暴君――シェイクスピアの政治学

 なぜ国全体が暴君の手に落ちてしまうのか

 一五九〇年代初頭に劇作をはじめてからそのキャリアを終えるまで、シェイクスピアは、どうにも納得のいかない問題に繰り返し取り組んできた。

 ――なぜ国全体が暴君の手に落ちてしまうなどということがありえるのか?(略)

一見堅固で難攻不落に思える国の重要な仕組みが、どのような状況下で不意に脆くなってしまうのかと、シェイクスピアは考えた。なぜ大勢の人々が、嘘とわかっていながら騙されるのか?

(略)

国民がその理想を捨て、自分たちの利益さえも諦める心理の働きを、シェイクスピアの劇は探っている。なぜ、明らかに統治者としてふさわしくない指導者、危険なまでに衝動的で、邪悪なまでに狡猾で、真実を踏みにじるような人物に心惹かれてしまうのか

(略)

本来ならプライドも自尊心もある人々が、暴君の完璧な厚顔無恥に屈するのはなぜか?やりたい放題の、目を瞠るほどの不道徳になぜ屈するのか?

(略)

シェイクスピアは、決して当時のイングランドの統治者エリザベス一世を暴君として非難してはいない。(略)そんなことを舞台でおくびにでも出そうものなら自殺行為だった。女王の父ヘンリー八世の時代に遡る一五三四年、治世者を暴君と呼ぶ者は謀叛人なりと法で定められたのだ。そんな罪を犯せば死刑だ。

(略)

表現の自由などなかった。『犬の島』という劇が一五九七年に公演されて扇動的とされ、劇を書いたベン・ジョンソンが逮捕され、投獄され、ロンドンじゅうの劇場を取り壊せとの政令が発せられた。

「神に喜ばれる行為」 

「神に喜ばれる行為」――これこそが、洗脳された連中が信じていたことだった。裏切りの暴虐行為をしたことで、天国で報いを得られると思い込んでいたのである。

(略)

問題となっている脅威はローマ・カトリックの教義だった。女王の主たる顧問官たちが心底困ったのは、エリザベス一世自身がそのことをはっきり言いたがらず、顧問官たちが必要と考える対策をとろうとしなかったことだ。女王は、強力なカトリック国家を相手に金のかかる血みどろの戦争をしたくはなかったし、一部の狂信者の犯罪のせいでローマ・カトリックという宗教全体を貶めたくなかったのである。

(略)

女王陛下は、表向きは公的な国家の宗教に改宗するのであれば、臣下に密かにカトリックを信仰することを許してきた。そして、事態がかなり逼迫してきても、陛下はいとこであるカトリック信者のスコットランド女王メアリの処刑の認可を繰り返し拒絶したのだ。

(略)

スコットランドから追放されたメアリは、責められることも裁判にかけられることもなく、イングランド北部に保護を兼ねて拘留されていた。メアリはイングランド王位への強力な継承権があると主張し得たので(略)

国内の急進派カトリック信者も危険な陰謀の足がかりにしようと大いに白昼夢をふくらませた。メアリ自身は、無鉄砲にも、自分を用いようとする邪悪な計画を許したのである。

 この計画の黒幕は、ローマにいる教皇その人だと広く信じられていた。教皇の特殊部隊は、あらゆる点で教皇に従うことを誓ったイエズス会士である。

(略)

一五七〇年に教皇ピウス五世は、エリザベス一世を異端かつ「犯罪の僕」として破門する大勅書を発行した。女王の臣下は、女王に対して誓ったいかなる義務からも解放され、実のところ、従わないようにと厳かに命じられた。十年後、教皇グレゴリウス十三世は、イングランドの女王を殺しても地獄堕ちの罪にならないとほのめかした。

(略)

女王の側近は、「女王安全保障の契約」を結ぶというかなり異例な手を打った。これに署名した者は、女王の命を狙った者に復讐を誓うのみならず、王座にのぼろうとしかねない者――メアリを想定していたのは明らかだ―――のために女王暗殺が謀られた場合、その成否にかかわらず、王座にあげられようとした者を殺害する誓約をしたのである。

(略)

謀叛を黙認してきたメアリを[逮捕し](略)首を刎ねてもイングランドのテロの脅威に終止符は打てなかった。翌年にスペインのアルマダ艦隊を打ち破っても、終わらなかった。どちらかというと、イングランドの雰囲気は暗くなった。

(略)

日雇い労働者が一五九一年に「今の女王が生きてるあいだは陽気な世界にゃならねえな」と口走ったために晒し台に立たされた。

(略)

一五九二年のサー・ジョン・ペロットの謀叛の裁判では、ペロットが女王のことを「卑しい妾腹の台所女」と言ったという深刻な告発があったとの報告がある。

(略)

心配すべき王位継承問題があった。女王が赤いぎらぎらの鬘をつけ、宝石だらけの贅沢なガウンをまとったところで、加齢は隠せなかった。(略)

だが、後継者を指名しようとはしなかった。

 後期エリザベス朝のイングランドでは、あらゆる秩序がかなり揺らいできたことは、実は誰もがわかっていた。(略)

追い込まれたカトリック教徒らが何年も言い続けてきたことによれば、女王は権謀術数の政治家たちに囲まれており、そのいずれもが自分の派閥の利益を推し進めようと常に工作して、ありもせぬカトリックの陰謀への恐怖を掻き立て、自らが絶対権力を握ろうと虎視眈々としているという。不満を抱く清教徒たちも、カトリックに対して似たような恐怖を抱いていた。この国の宗教はどこに落ち着くのか、富はどう配分されるのか、外国との関係はどうなるのか、内乱は起こるのか

検閲逃れ

 検閲があれば、当然ながら、検閲逃れの技が生まれる。(略)

場面を遠く異国に移して、遙か過去の出来事として描けばよいと思いついた。あまりにも似すぎているとされたり、歴史的事実が正しく描かれている証拠を出せと要求されたりすることもたまにはあったが、たいてい検閲官はこのごまかしを見逃してくれた。ひょっとすると、権力側も何らかの空気を逃がす穴をあけておいてやる必要があると思ったのかもしれない。

 シェイクスピアは、わざと遠回しにしたり置き換えたりして表現する名手だった。(略)

遠海の名もなき不思議な島で物語を展開するのが好きだった。王位継承の危機、腐敗した選挙、暗殺、暴君の台頭といった波瀾万丈の歴史的事件を描くときは、古代ギリシャ古代ローマ、先史時代のブリテン

(略)

よりおもしろく鋭い物語を生み出すために、種本とした年代記の物語を自由に変更して書き換えたが、はっきりこれとわかる資料を用いており、権力から提出を求められた場合、提出して自分を守れるようにしていた。

『ヘンリー五世』

たった一つ目立った例外がある。一五九九年に書いた『ヘンリー五世』で、ほぼ二世紀前にイングランド軍がフランスを侵略した際の輝かしい勝利を描いた

(略)

問題の「将軍」とは、女王の寵臣エセックス伯のことであり、このとき(略)アイルランド叛乱軍を討伐すべく、イングランド軍を率いていた。

 シェイクスピアがなぜ直接、当時の出来事――それも「まもなく」起こる出来事――に言及しようとしたのかわからない。もしかすると、パトロンである富裕なサウサンプトン伯から、そうしろと促されたのかもしれない。(略)

エセックス伯の親友であり、政治的な同志でもあるサウサンプトン伯は、この自惚れの強く、借金まみれの親友が(略)まもなく凱旋するのを愛国的に迎え入れるように仕向けるのがよいとシェイクスピアにほのめかしたのかもしれない。それを断るのはむずかしかっただろう。

 ところが(略)惨めな敗戦を喫したエセックス伯は(略)そこにとどまるべしとの女王の明確な命令に背いてロンドンに帰ってきてしまったのだ。それから起こった一連の出来事は、イングランドの体制のまさに根幹を揺るがす危機へと瞬く間に発展していった。エセックス伯は、泥だらけの恰好のまま女王の部屋に飛びこみ、その足もとにひれ伏し、自分を憎む連中を激しく罵った。その無謀にして望まれない帰国は、宮廷におけるエセックス伯の主たる敵(略)に彼らがずっと求めてきた機会を与えることになった。裏をかかれて、ますます動揺したエセックス伯は、女王の寵愛がなくなっていくのを目の当たりにする。これまでずっと自分を抑えてきたエセックス伯だったが、カッとなって女王が「年をとって頭がぼけ」、その精神は「老いぼれた体のようにおかしくなっている」と口走るという、取り返しのつかないへまをやらかしたのだ。

(略)

エリザベス女王はそれ[宮廷内の党派]を巧みに操ってバランスをとってきた。ところが、女王の衰弱が進むと、昔からの敵対は激化して、殺意さえ出てきた。

(略)

ロンドン大衆が立ち上がって自分を支持してくれるという妄想じみた自信とが相俟って、ついにエセックス伯は、女王の顧問官たちに対して武装蜂起をしたのだ。それは、ひょっとすると女王に対する蜂起でもあったかもしれない。(略)

[蜂起は失敗、エセックス伯等は逮捕された]

寵臣ウォルター・ローリーは、公的な取り調べを指揮した秘書長官ロバート・セシルに対して、憎き敵を一気につぶす千載一遇の機会を逃さないようにと促した。(略)

エセックス伯が返り咲くようなことがあったら、女王の高齢を考えると、伯が王国を支配する立場に立ち、法的な詳細など無視するにちがいないとローリーはほのめかしているのである。

(略)

[サウサンプトン伯は無期懲役減刑されたが、工セックス伯は処刑された]

 シェイクスピアがこうした物騒な揉め事に少しでも近づいてしまったのは愚かだった。

「私がリチャード二世なのだ。知らなかったのか?」

公的なお咎めはなかったようだが、まかりまちがえば大変なことになっているところだった。

[実は失敗した蜂起の前日、エセックス伯の支持者たちが『リチャード二世』の上演を強要していた。なぜか?]

 『リチャード二世』において、王位簒奪者によって殺されるのは王の顧問官たちだけではない。王自身も殺されるのだ。

(略)

『リチャード二世』を上演することで、クーデターが成功するさまを上演するのは、大衆に対して(そして恐らくは自分たちに対しても)意味のあることだと共謀者たちは感じたに違いない。

(略)

 一三五二年まで遡る法令によって、王や王妃ないしは主たる公僕の死を「企てたり想像したり」することは謀叛であるとされていた。「想像する」という曖昧な語の使用のおかげで、政府は誰を起訴するかかなり自由に決められたので、グローブ座で『リチャード二世』を上演したのは大いに危険な橋を渡ることだった。

(略)

 その日の午後、『リチャード二世』を観ていた[エセックス伯の執事]メイリックが何を考えていたのか知る由もないが、少なくとも当時一人の人物がその意味をどう理解していたかはわかっている。エセックス伯処刑の六か月後、エリザベス女王は、ロンドン塔の記録保管役に任命して間もないウィリアム・ランバードに寛大な謁見を許し、学識ある記録保管役は忠実に、女王のために用意しておいた記録の目録を、過去の王の治世ごとに確認しはじめた。リチャード二世の治世のところにくると、エリザベス女王はふいにこう言ったのだ――「私がリチャード二世なのだ。知らなかったのか?」。

(略)

[劇団に咎めはなかったが]

サー・ゲリー・メイリックはそれほど幸運ではなかった。この特別公演を手配させ、蜂起を幇助した行為の容疑により、処刑され、切り裂かれ、八つ裂きにされたのである。

次回に続く。

 

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