自由と平等の昭和史・その2

前回の続き。

民政党の2つの民主主義

第2章『民政党の2つの民主主義――永井柳太郎と斎藤隆夫』田村裕美

植民地獲得の戦争は、当時「悪」ではなかった。(略)
 永井は自由主義政党民政党の幹部の一人でありながら、「平等」という価値にも強く惹かれていた。永井にとっては、遅れてきた日本帝国主義の欧米に対する「自由」だけではなく、眼前の日本の労働者の貧困を救うという「平等」のためにも、植民地獲得は必要であった。
(略)
[1931年]馬場恒吾は、『国民新聞』の「明日の人、永井柳太郎氏」でこう評している。
「彼の根底の信念は、今もなお彼が学生の時の演説そのままである。即ち、彼の目的は、一般民衆の生活の向上という所におかれる。然るに、日本のように領土が狭くて物資が乏しい国においては、国民の生活を豊かにするために、眼を海外に注がねばならぬ。彼の外国留学は、植民政策を研究するためであった。そして、それが一歩進んで外交に興味をもつようになった。外交官の服を着ているが、実質は社会運動家という格好である。
 その腹の底には、日本人の生活を豊かにしたいという欲求がある。だから、普通の社会運動家の如く一足飛びに国際主義になり得ない。(略)」
 しかし他方で永井は、中国で共産党の勢力が大きくなり、日本がその思想に汚染されることをなによりも心配していた。共産党の思想が生活難に喘ぐ層にとって、又、これを救済しようとする者にとっては、大変魅力的であることをよく知っていたからである。
 共産党の思想に汚染されず、しかもブルジョア政党でない政党とは何か。
(略)
 国家主義大衆党とはどういう党なのか、どうやって国家主義大衆党をつくるのだろうか。
(略)
産業は原則として民営に委せるが、国家がこれを統制しながら、ラージスケール・プロダクションを実現して、他方で労資両者間の分配の公正を実現する。
 また、独占的性質を持つ産業は、不労利益の増大の原因になるので、これを国家管理又は国家統制の下に置く。このようにして、「経済組織の非合理性並びに非社会性に発する階級闘争をその根底から防止せんとする」。
 けれども「吾人は原則として自由を尊重する」。なぜなら、「吾人をして最大限度に独創発意の機会を得せしめ、以て天賦の能力を最高度に発揮せしむることが、即ち社会進化の要諦である。従って、吾人は決して公正なる競争を抑圧せんとする者ではない」。
 「併し、吾人は真に公正なる競争を尊重するが故に、公正なる競争と両立せざる特殊産業の国家管理又は国家統制を唱え、公正なる競争に対する最大限の機会を保障せんと欲する」
 ここまで来ると、どう考えてもちょっと苦しい弁明ではないか。しかし、永井の使命感は強引だった。白黒つけるのはこの時期を乗り越えてからでよい。今は目前の危機をなんとか脱するのだ。それが危機に直面した政治家の役割なのだ。
(略)
 「日本並びに日本と経済同盟の関係にある地域の資源、資本、技術及び労力を総動員して、国家の指導統制及び保護の下に、東亜ブロック経済の新機構を確立し、生産の増大、分配の公正によって階級闘争を根絶し、以て、国家更生の大本を確立しなくてはならぬ。国家主義大衆党の使命がそれである」

「革命」と「転向者」たちの昭和

第3章『「革命」と「転向者」たちの昭和――野上彌生子を読む』北村公子

[事件当時の彌生子の]日記に展開されている独特の理論はわかりにくいが、まとめると次のようになるだろう。(1)二・二六事件は「空前の武力革命」のように見えるが、実は「序曲」にすぎない。(2)なぜなら、先の総選挙の社会主義政党の躍進からわかるように「民衆は軍部のバッコやファッショの台頭」を批判しているのだから「真崎派の仕業」つまり、二・二六事件を認めるわけがない。(3)それでもなお軍部が好き勝手を続け「民のこころを強力で無理に歪めたら」その時こそ民衆が立ち上がり本当の革命が起こり民主主義が実現する。(4)だから今はひたすら我慢して軍部のやりたい放題の末の自滅を待とう。
 しかし、この激しい思いをストレートに作品に反映させないところが、先に中条百合子が指摘したように、彌生子独特の「一種のグツド・センス」である。発売禁止になったりせぬよう細心の注意を払って、「迷路」では次のような表現になる。
(略)
 以上、長々と引用したのは、彌生子の日記と「迷路」とでは、すっかり違っているからだ。日記では軍の暴挙は民衆の反抗(革命)を起こす呼び水になるだろうと書いていたのに、「迷路」では省三が自分が体験した学生左翼運動と重ねながら二・二六事件を分析する形になっている。もちろん当日思いつくままにペンを走らせた日記と、事件後一年近くたってから、人に読んでもらうために小説に書くのとでは、違ってくるのは当然だろう。
(略)
 注目したいのは、彌生子は今度の二・二六事件と先に「黒い行列」で描いた学生の左翼運動とは、理論・目的は異なっていても、由来する根っこの部分には同じ認識があると主張していることである。その認識とは素朴に世の中を変えたいと思うこと、素朴に「革命」をめざすことである。「黒い行列」では平等と自由を求めて、二・二六事件では天皇中心主義を求めて。
 二・二六事件から二日後、省三と小田は兵士が立て龍もっている現場を見に行く(略)
上等兵が出てきて群集に向かって親しげな態度で「此度のことは皆さんに迷惑をかける積りは微塵もない」と、演説するが、群集と兵士の間には「冷やかな無関心がつくる以上の空虚」があった。演説の内容は、二等兵の心情として間接的に表現されるけれども、伏字だらけでわからない。上等兵の演説を誇らしげに見守る幼椎っぽい二等兵を眺めているうちに省三は不愉快になってくる。妄信と忠誠をありありと示し、すっかり軍隊色に染まった二等兵にどうしようもない救いのなさを感じたからだ。しかし、その救いのなさはそのまま自分にもあてはまると省三は気づく。
 社会の表と裏をつぶさに知った木津は、踏みつけにされながら生きて行く陣営に自分がいることを以前にもまして痛感している。株屋にでもなって大金を儲けて世の中を見返してやりたいと思う。が、社会に飲み込まれてしまいそうになりながら次のように言う。(略)
[現在の資本主義的機構は]腐ったり、虫が喰ったりで、部分的にはぼろぼろしてゐる筈のものが、それでがっちり形態を保ってゐる。その巧妙さはとても叶はんと思ふほどで、それにつけても学校の時分、今にも自分らの手で新世界を現出させられる気でゐたのが可愛らしいほど幼稚だった気がするよ。
(略)
軍部からの挑戦である宇垣内閣流産事件について、彌生子はつぎのように記す。
一月二十九日〔昭和十二年〕
 二十五日から今日まで粘ってゐた宇垣氏の組閣が陸軍の反対で陸軍大臣をえられず、終に流産した。(略)数年まへなら宇垣なんぞ出られてはたまらないとかんじてゐた民衆が、その宇垣の出馬でほつと息をついた有様であつたといふのは、いかに日本の状態が急変してゐるかを語るものである。しかるにそれが流産したのである。今後の日本は一歩々々怖ろしい崖つぷちに追ひつめられて行くのである(略)林大将に組閣の命が下つた。
(略)
人気のある近衛が首相となって、国民はかなり期待を抱いたようである。しかし彌生子の見方は異なっていた。
(略)
近衛公が死を覚悟するか、軍部が思ひきつた譲歩をするかしない以上、決して光明は来ない。近衛公も出た以上それ位の事はやらなければたゞ箔を落すために簾から現はれた事になるであらう。

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