天龍源一郎 / 七勝八敗で生きよ

七勝八敗で生きよ

七勝八敗で生きよ

武藤と三沢の違い

を聞かれるたびに、「武藤は巧くて、三沢は上手」と答えてる。武藤は臨機応変で巧い。三沢の試合は上品。(略)[三沢は基本に忠実、武藤は基本をミスしても、臨機応変]もっといえば、武藤の試合なんてほとんどがアドリブ。[芸人の客いじりに似てる](略)プロレスに対して真摯なのは三沢のほう(略)
ムタとの試合は妙にスイングしますよ。ふたりとも基礎がアメリカですから。(略)
[アメリカン・プロレスの]タイミングを分かってないのが中西学。僕は彼に期待していたんです。あれだけの身体と個性を持っていて、しかも実家が同じ農業だから。

三回目の渡米、カブキとマサがトップのフロリダでようやくプロレスがわかってきて、このまま帰らなくてもいいかなと思っていた時、こっちじゃ天龍という名前は何の意味もないよ、日本に帰りな、とカブキから厳しい言葉。

カブキさんいろんなことをいいたかったと思うんです。いい加減な気持ちでいた僕を戒めるとともに、「あんたは、帰れる場所があるだけいいじゃないか」ということを。(略)
当時のカブキさんやマサ斎藤さんは、「このアメリカで食っていく」っていうプロ意識が凄かった。べつに見せつけるわけではないんですが、「アメリカで食っていくことは、こんなに大変なんだよ、天龍」というのが、何くれとなく伝わってきた。(略)
どうしてそのときカブキさんが僕にそれをいってくれたかっていうと、猪木さんが日本で何かをやろうとして、マサさんが急遽帰国することになったんです。今までカブキ、マサ、服部のジャパニーズチームで売り出していたのに、マサさんが「じゃあ俺、日本に帰るから、ごめんね」って抜けちゃったから、カブキさんと服部さんが宙に浮いちゃった。カブキさんからすれば「なんだよ、マサさん」っていう気持ちはあったんだろうけど、そこは大人だから、「いやマサさん、日本で猪木さんがちゃんとやってくれるなら、そのほうが良いよ」って。たぶん長州軍国に繋がる話だったんだろうけど。そんなときにカブキさんが俺に、「どうするんだ? こういうこともあるんだよ」っていうのを振ってくれたんだと思うんです。

カブキの言葉で帰国するもパッとせず、四度目の渡米、キム・ドク離脱で呼び戻され、やけくそでやったらブレイク

 しかし巡り合わせって不思議ですよ、もしキム・ドクが新日本に引き抜かれなかったら、僕はどこかのアメリカ人女性と結婚して、ヒロ・マツダさんのようにアメリカに定住していたと思います。

「ジャンボの背中は見飽きた」

[「第三の男」としてボコボコとやられ役の毎日]
そのときも僕がジャンボを目立たせようと思ってやられにやられたんです。ウォリアーズが一番元気なころだったから、きつかった。ターンバックルにガンガンぶつけられて。でも引っ張って引っ張ってジャンボにタッチして、良いとこ見させて最後に僕がやられたんです。強烈なダメージを受けて、立ち上がることもできなかった。そしたらジャンボが黙って近付いてきて、僕の髪の毛をグーッて引っ張りながら「源ちゃん、もう起きて、ほら帰るよ」っていったんです。なんだそのいい方は、とカチンときましたね。思わず「うるせえな、この野郎!」って怒鳴っていました。それで高松の体育館の階段を上がるときに、「こいつにはもうついていけないな」って本気で思って。

天龍同盟

 あのころ、全日本の現場で一番厳しかったのがカブキさん。私生活にはうるさくなかったけど、ちょっと規律を乱したりすると凛として怒りました。(略)
試合で一番うるさかったのが百田光雄さんで、三沢、越中、小橋にしても、うまく育ったのは、百田さんに怒られ、そこでいろんなことを学んだから。(略)僕らがレボリューションで全日本の活性化を訴えたとき、最初にそのカブキさんが真正面からぶつかってきてくれた。

SWS

 黒船とか金権とか書かれたけど、でも実状を見れば、椅子の背の番号貼りとか何から何まで、メガネスーパーの社員たちが汗をかいてくれたんです。田中八郎社長の奥さんが自ら先頭に立って控室の掃除をやってくれたりして。そういった人たちが一生懸命になって働いてくれる姿、盛り上げようとしてくれる姿は、ネガティブだった僕を、ホントにポジティブにしてくれました。やっぱり僕もそれまでは会社批判しかしなかった。要するに文句ばっかりいってた。

経営者・馬場

[相撲取りを]「馬場さん、こいつらプロレスをやりたがってるんです」って紹介したら、馬場さんから「どうするんだよ、お前、こんなに入れて」って怒られて。(略)
 「天龍、会社ってねぇ、テレビ局から入ってくるお金とか、出ていくお金のことを考えたら、20何人もいると経営が厳しいんだよ。(略)」
[そのときはケチだと思ったがWARを経営して納得]
ひとり抜けるとひとり補充し、人が増えだすと海外遠征にいかせたりとか、上手なさじ加減をやってましたね。(略)越中がメキシコからなかなか戻されなかったのも、もうパイがいっぱいだったからです。
 馬場さんの基本は、ギャランティを上げると経営を圧迫するから“ボーナスは出す”というやり方でした。(略)
常にギャラの高い、良い外人レスラーを呼んでました。(略)やっぱり日本人選手から不満の声も上がりましたよ。(略)
極端ないい方をすれば、ジャンボ鶴田が「こんなもんでいいや」 って思っちゃったのは、そこに一因があったのかもしれない。(略)
[大木金太郎の高額ギャラを知り]「大木さんがこれくらいもらってるらしいよ、俺らも頑張ろうよ」ってやる気を出したら、ジャンボが「源ちゃん、今の全日本じゃねえ、あそこまでいくことは絶対にないよ」って。「絶対にないの?」って聞いたら、「考えてみなよ、絶対にないよ!」って断言してた。何度も「絶対にないよ」っていわれて凄く落ち込みましたよ。

馬場の怖さ

現場を取り仕切る立場に立った馬場さんは、さらにシビアでした。(略)
ルールを破ったりした人に対しては、馬場さんは凄く厳しかった。馬場さんの力っていうか怖さっていうのは、下っ端にいるときは分からない。(略)位が上がって、馬場さんに近付けば近付くほど、そのパワーバランスというのがよく分かる。もう威圧されますよ。
 やるときは有無をいわせず、毅然としてやります。未練なんかは一切なく、ズバッと断ち切りますからね。

馬場の凄さは足腰

とにかく足が太かった。(略)
 ブロディもいってました。「テンリュー、ジャイアント馬場を見てみろ。どうして長時間タフにやり続けられるか分かるか? あの足だよ。足が太いだろ」って。(略)僕も、馬場さんのように大きな身体をしていて、前へ前へいくような試合のできるスタミナの持ち主を他に見たことがないです。

ジャンボ鶴田

 ジャンボ鶴田に対する感情は、そのときどきで複雑なものがありました。気の良いアンチャンだと思ったこともあれば、本気で「この野郎」ってなったこともある。ただ凄い選手だったことは間違いない。プロレスに入って、たった2ヵ月でパーフェクトだっていわれるような選手だったから。でもあまりにも簡単にできちゃったからか、僕から見たら、プロレスに対して真摯じゃなかった(略)
基本的には頭の良い人なんだけど、どっかズレているんです。試合中、頭を抱えて異常に痛がったり、足をピクピクけいれんさせたりしてましたよね。(略)
[半年しかアメリカにいなかったので]アメリカ的なムードを出したくて、あのけいれんとか、頭を抱えるポーズを自分で考えたんだと思うんです。でも途中から、それがファンの失笑を買ってるっていうことに気付いて。途中で気が付いたけど、今さら変えられない。ジャンボはそういう頑固なところがあったから。でも僕からすれば、「またやってるよ」ですよ。(略)
 後、ダメージを受けたふりして、試合後ふたりの若手の肩を借りて控室に戻ったりしてね。あのときジャンボはわざと肩を貸してくれた奴にのしかかって、「重たいっす、重たいっす」っていわせて遊んでた。(略)「たまには、やられてる自分もいいだろう」っていう。(略)記者やカメラマンで知った顔がいると、場外乱闘で落ちてきたとき、わざとその人の足を踏んだり雪崩れ込んでいったり。しょっちゅう見ていると、鼻についてくる。同業者だから、「この野郎」って思うよ。コーナーで「源ちゃん、タッチ」って顔は真剣なのに、実はカメラマンの手を踏んで遊んでいたりとか。(略)
[無尽蔵のスタミナを自慢してたけど、手を抜いてるから疲れないだけだ]
[天龍革命で]あのジャンボ鶴田がムキになって闘ったことに、みんな一番ビックリした。「鶴田がムキになってやってるよ」って思われるのを、凄く嫌がってたから。相手を認めることになるから、ムキになって自分の価値が下がるのを嫌がったんですよ。「本気になったら強いジャンボ鶴田」は、本気にならなければいいわけですから。(略)
あるときブロディにいわれたんです。「お前は、本当に一生懸命プロレスをやってるね。いつも俺の技を受けてくれてありがとう。それに引き換え鶴田は……」って。突然そんなこといわれたから、これは褒められているのかからかわれているのか、悩んじゃいましたよ。そのときハンセンも一緒だった。(略)
「彼らは、俺がジャンボ鶴田の盾になっているのをちゃんと見てるんだな」って。

ブロディ

ドロップキックもきれいだったしギロチン・ドロップも高いし、ニー・ドロップもスピーディー。僕が常に意識していた選手で、プロレスに対して“一番できる”と思ったのはブロディかもしれない。

ハンセン失神

僕らが控室に戻ってもまだ探し回っているんです。ジャンボたちの部屋に飛び込んでいったので、慌ててカブキさんが「ここじゃねえ、ここじゃねえ」って追い出して。それで若手が僕に「すいません、ハンセンが暴れて天龍さんの控室を探してるんで、早く外に出てください」って。だから僕らは裏口からそのままタクシーで帰りました。(略)
[一週間後の二冠戦]
試合後にハンセンがカウベルラリアットかましてきて。だから今度は僕が頭にきちゃって、洗面所で顔を洗ってるハンセンをぶん殴って。そしたらハンセンも返してきたからそのまま廊下で大乱闘。ゴディと阿修羅が一生懸命止めてくれたからなんとか収まったけど

タイガー・ジェット・シン

 でも、シンって変わってるよね。駅で馬場さんと目が合ったら、いきなりゴミ箱を投げつけたりするんです。北海道で試合をやったときなんか、じーっと座っていたおじいちゃんを蹴っ飛ばして大騒ぎになったんだから。シンが目の前まできているのに、逃げようとしないから頭にきて蹴っ飛ばしたって。(略)「俺の目の前にいたから」って屁とも思ってない。(略)
[伊勢丹猪木襲撃はやらせですかと聞いてきた記者に]
「お前がホモだったら、今すぐズボン脱いでやってもいいぞ」って脅かしたらしい。

全日復帰

川田や淵は、インディー慣れしちゃってる僕のスタンスにちょっと拒否感がありました。(略)「だってお客さんが喜ぶんだからいいじゃない」って僕が平気でいうと、彼らは「それは……」って。(略)
僕は、武藤が新日本の仲間内をスタッフも含めて連れてきたんであったら、何がどういういきさつがあったか知らないけど、全日本プロレスという名称だけは、三沢にくれてやれば良かったと思う。それで、自分は自分の名前で団体を旗揚げしたほうが潔かったと。

相撲の「かわいがり」

「今の時代、今の人たちに、かわいがりは必要ですか?」と聞かれれば、全然必要じゃない。あれは人間がいじけるだけ。「この野郎」っていう根性を植え付けられるかも知れないけど(略)
[13歳の夏休み体験入部屋時に目撃]
それはもう素晴らしかった。ある意味、素晴らしかったですね。(略)ごつい兄弟子たちが無抵抗のその人を竹刀とかでガンガン殴るんです。(略)竹刀がほうきみたいになっちゃう。土俵を固める道具なんかでもガツンガツン殴られ、動けなくなると撒き塩をガバッと口にかまされる。苦しいから吐き出すと、今度は土俵の砂を口に入れられて。まともに呼吸ができなくてゼーゼーいってるその人の腹を皆して蹴りまくり、ところかまわずグーパンチを喰らわせる。めちゃくちゃですよ。もう肩の骨なんかが折れて浮きあがってるんだけど、誰も止めない。(略)
[16歳巡業先で「かわいがり」を体験]
結局2時間くらい、徹底的にボコボコにされましたよ。よく無事でいられたなってくらいやられた。頭、背中、尻。ところかまわず、角材が折れるほど力いっぱい殴られました。角材って、折れたらいいんだけど、ひびが入ったまま殴られると肉にひびが刺さってキツい。(略)
僕が13歳のときに見たまんまをやられました。最後は何で叩かれても、ズンッてくるだけで痛くないんです、感覚が麻痺してるから。ただもうズンズンって感じで、痛くもなんともなかった。終わって「ごっちゃんです」といった後尻を見たら、気持ち悪いくらい紫色になっていてブヨブヨ。内出血のせいで尻たぶが倍くらいの大きさに腫れ上がっているの。背中をさわってみたら、肉に深く刻み込まれたミミズ腫れが15本くらいあって、血まみれの髪の毛はちょっとさわっただけでポロポロ抜ける。さすがに、こんなのはニ度と嫌だってマジで思いましたね。(略)
後々、このかわいがりを耐えられたというのは、自分の根っ子になりました。プロレスに入ってからも、いつも「こんなのに比べたら」っていうのが根底にあって。

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