「いいね! 」戦争 兵器化するソーシャルメディア

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トランプ、ツイッターではじける

 トランプも岐路に立っていた。六十三歳の不動産王は四度めの破産を経験したばかりだった。(略)彼はリアリティTV〈アプレンティス〉の司会者に転身を果たしたが、輝きは失せ始めていた。同番組は放映開始当初こそプライムタイムのトップを飾ったものの、やがて視聴率ランキングで七五位に転落して打ち切りになった。その後、セレブ版スピンオフとして復活し、同じくトランプが司会を務めていた〈セレブリティ・アプレンティス〉はまだ放映中だったとはいえ、視聴率は急降下していた。視聴率の低下を食い止めるべく、トランプはデイビッド・レターマンのトークショーに出演したのだが、効果はなかった。トランプの初ツイートからわずか六日後にシーズン終了を迎えるころには、〈セレブリティ・アプレンティス〉の視聴率は〈デスパレートな妻たち〉や〈コールドケース 迷宮事件簿〉を下回っていた。(略)

当初トランプのツイートは散発的で、数日に一回のペース(略)

[スタッフによる投稿で、内容はテレビ出演告知、トランプ・ブランドの宣伝、名言格言など]

しかし二〇一一年、何かが変わった。トランプのツイートは五倍に増え、翌年にはさらに五倍に膨れ上がった。一人称のツイートが増え、何より調子が変わった。(略)

非常に好戦的にもなり、しょっちゅうけんかを吹っかけ──とくにコメディアンのロージー・オドネルを目の敵にした──そうやって磨き上げた言葉がやがてトランプのツイートの定番になった。「残念だ!」「負け犬!」「弱虫!」「ばか!」などを、たちまち何百回も使うようになった。著名な実業家が悩み多きティーンエイジャーみたいにネットのいさかいに突っ込んでいくなど、当時はまだ珍しく、少し見苦しくもあった。だが、トランプの「炎上戦争」は最も重要な点で成功した。つまり、注意を引くことだ。

 トランプのアカウントはより私的なものになるにつれて政治色が増した。トランプは貿易、中国、イラン、さらにクワンザ(アフリカ系アメリカ人の祝祭)についてまで長々と書き連ねた。それから矛先をバラク・オバマ大統領に向け、ほんの数年前には「チャンピオン」と賞賛した相手を、有名人のなかでいちばんの標的に変えて、無数の猛攻撃を開始した。不動産王からプレイボーイを経てリアリティTVの司会者に転身した男は、やがてもう一度、今度は右派の政治勢力に変貌を遂げた。

(略)

[即座に反応がわかるので]

とくに反響を呼んだツイートに磨きをかけて強化することもできた。トランプはインターネット上でくすぶり続けていた古い陰謀説を蒸し返し、オバマの政策ばかりか大統領資格についてまで攻撃(出生証明書をよく見てみようじゃないか)。その結果、ネットの反応は急増した。トランプとツイッターの組み合わせは、政治を未知の領域に向かわせていた。

(略)

他人から反応があれば、脳から少量のドーパミンが分泌され、投稿や「いいね!」、リツイート、「シェア」を繰り返したくなる。大勢の人間と同じように、ドナルド・トランプソーシャルメディアに夢中になった。

ISISはネットワークをハックしたのではない

ネット上の情報をハックしたのだ

[ISIS支持者やボット軍団は黒ずくめの武装集団の自撮り写真や]戦車車両団の画像をインスタグラムに投稿した。[拡散のための]スマホ用アプリまで開発された。(略)

ISISの動画は、勇敢にも抵抗した人びとを残酷な方法で拷問したり処刑したりする様子も映し出した。そして現実の世界での目的を達成した。#AllEyesOnISISは実際の部隊に先駆けて無数のメッセージを拡散し、目に見えない爆撃としての威力を発揮したのである。猛烈な勢いで広がるメッセージは、恐怖と分裂と背信の種をまくことになった。

(略)

ISISの重要な標的は、三〇〇〇年の歴史を持つ人口一八〇万の多文化都市、モスルだった。ISISの先陣が迫り、#AllEyesOnISISが情報を拡散するなか、モスルは恐怖に覆われた。スンニ派シーア派、周辺のクルド人勢力が互いに疑心暗鬼になった。自分たちが目にしている斬首や処刑の高画質動画は現実のものなのか。同じことがここでも起きるのだろうか。スンニ派の若者たちは、画面に映し出される不屈の黒い群れに触発されて、テロ行為に身を投じ、侵略者の代わりを務めた。イラク軍は、この小規模ながら恐ろしい軍勢からモスルの街を守る態勢を整えていた。少なくとも理屈上では、そのはずだった。だが現実には、モスルの二万五〇〇〇人強の守備隊は名目上の存在でしかなく、兵士たちがとうに任務を放棄したか、そもそも私腹を肥やすことに余念のない腐敗した高官らによってでっち上げられたかだった。さらに悪いことに、実在した約一万人の兵士たちは、喧伝される侵攻部隊の前進と残虐行為を各自のスマホで追うことができた。#AllEyesOnISISをチェックして、戦うべきか逃げるべきか、兵士同士で相談するようになった。敵が来てもいないうちから、恐怖が兵士たちを支配していた。守る側のイラク軍兵士はこそこそと逃げ始め、最初は少しずつだった流れがやがて洪水と化した。無数の兵士たちが、その多くは武器も車両も置き去りにしてモスルから遁走し、警官の大半も後に続いた。モスル市民も侵攻部隊の噂にパニック状態になり、五〇万人近くが街から逃げ出した。ISISの侵攻部隊一五〇〇人は、ようやくモスル郊外にたどり着いたとき、自分たちの運のよさに驚愕した。市内に残っていたのはひと握りの勇敢な(あるいは混乱した)兵士と警官だけだったのだ。彼らを制圧するのは容易だった。それは戦闘ではなく虐殺であり、その様子は逐一撮影・編集されて、またもやすぐにネット配信された。

(略)

[1940年]ドイツの電撃戦の真価はそのスピードにあった。(略)フランス軍は不安にさいなまれ、たちまちパニックに陥った。すべてを可能にした「兵器」はただの無線だった。

(略)

 ドイツ側がラジオと装甲車を駆使したのに対し、ISISは新たな電撃戦の兵器としていち早くインターネット使った。

(略)

ISISは、現実にはこれといったサイバー戦の能力を備えていたわけではなく、とにかくバイラルマーケティングのような軍事攻勢をかけて、あり得ないはずだった勝利を収めたのだ。ISISはネットワークをハックしたのではない。ネット上の情報をハックしたのだった。

(略)
 ソーシャルメディアは戦争のメッセージだけでなく力学も変えた。情報がいかにアクセスされ、操作され、拡散されるかが、新たな影響を持つようになっていった。戦いに関与しているのは誰か、どこにいるのか、いかにして勝利を収めたかまで、事実が歪曲され、変質させられていた。

ネット紛争が招く「現実」

 外交官だけではない。史上初めて、世界のどこに住んでいようと誰とでも直接やりとりできるようになった結果、往々にして一触即発の状況になっている。インド人とパキスタン人はそれぞれ「フェイスブック義勇軍」を結成して暴力を扇動し、自国に対する誇りをかき立てる。(略)

中国のネットユーザーの間では、中国の力を見くびっているように思える周辺国に対するネット「遠征」が習慣化している。何より、こうしたネット市民は自国政府の対応が弱腰だと思えばことごとく抗議し、武力行使するよう指導者たちに絶えず強要もする。

(略)

 オンラインの紛争のこうした変化にはもう一つ、厄介で逃れられない一貫したテーマがある。ときとして、こうしたインターネットの戦闘が招くひどい結果だけが唯一の「現実」かもしれないのだ。

 ISISがイラクで暴走する様子を私たちが見つめていたときでさえ、アメリカでは別の紛争が起きていた。それは一目瞭然だったのに、当時はあまりにも見すごされがちだった。ロシアの諜報員たちが、それまでのオンライン攻勢がかすんでしまうほどの大規模な攻勢を組織していたのだ。2016年のアメリカ大統領選挙では終始、何千人もの「荒らし」が、何万という自動作成されたアカウントを後ろ盾にして、アメリカの政治的対応の隅々にまで潜入していた。彼らは議論を誘導し、疑念を植え付け、真実をわかりにくくし、史上最も政治的に重大な情報攻撃を仕掛けた。そして、その作戦は現在まで続いている。

(略)

インターネットの楽天的な考案者と最も熱烈な支持者たちにとっては耐えがたい状況だ。彼らはインターネットが平和と理解をもたらし得ると確信していた。「以前は、誰もが自由に発言し、情報や考えを交換できたら、世界は自然とより良い場所になるはずだと思っていた」と、ツイッターの共同創業者エヴァン・ウィリアムズは打ち明けている。「それは私の思い違いだった」

 マケドニアの「クリックベイト」セレブ

マケドニアの錆びついた街ヴェレスで、彼らは戴冠したばかりの王様だった。(略)
失業率二五パーセント、年間所得が五〇〇〇ドルを下回る町で、これらの少年たちは暇な時間をカネに変え、そこそこ英語も身につく方法を見つけたのだ。彼らは受けそうなウェブサイトを立ち上げ、流行のダイエット法や風変わりな健康情報を売り込み、フェイスブックの「シェア」を頼りにアクセスを増やした。ユーザーがクリックするたび、オンライン広告の広告料のごくささやかな分け前が彼らのものになった。じきにいちばん人気のあるサイトは一カ月に何万ドルも稼ぐようになっていた。

(略)

ぞんざいで明らかに流用とわかる文章と広告でも何十万もの「シェア」を得られた。ヴェレスで生まれたアメリカ政治絡みのウェブサイトの数は数百に膨れ上がった。米ドルが地元経済に大量に流れ込み、グーグルの広告収入支払日に合わせて特別なイベントを行うナイトクラブまで現れた。(略)「ドミトリ」(仮名)は五〇のウェブサイトからなるネットワークを運営しており(略)[閲覧回数が六カ月間で約四〇〇〇万回]その収入は約六万ドルに上った。十八歳のドミトリは自身のメディア帝国を拡大し、記事の執筆を一人日給一〇ドルで十五歳の少年三人に委託した。だが上には上がいる。数人は百万長者になった。そのうちの一人は「クリックベイト(扇情的なタイトルをつけて閲覧者数を増やす手法) コーチ」と名を変えて、どうしたら自分のように成功できるかを数十人に伝授する学校経営に乗り出した。

 アメリカの有権者たちから約八〇〇〇キロ離れた、このマケドニアの小さな町は、マーク・ザッカーバーグが一〇年前に始めたことを、完全ではないものの再現した。町の起業家たちが開拓した新たな産業は途方もない額の現金を生み出し、若きコンピュータオタク・グループをロックスター並みのセレブに変えた。ナイトクラブで浮かれ騒ぐ大物ティーンエイジャーたちを眺めながら、十七歳の少女は次のように説明した。「フェイクニュースが始まってから、女子はマッチョな男よりテックマニアに引かれる」

 こうした荒稼ぎしているマケドニアの若者たちが送り出すバイラル性のあるニュース(略)には、オバマケニア生まれだという待望の「証拠」がようやく見つかったとか、オバマが軍事クーデターを計画していることが露見したなどという話題も登場する。(略)

そうした記事は(略)真実を伝える報道をはるかに上回る規模で読まれた。

(略)

 少年たちは流行のダイエット法を売り込む場合と同じく、自分たちのターゲットが欲しがりそうだという理由だけで政治に関する嘘を書き込んだ。「水が好きだとわかったら水を与える」とドミトリは言った。「ワインが好きならワインを与える」。だがこのビジネスには一つ鉄則があった。トランプの熱烈な支持者を狙え、というものだ。ティーンエイジャーたちはトランプの政治的メッセージをとくに気にしていたわけではないが、ドミトリによれば、彼らの作り話をクリックすることにかけてはトランプ支持者は「無敵だった」そうだ。

(略)

「無理矢理カネを払わせたわけじゃない」とドミトリは言った。「たばこを売る。アルコールを売る。それは違法じゃない。なのになぜおれのビジネスは違法なんだ?たばこを売れば、たばこは人を殺す。おれは誰も殺しちゃいない」。むしろ、悪いのは既成ニュースメディアのほうで、簡単に稼げる金づるを放置していたと話す。「連中は嘘をついちゃいけないからな」。ドミトリは嘲るように言った。

(略)

 マケドニアのメディア王たちの仕事が脚光を浴びていたころ、当のオバマ大統領は顧問たちと大統領専用機の中で身を寄せ合っていた。世界で最も影響力を持つ男が、状況の愚かしさと反撃できない自身の無力さについて思案していた。彼は海軍特殊部隊SEALsを派遣してウサマ・ビンラディンを殺害することはできても、この新たな「何もかもが真実で何一つ真実ではない」情報環境を変えることはできなかった。

(略)

[二世紀近く前、トクヴィル]も同じ思案にふけった。そしてこう結論付けた。「アメリカにおける政治学の原理は、新聞の影響力を無効化する唯一の方法はその数を増やすことである、というものだ」。新聞の数が多いほど、一連の事実について世論は一致しにくくなるだろうと、トクヴィルは推論した。

(略)

[現在ソーシャルメディアにより]一定の事実というものは存在しない。視点によって「事実」が違ってくるのだ。誰もが見たいものを見る。そして、その仕組を学べば、自分自身が生み出したこの現実にさらに引き込まれ、出口が見つけにくくなるだろう。

「ピザゲート」

[ピザ店コメット・ピンポンが小児性愛者の秘密組織だと信じ込んだ]

ウェルチは店の奥に向かった。そこに子どもたちが囚われているはずの広大な洞窟のような地下室への入り口があるはずだった。だが実際には、彼が目にしたのはピザ生地を手にした従業員一人だった。それからの四五分間、ウェルチは家具をひっくり返し、壁を探って、淫らな行為が行われているはずの秘密の部屋を探した。(略)

秘密の地下室に通じる階段はなかった。そもそも地下室がなかった。落胆し混乱したウェルチは銃を捨てて警察に投降した。

(略)

検察側の記録によれば、ウェルチは「意識は明瞭で、きわめて真剣で、十分な自覚があった」という。彼は囚われている子どもたちを解放し、命を捨てる覚悟で帰ることのない任務に赴くのだと本気で考えていた。

(略)

もとをたどれば、「ピザゲート」と呼ばれるバイラルな陰謀論に端を発していた。二〇一六年のアメリカ大統領選挙の終盤に登場したデマで、ヒラリー・クリントンと側近らが首都ワシントンのピザ店で行われている悪魔崇拝と未成年者の売買に関与しているという内容だった。

(略)

 ピザゲートはソーシャルメディアで炎上し、ツイッターだけで一四〇万回言及された。(略)

陰謀論者のアレックス・ジョーンズは登録ユーザー二〇〇万人に向かって次のように語った。「隠蔽が行われている。たぶん、神に誓って、私たちは悪の権化に牛耳られているのだ」。サンクトペテルブルクのロシア人ソックパペットたちも、チャンスを嗅ぎつけてピザゲート現象に乗じて投稿し、火に油を注いだ。ピザゲートは極右のオンラインでのやりとりを何週間も支配しただけでなく、クリントンの敗北を受けて影響力を増した。選挙後の世論調査では、トランプに投票した人の半数近くが、クリントン陣営は小児性愛、人身売買、悪魔崇拝儀礼での虐待に関与していたと信じていた。

(略)

ピザゲートの主要な投稿者に、米海軍予備役の若き情報部員ジャック・ポソビエックがいた。(略)

ポソビエックは一〇万人を超える自分のフォロワーにピザゲートを容赦なく押しつけた。(略)

「やつらはこちらの考えることや行動を管理したがる」とポソビエックはうそぶいた。「でも今なら独自のプラットフォームとチャンネルを使って、真実を語ることができる」

(略)

ウェルチの暴力的で無駄に終わった探索でも、ポソビエックの主張は覆されることはなく、かえって彼を新たな陰謀論に駆り立てただけだった。(略)

「コメット・ピンポンのガンマンはやらせで、企業の所有でない独立系報道機関に対する検閲推進に利用されるはずだ」。それから話題を変え、フォロワーたちに、ワシントン警察署長が「コメット・ピンポンに銃を持って押し入った男とピザゲートに関係がある証拠はない」と結論したと告げた。

(略)

それでもポソビエックは報いをほとんど受けなかった。それどころか、オンラインでの彼の名声と影響力は増した。見返りはほかにもあった。トロールによってピザ店を悲劇寸前に追いやってからわずか数カ月後、ポソビエックはホワイトハウスの記者会見室から特別招待客としてライブ配信していた。そして究極のお墨付きを得た。ポソビエックと彼のメッセージは、全世界で最も影響力を持つソーシャルメディア・プラットフォーム、すなわちドナルド・トランプ大統領のプラットフォームによって何度もリツイートされたのだ。

次回に続く。

 

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