山田太一「オウムを生んだ母子関係の力学」
『大航海』1995年8月掲載
母子関係と日本社会:「オウムを生んだ母子関係の力学」
山田 見田さんは、お母さんはご健在ですか。
見田 母は、僕が七歳のとき、死んだんですよ。
山田 私も一〇歳の時に母を癌で亡くしました。やはり戦争末期です。だから、母というもののしんどさ、そういうものはなかったといえばなかったんです。よさというか、甘美さもなかった。ですから、ちょっとそこらへんが分からないところもあるんです。自分の女房と息子との関係を見ていると、それは甘美でもあるかもしれないけれど、けっこう息子もしんどいだろうな、という気もしています。
(略)
泉鏡花もわれわれと同じくらいの時に母親を亡くしているんですね。鏡花はもうずっと母恋しという感じで生涯を終えましたね。逆に言うと、非常にイリュージョンを作りやすい年齢だった。ただ、僕はそういうイリュージョンを作り損なってしまったというか、母子関係についてあまり自分の経験から出発することがちょっと難しいところがあって、今日の対談はどうなるか(笑)。
(略)
[子が育ち]
母親が、ここでもう子どもは離れていくんだ、というリアリズムを受け入れられるかどうか。しかし、母親としては、一歩も二歩も後退して「さあ、あなたは私の手から離れなさい」と言うことがなかなかできない。なぜかと言えば、一つは母親がやはり個の確立をしてしまい、そしてその個の拡張が広く社会の中で羽ばたけないために、不自然に強く子どもに及んでいるからでしょう。子どもが生成子的な母性を必要としなくなったあと、母の個の行き場所が狭い。その皺寄せが子どものほうにいっているのでしょうね。
(略)
母性を脱して、女としての個の確立欲はあるんだけれど、それを社会が満たしてくれない。まだ男性社会ですから。(略)
母親が子どもに痕跡をいつまでも残しておこうとする。今、母性と「女性」性というような力が非常に強くなってきているから、男の子が飛び出せない。飛び跳ねられない。母性から抜けるための一つの契機としての性欲が衰えてきている、という話がありますね。それは、そういうお母さんたちの強い力が影響を与えているのではないでしょうか。
(略)
生成的な母性は、多くの場合、家族は維持していたほうがいいわけですね。ところが離婚したりして家族が壊れた場合、それでもやはり維持するんだ、という意識を強くもつためには、超越的なものをもつ訓練をしていないと維持できないでしょうね。そういう意識が非常に母性社会ではもちにくいと思うんですね。非常に生成的に家族を作っていって、それが壊れたとき、それでもなおかつ自分を抑制して秩序を維持するためには、ただ生成的では難しい。何か超越的なものが欲しいという欲求、それを父親的と言っていいかどうか分かりませんが、そういうものをもちたいんだけど、今の父はそれをできないでいるのではないでしょうか。
いわば母性の範囲で「そんなに揉めることはないでしょう」とか「温和でいましょうね」と言っているうち、どんどん平穏の価値ばかりが高くなってしまってきて、平穏であること自体が価値の高い社会になってしまった。ちょうど長生きの価値が高いと言っているのと同じでね。どういう長生きか、という質の問いかけがない。「おまえの長生きの仕方じゃだめだよ」という言い方が少ないのと同じで、平穏な家族ならとりあえずいい、ということになる。その抑圧は、すごく強くなっている。
平穏な家族を維持する、父親を含めた母性の世界から飛び出そうとするのが、やっぱり宗教、オウム真理教みたいなものとか、超越的なもの、家族から飛躍できるものとしての宗教という形になっている。
(略)
僕は以前、小市民生活をうんと批評するドラマを書こうと思って、けっこう意気込んで書いたことがあるのですが(『早春スケッチブック』)、視聴率が低くて、息も絶え絶えで終わりました。生活実感派、小市民派に対して超越的世界を差し出す父性というのは、ほとんどリアリティを失っているんですね。仮にあっても、商業文化の中では抑えられてしまう。せいぜい趣味的な部分ですね、幻想文学で逃れるとか。
(略)
そういうところで、小市民万歳を切り崩すところを探さないとね。あからさまにニーチェみたいなふうな形で出ていくとコテンコテンに叩かれてしまう(笑)。でも、実は超越的なるものを必要としている社会だと思うんですよ。だから、いったん火がつくと、ドドッと小市民否定にも行きやすい。ガラッと変わる怖さがあると思いますね。
(略)
見田 今の話とつながると思うんですけど、アメリカ人の場合は、どんどん家族を作り直しているわけですね。(略)
第二次の家族というか、一回幻滅したあとに来る家族をシニカルに作り直して、何回も作っているように日本人の目には見えるけど、実際のアメリカ人というのは、そのつどロマンチックな感じがしているように見える。例えば、何回も結婚しているアメリカ人から手紙が来るとすると、そのたびに「今度は本当に素晴らしい人と出会った!」とか書いてある(笑)。こっちは、あ、また、と思うけど(笑)。アメリカ人は、第二次家族をそのたびに第一次の家族のように大事にして、でも、なかなかそうはうまくはいかないので、また壊れてしまったりする。日本人は、第一次家族に幻滅しても、表面上は保つ。
言ってみれば、第一次家族をそのまま第二次家族にするでしょう。(略)メンバーは同じで、規約だけを変える。いわば第二次の家族として、平穏でいこう、という感じでね。
(略)
山田 (略)以前、『岸辺のアルバム』に出演した人たちが集まったことがあるそうなんです。僕はいなかったんですけど。そこで、俳優さんたちが、あの頃の家族は実に不機嫌だったなあ、と言ったそうなんです。全体に不機嫌というか、怒っているというか。母子関係で言えば、お母さんも子どもも不機嫌だった。今はみんな機嫌がよくなったね、と杉浦直樹さんなんかが言って、みんなでそうだって共感したという話を聞いたんです。見田 面白い。そして、不気味な話ですね(笑)。
山田 そうなんです。機嫌がよくなった分がオウムにつながったというのかなあ。つまり醒めていて、いまさら争ったり、「お母さん不倫はだめだ」とか、言わなくなってしまった。いわば見田さんのおっしゃった第二次の醒めた家族を形成して、それは表面は昔よりずっと機嫌がいいんだけれど、実はものすごく内部に、人によっては、諦めがあったり、否定性があったり、超越的なるものを求めていたりしている。
(略)
見田 オウムに惹かれた人が相談に来たことがあるんです。(略)今考えると全部理科系の学生なんですね。(略)
なんで来るかというと、世間で言われているとおりで、書いてあることが面白いので、ちょっと行ってみた、そしたら自分の膝も浮いたとか(笑)、教祖はすごいと言うので、どんなものでしょうと相談に来るわけです。でも、ぼくもインドに行ったりしてますけど、そのくらいのことは何でもないんですね。ヨガなんかちょっとやれば、日本人から見て不思議なことはすぐできるようになるし、大したことはない。だから、学生には、きみが言ったことは疑わない、本当だと思う。たぶん浮き上がったりもするだろう、だけどそれがなんなんだ、と言うんです。空中浮遊したから人が救えるわけでもないし、第三世界の飢えがなくなるわけでもないしね。きみが言ったことは疑わないけれど、それは大したことないことなんだ、と言ったんですね。その後、思いとどまったか、入信したのか、来なくなったから分かりませんけど。西欧近代的な見え方だけでずっと育ってきたから、ちょっとその外部のリアリティに触れると世界観が崩れてしまうんですね。オウムに理科系の人が多いのは、とても納得できるんです。
(略)
山田 父の役割というのは、生来的にはないのかもしれないけど、今は必要としているんじゃないか。それなら意図して父性を作ろうじゃないか、という欲求はリアルじゃないか、という気がする。例えば、神戸でボランティアをやりたい、とみんな言ったりする。あれは家族関係ではない世界、別の人間関係を求めていることでもありますね。認知されたいという欲求は、親が見ていれば満たされるというものではない。やはり、もっと社会的に自分を認めてくれる人を欲している。そういうことを含めて、動物的な母子関係だけではないものを、何か欲している。ただ、生成的な関係と違って、後天的な関係は非常にヘンな方向にいく危険性ももっている。
(略)
見田 フィクションとか情報の中で生きて自己増殖していくんだけど、それが実際には外の世界を巻き込みますからね。でも、ナチズムなんて、もっと大きな規模で、そういう幻想をもっていたわけでしょう。だから、ユダヤ人を何人殺しても平気だった。天皇制だって、そうだった。あの頃は、一億総マインド・コントロールだったわけです(笑)。ある意味では、オウム程度のものが出てきて、いろんなことを学んだというのは、もしかしたら、まだよかったかもしれない。あれが、いきなりもっと大きなスケールで出てきたら….。
(略)
今、ナチズムとか天皇制を言いましたけど、基本的には、戦後民主主義だって――被害はそれと比べれば、はるかに少ないけれど――マインド・コントロールと言えるし、今の僕たちだって何らかのマインド・コントロールの中にいるわけです。人間というのはマインド・コントロール内存在だと思うんです。
(略)
その中で、どういうマインド・コントロールを選ぶか。あるいは、複数のマインド・コントロールを相対化する目をもつとか。そういうことしかないと思うんですね。(略)
マインド・コントロールは自分たちの外にある、と考えるのが、いちばん危険だと思うんす。「自分たちはかかっていない」という思い込みが、いちばん危ない兆候ですね。しかし、世間の論調は、ほとんどそうですね。オウムの人たちだけマインド・コントロールされていると思っているけど。
(略)
五〇年前だって、一億人がかかっていたわけですから。
山田 お母さんたちが戦争は二度とごめんだ、というメッセージを強くもってらっしゃった時期がありましたね。僕だって戦争は二度といやだけれど、その延長線上の平穏至上ではやっていけない部分を子どもたちはもっている、ということですね。つまり、戦争さえなければ質は問わない、というイデオロギー。それでは済まなくなってきた。(略)
だから、何かを本当に求めている。心を紛らわすものではなく、満たすものが欲しい。でも、母親は、お小遣いもあげているし、何か文句あるの、と言う。(略)
だけど、生の質を、多くの場合は無意識に、ある数の子は意識的に求めている、ということですよね。
(略)
吉本隆明「世紀末を解く」
『東京新聞』1997年1月掲載
根柢を問いつづける存在:「世紀末を解く」
吉本 (略)[京都での講演で]「京都は、香港とかシンガポールといちばんよく似ているんですよ」てなことを言ったら、みんなにいやな顔をされたんですが(笑)、本当にそうなんですね。ハイテク産業は盛んだし、ちょっと中心から外れると田畑などの日本の古い原型的な自然の光景もある、不可思議なところなんですね。
原型的ということと近代以降的ということが二重写しになっている地点があり、それがうまく統合していけば、ギャップと思っていることが解けていくような気がします。見田さんの、日本なりの近代というのと、ある普遍的な現代というのと、ある原型的な共通性という問題を、僕が決めつけたり単純化せずに、この二重写しのところをきちっと忍耐強く考えれば、僕らの焦燥感や強迫観念は解けていくと思えますね。
(略)
世代的に、本当の市民感覚は僕にはないのかもしれませんね。おまえはまだ戦争中のファシズムや軍国主や天皇主義を引きずってるぞ、と言われると、ある程度、納得できるところもあるんです。ですから、本当の意味で現代の社会に適応できていないのかなあ、という気もします。
でも、自分が戦後を生き続けてこられたのはなぜなんだと言えば、それはアメリカの占領軍が僕を納得せしめた。占領ってこういうものなのかと驚いて、自分の考え方が変わっていく糸口をつかんだ気がします。民主主義とはこういうものか、と感じた。戦後の日本人から市民主義感覚をつかんできたというのは僕ら戦中派にはあまりなくって(笑)、僕らのあとの世代はアラアラという具合にいつのまにかできちゃっている(笑)。そこへ行けと言われても、そう簡単には行けないぞ、という気持ちが、どっかに残っていてしょうがないですね。
(略)
宮沢賢治への関心も世代による違いがありそうで、賢治はあまりにセイントで超人的すぎるんで、時々まったく無関心になっちまいます。見田さんは、存在論として、自然と人間を外側と内側から融かして一つにしてしまう賢治をよく追求しておられますが、僕なんかはこの人の悪口を言いたくてしょうがないところがあります。すると、この人は人間の嫉妬感情に大変固執したんじゃないか、というところにぶつかります。この人は心理的にそんなところがあった人だぜ、というのが僕の悪口の一つなんです。
また、賢治は、苦労して泣きながら身につけたものが本当の勉強だ、といったことを詩や童話で強調しますが、この理念は違うと思います。現在性で言えば、教える人が放蕩しようがテニスが好きだろうが、関係ない。また、苦労して涙流して身につけたものがいいんだ、というのも嘘です。鼻歌うたいながら身につけたって、身につくことでは同じです。僕の観点は、そうです。宮沢さんは、苦労の倫理に強調点を打ちます。で、それが賢治の欠陥だと思います。でも、実はそれくらいしか文句のつけようがないわけです。それくらい、この人は超人的で、死を覚悟して、それを実践しているわけです。そういう、ちっぽけな悪口しか言いようがないんです。
賢治の影響を受けて現在運動してる人もいるけど、それは左翼的な宗教性のヒューマニズムに近いやり方でやっています。でも、それも僕らから見れば、二重写しになります。エコロジカルな人間主義的な運動として現在やっている人もいるんでしょうし、その人たちもそれ以外の目的でやってはいないでしょうが、人間の精神の可能性から見れば、この人たちは、もし戦争中だったら、間違いなくファシズムの運動に行くように見えます。そういう二重写しの観点は、僕らからはどうしても拭えずに、すっきりしないんです。
でも、課題としては、戦後も半世紀経ってるんですから、これからどうするんだということで言えば、ぐじゃぐじゃ二重写しになってるところばかりに固執してないで、一つの方法で集約できるんじゃないかと思います。
でも、あえて利点があるとすれば、例えば世論がオウム真理教をどんなに殺人集団だと言っても、僕は「いや、その面だけで言ってはいけない」と思うんです。人間の精神の可能性から言えば、あれは可能性の範囲に入るということを主張したいのは、二重写しの経験からだと思います。そういう部分で、見田さんのようなあとの年代の人から、違う言葉で僕らに橋を架けてもらいたいという気がします。
見田 吉本さんは『宮沢賢治』のあとがきで、きつい仕事や生活のあいだを縫って宮沢賢治の人や作品について感じ、思いをめぐらす時間は、鬱積した雑事を片づけては心せきながら入り込んでゆく解放感にあふれた時間だった、と書かれているのが実に印象的でした。
(略)
[賢治の]無意識というのはフロイトやユングの「無意識」よりもっと広がりがあって、宇宙的な存在の無意識のような気がします。そういう「無意識」の水平性や垂直性ということをめぐって、吉本さんはどう捉えられていますか。
吉本 (略)『銀河鉄道の夜』のジョバンニの描写などを考えますと、ふつうの作家の描写と違って、賢治の描写は類例のない描写と感じるところがあります。例えば、ジョバンニの行動を描きながら、同時にまったく違う視線がそこに働いている。それは、あたかも作者のものではないような、違う視線なんです。たぶん、宮沢賢治の独特の無意識の出所がそうさせているんじゃないかと考えます。それは、描写している作者じゃない人の目が描写の中に入っている二重のイメージなんですが、僕らがフロイト流に考える無意識とはちょっと違うと感じます。
意味としてあるように見えたり、リズム感としてあるように見えたりして、確かに賢治の独特の無意識なんじゃないかと思います。賢治の仏教的な輪廻観からそれは来るんでしょうけど、本当はこの世とかあの世とかの境界を融通無碍に透過してしまう何かを賢治は身につけている感じです。それは名づけようがない不思議なイメージのあり方で、別に賢治が作為したものでもないのかもしれません。
ですから、おっしゃられたとおりで、賢治の批判をそういう理念の次元だけでやっても意味ないですね。仕方ないから、このイメージのふくらみ方を天才と言うのが無難なんじゃないでしょうか。ふつうの人のイメージよりは次元が一つ多いように思います。
宮沢賢治の宗教性には、詩や童話の中にはとても出てこないような独特のイメージや怖さがありますね。中国の軍人で詩人でもある人が晩年の賢治を訪ねたとき、何かわけの分からない宗教の話を聞かせてくれて、ただ怖いと感じた、という文章があります。そういう怖さが賢治の言葉にはあって、「銅色の青」みたいな言葉は言いようがなく怖いなと思います。この人は超越的な聖なる感性を積んでいて(略)次第に法華経と直接交感して、それを獲得していきます。そして、晩年になってくると、怖いなと思わせるような宗教性、それはどういう宗派とも宗教とも言えないようなものを獲得していった気がするんです。
無意識の範囲では、宮沢賢治はそういうものをちゃんともっているわけですが、それを意識的に整えようとすると、科学者ですから、突っかかるものが出てきます。賢治も法華経信者ですから、来世というものを疑ってはいけないわけです。例えば、僕はカトリックの作家の小川国夫に、あんたキリストの再臨を信じてるんですか、と聞いたら、「信じてます」と答えられたことがあります。宗教者としての賢治も、来世は信じていたと思うんです。科学者としての彼、あるいは得体の知れない無意識まで含めた賢治の宗教性を考えると、来世があるということがいちばんネックになっていたのではないでしょうか。
「青森挽歌 」という詩には、妹が死んで「けしてひとりを祈ってはいけない」なんて言って、その突っかかりを破りたいと思っているんですね。それは、ジョバンニが言う「ほんとうの神」、「ほんとうの、ほんとうの神」であり、誰もにとって違う宗教ではなくて、それを賢治は「ほんとう」という言葉で言いたかったんじゃないかと考えます。
だけど、どうすればその突っかかりをとることができるか、ということで僕が唯一考えていることがあるんです。
無意識と言われている領域を、もしも受胎にまで科学的・医学的に遡れるようになったら、たぶん宗教と科学の境界を除くことができるんじゃないかな、という気がします。宗教家が前世とか来世とか言うことは、無意識の領域を受胎し、子宮に着地した瞬間まで遡ることと同じなんじゃないと漠然とながら考えます。
(略)
でも、あまりこういうことを大きな声で言うと、あいつ、だんだん神がかってきた、と言われるんです(笑)。でも、宗教というのは、そこが解決点ではないでしょうか。
(略)
『銀河鉄道の夜』の中で、キリスト教を信仰している姉弟から、あなたが信じている宗教は、と聞かれたジョバンニが「ほんとうの宗教です」と答える。尋ねた姉弟が「私だって本当の宗教を求めている」と言うと、ジョバンニが「いや、そうではなくて、ほんとうの、ほんとうの宗教」と言う。そういう言い方しか、賢治はできない。また、同じ話の初期型では、人間というのは一つの現象だし、人間の考えることも現象だと言う。それを基にして、賢治は普遍的な宗教を考えます。
そこに突っ込んでいくのが宗教的な賢治の経路だと思いますが、しかし、見田さんのおっしゃられるように、『銀河鉄道の夜』はそういうことを言うために書かれたんじゃない、作品で本当に言いたかったのは、書き手以外にもう一つの視点が加わっている、何とも言えない豊かなイメージの芸術性で、それを読者に体験させるのが本意なんじゃないか、という見方になります。
(略)
見田さんの『宮沢賢治』のモチーフは、僕たちが近代的人間であるかぎり、自然は外にあるもので、人間の無意識も含めた精神は内部にある、というのがふつうでしょうが、宮沢賢治の場合は、精神を外部にもできるし、自然を内部にも自在にできる、というような一種の存在論だと思います。その存在論の中に、賢治の宗教の問題も、文体と表現の問題も入ってくる、ということが見田さんの賢治論の骨格ですね。
見田 それは、個性をいかに表現するかという、当時の近代文学の価値観とは逆のありようだと思うのです。賢治の場合は、いちばん内側に自然がある、という感じですね。
吉本 賢治には人間も自然の一部だという考えがあって、それはマルクスにも同様の考えがあります。マルクスは外在的なものだけを追求して、外部にある自然を人間が手を加えると自然は価値化していき、それを「生産」だと言います。
マルクスは外へ外へと徹底的に向かうわけですが、賢治はそこを自在に往還できる、というのが見田さんの独特な観点でしょう。そのとき、僕は、国柱会に入会したりとか宗教的関心を考えると、どうして賢治は国粋主義者にならなかったのか、という問題が興味深いんです。
(略)
日蓮とも、賢治は違うんですね。『法華経』に「安楽行品」という章があって、その中で法華経信者は文学や芸術なんかやってはいけない、と書かれています。賢治が引っかかったのは、そこなんです。日蓮が引っかかったのは、法華経信者でない人間は刀で切って殺してしまってもいい、という教えにいちばん引っかかったんです。賢治は、その日蓮からもちょっと外れて、法華経との独特の対し方をしました。それが、この人の宗教性の怖いところでもある気がします。それが賢治の語った「普遍宗教」だと思います。
僕は、戦後の政治の党派性にもみくちゃにされたやりきれない体験をもってるから、何とかして党派性を政治から外して、普遍的にしたいんだ、という願望をもちました。それは、元を正せば、宗教の宗派性にあるわけです。それはいくら争っても解決しようがないもので、自分が中身から変わらないかぎり、信仰は変わりませんから。イデオロギーも同じで、信じているかぎりは党派性はなくならない。そういうのがいやだな、というところに僕の関心と宮沢賢治が引っかかってくるんです。(略)
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