1984年のUWF 柳澤健

一番驚いたのが更級四郎がUのブレーンだったこと。そっちでもブラックアングル描いてたのかw。
なんでいきなり中井祐樹?と思って読み進むと、真のUである佐山がUを創った時に見ていた未来、さらにその限界を超えた先にいるから、という結論だった。

1984年のUWF

1984年のUWF

 

カール・ゴッチルー・テーズ

[ルー・テーズの妻は]亡き夫とカールゴッチの違いを次のように評している。
《カールはプロフェッショナル・レスリングのリアリティに決して飛び込んで行かなかった。カールにとってレスリングは誇りでありコンペティション(競争)だった。でも、ルーにとってレスリングはビジネスだった。レスリングは、チケットを買ってくれる人の汗でできているのよ。》

ゴッチ、佐山を救出する

1976年のアントニオ猪木”に向かって、佐山聡は「打撃と投げと関節技を組み合わせた新しい格闘技を作りたいんです」と申し出たのだ。(略)
[猪木は言った]
「わかった。お前の言う新しい格闘技をウチの会社でやろう。実現した時には、お前を第1号の選手にしよう」
[だがそれから佐山はメキシコ行きを命じられ二年]
欲求不満ばかりがつのる日々から佐山を救い出してくれたのは、意外にもカール・ゴッチだった。(略)
[友人のジムで指導するためにゴッチは度々メキシコを訪れており]
 来日するたびに付け人として面倒を見てくれた佐山が、別人のように痩せてしまったのを気の毒に思い、ゴッチはフロリダ州オデッサの自宅に連れ帰った。
 1980年4月のことだ。
 《猪木はよく、若いレスラーをとんでもない場所へ遠征させていた。テネシーやメキシコなど待遇の悪い土地へ、非常に問題のあるルートを使って送るんだ。日本へ戻ってきたときに、日本がいかに条件がいいかということを分からせるつもりだったんだろう。だから彼らは、私がヤングボーイたちにレスリングを教えることを嫌っていたよ。なぜならヤングボーイたちが力をつけ、独立心をもつようになると反抗的になるからだ。だからボロボロになるまで追い詰めて、日本に帰ってくると幸福感を味わえるようにもっていくんだ。佐山が、その典型的な犠牲者だったよ。》
[佐山はフロリダの藤原夫妻宅に転がり込んだ]

新間は2500万で猪木の協力を得る。長州は2000万では安いと、維新軍団ごと、テレ朝と専属契約を結んでしまう。そこで佐山と和解。WWFのベルトを持って凱旋帰国したザ・タイガーをフジテレビで放映するという計画だったが、新日が契約があるとWWFに抗議し消滅。フジが降りる。結局、新間が集められたのは前田、木村、剛、浜田の四人。猪木に頼み、高田をシリーズ限定で、ヘビー級の外人を、なんと馬場に頼み、ファンク経由で二流レスラーが手配された。

シュートグループ

ダッチ・マンテルはヒールの仕事をそつなくこなすつもりで来たが、前田のフライング・ニールキックを顔面に食らって失神流血。

 俺は、このツアーがタフなものになることを覚悟した。
 しばらくすると、マエダが俺の控室にやってきた。何度も頭を下げて「ソーリー、ソーリー」と繰り返している。(略)人を散々な目に遭わせておいて、何がソーリーだ。このクソ野郎が。
 だが、結局俺はマエダの謝罪を受け容れた。これ以上ひどい目に遭いたくはなかったからだ。(略)
 俺はケーシーとスウィータンのふたりに聞いてみた。
 「日本人はどうやってワーク(試合を盛り上げる)すればいいのかわからないんじゃないのか?」
 ケーシーは、呆れ顔で言った。
 「バカ言ってるんじゃないよ。ヤツらには最初から試合を盛り上げるつもりなんかないのさ。ほとんどシュートグループじゃないか!」

更級四郎の戦略

このままじゃ駄目だと新日と提携しようとした新間に、あなたを信じて新日を退社したのにと、伊佐早敏男と上井文彦が離反。怒った新間はUWFを崩壊させるため前田らを全日に送ろうとしたが、浜田以外は従わず。レスラーとフロントの飲み会に呼ばれていたのがイラストレーターの更級四郎。自分だけ新日に戻れたのに仲間を思って残った前田に惚れて協力することに。まずターザンに「Uの記事は全部あなたに書いて欲しい」と依頼、杉山編集長は「ゴングを突き放すチャンス」だと口説いた。さらに伊佐早に

「ここが勝負だと思って、藤原喜明さんを引き抜いてくれ」(略)
『どうして藤原なんだろう?』と、みんなは疑問に思う。そこで週プロの山本さんが『藤原は新日本プロレスの道場主だ。UWFは新日本から精神的な支柱を引き抜いてしまった』と書く。みんなはなるほどと思うはずだよ。(略)
藤原さんには『一番強いアンタが必要だ』と引き抜いてくれ、僕は言った」(更級四郎)
(略)
 新日本プロレスでは番犬として低く見られ続けてきた自分を、UWFは主役として迎え入れたいと言ってくれた。『週刊プロレス』も大きく扱うと約束してくれた。
 既に35歳。男が勝負をかける最後のチャンスではないか。

《どうせ俺の人生はゴミよ。だが、そのゴミが35歳にして立ったんだ。11年間も新日本プロレスに世話になった。新日本は、俺の青春のすべてだった。これが酔わずにおれるか?(略)高田、本当にありがとう。お前には一生、俺は感謝してるぜ。俺がUWFに行くといったら「僕も行きます!」とすぐにいってくれた。俺はうれしかったぜ。UWFがつぶれたら、俺の財産は全部お前にやるからな。お前には絶対に苦労はさせん。(略)俺たちは“藤原組”だ (略)》

佐山、合流

現在のUWFはショーを見せるプロレス団体にすぎないが、将来はリアルファイトの新格闘技団体へと移行する。その時に活躍するのは(略)[自分や前田らではなく]自分が育てた選手たちになる。
 その第一歩として、ザ・タイガーはUWFのリングに上がる。
(略)
[「無限大記念日」初日前日、道場でリハーサル:前田証言]
 《(略)でも、これがうまくいかなかった。ロープに飛ばずグラウンドで相手と密着しての関節技の攻防を展開しようとしても、お互いに膠着状態が続いてしまう。(略)
 これでは、会場に足を運んでくれたファンに胸を張って見せられる攻防ではないと、みんなで頭を抱え込んだよ。
 特にショックを受けていたのは佐山さんだった。(略)いざ試合形式になると全くその[シューティング]技術が活かされないんだから。スパーリングが終わって茫然とたたずむ佐山さんの姿を今でもはっきりと思い出すことができる。
[そこで藤原が]ところどころに従来のプロレスのエッセンスを取り入れないとファンは納得しない」[と提案]》(略) 藤原は正しかった。翌日に行われたメインイベントは華やかでスピーディーなものになり、観客を熱狂させたからだ。

ゴッチが佐山をプッシュ

崩壊寸前でもUに残った前田へのスタッフの信頼は厚く、Uの中心は前田だった。だがゴッチは更科を呼び、『サヤマをエースにしないとダメ』だと進言。前田はエースから一歩引くことに。

スタンドからの関節技でフィニッシュするなど、これまでのプロレスでは決して見られないものだった。(略)だが、じつはこの試合には、別のフィニッシュが予定されていたのだ。
「あれは僕が佐山さんに伝えた筋書きとは違うんですよ」
と、更級四郎は言う。
 「キックでダウンした藤原さんはピクリとも動かず、試合続行不可能でレフェリーストップになるはずだったんです。本当は。
 佐山さんの談話も、あらかじめ用意しておきました。
 『これだけ蹴っても倒れない。僕のキックは藤原さんには効かないんじゃないか、と思っていたらようやくダウンしてくれた。藤原さんは凄い』
 ところが、藤原さんが立ち上がってきちゃったから佐山さんは困った。とっさに浮かんだのがチキンウィング・フェイスロック。このあたりが佐山さんの天才的なところです。(略)藤原さんも『ああ、ここで終わりなんだな』と思ってギブアップした」(略)
予定外のチキンウィング・フェイスロックは、以後、UWFを代表する技になっていった。

佐山の釈明

佐山が藤原の頭部と顔面に55発蹴りを入れ観客を震撼させた試合翌日、藤原の顔に腫れはない。フォロースルーのない、相手にダメージを与えない蹴りだからだ。残酷だという声に佐山は週プロ誌上で釈明。

何か誤解している人が多いので言っちゃいますけど、アレは単なるプロレスですよ。ある、格闘技の事を何も知らない週刊誌が、まるでケンカのルールでもやってるように“アレはなんだ”なんて書いてましたけど、アレはプロレスから3カウント(のルールを)とっただけの事ですよ。
(略)
だが、観客には何もわからなかった。
何もわからないまま、UWFがリアルファイトであり、新しいプロレス、未来のプロレスであると信じた。

その時だった。バキッ!!という鈍い音と、アウッ!!という悲鳴が館内に響いたのである。まさか…恐れていたことが…。(略)勝った藤原もリングに顔をうずめて肩をふるわせる。》(略)
 控室の藤原は「折ってやろう、とは思ってなかった。友達を傷つけるなんて」と涙にむせんだ。
 しかし、実際には佐山の左肩は脱臼などしていなかった。
「藤原さんも、やっぱり目立ちたいんです。だからこそ『友達の肩を折ってしまった』なんて言う(笑)」
(略)
「試合後まもなく、左肩をテーピングでグルグル巻きにした佐山さんが家に遊びにきた。理由を聞くと『だって藤原さんがヘンなこと言うんですもん。もうすぐ週プロに記事が出ますよ。肩が折れているはずの僕が、何の手当てもしないわけにはいかないじゃないですか』だって。(略)
[数日後の試合で、怪我で高田に負けたと言う佐山]
佐山さんにはそういうところがある。負ける時には、あらかじめ理由を作っておくんです。やっぱりスターですからね」(更級四郎)
 そんな佐山に、更級はリーグ戦を提案した。(略)Aリーグ最下位の選手はBリーグに落ちるという仕組みだ。(略)
 「ほかのレスラーにBリーグに落ちてくれなんて、僕からは言えません」と佐山に断られた更級は、自ら前田日明に会いに行った。
 「僕から前田さんに言いました。あなたや佐山さんが優勝したのでは誰も驚かない。でも、あなたや佐山さんが、意外にも1勝くらいしかできなくてBリーグに落ちれば、大変な話題を呼びますよ、って。
 前田さんは即答しました。Bリーグに落ちてもいい。UWFを存続させるためだったら何でもやります、と。この人はいいなあ、と思いました。UWFが一番苦しい時に、前田さんが自分を犠牲にして頑張ったことは忘れられるべきではないと思います。
 プロレスラーとしての才能は、佐山さんの方がずっと上。でも、前田さんには素朴で温かいところがあった。

前田を焚き付けた伊佐早

社長逮捕、豊田商事問題、みな不安になるなか、道場に来ない佐山は孤立していく。伊佐早がリング上で佐山を制裁しろと前田を焚き付ける。

[星名治談]
前田さんも、佐山さんをつぶすつもりはなかったと思います。プロレスの試合として、なんとか成立させようとしていた。
 ただ、伊佐早さんたちに焚きつけられていたから、前田さんも何かをやらないといけない。でも、どうしたらいいかわからない。そんな感じでしたね」

UWF離脱後、佐山の談話をまとめたのは更科。『ケーフェイ』というタイトルと本文前後のコラムを書いたのがターザン。

気の置けない仲間たちと楽しい三週間を過ごすつもりで来たら、マエダが仲間に怪我させまくり。制裁してやるとアンドレ

 この試合を目撃したマスクド・スーパースターは、前田日明は最悪のレスラーだと証言している。
 《正直に言おう。マエダはガッツがなく、自分のことしか考えないセルフィッシュなレスラーだ。私はマエダとは何度も戦っている。(略)マエダが私やマードックを傷つけることは決してない。シュートを仕掛けられたこともない。もしそんなことをすれば、必ず報復を受けることをマエダはよく知っているからだ。我々は決して許さないからね。
 だが、マエダは、スキルがなく、自分の動きについてこられない相手に対しては、徹底的に相手をつぶして自分を良く見せようとする。(略)
ケガを抱えていたアンドレの足を蹴って破壊した。
 アンドレはマエダをつかまえようとしたが、できなかった。身体のコンディションが悪く、うまく動けなかったからだ。当時、アンドレの健康状態は良くなかった。
 アンドレ戦以前から、私のマエダに対する印象は良くなかったが、試合後は最悪なものになった。》

次回に続く。
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