ジョン・レノン・その2 レイ・コールマン

前回の続き。

ジョン・レノン

ジョン・レノン

 

ランチタイムのキャヴァーン

[ジョンは]やってくる“スーツ姿の男たち”をからかっていた。「黙れ、このスーツ野郎め」が彼の口癖で、近くの保険会社からお昼休みにやって来る、特にティーンエージャーに向かってそういう言葉を発していた。定職についているのをからかっていたのだ。
 [14歳の女学生]リズ・ヒューズは、(入場料が一シリングだった)キャヴァーンの昼休みに来る常連の一人だった。(略)
[彼女の]ような情熱と密度の濃さでその時期のほのぼのとした懐かしさにひたれる女性は、ビートルズの家族以外には、リヴァプールにはほとんどいない。
(略)
 「ジョンは常にこんな雰囲気を漂わせてました。万一、観客が死のうが、それは俺の知ったこっちゃないっていう印象をわたしたち子供に植えつけたんです。彼の態度はまるでこう言ってるようでした。『俺は気に入らなきゃやめるよ。自分がやりたいからここにいるんだ。お前らに見せてやってるんだぜ、金のためじゃないんだ』みたいな。
 彼はバイクから今降りてきたばかりというような格好でした。しわくちゃのズボンとかジーンズとか、それにタートルネックとか、いつも黒っぽい服を着てましたけど、決まってアイロンなんてかかってませんでしたね。(略)
ポールは別でした。いつも紳士で、きちんと小ぎれいな格好をしてて、どんな女の子でも自分の母親に紹介したくなるようなタイプでした。ポールはナイスガイの役をやってたんです。ところが、ジョンときたら、まるで野獣でした。女の子たちは彼からはちょっと引いて、怖がってました。何をしでかすか本当に分からなかったんです。
(略)
ジョージはすごく物静かでした。たいていの女の子が、彼はステージに上がるべきじゃないわねって言ってました。すごくアガってたからです」(略)
[楽屋で]ジョージが大切なブーツの先をいつまでも尖らせておくためにボール紙を入れているのが分かったりすると、彼女たちはくすくすと笑ったりした。(略)
ジョンは、さあ、おら入ってこいとせき立てておいて、さんざん自分が楽しむと、どうもありがと、じゃあバイバイって言うような人でした。女の子たちはみんな警戒心を持ってましたね。すごく怖そうな印象だったんです」
(略)
[ジョン]は曲の途中で、まったく歌と演奏をやめて、さしたる理由もないのにポールと話し始めたりした。そして、煙草に火をつけ、新しい曲の名前を言い、そして観客には一切説明せずにまた続けた。
 リズ・ヒューズはこう言っている。
 「まるで永遠に続くリハーサルでした。わたしの友達のディアダーは彼にお熱で、もし彼に話しかけられたりしたら、それこそ一マイルでも走り出したでしょう。(略)彼はどの女の子に対しても危険な存在で、だからこそすごく魅力的だったんです」
 「男の観客も彼には惹かれました。男の中の男という感じだったんです」とジム・ヒューズも認めている。「真似をしてた男も、何人かいましたよ。彼の足の構えや煙草の持ち方、股の開き方やら何から何まで真似ようとして、キャヴァーンの壁のあたりにたむろしてました」
(略)
苦渋の末に解散した、71年当時でさえ、ポールは自分の「最高のプレイはキャヴァーンの昼の部の演奏だった」と自ら告白している。
 「僕たちはチーズ・ロール一つと煙草を一本持ってステージに上がったけど、それでもあそこでは何かをやってるっていう感じがあった。アンプのヒューズが飛ぶと、そこでやめて、修理してもらってる間にサンブレスト・パンのコマーシャルを歌ったりね。寸劇もやった……
(略)
 レノンはほどなく、ランチタイムとなると毎日のようにステージを取り囲むようになった女学生の群れに“ビートルズ嬢[ビートレッツ]”というあだ名をつけていた。(略)叫び声を上げて曲のリクエストをしたり、彼らにコーラを持ってきたりしていた。
(略)
[ラリー・ウィリアムズ談]
 「わたしたちがまだ若過ぎて、お金をあまり持っていないのを分かってくれたのは、彼でした。ビートルズはそれぞれ一人だけはただで客をクラブに入れていい取り決めになっていて、わたしたちは最初から一緒にいたので無料入場券は君たちがもらうべきだとジョンが言ってくれたんです。それから、ある日のこと、彼は三ペンスでお茶を一杯ごちそうしてくれました。信じられませんでした。(略)みんな言いました。『あの男っぽいレノンが、あんたにお茶をおごってくれたって?どういう風の吹き回し?』ってね。『毎回来るお金がよく続くな?』ってジョンが言ってくれたからなんです。そりゃあもう大変で、その日のお昼もすっからかんだって答えました。そしたら彼が急に現われて、カップをわたしのそばに置いてくれたんです」
(略)
最大の問題はシンシア・パウエルだった。(略)彼女がキャヴァーンに入ってくるのをいざ目の当たりにすると、独占欲の強いビートルズ嬢たちは嫉妬と気恥かしさの入り混じった心持ちで女学生らしく真っ赤になったりした。
(略)
 シンシアがキャヴァーンに行くと、ジョンの態度はころっと変わった。
 「ステージで悪たれをつかなくなって、おとなしくなったんです。

スチュワートへの手紙

親友がドイツへ移住したような状態に、レノンはひどい孤独感を味わっていた。(略)
[こんな手紙を書いた]
何かを思い出すと必ず、悲しさがつきまとうんだ
自分でもほとんど気づかなかったぐらい奥にしまってた悲しみ
涙のおかげで自分自身の愚かさにやっと気づく深い悲しみだ

全部パクリだよ!

 私が知っていた頃のジョンが特に熱弁をふるっていたのは、ロックンロールあるいは彼とビートルズがやろうとしていた音楽にはオリジナリティは何もないということだった。「全部パクリだよ」と繰り返し言っていた。ジョンは音楽紙を読みながら、特にミュージシャンたちの突拍子もないカッコをつけたコメントを読みながら、その歌手やミュージシャンがオリジナリティを主張し出すと、突然、「こんなのはでたらめもいいとこだよ」と言い出したものだった。
 ジョンにとって、ロックンロールはまったくの模倣だったのだ。エルヴィス・プレスリーバディ・ホリー、そしてもっと新しいサウンドのミラクルズやタムラ・モータウンこそ、本当の音楽だと言い続けていた。
 「僕たちはリスナーであって、それをイギリスの子供として解釈してただけなんだ。それがオリジナルだなんていうおためごかしは、お願いだから誰にも言わせないでくれ。ありゃあ全部パクリだよ!」

レコード人間

 ライブ演奏から何もスリルを得られなくなったのと同じように、ジョンは60年代には他のアーティストのステージにも興味を一切示さなくなった。(略)
「僕はレコード人間なんだ。レコードが好きなんだよ。好きなレコードの本人が実際に演奏するのを見ても、がっかりするだけなんだ。レコードと同じくらい良いライヴにはお目にかかったことはないね」

ファン

女の子たちは[ロールスロイスの]ドアや三角窓をどんどん叩いたり、道路をふさいだりもした。「ジョン、ジョン」と彼女たちは金切り声をあげた。ジョンは本を読み続け、一人の世界に閉じこもっていた。お抱え運転手が腹を立て、外に出て女の子たちをどけようとした。「放っとけよ」とジョンはぴしゃりと言った。「あの子たちが車を買ってくれたんだぞ。だから、彼女たちには壊す権利があるんだ」

僕たちは誰のコピーもしなかったんだよ

 ジョージ・メリーが黒人歌手の話題を出した時、ついにレノンとメリーはもう少しで殴り合いの喧嘩になるところだった。(略)
 「もちろん、同じ畑の人間だから僕と同じように感じてるだろうけど、マディ・ウォーターズチャック・ベリーのような僕たちが歌ってるイディオムを発明した黒人歌手には足を向けて寝れないよな」
 ジョンは怒り狂った。彼はそういうたぐいの話は一切受け付けなかった。誰の影響も受けていないと言い張ったのだ。「連中を朝飯がわりにだって食えるさ……連中が作るものは、僕が作るものとは大違いだね」とジョンは酔った勢いで怒鳴った。(略)
[だが実際]ジョンは黒人と同じコンサートで歌う場合にはどこか複雑な心境だった。(略)
[64年のツアーにメアリー・ウェルズが同行した時]
ジョンは居心地が悪くなった。「黒人のアーティストが一緒に出てるっていうのに、〈ツイスト・アンド・シャウト〉を歌うのは嫌だよ」とジョンは私に言っていた。「何か違うっていう感じなんだ。あれは彼らの音楽だし、ちょっとバツが悪いよ。穴があったら入りたいね……こういう歌は彼らの方が数段うまいもの」
 ジョンに言わせれば「最後の一音まで僕たちの音楽アレンジをパクってる」他のビート・グループに対して、彼は容赦しなかった。(略)
 「ねえ、僕たちは誰のコピーもしなかったんだよ。僕は黒人じゃないから、黒人歌手のコピーはできない。生まれた時から聞いてきた音楽を土台にした僕たちだけのスタイルをバンドは持ってるし、僕たちが二年前にやってたサウンドのコピーをして便乗してるようなグループを見ると、腹が立つね。どうして僕たちがやったみたいに、独自のスタイルを作らないんだろ?ヘア・スタイルにしてもそうだよ。あるグループのプレイヤーなんか髪まで僕らとそっくりにしてる。
(略)
ビートルズと他のグループの違いは、僕たちはリヴァプールでうだうだやりながら、『いつかは有名になってやる』なんて言わなかったところだね。音楽は僕たちの人生の一部だったんだよ。やるのが好きだったからやってたんだ。単に金のためじゃないよ。他のグループと違って、僕たちは『見てくれ、俺たちはスターだ』なんて言いふらしたりしない。自分はちょっとばかし成功したリヴァプール出身の運のいいろくでなしだ、ぐらいに思ってるだけだ。

〈プリーズ・プリーズ・ミー〉

「メンローヴ・アヴェニューの伯母の家の寝室に座ってた時、ベッドの上にあったピンクのアイレット刺繍を覚えてる。ラジオでロイ・オービソンの〈オンリー・ザ・ロンリー〉をやってるのが、聞こえてきたんだ。僕はビング・クロスビーの歌で〈プリーズ〉という言葉を重ねて使ってるのが、おもしろいと思ってた。そこで、ビング・クロスビーロイ・オービソンを組み合わせたんだ」
 ライターとしてのレノンは、他の歌の歌詞からある一節やフレーズをもぎとり、それを自分自身の曲で展開する名人だった。〈ラン・フォー・ユア・ライフ〉は、エルヴィスの〈ベイビー・レッツ・プレイ・ハウス〉から来ているし、〈ドゥ・ユー・ウォント・トゥ・ノウ・ア・シークレット〉は『白雪姫』からの一節だし、〈アイル・ビー・バック〉はデル・シャノンの歌のコード・バリエーションが基礎になっていた。

Baby, Let's Play House

Baby, Let's Play House

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キリスト発言の経緯

モーリーン・クリーヴはジョンの友人で、何でも話せる親しい間柄だった。ジョンは彼女の知性を尊敬し、信頼し、ジャーナリストとして有能な彼女が、自分をポップ・ミュージックの範疇に収まらない、考え深い人間として扱うと、必ず何でも包み隠さずに話した。(略)
モーリーン・クリーヴはいつものようにレノンを思索家として扱い、ジョンがこう言うのを冷静にレポートしたのである。
 「キリスト教は消滅するよ。消えてしぼんじまう。議論の余地はないね。僕の言うのは正しいし、正しいと証明されるよ。今や僕たちはキリストより人気があるんだ。どっちが先に消えるか分からないけどね。ロックンロールが先かキリスト教が先か。キリストはいいんだ。だけど、弟子たちが愚鈍で、平凡なんだよ。僕から見ると、キリスト教を歪めてだめにしたのは、そういう連中だね」
 ジョンは宗教に関する本をよく読んでいると、彼女は報告した。霊験あらたかなるお言葉は、それでおしまいだった。
 四年間吹き荒れた過激なレノニズムにすっかり慣れっこになっていたイギリスは、この発言に反応を示さなかった。
(略)
発表され、忘れ去られてから丸四ヵ月が経って、「デイトブック」というアメリカの雑誌を通じてその記事が全米に配付された時、再びその問題が浮上してきた。
(略)
 アメリカからの警告の電話を受けて、ブライアン・エプスタインはすぐにニューヨークに飛んだ。直感的に彼は、ビートルズの安全を守るためにツアーをキャンセルしようと思った。しかし、もしジョンがアメリカで記者会見を行なって謝罪すれば、事態はおさまり、ツアーもできると言われた。ブライアンはウェイブリッジの自宅にいるジョンに電話した。ジョンの当初の反応はこうだった。「クソ食らえって、言ってやんなよ。謝る必要なんかないよ」。そして、ジョンはブライアンにツアーをキャンセルするように言った。「わざわざ出かけて行って、嘘をつくより、その方がましだな。僕が言ったことは本当だもの」
 反ビートルズ・キャンペーンの深刻さは、サリー州の自宅にこもっているジョンより、アメリカにいるブライアンには肌で感じられた。(略)
[このままでは]今度のツアーばかりでなく、永遠にアメリカでのビートルズの将来の見通しは暗いと、一歩も後に引かず、ジョンを丸めこみ、拝み倒した。(略)
 ブライアンも独自にニューヨークで記者会見を開き(略)記事の内容からまったくかけ離れて引用され、誤った解釈をされています[と弁明]
(略)
[ジョンが疲れきった顔でシカゴ到着]
 「ジョンが何を言うべきか、我々はかなり真剣に検討を重ねました。私の知る限り、ジョンは生まれて初めて、そしてたった一度だけ、喜んで謝るつもりでしたし、覚悟もできてました。それは珍しいことでした」
 しかし、プレッシャーのおかげで、ジョンは神経が参り、涙さえ流した。(略)
ブライアンはツアーの間にビートルズが暗殺されるのではないかと、それを恐れていた。
 ジョンはすぐに他の三人の安全を心配した。ジョンはうなだれ、両手で頭を抱えながら、声を出してすすり泣いた。「何でもするよ」と言った。「何でもさ。言わなきゃならないなら、何でも言うよ。このツアーが全部キャンセルになったら、他の三人に一体どんな顔をしたらいいんだい?僕一人のために、ただ僕が先走ったために。そんなつもりじゃなかったんだ」
(略)
 その夜、シカゴの記者会見でマイクを手にし、びくついたビートルズの臭いを嗅ぎつけて群がった報道陣を前にした時のジョンは、動揺しているようにも不安そうにも見えた。
 「もしテレビはキリストよりも人気があると言ったら、それですんでたはずだ」とまず切り出した。「でも、たまたまある友達と話してて、“ビートルズ”という言葉を、僕のイメージよりかけ離れたものとして言ったんだよ。他の人たちがイメージしてるような、違うビートルズとしてね。そのビートルズが、キリストも含めた他のものより、子供たちや何かに影響力を持ってると言っただけだよ。でも、言い方が悪かったんだね」
(略)
 それだけでは満足しないジャーナリストもいた。(略)
 ジョンは答えた。「まあ、元々僕は、イギリスについて事実を言ったんだ。イエスとか他の宗教よりも、僕たちは子供たちに影響力があるってね。宗教をけなしたり、こきおろすつもりじゃなかった。ただ事実を言っただけだよ。こっちよりむしろイギリスの事情についてね。僕の方が上だとか偉いと言ったんでもないし、人間としてのイエス・キリストとか、宗教としての神と比較するつもりで言ったんじゃないんだ。ただ思ったままを言っただけで、それが間違いだったんだ。あるいは、間違ってとられたんだ。つまり、そういうことだね」
 さっきブライアン・エプスタインとトニー・バロウと話し合った時に譲歩して言う予定になっていた謝罪は、はっきりとした形では出てこなかった。あるラジオ局のインタビュアーが核心に迫った。「要するに、あなたは謝罪する気があるんですか?」
 ジョンは自分ではそうしてきたつもりだった。困り果てて、顔は真っ赤になり、言い方はもっとはっきりしてきた。
「僕は神に反対でもないし、キリストにも、宗教にも反対じゃない。僕たちの方が偉いとか上だとか言ったんじゃないんだ。神の存在は信じてるけど、天上にいる男としてじゃない。いわゆる神は心の中にあるもんだと信じてる。だから、ビートルズの方が神やキリストより上と言おうとしたんじゃないんだよ。“ビートルズ”という言葉を使ったのは、その方が僕にとってはビートルズの話がしやすいからだよ」
 要するに、ジョンは謝ろうとしていたのだろうか?
 「世間に伝えられてる内容を僕は言おうとしてたんじゃないんだ。口にしてしまって、本当に申し訳ないと思ってる。ろくでもない反宗教的なことを言おうとしてたんじゃないんだよ。謝った方が、みんな喜ぶんなら謝るよ。いまだに自分が何をやったのか分ってないんだ。僕が実際何をしたのか説明しにきたんだけど、謝ってほしいんなら、その方がみんな喜ぶんなら、いいよ、僕が悪かった」
 マイクをがたがた言わせたり、新聞記者が電話に殺到するというお馴染みの光景の中で、記者会見は終わりを告げた。これまたお馴染みの流れとして質問攻めが続いたが、その中でジョンの例の舌鋒が再び顔を出したのをほとんどの人は大して気にとめなかった。ヴェトナム戦争へのアメリカの介入を、ジョンは非難した。(略)
[バッシングされている状況で]ヴェトナム問題に対する発言が目にとまらず、つけこまれずにすんだのは幸運だった。幸いにも、「レノンは謝罪した」というのが全般的なニュースの流れだった。こういうすったもんだを背景に、アメリカは抱きしめたくなるほどかわいらしく、耳あたりのいい、楽しいビートルズを再び受け入れた。

『サージェント・ペパーズ』

 エプスタインのパーティでのジョンは、やつれ、老けこみ、病的で、どうしようもないほど薬に溺れているように見えた。とろんとした目をして、話し方はのろく、はっきりしなかった。私はジョンと少し話をしてみたが、その時の彼は新しいアルバムが一般の好みから遠ざかり過ぎたのではないかと心配していた。
 「売れるかな?僕は気に入ってるし、みんなもまた一歩前進したと思ってるけど、売れるかな?」
 見るからにドラッグの影響下にあるジョンのまともさに、私はびっくりした。私たちは今の音楽状況について少し話をしたが、ジョンは頭から離れないドラッグのレコードがあるんだと言っていた。が、そのタイトルが思い出せなかった。ションは当時の他のポップ・ミュージックはすべて「くず」だと言っていた。「くず」はその頃のお気に入りの言葉だった。ジョンは食が細く、ヴェジタリアンのダイエットをしているとも言っていた。
(略)
 翌日、ジョンから電話があった。「帰ってからしょっちゅうかけているレコード思い出したよ。ほら、あのドラックのレコードさ、プロコル・ハルムの〈青い影〉だよ。ここしばらく聴いた中で最高の曲だね。エル(LSD)をやりながらかけると、もう、ふわーって感じなんだ」。この電話でいちばん驚いたのは、ジョンが前夜の会話をちゃんと覚えていた点だった。後にも実証するように、ドラッグをやっている時でも変わらない細かい部分に対する視覚や聴覚、そして記憶力は、注意散漫だと思っていた誰もを驚かせた。