留されていた。メアリはイングランド王位への強力な継承権があると主張し得たので(略)

国内の急進派カトリック信者も危険な陰謀の足がかりにしようと大いに白昼夢をふくらませた。メアリ自身は、無鉄砲にも、自分を用いようとする邪悪な計画を許したのである。

 この計画の黒幕は、ローマにいる教皇その人だと広く信じられていた。教皇の特殊部隊は、あらゆる点で教皇に従うことを誓ったイエズス会士である。

(略)

一五七〇年に教皇ピウス五世は、エリザベス一世を異端かつ「犯罪の僕」として破門する大勅書を発行した。女王の臣下は、女王に対して誓ったいかなる義務からも解放され、実のところ、従わないようにと厳かに命じられた。十年後、教皇グレゴリウス十三世は、イングランドの女王を殺しても地獄堕ちの罪にならないとほのめかした。

(略)

女王の側近は、「女王安全保障の契約」を結ぶというかなり異例な手を打った。これに署名した者は、女王の命を狙った者に復讐を誓うのみならず、王座にのぼろうとしかねない者――メアリを想定していたのは明らかだ―――のために女王暗殺が謀られた場合、その成否にかかわらず、王座にあげられようとした者を殺害する誓約をしたのである。

(略)

謀叛を黙認してきたメアリを[逮捕し](略)首を刎ねてもイングランドのテロの脅威に終止符は打てなかった。翌年にスペインのアルマダ艦隊を打ち破っても、終わらなかった。どちらかというと、イングランドの雰囲気は暗くなった。

(略)

日雇い労働者が一五九一年に「今の女王が生きてるあいだは陽気な世界にゃならねえな」と口走ったために晒し台に立たされた。

(略)

一五九二年のサー・ジョン・ペロットの謀叛の裁判では、ペロットが女王のことを「卑しい妾腹の台所女」と言ったという深刻な告発があったとの報告がある。

(略)

心配すべき王位継承問題があった。女王が赤いぎらぎらの鬘をつけ、宝石だらけの贅沢なガウンをまとったところで、加齢は隠せなかった。(略)

だが、後継者を指名しようとはしなかった。

 後期エリザベス朝のイングランドでは、あらゆる秩序がかなり揺らいできたことは、実は誰もがわかっていた。(略)

追い込まれたカトリック教徒らが何年も言い続けてきたことによれば、女王は権謀術数の政治家たちに囲まれており、そのいずれもが自分の派閥の利益を推し進めようと常に工作して、ありもせぬカトリックの陰謀への恐怖を掻き立て、自らが絶対権力を握ろうと虎視眈々としているという。不満を抱く清教徒たちも、カトリックに対して似たような恐怖を抱いていた。この国の宗教はどこに落ち着くのか、富はどう配分されるのか、外国との関係はどうなるのか、内乱は起こるのか

検閲逃れ

 検閲があれば、当然ながら、検閲逃れの技が生まれる。(略)

場面を遠く異国に移して、遙か過去の出来事として描けばよいと思いついた。あまりにも似すぎているとされたり、歴史的事実が正しく描かれている証拠を出せと要求されたりすることもたまにはあったが、たいてい検閲官はこのごまかしを見逃してくれた。ひょっとすると、権力側も何らかの空気を逃がす穴をあけておいてやる必要があると思ったのかもしれない。

 シェイクスピアは、わざと遠回しにしたり置き換えたりして表現する名手だった。(略)

遠海の名もなき不思議な島で物語を展開するのが好きだった。王位継承の危機、腐敗した選挙、暗殺、暴君の台頭といった波瀾万丈の歴史的事件を描くときは、古代ギリシャ古代ローマ、先史時代のブリテン

(略)

よりおもしろく鋭い物語を生み出すために、種本とした年代記の物語を自由に変更して書き換えたが、はっきりこれとわかる資料を用いており、権力から提出を求められた場合、提出して自分を守れるようにしていた。

『ヘンリー五世』

たった一つ目立った例外がある。一五九九年に書いた『ヘンリー五世』で、ほぼ二世紀前にイングランド軍がフランスを侵略した際の輝かしい勝利を描いた

(略)

問題の「将軍」とは、女王の寵臣エセックス伯のことであり、このとき(略)アイルランド叛乱軍を討伐すべく、イングランド軍を率いていた。

 シェイクスピアがなぜ直接、当時の出来事――それも「まもなく」起こる出来事――に言及しようとしたのかわからない。もしかすると、パトロンである富裕なサウサンプトン伯から、そうしろと促されたのかもしれない。(略)

エセックス伯の親友であり、政治的な同志でもあるサウサンプトン伯は、この自惚れの強く、借金まみれの親友が(略)まもなく凱旋するのを愛国的に迎え入れるように仕向けるのがよいとシェイクスピアにほのめかしたのかもしれない。それを断るのはむずかしかっただろう。

 ところが(略)惨めな敗戦を喫したエセックス伯は(略)そこにとどまるべしとの女王の明確な命令に背いてロンドンに帰ってきてしまったのだ。それから起こった一連の出来事は、イングランドの体制のまさに根幹を揺るがす危機へと瞬く間に発展していった。エセックス伯は、泥だらけの恰好のまま女王の部屋に飛びこみ、その足もとにひれ伏し、自分を憎む連中を激しく罵った。その無謀にして望まれない帰国は、宮廷におけるエセックス伯の主たる敵(略)に彼らがずっと求めてきた機会を与えることになった。裏をかかれて、ますます動揺したエセックス伯は、女王の寵愛がなくなっていくのを目の当たりにする。これまでずっと自分を抑えてきたエセックス伯だったが、カッとなって女王が「年をとって頭がぼけ」、その精神は「老いぼれた体のようにおかしくなっている」と口走るという、取り返しのつかないへまをやらかしたのだ。

(略)

エリザベス女王はそれ[宮廷内の党派]を巧みに操ってバランスをとってきた。ところが、女王の衰弱が進むと、昔からの敵対は激化して、殺意さえ出てきた。

(略)

ロンドン大衆が立ち上がって自分を支持してくれるという妄想じみた自信とが相俟って、ついにエセックス伯は、女王の顧問官たちに対して武装蜂起をしたのだ。それは、ひょっとすると女王に対する蜂起でもあったかもしれない。(略)

[蜂起は失敗、エセックス伯等は逮捕された]

寵臣ウォルター・ローリーは、公的な取り調べを指揮した秘書長官ロバート・セシルに対して、憎き敵を一気につぶす千載一遇の機会を逃さないようにと促した。(略)

エセックス伯が返り咲くようなことがあったら、女王の高齢を考えると、伯が王国を支配する立場に立ち、法的な詳細など無視するにちがいないとローリーはほのめかしているのである。

(略)

[サウサンプトン伯は無期懲役減刑されたが、工セックス伯は処刑された]

 シェイクスピアがこうした物騒な揉め事に少しでも近づいてしまったのは愚かだった。

「私がリチャード二世なのだ。知らなかったのか?」

公的なお咎めはなかったようだが、まかりまちがえば大変なことになっているところだった。

[実は失敗した蜂起の前日、エセックス伯の支持者たちが『リチャード二世』の上演を強要していた。なぜか?]

 『リチャード二世』において、王位簒奪者によって殺されるのは王の顧問官たちだけではない。王自身も殺されるのだ。

(略)

『リチャード二世』を上演することで、クーデターが成功するさまを上演するのは、大衆に対して(そして恐らくは自分たちに対しても)意味のあることだと共謀者たちは感じたに違いない。

(略)

 一三五二年まで遡る法令によって、王や王妃ないしは主たる公僕の死を「企てたり想像したり」することは謀叛であるとされていた。「想像する」という曖昧な語の使用のおかげで、政府は誰を起訴するかかなり自由に決められたので、グローブ座で『リチャード二世』を上演したのは大いに危険な橋を渡ることだった。

(略)

 その日の午後、『リチャード二世』を観ていた[エセックス伯の執事]メイリックが何を考えていたのか知る由もないが、少なくとも当時一人の人物がその意味をどう理解していたかはわかっている。エセックス伯処刑の六か月後、エリザベス女王は、ロンドン塔の記録保管役に任命して間もないウィリアム・ランバードに寛大な謁見を許し、学識ある記録保管役は忠実に、女王のために用意しておいた記録の目録を、過去の王の治世ごとに確認しはじめた。リチャード二世の治世のところにくると、エリザベス女王はふいにこう言ったのだ――「私がリチャード二世なのだ。知らなかったのか?」。

(略)

[劇団に咎めはなかったが]

サー・ゲリー・メイリックはそれほど幸運ではなかった。この特別公演を手配させ、蜂起を幇助した行為の容疑により、処刑され、切り裂かれ、八つ裂きにされたのである。

次回に続く。

 

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