ダニエル・ラノワ 音楽的自伝・その3

前回のつづき。

ソウル・マイニング―― 音楽的自伝

ソウル・マイニング―― 音楽的自伝

オアハカの鐘

人は雄牛を飼ってはじめて「男」になるのだ。土曜はロデオの日だった。(略)ここで十代の少年たちは、自らの強がりを証明するために命を懸けて牛の背中に乗る。(略)ほとんどの場合、少年は宙に投げ出され、泥の上に着地することになる。牛は猛り狂って、少年を殺そうとする。少女たちはかわいらしく着飾って、マリアッチのバンドが演奏を始める。バイオリン三本、管楽器三本、アップライトベースにギタロンという編成だ。PAシステムは、メガホンのような金属製のラッパ状のものが一つだけだ。ステージ上にマイクが一本だけあるが、これは歌手用だ。このような小さな村が、オアハカの山の中に何百も隠されている。
 どの村にも教会がある。どの教会も夕方七時に鐘を鳴らす。これは仕事が終わる合図だ。七時の鐘のシンフォニーは、私にとても深い影響を与えた。私はイーノがここにいて、彼自身の作品がオアハカの山々で演奏されるのを一緒に聞くことができたら、と思った。鐘が鳴ることのランダムさ。偶然による音のクラスタリング。風の向き、鐘を鳴らす人がひもを引っ張る頻度。これらが、そこに長いこと存在している鐘や村という不変の要素が持つ秩序と交じり合う。鐘や村は、この交響楽団の古参の団員なのだ。
[のちにその鐘をシミュレートしようとした曲を『ヒア・イズ・ホワット・イズ』に収録]

ヒア・イズ・ホワット・イズ

ヒア・イズ・ホワット・イズ

Daniel Lanois - Oaxaca

U2『アクトン・ベイビー』のためベルリンへ

 オアハカの山村は、鐘のシンフォニーを与えてくれた。トードスサントスは、犬と鶏のシンフォニーをもたらしてくれた。今ベルリンは、路面電車のシンフォニーを提供してくれている。(略)[ホテルのそばに市街電車終点]
電車が方向転換するとき、車輪が美しいシンフォニーのサウンドを生み出した。寒い冬の朝、高いピッチのメロディーを軋ませる車輪のシンフォニーのサウンドを録音するために、修理済みのソニーのテープレコーダーを持って終点のその場所まで毎日出かけた。金属の軋む原始的な音を、私は美しいと思った。おそらくこのような美は、一か所で静かにしていること、たとえば一時間ほどじっとしていることからくる精神状態によるのかもしれない。このような感覚を、以前カナダで感じたことがあった。イーノと私で、オンタリオ州ハミルトン郊外の鳥が集まる場所に行って、日の出の際に鳥のシンフォニーを録音しようとしたときのことだ。友人と一緒に座りながら一時間何も話さないという体験を、私は全ての人にお勧めする。それは間違いなく瞑想のようなものだ。心を落ち着かせ、空っぽにする時間だ。

単一音源

[最初のバンドではギターアンプ一台にギター、ベース、マイクをつないだ]
ナショナルアンプが、我々のPAシステムの全てだった。8インチのスピーカーは、一生懸命がんばって音を出そうとしていた。我々は、窒息しそうなスピーカーという独裁者に従う民主社会となっていた。このスピーカーはトランジェント、つまりミュージシャンの演奏における突発的に大きな音に対応しようと最大限の努力をしていた。演奏された全ての音には同時に対応できず、その瞬間の最も大きい音にしか対応できなかったが。
 このような技術的な制約によって、美しいものが得られていた。単一音源は、チームの協力活動をダイナミックに伝えてくれる。このように原始的な方法によって、競争が排除されるのだ。
(略)
多すぎるマィク、そして多すぎる機材で、全ての楽器の音量を持ち上げられるかもしれない。でもこうやって生み出されたものはわけがわからなくなってしまうのだ。
(略)
人間による演奏という音源はバランスが取れているので、モノラルのマイクを一本しか使わなくても、聞いて心地よいバランスが得られる。音源がちゃんとしていれば、うまくいくのだ。
 最近私は、ブラインド・ウィリー・ジョンソンの録音に感動した。このとても古い録音が、私に単一音源の感動を与えてくれた。レコードを聞いているというより、ブラインド・ウィリー・ジョンソンの前に自分が立っているように感じた。ギターにはダークさがあり、声にはビブラートがかかっていたが、これら二つの要素は一体化していた。これら二つの音は、パフォーマンスの環境によって、すなわち、部屋やバックポーチ、天候などによってブレンドされていた。現在では当然となっているマルチマイクやマルチトラックといった、要素を分離する技術によってブレンドされていたのではない。私は、このようにスナップショット的で、技術的にあまり複雑ではない録音の方が人間の耳には心地よいのではないかと思う。

タイム・アウト・オブ・マインド

タイム・アウト・オブ・マインド

『タイム・アウト・オブ・マインド』

[収録にあたり参考音源としてディラン推薦のチャーリー・パットン、リトル・ウォルター、アーサー・アレクサンダーを聞き、理解した]
40年代や50年代に存在したテクノロジーは、ロックンロールに対応できなかったのだ。この時代のプリアンプは、オーケストラやビッグバンドなど、距離を取ったマイキングのためのものだった。新しく登場したロックンロールはこれらのプリアンプにとって過大入力となり、これらの機材の製造元が推奨する使用方法を超えるところまで行ってしまった。ロックンロールという名の偉大で新しい表現媒体の誕生は、「オーバードライブ」という贅沢をもたらした。
 ボブはこのサウンドを欲しがっていた。私は、どうやってそれを入手できるのか知っていると思った。あの時代の最後を、私は子どもとして体験していたのだ。カナダの私のスタジオでも、マイク・プリアンプが対応できない過大入力という同じ問題に悩まされていた。
(略)
[『オー・マーシー』の頃]
 ボブは長いこと、パーカーのフードを被っていた。ちょうどボクサーが第一ラウンドを前に体を温めているような感じだ。深夜のニューオリンズの風に煽られたフードの中の、彼の顔を見るのが好きだった。
(略)
我々はアウトロー的なオーバーダブを大量に重ねた。私は目を細めて、マングリアンのぼろぼろのマンハッタンのスタジオが、リンク・レイの小屋になるのを待った。人々が壁を叩きながら、「ファイアー・アンド・ブリムストーン」と叫んでいる。ボ・ディドリーの亡霊。マラカスがミックスを支配している。リトル・リチャードが窓から覗き込んでいる。「グッド・ゴーリー・ミス・モリー!」。リンクのロカビリー、アームを使ったサーフ風のギター。

結局のところ、これはボブ・ディランのレコードであり、彼の注意力はそれほど持続しなかった。ボブはさっさと新しいほうへと動く人間だ。そして彼を捕まえることができた瞬間に、彼の天才が開示される可能性がある。私はこれを無駄にしたくはなかった。他のプロデューサーたちは、ディランのこういった貴重な瞬間が通り過ぎていくのに気付かずに、それらを無駄にしていた。

夜中にボブが電話をかけてきた……
私は言う。「ボブ、今何時?」
彼は言う。「外は暗いな」
私は言う。「今どこ?」
彼は言う。「漂流しているとこだ」

ニール・ヤング語録

危険な音がしているなら、方向性は間違っていない

ホームレス

 我々のうちの何人かは、自分に合わない時代に生まれてしまったのだ。現代の都会での生活は、壊れやすいハートの持ち主のことを考慮せずに要求を課してくる。壊れやすいハートの持ち主にとっては、村での生活のほうが生存の可能性が高いだろう。なぜならそこでは友人や親戚が見守ってくれるからだ。たとえばロスアンジェルスで私が知り合ったホームレスの何人かは聡明な心の持ち主であり、ただ大都市における根本的に「官僚主義」的なやり方に対応できなかっただけなのだ。小麦畑で一生懸命働く人々は、その仕事の価値によって愛され、受け入れられるべきだろう。それと全く同じ人が、ロスアンジェルスダウンタウンでは寒さの中、段ボールの下で寝ることになってしまうかもしれないのだ。

 「なんで『ソウル・トレイン』のほうが『デヴィッド・レターマン・ショー』より音がいいの?」
僕は答える。「高音域を広げたことで低域がかき消されるようになったんだ。
ちょうど画像を明るくしすぎると影がなくなるようにね」

Daniel Lanois on 'The Making Of' Brian Eno's 'Apollo'
(この動画と同じ「CBC Music」チャンネルで『アクトン・ベイビー』『オー・マーシー』など五作品について語っている)

以下、訳者「鈴木コウユウ」あとがき

 本書では言及されていないが、ラノワならびに当時のハミルトン/トロントの音楽に影響を与え、ブライアン・イーノトロントと結びつけた音楽家にトランペッターのジョン・ハッセルがいる。彼は70年代半ば、トロントのヨーク大学で講師をしており、生徒であったマイケル・ブルックの助けにより、ヨーク大学のスタジオでファーストアルバム『ヴァーナル・エキノックス』(1976)を録音している。ハッセルはイーノにブルックを紹介し、ブルックはハッセル&イーノの『フォース・ワールド』(1980)などに参加している。その後、ハッセルのアルバムを何枚かラノワがプロデュースしている。

ラノワのレコーディング哲学

「単一音源」。「ワン・ポイント・ソース」の訳語だが、これは「(ステレオに対する)モノラル」ということではない。彼はマイク一本でも空間の奥行きを持った録音ができるということに関心を持ち、これを追求し続けている。
(略)
マイク一本で空間の奥行きを表現する場合には、録音する部屋の響きが重要になってくる。音源から発せられた音が、壁や天井、床に反射し耳に到着する時間のずれによって、また高音域の減衰の度合いなどによって、ボーカルや楽器から空間の奥行きを感じることができる(ラノワの言葉を借りれば自然と「ブレンド」される)。このため、壁などに吸音材が貼ってある一般的なレコーディングスタジオでは、マイク一本で奥行きを出すことが極めて困難となる。本書でも繰り返し記述されているように、ラノワは十代でのハミルトンの元図書館での録音以来ずっと、大邸宅や元映画館など部屋の響きを取り込んだレコーディングのテクニックを得意としている(ちなみにラノワは80年代初期からリバーブをほとんど使わず、スラップエコーだけを使っているという)。
(略)
 彼は、レコーディングとは優れた演奏を記録するものだ、という考えに基づいた録音方法を取っている。これは、たとえば部屋の中に集まったミュージシャンたちが自分たちで適切に音量を調整して演奏しているものを録音すればいいということだ。このため、へッドフォンも使わず、PAから音を流しながらライブ演奏をしているものを記録するということになる。当然個々のマイクには他の楽器の音がカブる(漏れる)ことになるが、それでもいいということだ。ヤングの『ル・ノイズ』も、モニタースピーカーもない状態で大音量のPA(前と後ろに二発ずつ計四発)の音の真ん中でヤングが演奏したものを記録している。
 またいつでもすぐに録音できるように、マイクが常にセッティングされているのも彼のスタジオの特徴だ。
(略)
ドラムが床に釘で固定され変更できなかった50年代のように、そのスタジオ独自のハウスサウンドを追求したいとも語っている。

プロデュース・スタイル

単にアルバムや楽曲の方向性の示唆や決定といったレベルに留まらず、より積極的に作詞、作曲、編曲そして演奏の過程に(時には録音方法にも)関わっている。精神分析医のように話を聞き出したり、事前に調査をしたりして、アーティストがこれまで実現されることのなかった新しい自分と出会えるようにインスパイアしようとしている。しかし場合によってはそのような導きがアーティスト自身の考えや希望と合放しないため、常にそのようなやり方がうまく行くわけではなく、それが本書にも記述されているような苦しみの原因ともなる(ボブ・ディランが自伝に書いているように、時には激しい感情のぶつかりあいにもなる)。
 比較的無名だった時代から、ラノワは自分よりも圧倒的に実績や地位があるミュージシャンたちを、いろいろな方法で導いていこうとしている。イーノもラノワとの活動を始めたばかりの頃のインタビューで、「私が彼(ラノワ)に対して指示しているわけではないのです。(略)ラノワのほうが私に指示することもよくあります」と言っている。