戦争画とニッポン 会田誠&椹木野衣

 

本編の対談より巻末の作品短評の方が面白いような。

戦争画とニッポン

戦争画とニッポン

 

戦争画の印象

会田 正直な感想を言うと、ちょっとこう、「がっかり」というところがありましたね。ネタ探しに行っていた当時の感覚としては、戦争画を見れば、何かすごい、エグい絵がいっぱいあって、それをちょっと現代風に味つけしたら、コロコロやばい作品が作れるんじゃないかというような下心もあったんです。要するに、ちょっと大げさに言えば、今の漫画で言えば、駕籠真太郎さん的な作品にでも、すぐに置きかえられるような、鬼畜米英まっしぐらで、かなり偏ったイデオロギーに染まった、ひどい絵があるかと思っていた。ところが、蓋を開けてみたら何て言うんですかね、どれもやさしい。だから、「本当の戦争画はやさしい絵が多いな」というのが第一印象でした。
(略)
たくさん見た戦争画の中で、特別に、僕を良い意味で「ムラムラさせた」のが藤田嗣治の《アッツ島玉砕》だったんです。
(略)
先ほど「暗い叙情」と言いましたが、僕には太平洋戦争に対して漠然と抱いていたイメージがあって、それはひと言では言い表せない、非常に混沌としたものなんですが、最初に《アッツ島玉砕》を見た瞬間に、「ああ、これは近いかもしれない」と思いました。(略)
あのやるせない暗さ、そこに蠢くパッション、根深い日本人の血、近代戦の理不尽な死……そういったものすべてをひっくるめて、「人間の宿痾としての戦争」のどうしようもなさが描かれているように思いました。戦場のひとコマを描いたスナップ的でレポート的な戦争画が多い中、藤田だけは太平洋戦争全体を総括するような、巨視的な視点を持ち得ているように思います。

輝け!大東亜共栄圏

輝け!大東亜共栄圏

椹木 (略)一方、アメリカは「コンバット・ペインティング」という戦争に特化したポピュラーなジャンルがあります。画壇のトップにいた画家たちが動員された日本やイギリスの場合とは違って、これは、西洋美術史の王道からかなり距離のあるものです。その筋の職業画家たちが手掛けたもので、かなりペンキ絵的というか、屋外のビルボードに描かれる広告絵のようなところがあります。日本での日清・日露戦争戦争画でも似たような傾向が強いです。これは戦後になっても同様で、戦争を主題とする絵は通俗的で、いつも一段低いものとされてきました。戦中には戦争画を手掛け、藤田に激賞された小松崎茂の描いたプラモデルの箱絵なんかが典型ですが、そうでなくても丸木夫妻の《原爆の図》なんかの扱いにも、同じことが言えるのではないでしょうか。それを考えると戦争記録画のほうが特別なんです。日本の近代美術で一瞬だけ、戦争画が美術の代名詞になり得た時期があったという意味で。
会田 その筋の画家、という話で言えば、戦争画ではありませんが、社会主義リアリズムの時代には、国家の発注を受けて、ものすごく腕の立つ画家たちが大画面の作品を作ったりしていましたね。
椹木 確かに、日本でも戦争画の影響がいちばん残ったのは、日本共産党指導下の絵かもしれません。べたべたのリアリズムで、労働者が団結した群像図を志高く描く。構図だけ見たら、戦争画とほとんど区別できない。これはソ連スターリン期以降のリアリズム芸術もそうですし、中国の文化人革命以降や現在で言えば北朝鮮なんかも同じですね。しかし、戦時中には軍部を批判していた共産党が、戦後は旧軍部と同じ様式で資本主義との「戦争」画を描かせるとは、何とも皮肉です。
会田 中国で今、ものすごい高額で売れている、成功した現代のペインターには、基礎的なデッサンを描かせたら非常に上手いという人が、たぶんたくさんいます。彼らは北京中央美術学院という難関美大卒のエリートが多いのですが、そこの先生たちは社会主義リアリズムをみっちりたたき込まれた世代と聞きました。
椹木 画家としての個性でさえブルジョア的な悪徳だとされ、徹底的に無個性だけど超絶的な写実技法を叩きこまれた世代ですね。
会田 口をにかっと開いて笑った男の絵で有名な岳敏君は、何かワンパターンのような感じで描かれていますが、あの手の人たちは、相当基礎デッサン力高いですよね。(略)こっちなんか到底歯が立たない、という感じがします。これは僕の主観ですが、日本人の戦争画、あるいは巨大な歴史画に漂う絶対的な不得意感というのは、ばかばかしい言い方で言うと、やはり肉をあまり食ってない感じだと思うんです。
(略)
日本人の戦争画はやっぱりやさしい。当時の美術雑誌をぱらぱらと見ていても、画家たちが現地でささっと描いたような、ちょいとしたスケッチのほうが、生き生きとしているような気もしますし。日本人は文学でも重厚な長編よりエッセイ的なもののほうが得意だったりするので、戦争画も、ふと詠む俳句のように「墜落した飛行機の残骸は哀れを誘うなあ」みたいな淡彩画のほうが、得意な感じもするのです。だから日本の戦争画を見る面白さのひとつは、もしかしたら世界でも一番、戦争画に向いていない民族がやろうとした、ということかもしれません。戦争画を見せるとアジアの人を傷つけるという理由で、タブー視されているけれども、むしろちゃんと見せたらいいと思うのです。もしかしたら、「ここまで向いてなかったか」「そりゃ戦争に負けるわ」と言われるかもしれません。

  • 巻末作品解説

宮本三郎『萬朶隊比島沖に奮戦す』

▼上手いと思います。というか、写実画家としての本能に純粋に従っている感じがします。近代戦で初めて現れた、自然な雲や波とは違う、けれど規模的にはそれに匹敵する、人工的な煤煙や海面の盛り上がり。たぶん軍から与えられた写真資料を、目をキラキラさせて凝視しながら描いたんじゃないかと想像します。(会田)

岩田専太郎『特攻隊内地基地を進発す』

日本画家というよりは挿絵画家として活躍し、名うての美人画の担い手であった岩田ならではの戦争画だ.戦前は江戸川乱歩、戦後は松本清張の挿絵を手掛けた岩田の絵は、男たちだけの世界を描いてもどこかエロティックで、戦意を感じさせる以前に匂い立つような色気がある。(椹木)
▼確かに、例えば軍歌「同期の桜」がもともとは少女雑誌に載った男色をほのめかす詩から来ている、といったエピソードを連想させるような絵ですね。戦後も人気挿絵師として引っ張りだこだったこの浅草のモダンボーイは、戦後重たいものをじくじくと抱え続けた油絵画家たちとは、やはりもともと人種が違った、という気がします。(会田)

川端龍子『輸送船団海南島出発』

▼伝記的事実は知らないですが、画面から「精神的マッチョな男性的表現者の系譜に連なる人」とお見受けしています。近代兵器の構造美に着目してスケルトンの戦闘機を描いた《香炉峰》とか、自分んちの庭の吹き飛ばされた植物を英霊にオーバーラップさせて描いた《爆弾散華》とか、彼の戦争画は自身の全キャリアの中でも出来の良いものが多いと思います。直截的に戦闘を描くことを日本画家のプライドに賭けて避けつつも、ある意味戦争画ともっとも相性が良かったという、不思議な存在感の画家ですね。(会田)

古沢岩美『斃卒』

戦争画を描いた主要画家たちは同じ「従軍」でも絵描きとして派遣されたが、古沢は一兵卒として「従軍した画家」。初めから画家として派遣されたわけではない。中国戦線で古沢が見たのは、24万の兵のうち8万が飢え死に、コレラで絶命する地獄だった。「戦争記録画は本当の戦争を描いていない」――古沢は戦後、この絵でそのことを証明した。(椹木)
▼日本軍は兵站補給を疎かにする悪癖があり、戦死者のうち圧倒的多数は餓死者だった――という話をよく聞きます。救いのないやるせなさを感じさせる話です。そしてこの画家は、不勉強のため存じ上げなかったのですが、そのやるせなさに呼応する絵を戦後いくつも描いているんですね。直接戦争とは関係ないエロチックな裸婦の絵であっても、なんともねちっこくギラギラしていて、従軍体験の爪痕を感じさせます。(会田)

 

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