- パールハーバーの年だった
- ジェフ・ローゼン
- デビュー当時のディラン
- 自伝をまとめた「記憶力」
- リズム感
- トム・ウィルソン、ダニエル・ラノワ
- ロブ・ストーナー、トニー・ガーニエ
- ブルース・スプリングスティーン
パールハーバーの年だった
菅野ヘッケル (略)11月4日(2008年)アメリカ大統領選挙の日に、ディランはミネアポリスのミネソタ大学でコンサートをやりました。(略)
いつもはバンド・メンバーを紹介するだけで、ひとこともしゃべらないディランが、《風に吹かれて》を歌う前に、突然、「1941年、僕はここミネソタに生まれた」。ちょうどそれは「パールハーバーの年だった」と語りはじめた。(略)
「以来、時代は真っ暗になってしまった。でも新しい変革がもうすぐやってくる!」とオバマに期待するとも受け取れる発言をした。(略)
そういうメッセージを聞くと、特に彼が子供だった頃、育った町は産業が全部寂れて、人もだんだんいなくなり、学校ではロシアが攻めてくるぞ!(略)「核戦争が起こるかも知れない」なんて言ってる時代で、学校では避難訓練をやったり、いろいろなことがあったわけだから。(略)
明るい希望がないというような状況の中で、唯一見出せたのものが「音楽」だった。特に深夜にラジオをこっそり聴きながら、育ったような少年だと思うのね。(略)
ジェフ・ローゼン
ヘッケル ジェフ・ローゼンは、著作権管理の音楽出版社にいて、その頃からの付き合いだから30~40年は経つんじゃないかな。(略)
だからジェフ・ローゼンがOKといえばディランはあらかたOKなぐらいな関係ですよ。(略)
映画『アイム・ノット・ゼア』の裏話。映画の企画を打診されたジェフ・ローゼンは「じゃあディランに話すからA4紙1枚に企画書をまとめて書いてFAXで送ってくれ」と。「長く書くと読まないから、短くまとめて書いてくれ」と。で、ジェフがFAXをディランに渡して話したところ、ディランはジェフに「君はどう思う。良いか悪いか?」と聞いて。ジェフが「良いと思うよ」って。それを受けてディランは「じゃあ、良いからやるよ」って。(略)
そういう話が伝わってるからね。絶対にジェフ・ローゼンはディランのことを傷つけるような行為はしない。ジェフはディランを守る立場にいるし、ディランのイメージをきちっと伝える。イメージを湾曲させたりはしない。それぐらいの信頼を多分持ってんだと思うね。(略)
だから基本的にはすべてジェフが窓口で行なっているし。特に「ブートレッグ・シリーズ」のとりまとめは全部ジェフ・ローゼンだからね。
(略)
立見伸一郎 マネージャーのジェフ・クレイマーも長いですよね?
ヘッケル ジェフ・クレイマーは1992年からだから。前任者のエリオット・ロバーツの後釜で。でも彼らは基本的にはツアーのマネージャーだけだから。(略)
音楽的なことやビジネス的なことはジェフ・ローゼンが取り仕切っているよ。映画『ノー・ディレクション・ホーム』のとりまとめはマーティン・スコセッシ監督になっているけど、映像の素材はすべてジェフ・ローゼンが管理してたからね。(略)
本編でジェフ・ローゼンがインタビューをやってるわけ。あれは『ノー・ディレクション・ホーム』を作る3、4年前に行なったものですよ。(略)
そういう映像の素材を集めて揃えて、スコセッシ監督に持って行って編集してくれと。(略)
もっとも、すべてはディラン本人が決めることだけどね。(略)
デビュー当時のディラン
鈴木カツ (略)デビュー当時、ウディ・ガスリー、ランブリン・ジャック・エリオット、デイヴ・ヴァン・ロンクや、ちょっと渋目のオールド・タイマーでロスコー・ホルコムというバンジョー奏者のハイ・ロンサム・サウンドなどなどを受け継ぎながらも咀嚼してヴォーカル・スタイルやギター演奏を作っていったと思うのですが。
宇田和弘 トニー・グローヴァーが映画『ノー・ディレクション・ホーム』で言ってましたよね。ディランがニューヨーク行って一時ミネアポリス帰って会った時に、ものすごく歌い方が変わってて、ビックリしたと。(略)
[ニューヨーク]フォーク・シーンを実際に知ることによって急成長をしたのではないかなと。後年発表された自伝にもミネソタ時代に聴いたウディ・ガスリーのことを書いてますよね、ウディのようなアーティストがいてビックリしたと。ウディそっくりのランブリン・ジャック・エリオットを聴いてまた驚いたとも言ってますよね。
(略)
カツ 映画『ノー・ディレクション・ホーム』(略)でもデイヴ・ヴァン・ロンクのインタビューを聞けるけど、逆にランブリン・ジャック・エリオットはまったく出てこないんですよね。(略)
ヘッケル ディランはジャックの影響が一番強いんじゃないかと思うけどね。
カツ ジャックに聞く機会があったときに話したら、ディランと別にけんかしたわけじゃないと。それに"ローリング・サンダー・レヴュー"のときにはジャックと一緒にやってるしね。でもその前後に、なぜか一時期冷たくなったことがあるみたいなことを言ってたね。何か確執があったのかね?
ヘッケル 考えるには、同じようなアーティストが二人いなくていいと思ってるのかも知れない。もしかしたらね。
カツ デビューやファースト・アルバムの頃は、僕の感じではもろ「ジャック・エリオットの世界」だからね。どう聴いてもね。(略)
宇田 ウディの影響は認めるけど、やはりジャックからもまたスタイル的な影響を受けているというのは……認めにくいことかも知れないですね。(略)
自伝をまとめた「記憶力」
カツ 自伝を読んだ時ディランの記憶力の良さに驚いたね。50年前のことをあれだけリアルに覚えてないもんね。
ヘッケル 誰も証明できないけどね(笑)。
(略)
カツ でも当時を知っている第三者がまだ生きてるしね。読んでると「お店の名前」まで書いてあるからね。
(略)
自伝の中で「ニューオリンズ」のくだりがあるじゃないですか。あれは短編小説だよね。あれだけでも映画の原作になっちゃう。
宇田 奥さんとふたりでバイクに乗ってね。
カツ ディランは映画監督になったつもりで。本気で映画にするぞって感じになっちゃう。
ヘッケル でも、本当なのかと思うよね(笑)。
(略)
カツ 自伝じゃなくて小説だったらいいねえ。映画になりますよね。マーティン・スコセッシ監督に撮ってもらいたいな。
宇田 途中でどこかの土産物屋に入って。
ヘッケル あのくだりは特にいいね。
宇田 ヘッケルさんの翻訳がすごく良いんですよ。すごく。
ヘッケル でも、ほんとかいなと思って翻訳したけどね(笑)。
リズム感
ヘッケル ディランをヴォーカリスト、歌手として考えた場合、一番すごいと思うことは、なんてったってその「リズム感」だと思うね。(略)
ディランと一緒にレコードに合わせて歌おうと思っても歌えないじゃない。(略)あのリズム感がはすごいと僕は思う。
(略)
ヴォイスを真似するミュージシャンはいっぱいいるけど、本質を捉えて真似ができるミュージシャンはなかなかいない。
(略)
カツ ヴォーカルの魅力と同じでギターのリズム感が、ディランだけのものなんだよね。(略)
他のシンガー・ソングライターが弾くギターの場合、スタイルが定型化してるんですよ。ディランは違うんだよね。
ヘッケル (略)ディランは「自分はフォーク・ソングをロックで歌った」というようなことを言ってるんです。そこが大きな違いだった。
(略)
カツ (略)リズム・メイキングというか、ギターのリズム感、ビート感が微妙に前乗りになったり、後乗りになってズレるというか。それが魅力なわけで。そのズレはズレではない。(略)
一体となって演奏する「歌とギター」がすごいよね。つねづね初期のアルバムのそういうところに惚れるな。
(略)
アルバム『ワールド・ゴーン・ロング』と『グッド・アズ・アイ・ビーン・トゥ・ユー』でアコースティック・アルバムをリリースしたけど。
ヘッケル これ本当に1回のテイクで録ったのかね(笑)。「ワン・テイクで録った」という風に言われてるんだけどね。そんなことよりも、めちゃくちゃ上手いよね。ヴォーカルも一緒にギター弾きながら。
カツ 上手かったね。それとアルバム『テル・テイル・サインズ』のギターも上手いんですよ。
ヘッケル アルバム『ワールド・ゴーン・ロング』は、当時の噂によると、本格的なスタジオで録音したわけじゃないし、自宅で録音したからマスター・テープは「カセット・テープ」だったっていう説が……。(略)
要するに…ディランの家がマリブでしょ。ロサンゼルスのサンタモニカに所属のレコード会社があるわけ。(略)
受付嬢に「カセットテープを1本渡した」というのね。「ボブ・ディランだ。これは次のアルバムのマスター・テープだ」と。それを受け取った受付嬢はビックリさ(笑)。(略)
本当に1テイクで、オーバーダブがいっさいなしの録音だと。一発録りでやったとしたらすごいギタリストだと思うよ。
(略)
カツ ピッキングのテクニックも独特なものをもってる。(略)パーカッションのようにガンガンガンって弾く。カーター・ファミリー・ピッキングのテクニックを参考にしてるけど。デヴィッド・ブロンバーグがギターの先生を務めた録音とも言われてますね。
ヘッケル そのタッチとかリズム感とか…。歌とちょっとズレる感じがたまらない。シンコペーションの感覚みたいな。(略)聴いていて刺激を受ける、独特の間があんだよね。とにかく間合いがいいの。それは絶対真似できない。ディランのワン・アンド・オンリーだよね。
(略)
エレキギターのソロは、すごく個人的には好きなの。1994年に来日した時に、たまたま「エレキギターのソロについて」そういう話をしたことがあってね。ギター・ソロが、すごくハーモニカのソロをリード・ギターに置き換えたみたいに僕には聴こえたんですよ。(略)
ディラン曰く。思ってるようなリード・ギターを弾いてくれるギタリストがみつからない。だから自分で弾くんだ。こんなリード・ギターを弾くヤツはいないはずだ。なんでギター・マガジンはオレのところにインタビューに来ないんだみたいなことを言ってたぐらいなんだよね(笑)。
(略)
例えば、グラミー賞受賞の時に演奏した《ラヴ・シック》。あの時のリード・ギターを聴いた時、僕はすごく良いと思ったの。たしかにほとんどが3連音符の単音の繰り返しで、ワンパターンかも知れないけども。あの音数だけで人を惹きつけてしまう魅力があると。すごくリード・ギターとしてもおもしろい存在なのかなと。
(略)
やはりステージに立ってリード・ギターを弾いて、歌をうたっている、その格好が良いんだと思うよ。
カツ ディランは見せ方を知ってるよね。ステージに立った時にどのような絵柄に見えるか。どのように見せたらカッコ良いか。
ヘッケル ニール・ヤングのように見せたいところがあるかもね。(略)本当はニール・ヤングみたいに弾けたらいいなあって思うことがあるんじゃないかな。
(略)
宇田 ニール・ヤングはすごく上手いわけでもないんだけど、音一発で聴き手を惹きつけるギターだよね。
ヘッケル 確信犯的なギターだよ。
宇田 キャリア30年数年、「オレがニール・ヤングだ」的なフレージングで。聴衆はそれを聴きたくて待ってるところがあるし。ニールだけしか弾けないフレージングがカッコ良くてね。
カツ ニール・ヤングのフレージングってすぐわかるよね。「あっニール・ヤングだ!」ってさ。
ヘッケル で、たっぷりと弾いてくれるじゃない(笑)。
トム・ウィルソン、ダニエル・ラノワ
カツ デビューした後に、プロデューサーがジョン・ハモンドから替わったのはどういう原因なんです。
ヘッケル ひとつはジョン・ハモンドが病気になったんじゃないかな。(略)
それもあって、トム・ウィルソンにとりあえず替わったという見方が強い(略)
誰がやってもいいと思うんだよ。基本的にプロデューサーの役目っていうか、ほとんどはスタジオ・ブッキングだし。特にジョン・ハモンドの時なんかは、そのような役目が強かったんじゃないかな。(略)素材はほとんどディランが自分で用意するわけだし。「一発録音」に近いしね。
(略)
宇田 トム・ウィルソンはかなり好きにやらせてますよね。ボブ・ディランのやりたいようにね。とにかくディランが「こういうのやりたい」って言ったら全部それを実現させたから。トム・ウィルソンがプロデューサーを辞めるまでそのようにやってますからね。
(略)
カツ トム・ウィルソンはハーバード大学を卒業後、1955年にシカゴで「トランジション」というレーベルを興したよね。フリー・ジャズのピアニスト、セシル・テイラーのアルバムをプロデュースをしてますよ。その後、コロムビアで1960年代にディランや、サイモン&ガーファンクルなどをプロデュースすることに。
ヘッケル トムからボブ・ジョンストンに替わったんだよね。
宇田 トムが辞めちゃったんですよ。その後、トムはMGM/ヴァーヴにプロデューサーとして移籍して、ヴェルヴェット・アンダーグラウンドやフランク・ザッパのマザーズ・オブ・インヴェンションなどをプロデュースしてますよね。
カツ ボブ・ジョンストンはチャーリー・ダニエルズと同級生だったかな。テキサスの出身で、シンガー・ソングライターでしたよ。それからコロムビアのA&Rマンになって。チャーリー・ダニエルズの絡みでコロムビアのプロデューサーになったという裏話があるようで。
ヘッケル だからディランのアルバムにも入って演奏してるのかな。
(略)
当時のレコーディングのミュージシャンは、全部ボブ・ジョンストンがブッキングしてるからね。アル・クーパーとか、ロビー・ロバートソンなどナッシュヴィルに連れて行ったりしてるからね。
宇田 ディランとジョニー・キャッシュもボブ・ジョンストンにブッキングされてるし。ボブはアーティストをつなぐのがすごく上手ですよね。
ヘッケル ボブ・ジョンストンはスタジオを真っ暗にして、ディランがスタジオに入っている間にレコーディング・テープを回し続けて、そこで好き勝手にやらせてたという。
カツ プロデューサーとしてのダニエル・ラノワはどうでしょう。ディランに少なからずともいろいろな影響を与えたのではないかという側面もあるかなと。アルバム『オー・マーシー』を受け継ぎながら『モダン・タイムズ』まで。
ヘッケル いわゆるプロデューサーらしい仕事をしてると思うよね。
カツ 歴代のディランのプロデューサーは極端に言えば誰でも良かったわけで。本格的なプロデュースの仕事をしたのはダニエルが最初かなと。その始まりが『オー・マーシー』から。
ヘッケル 難しいことだけど、ファンの立場から言えばね。そのプロデュースが良かったのか、それとも良くなかったのか。アルバム『テル・テイル・サインズ』を聴いて、やはりもっと生の、アコースティックなディランの方が良かったなと。ダニエルはオーバープロデュースをしてしまったんじゃないかな。どうしてもイメージが違うという考えが僕は強いよね。
(略)
[『オー・マーシー』]
実際に仕上がったサウンドを聴いた時はね、ディランのイメージから意外とそんなに離れてなかった。(略)
ダニエル・ラノワと言えば(略)確固たるサウンド・イメージがある。でも届けられたアルバムはディランがU2をバックに歌ってるみたいなもんじゃなかったから。そういう意味ではかなり当時は安心したよね。
カツ ラノワが新しいディランの魅力を引き出したのかな?
ヘッケル でもその後、いろいろなアルバムがリリースされてくると、やはりニュアンスが違うかなっていう気は強くなるけどね。(略)
カツ 裏話的に言えばディランとラノワは喧嘩しちゃったわけでしょ。
ヘッケル 逆によく完成させたよね(笑)。ほとんど喧嘩してるわけだからね(笑)。ドブロを床にぶつけて、ドブロを壊しちゃったとかね(笑)。振り返れば、時代的に80年代にはなかなか良いものが作れなかったのかなあと思うけど。それから人に任せてみたらどうなんだろうと。
宇田 アルバム『オー・マーシー』や『タイム・アウト・オブ・マインド』のおかげで、少し遠ざかったそれまでのファンや新しいファンまで増えて聴くようになった。だから、ラノワが何らかの作用を及ぼしたプロデューサーだったというのは認めたいですね。
カツ "ディランのブーム"までいかないけど「もう一度ディランを!」というムーブメントを起こしてくれたことがすごい。
ヘッケル 変な言い方してしまうと、コマーシャルバリューを上げた、もう一度売れたという意味ではね。ラノワのプロデュース力かな。そのおかげでヒットチャートに再度、ランクインするようになったわけだし。グラミー賞もベスト・アルバムを受賞したわけだしね。そういうところに力を与えたことは間違いないね。
宇田 その一方で、アルバム『テル・テイル・サインズ』を聴かせてくれて、アコースティック・ファンを喜ばせてくれる。実に上手い。
(略)
宇田 ドン・ウォズがプロデュースしたアルバム『アンダー・ザ・レッドスカイ』はどうでしょう。基本的に相性は良いと思うんです。結果として、あまりにもゲストが入り過ぎちゃったり、お膳立てが豪華すぎた感じがするんですけど。ドン・ウォズとはもっと良いものができたんじゃないかなあって。
ヘッケル ドン・ウォズには、すごい期待したよね。(略)ドン・ウォズがディランを心底好きなファンでありすぎた。(略)
それと当時、昼間に"トラヴェリング・ウィルベリーズ"のレコーディングをやって忙しかったんだ。その夜にディランのレコーディングをプロデュースしてるわけだから(笑)。
カツ 疲れるわけだ。そりゃダメだね。
(略)
カツ ジェリー・ウェスクラーとバリー・ベケットをプロデューサーに迎えたアルバム『スロー・トレイン・カミング』はどうでしょう。
ヘッケル 1979年リリース。アルバムとして完成度が高く、一番ソリッドな仕上がりになっているのではないかと思ってるんだけど。
カツ 個人的にはすごく気に入ってるんですよ。
ヘッケル いいと思うよ、すごく。
ロブ・ストーナー、トニー・ガーニエ
カツ 名のあるプロデューサーが絡むと、良いメンバーをピックアップしてくるけど、そうではなく、あくまでもディランのツアーなんだし、本人が本当に気に入ったミュージシャンを選ぶ。ディランの歌を一番に盛り上げてくれる「グッ!」と出してくれるミュージシャンがセレクトの基準になってると思うね。だから普通に「あいつはギターが上手い」とか「ドラムスがすげえ」とか、そういう基準はまったくないような気がする。ディランのバックバンドは。
ヘッケル アルバム『欲望』の録音の時だってね…。一応は、ドン・デヴィートが(略)そうそうたるメンバーをいっぱい集めてきたわけですよ。(略)
大御所のギタリストだけで何十人もいるみたいなね。結果的に何も生まれなくて、ディランが選んだのがベーシストのロブ・ストーナーを中心とする、当時はもう無名のミュージシャンで仕上げちゃう。それで名盤が生まれるんだからね。
宇田 ロブ・ストーナーのブリティッシュ・ロック・ベースと呼べばいいですかね、ブートレッグ・シリーズの『ローリング・サンダー・レヴュー』を聴くと、すごくカッコ良いですよね。今、改めて思います。あと、ミック・ロンソンが思いのほか良いですよ。
ヘッケル そうそう、ミック・ロンソンが入ったのはびっくりしたよね。当時、日本ではデヴィッド・ボウイと一緒にやっていたというイメージしかなかったから。(略)
カツ ロブ・ストーナーは、実はグリニッチ・ヴィレッジ時代のいわゆるフォーク時代からキャリアを積んでいるアーティストだからね。長いですよ。
(略)
宇田 『ローリング・サンダー・レヴュー』でロブ・ストーナーのベースを初めて聴いた。フェイセスとか、ブリティッシュ・ビートを感じさせるタイプの音楽が源流にある感じですね。
カツ 当時のブリティッシュ・ロックがディランには新鮮に映ったんじゃないかな。きっとあの時代は。
ヘッケル でもあれだよね。1978年日本~オーストラリア公演の後、クビにしちゃったよね(笑)。
(略)
ヘッケル そういう意味でいうとトニー・ガーニエのバックバンド歴20年というのは長いよね。(略)
アルバムも一緒のバンドで作るようになったしね。だからそういう意味でやっぱりすごい。(略)
なんたってウッドベースも上手いから、ちょっと古めの「アメリカーナ」っぽい歌には欠かせないっていうのもあるかな。それに人柄がやっぱりすごく良いし、トニーガーニエは。
ブルース・スプリングスティーン
ヘッケル [2008年]「アズベリー・パーク」でやったの。(略)ブルース・スプリングスティーンもサウンド・チェックにいて。(略)一緒にやる雰囲気だったらしいのね。(略)「ディランが合図してステージにスプリングスティーンを呼ぶ」という話で。(略)
スプリングスティーンは最後の曲が終わり、アンコールの曲がおわり、それでも袖で待ってたけど、ディランは何も合図を出さずに、そのまま帰ってしまった(一同大爆笑)。(略)
で、スプリングスティーンは呆然とし、聴衆と一緒になって会場から出て行ったそうだ(一同大爆笑)。すごい話だね。
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