セイレムの魔女裁判

ホーソーン研究

ホーソーン研究

セイレムの魔女裁判について書いてある第Ⅲ部から。

1626年セイレムに突如として起こった「気違いじみた事件」---「魔女事件」---を正しく理解するにはある程度の予備知識が必要である。まず、17世紀のアメリカ植民地に住む人びとは殆ど全部といってよいほど「悪魔」の存在を信じていた点に注目したい。

少女達はパリス牧師のキッチンに集い、召使のチツバに料理を教わったり、聖書の話を聞いた。チツバはキリスト教に改宗していたが、やがてヴードゥー教独特のマジックや迷信を語るようになる。
その中にいたパリス牧師の娘エリザベスは父親への罪悪感でヒステリーを起こす。それを知り他の少女達もヒステリーを起こした。

エリザベスの発病で自分たちの秘密の発覚を恐れた少女たちは窮余の一策として、魔女によって「苦しめられた少女」を演じたように思われる。ところが、魔女の存在を信じて疑わない大人たちは少女たちを苦しめるものの正体を明らかにしようとした。勿論少女たちは最初のうちはほかの者をトラブルに巻き込むつもりなどなかった。だが、パリス牧師の度重なる執拗な質問を受けているうちに、少女たちは魔女の名をいうか、自分たちが疑惑の対象になるか二つに一つしか道がないと感じ始めた。(略)
アンがうなずくと、そこに居合わせた少女たちは「そうです。チツバがやったんです」と異口同音に大声で叫んだ。一度魔女の名を口にだすと子供たちは「彼女のほかに、グッディ・クロイズもいたよ」、「そして、セアラ・グッドもいたよ」と次々に別の名をだした。(略)
少女たちに名指しされた3人の女性はいずれもこれまで何かと問題のあったものだった。セアラ・グッドはすでに魔女ではないかと疑われていたし、セアラ・オズバーンも以前から“ストレンジ・ウーマン”という評判をもっていた。更に、チツバは西インド諸島出身の奴隷であった。

裁判所で無罪を主張する被告の横で、再度、少女達は被告の魔法に苦しめられるふりをする。さらに少女達は別の魔女の存在を主張し始める。

しかし、「少女たち」がマーサ・コーリィを魔女だと名指しするにはかなりの勇気を必要とした。彼女はセアラ・グッドやセアラ・オズバーンのように疑われても仕方のない人物ではなかった。教会内でも評判がよく、その時代としてはかなりの教育を身につけた初老の尊敬に値する人物であった。(略)
実際に自分が魔女だと告発されてその漠然とした思い[魔女は存在しない]は確信に変わった。彼女は自分が魔女でないことをよく知っていたからだ。(略)
[説明すれば自分の無実は証明できると確信していた老女だったが]
その後、予備審査での少女たちのグループの連係プレイが見事で彼女の魔女の嫌疑は益々深まり、ホーソーン判事によって正式裁判に送られることになった。

やがてパリス牧師が少女達を利用して、自分の属するセイレム村独立派に敵対する人間を攻撃するようになる

[人々は]セイレムに広がった根の深い悪への挑戦の必要性を感じ始めた。(略)そのような機運のなかで、村人の間から社会の上層部には長い期間にわたって知られざる魔女がいるのではないかということが取り沙汰され始めた。彼らの名誉や富は悪魔の援助によって得られたものだというのである。やがて、「例の少女たち」は魔女として数人の名を挙げた。その中の一人にレベッカ・ナースがいた。ナース夫妻は常に信仰心にあつく勤勉であり、貧困から身を起こし自分たちの努力によって裕福な生活を勝ち取った。村では重要な役職につき人望もあった。だが、ナース夫妻の出世に対する羨望が憎しみに変わった。(略)
比較的貧しい人びと(その多くはパトナム派であった)とナース家が属している地主派との間には、土地に関する不和の長い歴史があった。

マーサ・コーリィやレベッカ・ナースが告発されたことで、誰でも告発されうる恐怖に人々は襲われた。

マーサ・コーリィの夫のジャイルズ・コーリィは裁判で発言を拒否し拷問にあって死亡した。1692年9月22日の処刑が最後になった。それまでに、レベッカ・ナースを含めて19人の魔女がギャロウ・ヒルで絞首刑になった。だが、ジャイルズ・コーリィの死がこの魔女裁判の流れを変えることになり、それ以後犠牲者は出なかった。
不思議なことに、「魔女」であると認めたチツバは裁判を免れた。終わってみれば、死罪になった者は、結局、無罪を主張した者ばかりで、「魔女」だと自白した者はいずれも死罪にならなかった。

そして少女達が糾弾者の母や妻まで魔女だと告発するに至り魔女裁判も終焉を迎える。

ヘイル牧師はこれまで魔女狩りの最も熱烈な推進者の一人だった。しかし、彼の妻が魔女として告発されるにおよんで、彼は自分が今まで長い間誤っていたことに気付き、少女たちの証言を拒否した。

この魔女裁判で19人の無実の罪人が処刑され、牢獄で死んだ人もあった。富、名誉、影響力をもった多くの人びとが不正な告発を避けるために他の植民地へと逃れ、その大部分は再びセイレムに帰ろうとする希望を示さなかった。(略)
また、告訴された人たちの財産は驚くほどのスピードで不正な役人によって不法にも取り上げられた。疑いが晴れて釈放された人たちによって、財産返還の訴訟が起こされたが、財産を取り戻すことは殆ど不可能だった。