ファンタジーランド(上): 狂気と幻想のアメリカ500年史

ファンタジーランド(上): 狂気と幻想のアメリカ500年史

ファンタジーランド(上): 狂気と幻想のアメリカ500年史

 

 ルター、「ファンタジーランド」の足場の完成

 印刷物が普及すれば、社会も変わる。印刷された英語版聖書が登場してから1世紀後には、イングランド識字率が3倍に上昇した。もはや何百万もの信者が、ルターが生み出した新たなキリスト教を実践できる。もうカトリック教会やそのエリート聖職者に、神との間を取り持ってもらう必要はない。これこそ破壊的な技術革新と言えるのではないだろうか?

(略)

 ルターは、宗教的な権利を一般大衆に譲り渡すことで、決定的に個人の自由を広めた。そして、もう一つ重要な思想として、聖書に記されたイエスに関する超自然的な物語を信じられるかどうかが、立派なキリスト教徒になるための唯一の条件だと訴えた。つまり信者は、善行を積めば天国に行けるわけではない。大切なのは、信じる心を持てるかどうかにある(ただし、初期のプロテスタント教会は厳格で、信仰心があっても天国に行けるとは限らなかった)。
 当初のプロテスタントの抗議は、理性に基づいているように見えるかもしれない。お金を払ったり(偽の)聖遺物を拝んだりしても、天国へ行けるわけではない。だがプロテスタントの考え方にしても、公平でもっともだとは言えるが、理性的だとは言えない。いわば、架空の物語の筋書きを変えただけだ。プロテスタントカトリックでは、共通の幻想体系の中に確立された不可思議なルールに違いがあるだけなのである。
 こうして16世紀に新たに生まれたプロテスタントから、アメリカのもとになる考え方が生まれた。何百万もの一般大衆は、権威ある専門家が何と言おうと、自分たち一人ひとりにこそ、何が真実であり何が真実でないかを決める権利があると考えるようになった。それどころか、情熱的で空想的な信念が何につけても重要なのだと思い込むようになった。「ファンタジーランド」の足場の完成である。

ピルグリム・ファーザーズ

 急進派の中でも過激なのが、分離派のピューリタンだ。(略)

弾圧を逃れ(略)オランダに亡命した。[だがそこも世俗的で不信心]

彼らはもはや(略)約束の地を見つけることを誓い、出エジプト記イスラエルの民のように何年も流浪の旅を続ける一種族である。

(略)

最終的にはどうしても、完璧な宗教に捧げられた自分たちだけのユートピア国家の建設という夢を抱くことになる。
 では、どこに行けばいいだろう?イングランドアメリカを見ると、沼地が広がる南部のバージニアはすでに、キリスト教徒とは名ばかりの貪欲な人間たちに占領されている。彼らは今では、金の探索をあきらめ、タバコの栽培を行っていた。

(略)

こうして、新たな世界に新たなエルサレムを築こうと、メイフラワー号で大西洋を渡ってプリマスに上陸したのが、ピルグリム・ファーザーズである。

 つまりアメリカは、常軌を逸したカルト教団により建設されたのである。(略)

 一般的には、ピルグリム・ファーザーズより後続のピューリタンのほうが「穏健」だと考えられているが、それはISISよりアルカイダのほうが穏健だと言うようなものだった。(略)

彼らが以前も当時も穏健に見えるのは、その社会的地位が高かったからである。話し方が上品で、身なりがよく(略)聡明で、権力に慣れていたからにほかならない。(略)[だが]「穏健」が「寛容」という意味だとすれば、ピルグリム・ファーザーズのほうが穏健だった。彼らは少なくとも「よそ者」と共存していた。だがピューリタンは(略)「神権政治」という言葉を理想視した。(略)英国国教会の聖職者が足を踏み入れることを禁じ、クエーカーを絞首刑に処した。

(略)

 ボストンのピューリタンの最初の指導者となったジョン・ウィンスロップは、アメリカに着く前から、同船した人に「終末」について語っていた。(略)

「終わりの日が姿を現し始めるとき、ここが本当にその町になるかもしれない。新たなエルサレムが現れつつある」。ニューイングランド神権政治の指導者としてウィンスロップの彼を継いだ重要人物、インクリース・マザーもこう説いている。「死者を目覚めさせ、この世を裁くキリストの到来」は、今すぐにも起こるかもしれない。ボストン上空に見える隕石や彗星は、神の悲しみのサインであり、「大災害の前触れ」だ、と。

(略)

 アメリカ初の大学であるハーバード大学の学長にマザーが就任すると(略)息子コットンが父の後を継ぎ、ボストンの中心的教会の牧師になった。この息子は間もなく、「終末」の具体的な年を明言するようになり、それを死ぬまで続けた。「今から6年後だ!」「よし、今から39年後だ!――いや持て、20年もない!」そして、その年が何ごともなく過ぎると、本当はこうだと言って、また別の年を宣言するのだった。

(略)
ピューリタンは、考え方があまりに魔術的だったが、よく本を読んだり書いたりもしていた。ひどく合理的な空想家で、神学をきわめて複雑な科学と見なしていた。常軌を逸した夢想家でありながら、資本主義の野心的な実践者であり、熟達した管理者・所有者・製造者だった。

神を信じる自由

[アン・ハッチンソンは]聖職者の家庭に生まれ、裕福な商人に嫁ぎ(略)カリスマ性にあふれた、熱心な信仰心を持つピューリタンだった。やがて説教師のような活動を始め(略)

次第に大胆になり、やがては指導者たちを見下すようになった。ウィンスロップ知事の日記には、「住民は彼女を預言者だと思っている」という不安げな記述がある。(略)

やがて彼女の支持者は、啓蒙されて大胆になり、気に入らない聖職者の説教になると、途中で退席するようになった。

(略)

 だが、植民地の指導者の一派閥が、ハッチンソンの異常なほど純粋な、魔術的で熱狂的なピューリタン信仰を受け入れると、彼女はついに問題視されるようになった。(略)

 結局彼女は、聖職者の名誉を毀損したかどで告発され、裁判にかけられた。(略)

[公判で]ハッチンソンは思いのたけをぶちまけた。聖書だけでなく聖霊が、神が自分を導いている。(略)

植民地の住民や政府は誤った方向へ進んでおり、いずれ神の逆鱗に触れるだろうと述べた。「私を裁くのでしたら注意したほうがいい。私にはわかります。あなた方が私をどうしようとしているのかが。神はあなた方やその子孫、この国すべてを滅ぼされることでしょう」。

(略)

彼女は結局、魔女だと判断され、処刑されてもおかしくない状況だったが、植民地から追放されるだけですんだ。

 現代では、アン・ハッチンソンはほぼ例外なく、アメリカで最初の偉大なヒロインとして紹介されている。信教の自由のために闘い、見せしめ裁判の犠牲になったフェミニスト活動家という位置づけである。

(略)

ハッチンソンがアメリカ的なのは、自分自身にあれほどの自信を持っていた点だ。彼女は自分の直感、独自の主観的な現実認識を少しも疑わなかった。周囲にいる不安げなインテリとは違い、あいまいな態度や自己不信を認めなかった。

(略)

アン・ハッチンソンは、ピューリタンの中でもただ一人、現代のアメリカ人の感性とつながりうる人物だ。現代のアメリカでは、あらゆる個人が堂々と、自分が真実だと思う現実を自由に作り上げることができる。21世紀のアメリカのキリスト教は、17世紀のアメリカの公式のキリスト教よりも、ハッチンソン自身のキリスト教に近い。

(略)

アメリカには、追放された狂信者がたどれる道、住みつける新たな場所が、そう遠くないところに無数にある。

サタンが支配するアメリ

一部のアメリカ人は、永遠の命が手に入るかもしれない、アメリカは神の計画により間もなく現れようとしているこの世の王国の中心地になる、と信じている。(略)一方で、キリスト教徒であろうとなかろうときっと地獄に堕ちる、神はアメリカをめちゃくちゃにした私たちに激怒している、と信じているアメリカ人もいる。実に恐ろしい幻想である。

(略)
マサチューセッツに新たな植民地が設立される以前から、あるピューリタン聖職者はこう警告している。「アメリカは明らかに、私たちが知る世界のどの場所よりも、サタン(魔王)に支配されている」。(略)

キリスト教はそれまでの1500年間にヨーロッパ中に広まり、すでに浸透してしまっている。そこで悪魔はある時点で、アジアの異教徒に大平洋を渡らせ、アメリカに向かわせたという。「悪魔は、アメリカに自分の王国を作れば、主イエス・キリストの福音に脅かされることもないだろうと踏んで、あの哀れな野蛮人どもをこの地におびき寄せたのだ」。つまり、アメリカの先住民は、単に異教徒というだけでなく、サタンの兵士なのだ。(略)

[コットン・マザー]は、「私たちの邪魔をする悪魔の群れ」を「武装した先住民の姿をした悪魔」と表現した。

(略)

幸い、全能の神が奇跡をもたらした。白人の聖人たちが意図せずして持ち込んだ病気にかかり、かなりの先住民が死んだのだ。

(略)

[同盟を結び反撃に出た先住民達に対し]

ハーバード大学出身の聖職者は、兵士たちにこう説いた。「あらゆる罪、あらゆる腐敗を滅ぼし、焼き、沈め、破壊せよ。(略)イエス・キリストの公然たる敵に、誰であれ情け容赦は無用だ」。こうして、1675年夏から1676年夏にかけて、無慈悲な大量殺戮がアメリカ史上もっとも集中的に行われた。それから10年余り後には、さらに長い戦争が始まり、初期アメリカ人が抱いていた幻想の第二部が現実化した。ローマ法王の勢力(フランス軍)とサタンの勢力(先住民)がいずれ手を握るのではないかという幻想である。その直前、コットン・マザーはたまたま、二またの根が生えたキャベツを目にした。するとその根が、先住民のこん捧と西洋の剣に見えた。そこで、地獄の番犬たちとの新たな戦いが始まろうとしていることを神が警告しているのだと確信し、民衆にこう告げた。「目に見えない世界の悪霊どもが、ニューイングランドの民衆に壮大な戦争を仕掛けてくる。(略)先住民の首長どもはよく知られているように、(略)恐るべき魔術師、地獄の魔法使いであり、(略)悪霊と通じている」。
 ヨーロッパではすでに「理性の時代」に入っていた。だが新世界では、非理性がものすごい勢いで逆流していた。

セイラムの魔女

[1689年イングランドで信教自由令が可決され、アメリカのピューリタンもそれを受け入れることに]

それは自分たちの宗派を、無数の新興宗派の中の一派と認めることでありう、存在価値の低下を意味する。(略)

コットン・マザーは、その少し前に発表した不信仰の危険性を訴える小論文の中で、こう述べている。魔女の存在を疑い始めたら、神の存在まで疑うようになるのではないか?

(略)

[1691年少女達に異常が発生]

間もなく、魔女が数名特定された。[その数は増え数十人に](略)

 するとこの騒動に、ボストンで魔女の専門家として名声を博していたコットン・マザーが介入してきた。

(略)

少女たちは、自分の見た夢や幻影が魔女や魔法使いに誘導されたものと思い、判事たちは、裁判をサタンとの戦いだと思っていた。そして何よりも、自分は魔女や魔法使いだと自白した50人のうちの多くが、自分は本当に悪魔と個人的契約を結んでいたと信じていた。

(略)

 しかし、この狂気が夏にピークを迎えたこと(略)インクリース・マザーがイングランド旅行から帰ってきて、即座にこの騒動を収めた。セイラムで一日最多の8人が魔女や魔法使いとして絞首刑に処された日のあと、「Cases of Conscience(良心の問題)」という小論文を執筆し、その内容の正当性をピューリタン聖職者協会に認めさせたのだ。(略)

 以来「良心の問題」は、アメリカ植民地を理性回復へと向かわせた偉大な論文と見なされるようになった。確かにそのタイトルは、魅力的なほどリベラルに見える。(略)

だが、あまり知られていないことだが、このタイトルはタイトル全体のごく一部にすぎない。完全なタイトルを知ると、隠れていた事実が見えてくる。そのタイトルとは、「(略)(人間の姿を借りた悪霊、魔術、その罪で告発された者の間違いのない罪の証拠に関する良心の問題)」である。この本には、サタンが実際にどう行動するかが説明されており、また聞きした世界中の邪悪な魔術の物語が無数に掲載されている。たとえば、「望みの人やモノを浮かび上がらせる魔法の鏡の作り方」を知っている「ベネチアユダヤ人」の話などである。インクリース・マザーは、セイラムの事件について、サタンが一部の告発者をたぶらし、嘘の告発をさせているのだと(略)

エドマンド・モーガンは言う。「1692年には事実上(略)魔女の存在を疑う者はニューイングランドに一人もいなかった」。 

次回に続く。

 

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