『リア王』の時代:一六〇六年のシェイクスピア

うーん、これは久々に面白かった。

爆破未遂事件がもたらした悪夢の世界、シェイクスピア演劇に与えた影響、 「二枚舌」が一夜にして恐ろしい言葉になったてな話等々。

『リア王』の時代:一六〇六年のシェイクスピア

『リア王』の時代:一六〇六年のシェイクスピア

 

 新国王の仮面劇、二つの王国結婚、国会爆破計画

新国王が主催した仮面劇は贅を極め、たった一度の公演で三千ポンド以上という信じられない出費を伴った。このクリスマス・シーズンでシェイクスピアの劇団が宮廷で上演した十本の劇に支払われた総額が百ポンドそこそこだったのに比べれば、その規模の大きさが窺い知れよう。

(略)

 ジェイムズ王は、先代の女王が遺した政治的腐敗もつくろわねばならず、この夜の仮面劇はなかばそのために催されたのだった。エリザベス女王がかつての寵臣であったカリスマ的な叛逆者、第二代エセックス伯爵ロバート・デヴァルーを処刑した一六〇一年から五年が経っていた。その処刑は、いまだにエセックス伯爵に心酔していた者たちの心に傷を残しており、ジェイムズ王治世下において政権や庇護から遠ざけられたエセックス伯派残党は、つまはじきにされて臍を噛んでいた。(略)

[14歳の嫡男は]残党らによって担ぎ出されかねなかった。王国の分割を防ぐためにも、強硬なエセックス伯派をなんとか懐柔する必要があった。(略)

そうするだけの財力も役職も土地もあるにはあったが、そんなことをしたら宮廷での派閥争いが紛糾してしまう。かと言って、全員を粛清するわけにもいかなかった。となると、解決法は、政略結婚によって敵同士を結びつけてしまうよりほかなかったのだ。ジェイムズ王は、国家の庇護下にあったエセックス伯爵の嫡男を、エセックス伯爵に死刑を宣告した委員会メンバーでもあった強力なサフォーク伯爵トマス・ハワードの美しい十五歳の娘フランセス・ハワードと結婚させ、自らその仲人を務めようとしていたのである。今宵の仮面劇はその結婚を祝うものだが、同時にイングランドスコットランドの政治的統合――二つの王国結婚――を期待する側面もあった。この二つの王国が結ばれることをジェイムズ王は心から求めており、一月中に議会で両国関係を慎重に審議する段取りになっていた。
 この頃シェイクスピアは、イギリス一経験豊富な劇作家となっていたものの、仮面劇を書いたことはなかった。

(略)

エリザベス朝時代には、シェイクスピアは年に三、四本のペースで書いていたのに[ジェイムズ王の時代になると『尺には尺を』を書いてまた充電期間に入り、『アテネのタイモン』は16歳年下のミドルトンと共同執筆。]

二人の共同作業はひょっとするとうまくいかず、途中で放棄されたのかもしれない。「シェイクスピアなんて一昔前の人であって、もう古いよ」と、若いライバル劇作家たちは噂し出していたのだろうか。グローブ座や宮廷で再演されていたのは、シェイクスピアの昔の、もはや流行最先端ではない劇だった。

(略)

[1600年では]どこもかしこもシェイクスピアの戯曲だらけだった。

 ところが、六年後ロンドンの本屋に戻ってみると、新しい本は『ウィンザーの陽気な女房たち』と『ハムレット』の二冊しかなかった。

(略)

 しかもシェイクスピアは、もはやグローブ座の舞台でも馴染みの顔ではなくなっていた。

(略)

 ただし、シェイクスピアが作家として有名になっていたのは疑いない。

(略)

 あの仮面劇を観てまもなく、シェイクスピアは秋からずっと書き続けていた『リア王』を仕上げた。一六〇六年が終わらぬうちに、さらに二作、『マクベス』と『アントニークレオパトラ』も書き上げることになる。

(略)

仮面劇を観に集まった人たちは、まさにそのちょうど二か月前、今で言うテロに遭って死ぬところであり、すんでのところでそのテロは阻止されたのだった。政府に不満をもったカトリックの紳士たちが、国会爆破を計画し、この国の政治指導者ら全員を王もろとも抹殺して、ヘンリー八世の時代に始まったプロテスタント革命を白紙に戻そうとしたのである。

(略)

「十一月五日」について、いろいろな物語が紡がれた。とりわけ政府が国王の悲劇的な死を国民に想像させた手口は巧みだった。そうした筋書き/陰謀について誰よりもよくわかっていたシェイクスピアは、これまでも観客に王や王妃の死を想像させる戯曲を書いてきたわけだが、一六〇六年にも『マクベス』で王の死を思う戯曲を書くことになる。

 シェイクスピアは、この事件に対する大衆の反応も、劇に使えることを見逃さなかった。すなわち、渦巻く恐怖、復讐の希求、一瞬の国民的団結、そしてどこからそんな悪が出てくるのか理解したいという思い――そうしたものが執筆中の悲劇を形成する重要な要素となっていた。

 火薬陰謀事件の影響で、イエズス会士が用いた「曖昧表現」が社会不安を惹き起こしたが、シェイクスピアが選んだ最新のこの言葉は、当時の病的興奮[ヒステリア]を何よりよく示していた。事件の影響で反カトリック法が制定され(略)「個人の心までガラス張りにしない」としていたかつてのエリザベス朝の妥協など過去の遺物となった(略)シェイクスピアの長女まで捜査を受けた。

 『レア王の真の年代記

 一六〇五年の夏、ロンドンの本屋ジョン・ライトは、一五九〇年頃に初演された『レア王の真の年代記』という戯曲を新刊として売り出し[シェイクスピアも購入]

(略)

[女王一座の]『レア王の真の年代記』公演の年は、シェイクスピアを創立メンバーとする宮内大臣一座が創立された年でもある。(略)[そして]女王一座に成り代わってイングランド一の劇団となるのだ。

(略)

 シェイクスピアが女王一座の人気作『ヘンリー五世の有名な勝利』を見事に『ヘンリー五世』に作り変えてから六年が経っていた。

(略)

[ジェイムズ王が病床の宮内大臣を交代させ]シェイクスピアの劇団はもはや宮内大臣一座ではなく(略)しかもケアリーは九月初旬に亡くなってしまった。[パトロンの心配をしていたら、突然国王一座に取り立てられる]

「王国分割」 

「王国分割」をしてはならないというジェイムズ王の警告は、『リア王』冒頭でグロスターが「王国分割」について語る台詞にリンクしている。(略)

ジェイムズ王は(略)統合問題のせいで両国民がどれほど面倒なアイデンティティー問題に直面することになるかわかっていなかった。イングランド人とスコットランド人は、出生地以外の何が違うのか。(略)

大陸型の連邦制で、それぞれの法の違いはそのままになるのか。それとも、いわゆる「完全統合」で、イングランドウェールズを呑みこんだように、征服に近い合併になるのか。ジェイムズはその点をはっきりさせておらず

(略)

 劇は古代ブリテンに設定されているものの、当時の観客にとってはイングランドスコットランドが消えてブリテンとなるという問題があったのだ。(略)

 フランス王国(少なくとも書類上はジェイムズの王国の一つ)の『リア王』での役割はさらに問題を複雑にする。グローブ座の観客は、フランスの侵略軍を倒そうとするブリテン軍に当然思い入れをする。しかし、フランス王と結婚した清く正しいコーディーリアが敵側にいるとなると、その気持は揺れてくる。

(略)

 フランス軍が負けて、ブリテン君主制が復活したとしても、最後にイングランド人とスコットランド人のどちらが国を率いるのか。

『レア王』と『リア王

『レア王』を観たり、流布しているリアの物語を読んだりしたことがある観客は、物語がどう終わるかすでに知っているのだ。(略)

『レア王』では誰も死なないし、失われたものはすべて回復される。神々はコーデラをお守りになり、レアは王座に戻ってうれしく勝利を神に感謝し、義理の息子に感謝する。

(略)

 一六〇六年の観客は[『リア王』も同様のエンディングだと思っていただろう、だが]

ついに芝居が終わろうというとき、リアもコーディーリアも死んでしまっており、観客が目にするのは悲惨な場面だ。とりわけ悪党エドマンドが心変わりをしてコーディーリアの命を救おうとして観客の期待感を募らせておきながら、望まれたハッピー・エンディングはなく、観客はなおさら大きな挫折感を味わうことになる。サミュエル・ジョンソンがエンディングをあれほど耐えがたいと感じたのももっともだ。

国会爆破未遂事件

 十一月五日の朝に目覚めて、陰謀未遂のニュースを聞いたロンドン市民は大騒ぎをした。(略)

[ヴェニス大使ニコロ・モリーノはこう記した「カトリック教徒は異教徒を恐れ、異教徒はカトリック教徒を恐れ、どちらも武装している」]

「騒動を避けるために」通りのあちこちに訓練を受けた自警団が立った。

(略)

 この陰謀がどれほどの根を持っているのか、まだ誰にもわからなかった。国会爆破はほんの始まりで、これから大々的に国際的な暗殺が起こり、無政府状態になるという噂が渦巻いた。

(略)

 三十六もの樽に詰まった火薬が大爆発を起こしたら(略)貴族院が吹っ飛ぶだけではすまなかっただろう。ジェイムズ王は個人的にモリーノに、「計画が実行されていたら、三十万人もの人が一瞬で死に、ロンドンには略奪が起こり、金持ちが貧乏人より打撃を受け、要するに、前代未聞の恐ろしい大惨事になっていたことだろう」と語った。

(略)

政府は、陰謀者の正体やその動機を忖度するのではなく、この陰謀のひどさや破壊力について誰もが同意する話を作ることに直ちに全力をあげた。

 しかし、火薬陰謀事件の破壊の影響が国王自身に及ぶと国民に想像させることで、政府は矛盾に陥っていた。イングランドでは一三五一年に法令が発せられており、「国王の死を意図したり、想像したりする者は謀反人である」とする法律は当時も有効だったのだ。

(略)

事件についての政府の見解は、現存する主要文書とともに「火薬陰謀事件ブック」として編纂された。

(略)

 このような都合のよい政府側の説明を受けつけない反体制側は、多くの証拠がもみ消されたのだと言い、記録に齟齬があることから、十一月五日の前から権力側は陰謀のことを知っていたのに、国家の目的を推し進めるため、とりわけイングランド在住のカトリック教徒を抑圧するために泳がせておいたのだと主張した。(略)

陰謀を思いついたのはカトリック嫌いのソールズベリー伯であり、陰謀者たちは操られて墓穴を掘ったのに過ぎず、いよいよ処刑されることになるまで命は助けられると信じていたのだという。しかし、こうした主張はあまり人気を得なかった。なにしろ、ジェイムズ王朝体制は証拠をほぼ独占しており、なぜを語らず、どうなっていたかもしれないかを強調することで効果的に体制側の都合のよい物語を語ったからだ。
 つい忘れがちだが、火薬陰謀事件がその後の悪名高いテロリズム事件(略)と違うのは、今回は何も起こらなかったという点なのだ。(略)

この悲劇のカタルシスを感じるには、犯人の捕り物、拷問、そして連坐した者の公開処刑の一場を観るまで待たねばならなかった。
 イングランドの劇作家たちは、当時の出来事についてぼやかして書くことしか許されていなかったが、お株を奪われたと臍を噛んだに違いない。勘のいい劇作家なら、何一つ破壊されたわけでもないのに、昨日までと世界が変わってしまったことに気づいただろう。こうした陰謀があったこと自体、水面下に不満があったことの証であり、抑圧を感じ、憎悪や夢想をふくらませていた連中がいたことを、スパイ組織を有する政府でさえ見逃していたのだ。それは、情報の把握に失敗したというより、想像力の欠如の問題だった。ジェイムズ王の治世となって三十か月が経った時点で、国民のなかに我慢も限界だと思っている者がいると理解できなかったのが元凶なのだ。そして、悪魔の仕業だと言い立てることはできるくせに、悪魔に憑かれていようといまいと、人間がこんな無差別殺人という残虐行為ができるほど凶悪になりうると想像できなかったのが敗因なのだ。この事件の翌年、イングランドの作家たちはこの謎に満ちた事件をさらに深く探り、究極の問題点は何かを調べることになる。

処刑

枢密院ががっかりしたことに、スタッフォードシャー州当局は無思慮にも、ホルベッチ・ハウスで殺害して身ぐるみを剥いだ陰謀者どもの死体を埋めてしまっていた。そこで、遺体を「墓から掘り出して、内臓を抜き、四つに裂いた遺体をその者にゆかりある町で掲げよ。パーシーとケイツビーの首級はロンドンへしかるべく送るように」と命じたのだった。陰謀者の首は、まもなく鉄の棒の先に刺して国会で展示され、期待どおりの効果を見物客に与えた。

(略)

[裁判で]最後まで喧嘩腰だったフォークスは、この計画に巻き込まれたイエズス会士たちを無罪にしようと、「連中に計画を打ち明けたことはない」と主張した。(略)

[謀反人達は]セント・ポール大聖堂へ運ばれ、そこで首を吊られ、去勢され、内臓を抜かれ、ばらばらにされた。

(略)

最後の最後にスター登場となって、ガイ・フォークスが処刑された。拷問を受けて衰弱しきっていたフォークスは「階段を上がることもままならなかった」。しかし、その最後は、他の連中よりも幸運であった。と言うのも、吊るされたときに、喉が締まってしまい、そのあとに体になされる恐怖に耐えることもなく落命したのだ。

事件の影響

事件は、上演される前の『リア王』にも痕跡を残した。十一月五日にまだなってもいないというのに、古い悲喜劇を書き直す際に、誰が書いたかわからない偽手紙によって最終的にはブリテンの王家が全滅してしまうという黙示録的な終わり方をする話を思いつくとは、ちょっと背筋が凍らないだろうか。劇の最後でのケントの厳しい問い、「これが約束された終わりなのか?」と、エドガーの返答「あの恐怖のかたちなのか?」は、『王の本』やバーロウによる火薬陰謀事件の説教における言葉遣いの先駆けとなっている。(略)

[荒野で]嵐に向かって叫ぶリアの(略)

台詞の効果は、謀叛人たちの裁判で更に強まったことだろう。(略)

サー・エドワード・クックの言葉はまだロンドン子たちの心に響いていただろうから。「ああ、何という風が吹き、何という火が燃え、どれほど大地と空とが揺れ動いたことだろうか!」
 劇のなかで道化が独占のことを揶揄する、それとない政治批判は、つい数か月前だったら検閲官も見逃したかもしれないが、国王が独占を非難したことが火薬陰謀事件の共謀者たちにより国王殺しの理由の一つとされた今となっては、削除しなければならなかった。そして、十一月上旬に国会で王国統合の懸案に決着がつくはずだったのが再び延期されてしまったために、王国分割を描く『リア王』の政治性は、まさに時宜を得て、意味深長なものになってしまったわけである。
 まだ書いていない劇にも影響があった。シェイクスピアは、これまで何度もいろいろな作品でカトリックの残り香への郷愁を示してきたが、十一月五日ののち、それをやめてしまった(晩年の共作『ヘンリーハ世』は例外)。カトリック世界の存在を示すものとして最も有名なのは、煉獄から亡霊がやってくる『ハムレット』だ。

(略)

 一六〇八年の生まれで、火薬陰謀事件を直接知らない世代のジョン・ミルトンが、十代のときにこの事件に夢中になり、学校への提出物として、事件について短いラテン語の詩五篇を書いたことはあまり知られていない。その後も、題名もそのものずばりの「十一月五日に寄せて」という長いラテン語の詩を、事件の十二周年記念に書いている。この詩では、サタンがローマヘ飛んできて、イギリスの指導者たちを破滅させるようにローマ教皇に促し、「連中が集まる部屋の下で火薬を爆破させて、連中の体を空に撒き散らし、灰になるまで燃やし尽くせ」と唆すのだ。だが、神が介入して、「とんでもないローマ教皇派の暴動を鎮圧した」。悪者らは罰せられ、神は感謝され、篝火が焚かれ(略)

誘惑や悪と神の力を描くこの詩は、数十年後にミルトンが『失楽園』で鋭く切り込んだ問題を先取りしていた(とりわけ、神の力に逆らう武器として、サタンが火薬を発明する第六巻は特筆される)。だが、ミルトンの十一月五日に寄せる詩が今日あまり読まれなくなってしまったのは、若いミルトンにとって、この火薬陰謀事件は問いではなく答えだったからだ。悪がどこから生まれるかミルトンにはわかっていたのだ。善玉と悪玉、きれいと汚いとが、はっきりしていたのである。『失楽園』ではそうではないし(ミルトンがそのつもりであったとしても)、もちろんシェイクスピア作品においてもそうではない。
 シェイクスピアは『リア王』を書き終えていたが、ハースネットの悪魔憑きや虚偽や悪事に走る人間の傾向について考え続けた。「悪事の寄せ集め」と呼ばれた十一月五日は、そうした問題に新たな意味を与えたのだ。と言うのも、この事件をきっかけに、シェイクスピアに限らず国じゅうの人がこれまで考えてもいなかった問題に深く必死で向き合うことになるからだ。すなわち、どうして普通の人々がこんなに恐ろしい、ありえない犯罪をしようとしたのかという問題である。(略)

この悪は、悪魔的な力から生み出されるのか、それとも自分のなかから生まれるのか?私たちを結びつけるのは何か――家族か?結婚か?国か?――そしてその結びつきを破壊するのは何か?シェイクスピアは自分の世界に押し寄せてきたこれらの問題を探る芝居を人々は求めているのだと悟って、マクベスについて調べ始めていた。

次回に続く。