ニューイングランドの宗教と社会

時代の空気が反映するピューリタニズム解釈

1930年代の歴史家はアメリカ的自由主義擁護の立場からマサチューセッツ・オーソドクシーのピューリタン政権を専制的であると批判したが、その後、第二次世界大戦後から50年代のいわゆるコンセンサス学派の歴史家たちは、逆に民主主義の創始者としてピューリタンを擁護した。さらに、60年代になるとアメリカの未来志向性が歴史家の眼をピューリタン千年王国思想に向けさせた。そしてヴェトナム戦争の70年代には、かつてのピューリタンのとったインディアン対策の問題点が掘り起こされ、アメリカの対外政策に共通した汚点を指摘する研究も注目された。このように、あるときは肯定的に、あるときは否定的に、それぞれの時代の空気がピューリタニズム解釈に反映されてきたというのである。

マサチューセッツの政治体制は

民主主義的だったとされているが

細かく見てみると、この制度は、宗教的ヴィジョンをもった指導者を支えるという意味においてのみ公民の政治参加が許されたもので、具体的に与えられた権利は参事員を選ぶ選挙権だけであった。総督や副総督を直接選挙することは許されておらず、また、立法議決権を与えられたわけでもない。いわば、形式的儀式的な意味でジェスチャーとして参加しているという形であった。(略)
実際はごく少数の宗教的政治的指導者が政治権力を掌握した寡頭政治であるというのが本当の姿であろう。

「荒野への使命」

第二次大戦後、欧州文化復興で派遣されたペリー・ミラー

わざわざ文化復興の一環としてヨーロッパで仕事をしている彼にたいし、アメリカ史はヨーロッパ史のエピソードでしかない、戦後はまたヨーロッパ中心に歴史が動いていく、とヨーロッパのインテリにたしなめられたペリー・ミラー(略)
つまり、マサチューセッツ湾岸植民地と(大戦中の)アメリカ合衆国はともに自己の目的のためではなく、他者のため、それぞれイギリス本国と自由ヨーロッパ世界のために力を尽した。にもかかわらず、そのどちらからも顧みられなかったのである。となると、マサチューセッツ湾岸植民地は本国との関係を無視して植民事業を自己の目的としなければならなくなり、第二次大戦後のアメリカは冷戦初期の国際関係、特に共産主義ソ連を意識して、ヨーロッパ諸国とは別に世界の民主主義の守護神としての国家意識を持たなければならなかった。その役割を一言でまとめると、それがペリー・ミラーの言うところの「荒野への使命」であり、その起源が「丘の上の町」ということになる。

政教分離を主張するロジャー・ウィリアムズ

マサチューセッツ湾岸植民地が成立して間もなく、政教一致のもとに理想的宗教社会を目指していたコミュニティにとって一人の厄介な人物が大西洋を渡ってきた。信仰の自由と政教分離を主張し続け、そのためにマサチューセッツ湾岸植民地から追放されるこのロジャー・ウィリアムズ(1603-1683)は、1636年プロヴィデンス居留地を設立、のちにロードアイランド植民地を建設した人物である。彼の主張は結果的には独立宣言、米国憲法権利章典に実現され、単にアメリカ合衆国の国家としての基盤を作り上げたばかりか、広く近代国家の成立に不可欠な要素となっていった。(略)
一般的には、憲法に盛り込まれた政教分離や個人の信教の自由の思想は啓蒙思想時代の産物であって、宗教を敬遠する政治の側が宗教を排除したと言える。ところが、ウィリアムズの場合は逆に、彼が徹底的なピューリタンであるからこそ、信仰の純粋性を保つために政治を介入させないという方向を持っている。その意味で同じ信教の自由・政教分離といってもその出発点はまったくの正反対に位置すると言えよう。

アメリカ宗教の特異性を論ずるハロルド・ブルーム

アメリカのキリスト教教会と総称される宗教には、長老派、カトリックバプティスト、メソジスト、ルター派などの伝統的な教派にくわえ、エホヴァの証人、モルモン教などアメリカで発生した多くの教派(デノミネーション)があり、それぞれの教派の教会が、アメリカの都市にはそこここに見受けられる。それらの共通した特徴は、任意性を基礎とする“Voluntary Association”である点に求められるだろう。一つの地域にいくつもの教派の教会が立ち並び、それぞれに説教を熱っぽく語る説教者がいてお互いに競争しながら信者の心に訴えかける。その説教者が気に入ったとき、信者はその教会の教会員となる。さまざまの教派の教会にひとびとは自由に加入し、また、脱会していく。ヨーロッパの国々の国教となっていたキリスト教と比べると、アメリカのこうした諸教派と教会員制度はきわめて特徴的であり、アメリカのキリスト教そのものを独特なものにしている。

アメリカのキリスト教の持徴とはなんであろうか。

そのひとつは、神を現実の世界に引きずり下ろす、ということである。本来カルヴィニズムの教義では、人間の救済は予定されていて、人間の側はそれをどうしようもできないものと考えられていた。しかし、これまで論じたように、ニューイングランドピューリタンたちは、救済の徴候を段階的に知りうると考えていた。その段階を踏んでさえいれば、いずれは救いの確信に至るのである。このように、いわば救いへのマニュアルといえるような具体的な理解をもっていた。

宗教という脅迫観念で前進してきたアメリ

ハロルド・ブルームは「西洋諸国のうちわれわれ(アメリカ人)ほど宗教という脅迫観念をもっている国民はない。われわれの大部分がなんらかの形の神を信じ、そのほとんどは神が自分を愛していることを個人として信じている」と述べている。こうした状況があるからこそ良くも悪くもアメリカは未来を目指してつねに前進し、一つの目的と使命感をもった運命共同体としていままで意識されてきたのである。