ジョン・レノン 伝記 レイ・コールマン

ジョン・レノン

ジョン・レノン

 

アヴァンギャルド

[89-90年ワールド・ツアーのパンフでポールは]
「解散前の四、五年の間、くだらないアヴァンギャルドごっこを僕がやってたのをジョンは見てて、それをやっただけなんだ。彼はシンシアと離婚して、型にはまった生活を投げ捨てて、残念ながら、もうまったく手の届かないところへ行ってしまったんだ。ヘロインとか、そういうドラッグにはまって、もう正気の沙汰じゃなかったね。すごいドラッグを大量にやって、そしてある日突然、全部ぶちまけて、自分をむき出しにしたんだ。ジョンには、理解できない奇っ怪な一面があって、今までずっと心の中にしまってたものを、ある日突然、全部ぶちまけるようなところがあったね」

ゴールドマンのレノン伝記本への批判

イギリスの新聞で、この本の抜粋を読んだポールは、夏休みを返上して、本が発売される二週間前に声明を発表した。
 「ゴールドマンのような人間が、都合よく拡大解釈して、古くさいウソの山を積み上げているのに、恥も外聞もなく、その出版が許される状況にうんざりします。
 身近な親類を除けば、私は誰よりもジョンとのつき合いが長いのです。恐らく酔っ払って無防備な時に、ゴールドマンが言うような、同性愛者からの誘いがあったのかもしれない。しかし、ジョンに、その気はこれっぽっちもありませんでした。実際はその正反対で、ジョンは女性が大好きだったのですから。
 ヘロインについてですが、確かにジョンは、ドラッグにはまった暗い時期がありました。しかし、息子のショーンが生まれる頃までには、完全にドラッグとは縁を切って、他の人にもやめるように説得していたのです。
 私の言葉が、ショーン、ジュリアン、ヨーコ、ミミ伯母さん、その他親類の方々、そして世間の大多数のみなさんを安心させられるよう祈っています。
(略)
[シンシア談。インタビューを受けなかった理由は]
彼が書いたエルヴィス・プレスリーの伝記を読んで、この人には、執筆する対象への愛情はまったくなく、その人物の思い出をずたずたに切り裂くことしか頭にないのだなと気づきました。(略)そして、その通りになったのです。アルバート・ゴールドマンは、陰惨でグロテスクで悪い夢でも見ているような、人生の暗い部分を強調しているように見えます。わたしや多くの人たちが知っていた、また愛していたジョン・レノンがきちんと描かれていないような本に、わたしは加担したくありませんでした。
(略)
 ジョージ・マーティンはこう言っている。「死者を侮辱するような人間は最低だと思います。もしジョンが生きていたら、あんな本は出てこなかったでしょう。ウソの塊の本ですが、悲しいことに、ゴミにはハエがたかってしまうんです」そして、ゴールドマンの本は「便所紙」だと評した。
 そんなゴールドマンの本を支援したのは、メイ・パンだった。(略)
ゴールドマンの本は99%事実だと彼女は明言した。ジョンが骸骨のように痩せていたこと、コカインを常用していたこと。そしてヨーコが、彼を「世捨て人」に変えてしまったのだと非難した。
(略)
 作家のジョン・ウィーナーがまずゴールドマンの情報源をたどると、フレッド・シーマンとマーニー・ヘアーという二人の名前が上がってきた。シーマンは、かつてジョンとヨーコに雇われていた人物だが、ジョンのファイル、資料、個人的な日記、現金、ステレオ機器などを盗んだ重大窃盗犯だった。1983年、シーマンはその罪を認め、五年の保護観察処分を受けている。そんな人物が、信頼できる情報源となりうるだろうか? とウィーナーは問いかけた。同様に、マーニー・ヘアーも、ヨーコと法廷闘争を繰り広げてきたという経緯があった。

レノン本:いい本、悪い本

メイ・パンの『Loving John:The Untold Story(ジョンを愛した女/語られざる物語)』には、彼女がレノン家の秘書として働いていた頃と、後にジョンのパートナーとなった頃の経験が主に書かれている。ジョンとの交際は、本質的にヨーコによって導かれ、コントロールされ、終わりを告げたと、彼女は主張する。この本は、男女のセックスと人間のどろどろした部分を執拗に描きすぎている。
(略)
内容的に同一線上にあるのは、タロット占い師であるジョン・グリーンが書いた『ジョン・レノン最後の日々』だろう。この本でも、レノンは、過去に捕らわれて、芸術的才能に見放された男としてメロドラマ風に描かれ、「最後の六年間は、彼の人生で一番暗い時だった……曲を書くことさえおぼつかなかった」という扱い方をしている。
(略)
嬉しくも予想を裏切ってくれたのは、義理の妹ジュリア・ベアードのものだった。[邦訳『ジョン・レノンマイ・ブラザー』](略)
ジュリアは、ジョンの思い出を、愛情を込めて振り返るだけではなく、正確に記録に残す必要があると決心したのだ。ゴールドマンの痛烈な攻撃の二週間後に発売されたジュリアの本は、ついにポール・マッカートニーの生きいきとした、世間を鼓舞するような序文まで引き出した。「すばらしい日々、すばらしい思い出、そのすべてを呼び戻そうではないか」とマッカートニーは書いている。
(略)
この本[『ジョンがポールと出会った日』]は、アメリカの作家ジム・オドンネルが八年間の調査を重ね、完璧にディテールにこだわりながらドラマティックな小説風に書いたものだ。

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ジョン・レノン、マイ・ブラザー

ジョン・レノン、マイ・ブラザー

 

シンシア・パウエル

[シンシアは]一番の仲良しであるヘレン・アンダーソンが明らかにジョンの髪を撫でているのを見て、自分がジョン・レノンに夢中だと気づいた。(略)
 ジョンよりも一つ年上で、まじめでおカタい美術学生だったシンシア・パウエルは、他の学生から見れば、ジョンの相手にはどうにも似つかわしくなかった。(略)
シンシアにはジョンの心を惹きつける四つの大きな魅力があった。
 一つには、彼女にはジョンが好きでたまらないブリジット・バルドーのようになる可能性があったこと。(略)
ジョニ・クロスビーという女子学生は一番バルドーに似ていて、レノンは食堂で彼女に言い寄った。お茶の時間に、来る日も来る日も彼はヘレン・アンダーソンにこう言っていた。「ちくしょう、彼女はイカすな。ブリジット・バルドーそっくりだぜ」。二つ目は、シンシアが川向こうのウイロール地区に面した、お高くとまったホイレイク出身であり、彼女がスマートなお行儀のいい話し方をしたため、ウールトン出身の男にとっては高嶺の花に思えたこと。
 三番目はシンシアが見るからにこっちに夢中で、自分を喜ばせるためには、茶色の髪をブロンドに染めたり長く伸ばしたり、それこそ何でもしてくれたこと。そして四番目は、これが決め手なのだが、彼女が物静かだったことだ。(略)
大学の異端児レノンは、えらくクールで一味違っていたシンシアに心魅かれたのだ。

スチュアート・サトクリフ

 「彼はべっこう縁の眼鏡をかけたすごいニキビ面で、ジョンとまったく同じように、眼鏡の端をテープで留めていました。学生としては、ジョンとはまったく正反対でした。死ぬほど勉強熱心で、身も心も作品に俸げてました。ろくすっぽ食べないし、女の子たちともあまり付き合ってませんでした。彼にとっては作品が一番大事だったんです」
 スチュアートとジョンがだんだん仲良くなるにつれ、スチュアートはレノンにずばずば物を言うようになった。シンシアはこうも言っている。
 「ジョンはスチュアートをすごく必要としてました。トニー・キャリッカーとジェフ・モハメッドという二人と一緒に悪の道に入りこもうとしていた時も、馬鹿じゃないですから、ジョンは多分分かってやってたと思います。くだらないことばかりするのはやめて、もっと美術に身を入れろ、とジョンを説得したのはスチュアートでした。スチュアートの作品を見た時、ジョンはそれに触発されました。彼はもっとまじめに絵を描くようになり、大きなキャンパスに向かい出したんです。それまでの彼は小さな漫画とか、比較的小さい物ばっかり描いていたんです。(略)
ジョンもついに自分の進むべき道を教えてくれる相手を見つけたんです。大学が終わっても、スチュアートはジョンと一緒にいて、こんなことを言ってました。『悩まなくていいよ。あそこを少し、ここを少しと、ただ塗ったくってりゃいいんだ』。それまでのジョンは、つねに慎重で用心深くて、細かいことにこだわっていたのにです。スチュアートは絵が三度のご飯よりも好きだったし、二人の心はぴたっときたんですね。ジョンははた目にもスチュアートを尊敬してましたし、スチュアートもジョンを画家として育てようとしてたんです」
 しかし、興味の大部分を占めていた音楽というものからジョンを引き戻すには、もう手遅れだった。

読書、ラジオ、ジョージ伯父さん

 四歳半の時、ジョンは[伯父の]ジョージから読み書きを教わった。ジョージは膝の上にジョンを座らせ、毎晩「リヴァプール・エコー」紙を読ませたのだ。
 「単語の一音節ごとに、ジョージは読ませて、ちゃんと呑み込むまでやったんです。(略)
 ジョンが生涯を通じて、新聞をよく読んだのは、その時についた癖のせいかもしれない。新聞を読んではずいぶん歌詞のアイディアをもらった[とジョンは言っていた](略)
 ジョンの幼年時代は一切オモチャを与えられなかった。(略)
ジョンは本が大好きだった。特にお気に入りだったのはリチマル・クロンプトン作の『ウィリアム登場』のシリーズで、いたずらだがユーモラスな主人公の少年に自己を投影していた。『不思議の国のアリス』もお気に入りのひとつだった。彼はそれを何度も読み返して、ついに暗誦できるまでになっていた。ミミの話によると――
 「あの子はゲームやオモチャにまったく興味を示しませんでした。わたしは全二十冊の世界短篇傑作選を持ってましたし、二人とも本が大好きだったんです。ジョンは何度も何度も読み返してましたね。特にバルザックが好きでした。後年のあの子の歌詞の中にはずいぶんバルザックの影響があると思いましたね。ま、とにかく、あの子は十歳になるまでにほとんどの古典を読破してました。想像力がたくましくて、自分でお話を作っては、二人でその話をしたりしました」
(略)
「映画にも熱中しませんでした。小さい時のあの子は本当に手がかからなくて、あまりねだりませんでした。
(略)
 特にお気に入りの[ラジオ]番組は二つあって、毎晩六時十五分からやるスリラー・シリーズ『スペシャル・エージェント、ディック・バートン』と『ザ・グーン・ショー』だった。ミミは言っている。
 「ディック・バートンが窮地に追いつめられると、あの子の顔は死人みたいに真っ青になったもんです。心配でじっと座ってられなかったんですね。放送中は、ジョージもわたしも一言もしゃべってはいけなかったんです。それから、グーン・ショーの場合は、あの子はしょっちゅう彼らの訛りを物真似をしてました。『僕は有名なソロモンだ』とかなんとかジョンは言って、いろんな訛りを次々に物真似してみせて、もう気が変になりそうでしたよ。あの子は、そういう言葉のお遊びが大好きでした。
(略)
 幼児向けの郵便局セットで、ジョンはジョージ伯父さんによくこんな手紙を書いた。
「親愛なるジョージ、今晩はミミじゃなくて、あなたが僕を洗ってくれませんか?」
(略)
「ジョージはジョンが小さい頃、何でも言う通りにしてやってました。二人はとても仲良しでした。毎日のように、ジョージはあの子を寝かしつけてやってたんです」

リヴァプール訛り

「わたしはあの子の訛りを叱ったんです。(略)『あのリヴァプール訛りは何なの。ジョン?あんなしゃべり方をするように育ては覚えはありませんよ。ちゃんとしゃべれるくせに』って」
 ジョンはただじっとミミの顔を見て、指でお札をめくる格好をしながらこう答えた。「問題はお金だよ。ファンのほうがそういうしゃべり方をしてほしいと望んでるんだ」

ジョンからの手紙

 1967年、一人のクオリー・バンクの学生スティーヴン・ベイリーが、ジョンに手紙を出した。1967年といえば、ビートルズと麻薬服用に関する騒動がピークに達していた年であり、画期的ニュー・アルバム『サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド』がリリースされた年だった。ほとんど返事を期待していなかったその少年は、そのアルバムの歌についていくつか質問をしたり(略)[ロシア語をカリキュラムに加えた母校の革新性などを伝えた]
(略)
親愛なるスティーヴン様
 クオリー・バンクはあまり高等な学校ではなかったので、変化があったとすればそれは結構なことです。その雑誌を一冊送ってもらえませんか?僕の書くものはすべて笑ったり楽しんだりするために、あるいは何のためにと勝手に言ってくれてもいいですが、いつもそのために書いてきました。僕はとりあえずそのために書くのです。人がそれを後になってどんな風に解釈しようと、それはそれで勝手ですし、必ずしも僕の思惑と一致する必要もないのです。これはどんな本や創作、絵、詩、歌についても言えることです。あらゆる形式の芸術にまつわる謎や嘘っぱちは、とにもかくにも打ちくだく必要があります。それは現代の風潮を見ても、きっと明らかでしょう。いやというほど言い尽くされたことです。
 “ミスター・カイト”の歌は、ヘンダーソン劇場のも含めて、古い劇場用ポスターからほとんど丸ごともらったものです。
 バートン氏[ジョンと折り合いのよかった進歩的な国語教師]はまだそこにいるんですか? もしいたら、よろしく言って下さい。彼は、僕を理解してくれて、また僕の方でも理解した最良の先生の一人でした。
 ロシア語ですって? 僕の頃にはありませんでした。変われば変わるもんですね。まさか経験と後学のために、先生は君たちをコールダー[よく遊びに行った隣りの女子高]にも行かせてくれたなんて言わないでしょうね。
(略)
僕を美術学校に入れてくれたボブジョイ氏にもね。あそこでも落第できたのは、彼のおかげです。彼にはいくら感謝しても感謝し足りません。

ロニー・ドネガン

 ジョンが立ち上がり、目立つためのファンファーレがプレスリーだったとしたら、ジョンが16歳だった1956年、同じように彼の人生の大いなる刺激剤になったのはロニー・ドネガンだった。(略)
ジャズ畑出身らしくスーツとネクタイという身だしなみのよいドネガンの存在を、誰も流行の先端とは考えなかった。鼻にかかった声でギターとバンジョーを弾く彼は、ウディ・ガスリーやハディ・“レッドベリー”・レッドベターといった偉大なアメリカのフォーク歌手の曲を妙なイギリス流に解釈して人々を魅了した。(略)
ドネガンの音楽はスキッフルと名付けられ、彼は〈ロック・アイランド・ライン〉というレコードで、イギリスの若者たちを熱狂させた。
 イギリスのポップ・ミュージックにおけるドネガンの影響は、計り知れないものがある。彼のスタイルは基本的なスリー・コードで、コピーしやすく(略)何十万という若者が自作の音楽を始める火付け役となった。サウンドは重要ではなかった。一番大事なのは、その手軽さだった。つまり、ギターは歌い手が役者になるための小道具だったのだ。こうして、多くの若者たちから手作りのロックンロールが生まれた。

Rock Island Line

Rock Island Line

  • ロニー・ドネガン
  • ポップ
  • ¥150
  • provided courtesy of iTunes

クオリー・メン

 このニュースをマッカートニーに伝えたのは、ピート・ショットンだった。「ジョンが君をグループに欲しがってる」と、ある日、アラートンのゴルフコースでサイクリングをしながら、ショットンはマッカートニーに言った。マッカートニーは冷静だったが、喜んだ。それから二ヶ月後、彼はクオリー・メンに参加することになるのだが、その時はこう言うだけだった。
「これから、ボーイ・スカウトのキャンプに行くんだ」

〈ペギー・スー〉

ポールとジョージと合流した大学のお昼時のセッションが、一度だけ、際限なくふくれ上がる人だかりを作ったことがある。授業中はジョンを乱暴者と思っていた学生たちも、別人のような学食での彼の中から湧き出てくる音楽を聞いて、目を白黒させた。お決まりの曲目は、〈ペギー・スー〉〈グッド・ゴリー・ミス・モリー〉〈リップ・イット・アップ〉〈オール・アイ・ハフ・トゥ・ドゥ・イズ・ドリーム(夢を見るだけ)〉、そしてフィナーレは、いつもジョンがかん高いチンピラっぽい声で歌う〈ホエン・ユア・スマイリング〉だった。シンシアは言う。(略)
何人かの学生たちが、こう言ってたのをわたしは覚えてます。『驚いたなあ、あのジョン・レノンはまるで別人だぜ』。ぼろぼろのギターを抱えて歩き回ってた彼を、みんなは厄介者と思ってたんです。それが急に、ソフトでメロディアスな音楽を演奏してるところを見て、彼の奥の深さを知ったんですよ」

ドラッグ&乱交神話否定

[アストリッド談]
 「ジョンとはしょっちゅう一緒にいましたけれど」と彼女は言う。「誰にも自分の中には立ち入らせませんでした。薬を飲んだ時だけです、彼が自分をさらけ出したのは」。そしてドラッグに関する記録を正すために、こうも言っている。
 「ドラッグですって?ちゃんちゃらおかしいですよ。ビートルズハンブルクに来てる間、彼らが薬漬けになってたなんて記事はでたらめもいいとこです。わたしたちはまだ子供だったんですよ。特にジョージなんか17歳の赤ん坊でしたよ。せいぜいビールを飲むぐらいが関の山で、それもビールが一番安かったからです。そんな時に、仲間の一人がプレルジンというあの小さな薬を見つけたんです。あれは覚醒剤で、飲むと空腹感が全然なくなるんです。わたしたちは痩せ薬と呼んでました。ビールといっしょに飲むと、最高にいい気分になるの発見したんですよ。(略)
一つ50ペニヒで、わたしの母がよく薬局から手に入れてきました。(略)
 一晩で一錠半飲んでました。7、8時間保つんですね。ジョンと一番よく話したのは、その覚醒剤を飲んだ時でした。(略)あの薬を飲むと気持ちがほぐれるんです。(略)
『僕の今の気持ちをすごく言いたいんだ。君も大好きだし、ステューも大好きなんだ』って。薬がないと、決してこんな風に正直にはなりませんでしたね。(略)
でも、ハンブルク時代でのジョンが薬でもってたなんていう言い方は、でたらめもいいとこです。もっと深い部分で頑張ってたんですから」とアストリートは力をこめて言っている。
 ビートルズ神話によると、ハンブルクヘの旅行中、五人の若者は乱交に明け暮れ(略)常に覚醒剤でラリって、売春婦を利用しながらリーパーバーンの危険区域を暴れ回る五人のリヴァプールの田舎者として描かれてきた。
(略)
「娼婦ですって!」彼女は笑い出した。「第一に、あの人たちは恐がって娼婦には近づこうとしなかったし、第二にそんなお金ありませんでしたよ。三番目は(略)そんなに不自由してなかったんです。(略)寝たがっている女の子たちが、クラブにたむろして待っていたんですからね。でも、乱交なんてものじゃありませんでした。
(略)
店の売り子とか、工員とか、わたしみたいな学生でした。
 ビートルズは五人のかわいらしい無邪気な若者で、女の子たちが自分たちに恋するのが信じられなかったんです。確かに時折浮いた話もありましたけど、彼らの行動に無謀なところなんて絶対ありませんでした」

次回に続く。
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