ファンタジーランド(上) その2

前回の続き。

ファンタジーランド(上): 狂気と幻想のアメリカ500年史

ファンタジーランド(上): 狂気と幻想のアメリカ500年史

 

ジョージ・ホウィットフィールド

聖職者になってからアメリカに渡るまでのわずか2年の間に、この「少年説教師」は一躍イギリスのスターになった。名声を愛し、群衆にロックコンサートのような高揚感を与えるのが好きだった(略)

 アメリカでは、それ以上に聴衆に愛された。ホウィットフィールドは、この国ように若く、ルックスもよかった。(略)

[説教は]台本やメモを見ないで「演じている」かのようだった。イエス使徒、地獄に堕ちた罪人になりきり、男性にもなれば女性にもなり、ひざまずき、叫び、足を踏み鳴らした。(略)

彼がほとばしらせる感情は「本物」に見えた。いわば、聖霊との交信をテーマにしたリアリティ番組だ。

(略)

また、さまざまなメディアを利用して福音を広めた先駆者でもあった。新聞に説教集会の広告を出し(略)[26歳で]自伝を出版して大成功を収めた

(略)

エスユダヤの宗教指導者に語った「人は、新たに生まれなければ、神の国を見ることはできない」という一節を繰り返し引用し、アメリカのキリスト教に、「新生」という重要な概念を植えつけた。新生したという強烈な超自然的「感覚」が、あの世への切符になる。

建国の父たち

[初めてアメリカにやってきたホウィットフィールドの説教に驚いた、さして信心深くないベンジャミン・フランクリンは]

ウィットフィールドの日記や説教を4巻セットにして印刷・出版する契約をした。するとそれが大ベストセラーとなった。だが結局、この「大覚醒」運動でフランクリンが悟ったのは、アメリカの宗教家の本は儲かるということだけだった。それから3年間にわたり、彼は同様の宗教書を毎月発行した。だが、ホウィットフィールド個人と「宗教的な関係」を築くことはなかったという。

(略)

 フランクリンを含め建国の父たちが抱いていた神のイメージは(略)創造主はこの世を作るとどこかへ行ってしまい、人間にはもうその存在がわからないといった感じである。そのため(略)当時の「熱狂的信者」とは縁がなかった。

(略)

ジェファーソンもかつて、ジョージ・ワシントンは「信仰心がまるでなく」「絶えずそばに聖職者を置いているのは、そうしたほうが体裁がいいと思っているからだ」と述べている。当のジェファーソンも、体裁を保つため教会に通ってはいたが、17歳のおいにはこう言い聞かせていた。「神の存在さえ大胆に疑え。神がいるとすれば、無分別な恐怖から敬愛されるよりも、理性に基づいて敬愛されることを望むはずだ」。そして、宗教は「いずれも似たようなもので、寓話や神話を基にしており」、キリスト教も「西洋世界の迷信」にすぎないと考えていた。後に大統領となったジェファーソンは、ある年の冬にホワイトハウスで、既存の価値観を覆す途方もない行動に出た。新約聖書二冊を破ってページをばらばらにすると、キリストの復活を含め、奇跡について書かれている部分をすべて取り除き、残りの部分を一冊の本に再びまとめ、その本を『ナザレのイエスの生涯と教訓』と命名したのだ。フランクリンもまた、死の直前にこう記している。「私は、ナザレのイエスの神性に疑問を抱いている。だが、それを声高に主張しようとは思わないし、(略)今その問題をあれこれ考える必要はないと思う。近いうちに、さほどの苦労もなく真実を知る機会が訪れるだろうからだ」。
 アレクサンダー・ハミルトンは、憲法の起草者はなぜその中で神に触れなかったのかと尋ねられ、まじめくさった顔でジョークを言うように「入れ忘れた」と答えた。

 ワシントン伝記の嘘

ぼくがおので桜の木を切りました」。だが、この物語自体が嘘だった。ワシントンの死の数か月後に出版され、ベストセラーになった伝記に追加されたのだ。独立戦争中の出来事としては、アメリカ軍が劣勢に陥った際、逃れてきたバレーフォージでワシントンがひざまずき、神に祈りを捧げるエピソードが有名だが、これもほぼ間違いなく嘘である。19世紀にベストセラーとなったフィクション混じりのノンフィクション『(略)(1776年アメリカ独立の伝説)』には(略)こんな物語が掲載されている。不思議なことに、まるで天使のような「黒いローブをまとった(略)背の高いすらりとした男」が、突然フィラデルフィアの建国の父たちの前に現れ、5分ほどスピーチを行う(「神はアメリカを解放した!」)。それを聞いた建国の父たちは、それまでの言い争いをやめ、独立宣言に署名する。すると男は、どこへともなく姿を消してしまう。アメリカ人は信仰心の大小にかかわらず、この幻想的物語を歴史的事実と見なし、現在でもいまだにそう信じている。 

(略)

南北戦争前の初期アメリカは、さまざまな思想を培養する「精神の温床」だった。秘儀、千里眼、まじないによる治療、予知夢など、古い迷信や魔術への民間信仰が、もはやピューリタンの教義や規則に制約されることなく、キリスト教信仰と自由に混じり合った。その結果アメリカに、あらゆる種類の魔術的思考があふれ返った。

 第一次大狂乱期

 南部全域では、かつて教会と言えば英国国教会を意味した(略)

南部の聖公会主流派は、神秘主義的で熱狂的な信仰を拒絶した。(略)

 19世紀になるころには、この宗教の防波堤も崩れた。

(略)

1800年の夏 (略)レッドリバー礼拝堂に数百人が押し寄せた。聴衆は泣き、叫び、訳のわからないことを口走った。(略)

床に倒れた人たちが、多種多様なヒステリー状態を体験していたのだ。

 そこで何か大きな力が解き放たれていることに、誰もがすぐに気づいた。

(略)

幻想は伝染した。(略)2万人もの人々が集まり(略)

イベントは昼夜かまわず行われた。(略)

聖霊に心を動かされた一般信徒数十名が、自ら「訓戒者」を名乗り、自分が真実だと信じ、感じ、想像している福音の意味を叫び始めた。聴衆は自分を抑えきれずに金切り声を上げた。(略)何百人もの人々が「ひきつけ」を起こし、手足や首や胴のけいれん発作で踊りのような動きを見せた。

(略)

この集会は、現代の100万人規模のイベントに匹敵する。

(略)

 その後、バプテスト派やメソジスト派のほかの説教師も、アメリカ全土(特に南部)で野外集会を開催するようになると、ますます多くの市民が一線を越え、常軌を逸した狂乱状態に陥った。

(略)

 ケーンリッジの集会からの数年間(略)信者は倍増し、1850年代には教会へ通う人の3分の2が、理性よりも感情を重視する熱狂的なメソジスト派かバプテスト派だった。キリスト教は次第に、こうした宗派の総称である福音主義キリスト教と同義になった。罪人も祭壇へ向かって歩んでいけば、イエスと個人的関係を築く心を奪うような感覚を経験し、救われるのだ。

 ファイナル・ファンタジー

[19世紀半ば、「終末」の約束を求める預言信仰が復活。米英戦争九死に一生を得て説教師となったウィリアム・ミラーは「終末」は1843年の春になると信じ、100万人近い信者を獲得。終末の日が過ぎると、大衆は失望し様々な宗派に分裂]

 だが、ミラーがアメリカ社会に及ぼした影響は絶大だった。それ以降のアメリカ人キリスト教徒に、「最後の幻想/ファイナル・ファンタジー(「終末」、イエスの再臨、サタンの敗北)」を直接経験することになるかもしれないという期待を抱かせ、それをキリスト教信仰の主流にまで高めたのだ。ちょうどそのころ、「終末」の預言について、ミラーよりもはるかに複雑な解釈を考案したプロテスタントの聖職者がいた(略)ジョン・ネルソン・ダービである。(略)

 ダービの「終末」の解釈は長期にわたり命脈を保つことになるが、これにはいくつかの理由がある。第一に、間もなく「終末」が来ると言うだけで、具体的な日付を設定しなかった。(略)

第二に、「終末」のイメージを、信者にとってきわめて魅力的なものに作り変えた。いわゆる「前千年王国説」(略)では、やがて戦争や飢饉や感染症などの患難が世界全体を襲い、人類存亡の危機が訪れると考える。だがダービはそこに、「携挙(Rapture)」という概念を持ち込んだ。地獄が開放される直前に、イエスが身分を隠して現れ、この世の患難が過ぎ去るまで、天の安全な場所にキリスト教徒を連れていってくれる。こうして危機を逃れた幸運な聖人たちは、患難が去ったあとにイエスとともにこの地に戻り、ハッピーエンドを迎えるのだという。第三に、まったく新たな宗派を立ち上げようとはしなかった。ダービは、どの宗派の神学にも追加できそうな新たな概念を提供したにすぎない。
 そして最後に、ダービは変人ではなく、正真正銘の学者だった。一流大学で教育を受けたイギリス人で、新約聖書のオリジナル翻訳を手がけたこともある。アメリカ人はよく、教養のある専門家に、何が正しく何が正しくないかを決められるのを嫌がる。だがその一方で、ピューリタンの時代から、学のある仲間の信者が自分の信念を裏づけ、みごとなほど洗練された理論に仕立て上げるのを喜んで受け入れる。つまり、前近代的な幻想を抱きながら、その正当性を証明したいという近代的な欲求がある。(略)

科学が重視される時代であっても、聖書を非の打ちどころのないデータセットとして扱えば、キリスト教も繁栄できるのだ。 

 モルモン教始祖ジョセフ・スミス

 これまで述べてきたとおり、アメリカのキリスト教徒は 最初から、ヒステリー気味で、そろいもそろって自己中心的で、聖書を文字どおりに解釈したがる傾向がある。ジョセフ・スミスはその条件に合致するどころか、輪をかけてその傾向が強かった。

(略)

 何もかも文宇どおりに解釈するという彼の神学には、際限がなかった。「神には肉も骨もある」と述べ、イエスは神とマリアとの性行為により受胎したと主張した。当時のアメリカのキリスト教徒は常に、聖書の内容をアメリカに移し変えようとした。たとえば、山の上にあるアメリカの町をエルサレムのような町、あるいはエルサレムそのものと考え、自分たちアメリカ人を神に選ばれた古代イスラエル人のような存在、あるいは古代イスラエル人そのものと見なそうとした。そこでスミスはアメリカを、実際にイスラエルからの移民が入植し、イエス・キリストが訪れた第二の聖地に仕立て上げた。こうすれば、自分が間もなくアメリカ西部に築き上げる新たな王国が、生まれ変わったキリスト教世界の中心地になる。
 聖書の大部分を一つの歴史小説と考えると、ジョセフ・スミスが生み出したのは二次創作小説だと言える。

(略)

 スミスは(つまり神は)、エデンの園からアダムとイブが追放されたのは、悲劇的な「人間の堕落」などではなく、むしろいいことだったと述べた。その結果、普通の喜びや満足を感じられるようになり、人間が人間らしくなったからだ。また、イエスがこの新世界に実際に現れたという物語を提示することで、キリスト教をいっそう身近なものにした。

(略)

スミスの言う天国はまさにSFそのものだ。その天国は、アメリカン・エキスプレスのカードのように、レベルごとに区分されている。地獄行きには至らないごく普通の人々の領域、善良なキリスト教徒の領域、そしてモルモン教徒が憩うスーパープレミアムな領域である。そこでは私たちは(略)不死の肉体的存在として復活し、自分に割り当てられた惑星を王や女王として治め、王子や王女を続々と生み出すことができる

(略)

[スミス伝記の]著者であるコロンビア大学歴史学名誉教授、リチャード・ライマン・ブッシュマンは、モルモン教会の終身会員であり、その聖職者を務めてもいる。(略)

スミスの弟子の一人は、スミスと一緒に、ニューヨーク州ウェイン郡で洗礼者ヨハネと会ったとも、クリーブランドの近くでイエス・キリストと話をしたとも述べた。ほかの二人の弟子も、スミスのそばで天使に会ったと語った。ブッシュマンはこれらを事実として報告している。

(略)

[迫害により、逆に]最初の10年間で、モルモン教会の会員は300人弱から2万人近くにまで増えた。(略)

[スミスが一夫多妻制を導入し2年間で30人と結婚したことで迫害は過熱]

それからわずか3年で信者は1.5倍以上に増えた。スミスはアメリカ大統領選挙への立候補を表明して間もなく行った最晩年の説教の中で、自分はイエスの弟子たちよりも忠実な信徒に恵まれたと豪語し、こう述べた。「私は迫害を誇りとする」。そしてその直後、30代の若さで起訴・逮捕され、勾留中に殺された。まさに、イエス・キリストと同じである。(略)

[信徒たちは]集団脱出を図り、ユタ州モルモン教エルサレムを築く。

魔法と科学と

1844年には、サミュエル・F・B・モールスが最初の電信を送った(最初に送ったのは、旧約聖書の「神のなせし業」という言葉である)。

(略)

[4年後]フォックス家の12歳と15歳の姉妹が、モールス信号のような音を使い、家に出没する幽霊と会話をしたと公表すると、多くのアメリカ人がそれを信じたのだ(略)

姉妹は霊媒師として有名になり、死者と交信する「降霊術」運動が全国的に広まるきっかけとなった。当時は、社会的地位のある人々でさえ降霊術の会に参加した。(略)

姉妹は40年後すべてが嘘だったと認めた(略)

ある記録にはやや興奮気味にこう記されている。太平洋を横断する電信が証明しているように、「生者の世界と死者の世界の間には電信が確立されている」。さらに、「終末」を予言し、「携挙」という概念を生み出したダービは、電信を「ハルマゲドンの前触れ」と考えた。
 このように、アメリカでは「第一次大狂乱」期に、驚異的な科学やテクノロジーにより、超自然信仰が強化された。(略)

[さらに]似非科学や見せかけの驚異まで生み出した。とりわけその対象になったのが、医療である。いんちき薬の中には、詐欺師が意図的に生み出したものもあるが、何の効果もない「秘薬」を発明・販売し、大成功を収めた人々の多くは、その薬の効用を心から信じて疑わなかった。

次回に続く。

 

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