デジタル・ポピュリズム 操作される世論と民主主義

黒幕ロバート・マーサ

トランプ政権誕生(略)の陰には、ある「黒幕」がちらついている。トランプの選挙キャンペーンにCA社を紹介した、ロバート・マーサという富豪だ。(略)
投資ファンド会社で巨大な富を築いたマーサは、これまで政治の表舞台ではほとんど知られない存在だった。
[マーサは72年IBM入社、言語の音声認識と翻訳で画期的な言語パターン分析を見出し、93年、ジェームズ・シモンズのファンド会社に引き抜かれた]
(略)
IBMでは同僚たちから「オートマン(自動人形)」と呼ばれていた(略)
この天才的プログラマーは(略)専門分野以外では、エキセントリックな行動をとっている。小さな政府を主張する一方、防衛費の増大を求めていた。巨大な四階建ての豪華ヨットを乗りまわし、「シャンプーのボトルが空だった」とスタッフに給料支払いを怠ったり、自宅用に二七〇万ドル(約三億円)の鉄道模型を購入したときは「高すぎる」と、模型会社を訴えて勝訴した。
 さらに、「日本に落とされた原爆の放射能は、中心部以外では日本人の健康に役立っている」と公言している。市民の尿サンプルを大量に集め、不老不死の研究をしている科学者、アーサー・ロビンソンに、マーサーは日本円で約一億円の寄付をした。また、「人間の価値はその収入で決まる」と言い、「社会保障を受けている人間には“ネガティブな価値”(つまり社会のやっかい者)しかない」とする。(略)
[2010年スーパーPAC導入で個人献金の]上限がなくなった。以降、マーサーの政治献金は活発化した。
(略)
 トランプ選挙キャンペーンヘの寄付では、個人として最高額を投入した。(略)トランプ政権誕生わずか四ヵ月後には二〇二〇年のトランプ再選へ向けて、早くも一〇〇万ドルがスーパーPACから支払われたという。(略)
[元同僚の数学者ニック・パターソンは]「私が見るところ、トランプは、ボブのおかげで大統領になれた」と語っている。

偽ニュースサイト

 [偽ニュースサイト製作者の]元旅行ライターという人物は、二〇一六年の大統領選の初めのころ、民主党候補であったバーニー・サンダースの偽ニュースを流したところ、人々の関心をひかず、そのうちに立ち消えてしまった。そこでヒラリー・クリントンの偽ニュースを流したところ、たちまちクリック数が増えたという。いくつものドメイン名を購入し、複数のニュースサイトをつくったのだ。
 クリントン夫妻についての偽ニュースは瞬く間にひろまった。「ヒラリーはパーキンソン病で余命が短い」、「ビルが黒人娼婦に生ませた男性がカミングアウト」、「クリントンオバマはシリア戦争でもうけている」など、クリントン夫妻の偽ニュースは、共和党支持者に特に面白がられたようだ。
 偽ニュースサイトの製作者によれば、一番肝心なのは、「本物に見えること」だという。一番の「ヒット作」は、「デンバー・ガーディアン」が掲載した「ヒラリー・クリントンの電子メールを捜査したFBIの捜査官が“謎の自殺”を遂げた」というニュースであった。いかにもヒラリーが関与しているような「特ダネ」に、クリック数は面白いほど増えたという。
 偽ニュースサイトは本物に見えるように、半分以上を(本物の)日常のニュース記事で埋め、それとなく「面白い偽ニュース」を紛れ込ませることが秘訣だという。広告収入のみが目的の場合、ある程度のネットの知識と時間さえあれば手軽にできる「新ビジネス」である。

ピザ店、「コメット・ピンポン」に銃を持った男が侵入

民主党員がピザ店を拠点に、子どもたちを監禁し、悪魔風の儀式で幼児ポルノ組織を運営している疑いがあるので調べに来た」と言い、従業員や客たちを数時間、監禁した。
(略)
[発端は、ハッキングで流出したクリントン選対委員長のメールの中にピザ店主のメールがあり、そのインスタには]
子どもと一緒に写ったピザ店主の写真が多数あった。共和党支持者は、「これはおかしい。子どもがいない彼がなぜたくさん子どもたちと一緒に写っているのだろうか」ということで、すべての「点」をつなげてみた。
 豚の血でメニューを書くというマリナのパフォーマンスは悪魔儀式なのかもしれない。そしてクリントン選挙対策委員長民主党支持のピザ店主と子どもたち、すべての不可解な点をつなげて陰謀説にでっちあげた共和党支持者が「幼児ポルノ疑惑」に関する話をソーシャルメディアに流したところ、共和党支持層でたちまち話題になった。(略)「店の名前のイニシャル“CP”は、実はチャイルドポルノグラフィーを意味している」などのデマがとびかった。
 デマのシェアやチャットが増えたのは、大統領選挙が本格的となった九月以降で、それとともに、ピザ店主に対するネット上の中傷がひどくなっていった。(略)
その後、前述の発砲事件が起きた。
 デマは複数のソーシャルメディアで幾度となくシェアされ、拡散される。いったんうその情報が出回ると、いくら事実ではない、と主張しても、「リベラルメディアの陰謀だ」、「検閲だ」、「何かを隠しているにちがいない」と、否定すれば否定するほどネット上でさらにひろく拡散してしまう。いわゆるネット炎上である。

国民投票

ドイツの憲法である基本法には国民投票を規定する条項はない。[「最も民主的」とされたワイマール憲法のもとで]独裁体制を生み出した苦い経験からきている。
(略)
ナチス党は好んで国民投票を行い、情報統制のもと、あたかもすべての国民の支持のもとにナチス政権があるがごとき印象を与えた。(略)
 未曾有の惨禍をもたらしたナチスを生んだ元凶にはプロパガンダを利用した直接民主制国民投票など)があったということを、第二次世界大戦後、ドイツの基本法の制定者たちは見逃さなかった。ワイマール憲法がもたらしたともいえる戦争と独裁体制を防ぐため、新しい憲法は徹底した間接民主主義に書き換えられた(略)。
 ドイツにあるのは住民投票で、あくまでも地方自治体レベルのことだ。(略)
 国民投票は、直接民主制の一つとして、いかにも民意を反映するかのように見える。しかし、イエスか、ノーのどちらかで白黒を決めようとする国民投票では、事前に行われるキャンペーンにおいてプロパガンダが連発され、国民が扇動される危険性を孕んでいる。デジタル時代において、ましてうそや偽ニュースが瞬時に拡散される時代にあっては、世論が恣意的に操作される危険性がより高い。