モンティ・パイソンができるまで―ジョン・クリーズ自伝

駆け落ちした両親

 そうするしかなかった。階級がちがう家の出だったからである。マーウッド・クロスには、身分の低い男との結婚を認める気はさらさらなかった。(略)
ミュリエル・クロスと、このうさんくさくて刺青入りで労働者階級のくせにのらくらしている馬の骨とでは、身分の差はとうてい越えがたかったのだ。なにしろ、父はせいぜい中流の下の中クラスの家の出だ。厳密に言えば中流の下の中の中である。いっぼうミュリエル・クロスは、マーウッド・クロスという傑出した競売人の家の娘であり、クロス家はほとんど中流の中クラスなのだ。ぎりぎり最低に見ても、その階級は中流の下の上の上である。

《ザ・グーン・ショー》

 私はこの番組の大ファンで、あまりに好きすぎて分析もできないぐらいだ。たんに、すばらしく面白かったというだけではない。寝室のラジオで聴き、二日後には意を決して再放送を聴く――ベッドにラジオを寝かせて片方の耳を押し当て、もう片方の耳は枕でふさいで、本放送のとき聴き逃した五つのジョーク(聴衆の笑い声のせいで)をなんとか聴き取ろうとしたものだ。それだけではなく、私と友人たちを結びつけるよすがにもなった。私たちはあの番組を崇拝し、それについて話し、出てきたジョークを言い交わし、そうすることで生きる喜びを感じていた。ある意味でカタルシスを得ていたのだ。欲求不満と退屈の毎日から引っぱりあげられ、活気づけられた。周囲で展開する、この「人生」という奇妙な事象から解放されて、はたから眺める視点を与えられたのだ。そして何年ものち、《モンティ・パイソン》の頭のおかしい一部のファンに当惑させられたとき、私ははたと気づいた。私があれほど《グーン》に夢中になった、あのときとまったく同じ感情をかれらはいま経験しているのだ。そうと気づいたら腹も立たなくなった。
 そういうわけで、《グーン》の三人に乾杯しよう。ピーター・セラーズは、あらゆる時代を通じて最高の「声優」だ。尊敬すべきハリー・シーカムは、周囲で物語が展開しているのも気にせず、ずっと野次を飛ばす馬鹿者を演じていた。スパイク・ミリガンは、あらゆる時代を通じて最高のラジオコメディの台本を書いた天才だ。敬礼!

カミングアウト

 こんなにやんちゃな気分だったのは、全員がこれから休暇に出るところだったせいだ。グレアムがミコノス島でひと月過ごすと言うので、私たちはいささか驚いた。1967年当時ですら、この島は同性愛が盛んなことで有名で、彼が行きそうな場所には思えなかったからだ。
(略)
ギリシアから戻ってくると、彼はハムステッドでパーティを開き、ピッパと私も招持された。行ってみたら大変な人だったので、全員挨拶をかわしたあと、私はほかの友人たちと抜け出して、手に汗にぎるサッカーの試合をテレビで観戦していた。それが終わってみたら、ピッパがそこに立っていた。
「グレアムは出かけちゃった」
「ああそう、でも月曜には会うから」
「あなたと話をしたがってたわ」
「へえ、なんだろう」
「タクシーのなかで話してあげる」
(タクシーのなかで)
「もう出かけなくちゃならないから、あなたに伝えてくれって頼まれたの。彼、カミングアウトしたのよ」
「出ていったり[カミングアウト]してないよ。ハムステッドに住んでるんだから」
「そうじゃなくて、つまり……つまり、自分はゲイだっていうの」
「えっ?」
「同性愛者なのよ」
「だれが同性愛者だって?」
「グレアムよ!」
「どこのグレアム?」
グレアム・チャップマンよ!」
「それはわかってるよ!だれがゲイだってグレアムは言ってるの」
「自分がよ!」
「……ごめん、よくわからないんだけど……」
グレアム・チャップマンがね……」
「うん」
「自分は同性愛者だって気がついたんですって。それをあなたに言っときたいって言うの、ボーイフレンドがいるんですって」
「なにこれ、なんの冗談?」
「ほんとなのよ!」
「だけどグレアムのやつ、なんでぼくを担ごうとするんだろう」
「そうじゃないんだってば!」
「賭けでもしてるわけ?」
[帰りの長い時間でようやく、ミコノス島で会ったスウェーデン人に勧められ告白を決心したことを理解]
(略)
 タクシーを降りたとき、ピッパは言った。
「グレアムがね、あなたからマーティに伝えてほしいんですって」
 そこで私はマーティに電話をかけ、まったく同じやりとりが始まった。ただし、今回はピッパのせりふを言うのは私で、私のせりふを言うのはマーティだった。唯一の違いは、マーティがかなりいらいらしていたことだ。
「ジョン、もう11時だぞ。なんで電話してきたんだよ」
「いま言ったじゃないか」
「頼むからもういい加減にしてくれよ。ちっとも面白くないぞ……」
 グレアムは常づね、彼のカミングアウトに私がショックを受けていたと言っていた。それだと倫理的な反感を覚えたという含みがないではないが、それはちがう。私は「ショックを受けた」のではなく、とても、とても、とても、とても、とても、とても、とても、とても、とても、とても、とても驚いただけだ。
 グレアムと知りあってもう五年以上たっていたが、彼はいつも短靴を履き、コーデュロイのズボンに、革の肘当てつきのスポーツジャケットを着ていた。ビールを飲み、パイプを吸い、ラグビーに興じる医学生だった。60年代には、だれかを同性愛者ではないかと考える場合に、こういう習慣は決定的な証拠とは見なされていなかった。
(略)
 こうしてグレアムはカミングアウト・パーティを開き、グレアムの友人はそろって[恋人の]デイヴィッドに会い、みんなで楽しいひとときを過ごした。いまふりかえってみると、なにより驚きだったのは(最初のニュースはべつとして)、実際にはほとんどなにも変化がなかったことだ。

収入

[コニーと結婚の約束をした際に現実的な金銭の話が出て]
コニーはかなり余裕があると言い、いっぽう私はそうは言えないことを白状しなくてはならなかった。アメリカならテレビに出ていればけっこうな稼ぎになったが、BBCで働くのは清貧の誓いを立てるようなものであり、《フロスト・レポート》で私が受け取った報酬は全シリーズを通してしめて約1400ポンドで、おまけにそこから83%の所得税を取られていた。(略)([2年後アメリカのテレビで]仕事をしている男に《モンティ・パイソン》で私が一回いくらもらってるか話したら、大笑いしてソファから滑り落ちてしまったほどだ)。

「死んだオウム」

もともとはマイケルに自動車を販売した[苦情をのらりくらりかわす]修理工場の主人の話だった。(略)
マイケルに、ギアボックスが「ちょっと固い」のは自動車が新しいからで(略)じつは高品質自動車の特徴だと説明した――それどころか、それで「欠陥車」を売りつけられたのでないことが確実にわかるというのである。その後ブレーキにも問題が出てきたが、ミスター・ギボンズはこれまた自動車が新しいからだと説明し、しかしもしブレーキに不具合が出てきたら修理に持ってきてくださいと言った。マイケルがいま不具合が出ているのだと指摘し、だから修理してもらいに持ってきてるじゃないかと言うと、ミスター・ギボンズはこう言い返した。「そうですか、ではもっと問題が出てきたら修理に持ってきてくださいね」。グレアムと私は、この人物の精神構造にすっかりほれ込んでしまった。
(略)
 《モンティ・パイソン》のファンのあいだではよく知られているが、この作品はのちに書き直されて「死んだオウム」のコントになる。そのいきさつはこうだ。《人をいらいらさせる方法》は、英国内で放送される予定はなかった。だから《モンティ・パイソン》が始まったとき、しまい込んであった台本が見つかった
(略)
しかし、自動車の販売員という設定はあまりに月並みだと思った。それで、彼にふさわしいほかの舞台を探すうちに、ペットショップという案が湧いて出た。(略)
しかし動物はなににしようか。猫はどうか。いや、子猫の死体が出てきては笑えない。ネズミはどうか。それはだめだろう。小さすぎるし、ひ弱すぎる。もっと大きいものというと、犬はどうだろうか。悪くはないが、人は犬が好きだ。目を覚まさせようと、犬の死骸をカウンターに叩きつけたりしたら――リンチされかねない。それじゃオウムは……?それだ!オウムのような漫画的な動物なら、死んでもショックを受けはしないだろう(略)
 そこで登場するのが『ロジェのシソーラス(定番の類語辞典)』(略)
これを駆使して「死んでいる」の同義語を片っ端から拾い、それでコントを書いたわけだ。(略)
[1969年の初演では]スタジオの観客の反応はぱっとしなかった。あれが魔法のように「名作」に変身したのは、五年ほど経ってからだったと思う。

Songs for Swingin Sellers

Songs for Swingin Sellers

  • アーティスト:Sellers, Peter
  • 発売日: 2010/04/19
  • メディア: CD

ピーター・セラーズ

[63年から64年にかけ『ピンクの豹』『博士の異常な愛情』で]ピーターは、世界有数の喜劇役者になっていた。
(略)
同じ時期、かつて制作された最高のコメディ・アルバムをも三枚生み出している。プロデューサーはジョージ・マーティン、なかでも最高傑作は『ソングズ・フォー・スウィンギン・セラーズ』だ。また、『ピーター・セラーズ労働組合宣言』ではフレッド・カイトという労働組合員を演じて、まじめな俳優としても立派に通用することを証明してみせた。しかし、これは認めざるをえないが、1969年春にグレアムと私が会いに行ったころには、彼は気むずかしいという評判が聞こえはじめていた((略)『007/カジノロワイヤル』の撮影中、オーソン・ウェルズと同じ日にクローズアップの撮影はしたくないとピーターは言ったそうだ。オーソンのクローズアップをラッシュで見るまで待って、それを「しのぐ」方法を研究してから自分のショットを撮りたいというのである)。
 しかし、グレアムと私が会ったピーターは、これ以上はないほど親しみやすかった。私たちが自作のコントをいくつか披露すると、うれしいことに大笑いしてくれた。笑うとなると、彼は本気で腹を抱え、ひっくり返ってヒーヒー言って笑う。目の前で、いきなり輝くような笑いのエネルギーが噴き出して活気づくのだ。
(略)
[最初にアメリカの「特別番組」用のコントの仕事をくれ、それが気に入ると、『マジック・クリスチャン』の新たな草案を依頼してきた]
(略)
やすやすと別人を「演る」彼の能力は、じかに見るとまさに驚きだった。ほんの数分話すのを聞いているだけで、完璧にその人物になりきることができる。それどころか、彼の最も有名な「声」の多くは、まったくの行きずりの人物からヒントを得たものだった。
 たとえばあるとき、劇場でのショーが終わったあとで、彼はひどく退屈なファンに呼び止められた。ボーイスカウトの団長の装備で全身を固めていたのだ。なんとか逃げようとしていたら、そこでその男の話し声が耳に入った。すぐに楽屋に招き入れて、酒を勧めて話を続けさせた。彼はこうして、《グーン・ショー》の名物キャラクター、ブルーボトルの完璧な声を見つけたのだ。(略)
しかし、最高に面白い話をしてくれたのはジョージ・マーティンだった。『ソングズ・フォー・スウィンギン・セラーズ』のアルバムを制作していたとき、ジョージはコントのひとつがとくべつ好きになった。老いたシェイクスピア俳優のオーディションをしながら、薄情なエージェントが電話でしゃべっているというコントで(略)
ジョージは尋ねた。「このろくでなしのエージェントのコントだけどさ、こいつの声になんだか聞き憶えがあるんだよ。だれの声?」ピーターは答えた。「きみだよ」
(略)
[ある日、彼のフラットを訪ねるとまだ寝ていて、やがてガウン姿で現れ]
待たせて悪かったと詫びを言ったのだが、その声がふだんとまるでちがっていた。それから数秒後には、かなり鷹揚な上流階級ふうの話しかたに変わり、と思ったら今度は明らかにロンドンの下町なまりに変わった。彼は向かいのソファに腰をおろしたが、それから10秒ほどは耳慣れない東欧ふうの訛りでしゃべっていて、その後やっといつもの話しかたに戻った。(略)
ピーター・セラーズは、毎朝自分の声を見つけなくてはならないのだ。
(略)
私たちに対してはピーターはつねに親切で寛大だった。彼の下で働くのは楽しかったし、彼に暗い一面があるのに気づいてはいたが、私自身はそれをかいま見たことはない。

アドリブ

グレアムと私もそうだったが、マイケルとテリーも、またエリックも、基本的に脚本家であって演技者ではなかったということだ。だから、配役について議論になったことはない。私たちがその根っこのところで役者だったら、とうぜんいちばんいい役を求めて争っていただろう。しかし、そんな争いは起きたことがない。あるコントについてこれでよしとなったら、脚本家である私たちにとって配役は自明だった。どの役をだれがやれば、そのよさを最大限に引き出せるか、言い換えれば、だれなら台無しにせずにすみそうかということだ。
(略)
 ファンにアドリブがあったかどうか尋ねられると、私はいつも驚いていた。というのも、私たちは脚本家で即興には興味がなかったからだ。(略)
[ただ]執筆をしながらグレアムと私がやっていたことは、厳密に言えば、たしかにべつのせりふを即興で作ることだった(うまく行く組み合わせが見つかるまで)。そして当然ながら、稽古中に新しいせりふを思いついたときは試しにやってみたりもしていた。しかし、実際に番組を収録するさいに、アドリブを入れなかった理由はもうひとつある。単純に時間が足りなかったのだ。私たちは、だいたい300人の観客――観客が200人以下だと、ちゃんと笑いがとれないという不文律があった――の前で番組を収録しており(略)
収録が始まるのは8時で、10時きっかりに終了だった。午後10時を過ぎたら収録は許されなかった――なぜなのかさっぱりわからなかったが――ので、ちょうど二時間ですべてを終えなくてはならなかった。セットや衣装は変えなくてはならないし、演技や技術でミスがあればリテイクも必要だから、いつでも時間的なプレッシャーにさらされていたわけだ。(略)そんなわけで一分一秒が貴重だったから、稽古で試していないことを新たにやってみるような、そんな危険を冒すわけにはいかなかったのだ。

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