なぜ、マルクスは『資本論』を書かねばならなかったのか

的場昭弘による4ページ程の序文がえらくわかりやすいので、ほぼ丸ごと引用。

なぜ、マルクスは『資本論』を書かねばならなかったのか。

 言い換えれば、なぜマルクスは経済学を批判しなければならなくなったのか。その謎はすべて、1844年『独仏年誌』に掲載された本書の二つの論文「ユダヤ人問題に寄せて」と「ヘーゲル法哲学批判――序説」にあるといってもよいだろう。この論文の対象は何か。それは市民社会(市民の領域)と国家(君主、僧侶、貴族の領域)との対立であり、マルクスの問題意識は、この対立が私的領域(市民社会)と公的領域(国家)との対立になっていくことへの懸念の中にあった。市民社会君主制との対立が、どうして私的領域と公的領域との分裂を引き起こすか、それをいかに解消するかという問題こそ二つの論文の主題課題であったのである。
 産業の発展によって、市民社会はどんどん力を増していく。それとともに国家は力を失っていく。フランスやイギリスでは市民社会がやがて国家権力を君主、貴族、僧侶から収奪していく。資本主義はこうして生まれた。ドイツでは、市民社会はそれほど発展せず、国家権力も、君主、僧侶、貴族に牛耳られたままであった。
 そうしたときドイツで起こった問題が、宗教問題である。宗教問題は宗教が私的領域ではなく、公的領域の問題として議論されるがゆえに起こった問題である。19世紀において、すでにフランスやイギリスでは、宗教は私的領域、すなわち市民社会の領域にあった。だから宗教は個人の意志に委ねられていた。(略)
[しかしドイツでは]信仰は国家の判断にかかっていた。(略)だから国家にしたがう臣民であるためには、ユダヤ人が臣民を望む限り、ユダヤ教を捨てねばならない。
 この論理をヘーゲルの『法哲学』を使ってもっと進めたのがバウアーであった。バウアーは、キリスト教国家を通り越し、国家には国教すら必要ない、必要なのは公的精神であると主張する。公的精神があれば、宗教は必要ない。したがってキリスト教徒もユダヤ教徒もともに宗教を捨てるべきであると主張する。もちろんその公的精神は、キリスト教的精神の延長にすぎない。なぜなら、近代的公共精神をつくりだしたのは、キリスト教だからである。
 しかし、マルクスはその論理をこう批判する。ここでの問題は宗教が私的なことがらか公的なことがらであるかどうかということだけにすぎないと。宗教が公的なことがらならば、国家はある宗教を国家宗教にするか、ある宗教に肩入れしなければならない。しかし、宗教は私的なことがらである。だからどんな宗教を選ぼうとそれは自由である。(略)
バウアーは、ドイツはキリスト教的社会であったからこそ、公的な精神、道徳精神が発展したというのである。その精神を徹底させないと、ユダヤ的精神、すなわち市民社会の金儲け主義的精神がはびこることになる。その意味で、バウアーはユダヤ教を許すわけにはいかないというのである。マルクスはこの金儲け主義的な公共精神の堕落は、実はユダヤ教精神の問題ではなく、市民社会そのものの問題だと考える。キリスト教徒であろうとなかろうと、もはやすべての市民は金儲け主義に走らざるを得なくなっている。(略)
バウアーもヘーゲルもその限りで資本主義の進歩を抑えればいいと考える点で、たんに復古主義者にすぎない。この問題を解くには、むしろいったん市民社会をとことんまで発展させねばならない。その見本となる国がフランスとイギリスである。
 フランスとイギリスを見ると、市民社会の問題はたんに金儲け主義が引き起こす道徳的退廃の問題ではないことに気づく。むしろ資本主義社会がもつ固有の問題、資本が引き起こす新しい市民社会の亀裂の問題だということに気づく。すなわち市民社会の中の階級分裂の問題にその原因がある。(略)
 市民社会の亀裂は、ブルジョワでは解決できない。それはブルジョワが利益を獲得するために、ますます公的領域を侵犯し、私的領域を拡大するからである。プロレタリアはそこから排除されているがゆえに、つまり私的領域の拡大から損を得ているがゆえに、私的領域の拡大を批判できる立場にある。彼らは排除された全体として、市民社会を批判する新しい公的領域をつくることができる。この新しい公的領域こそ、バウアーが理解できなかった問題である。バウアーは、公的領域は既存の君主や僧侶が残してくれた、気高い精神であり、それをもってすればこの問題を改善できると考えるが、マルクスはそれを批判する。
 こうしてマルクスは、市民社会を分析する解剖学を探さねばならなくなる。当時のマルクスはおぼろげにしか市民社会の階級対立について理解していない。市民社会の理解には経済学の研究が必須だからである。(略)

新訳「ユダヤ人問題に寄せて」

 人開か政治的に宗教から解放されるのは、宗教が公の法から私的な法律に追放される点においてである。(略)
宗教はもはや共同性の本質ではなく、差異性の本質である。宗教は共同体から、自分と他の人間から、区別する表現となったのである。――宗教は本来そういうものであったのだ。もはや宗教は、特殊な倒錯、私的な思いつき、気まぐれの抽象的告白にすぎない。たとえば北アメリカにおける宗教の果てしのない分裂は、外見的にはすでに宗教が個別的な形態であることを示している。宗教は私的利益の一つにもぐりこみ、共同本質としての共同体から排除されている。しかしわれわれは政治的解放の限界について幻想は抱いていない。人間の公的人間と私的人間との間への分裂は、つまり国家から市民社会への宗教への解体は、一つの段階ではなく、政治的解放の完成であり、だからこそ現実にある人間の宗教心を廃棄しようと努力もしないし、廃棄もしないのである。
(略)
政治的国家が市民社会から暴力的に生まれる時代においては、人間の自己解放が政治的自己解放という形態のもとで行われようとする時代においては、国家は宗教の廃棄、宗教の否定にまで進みうるし、そうならねばならない。しかしそれは、国家が私的所有の廃棄まで、最高価格法まで、つまり没収まで、累進課税まで、生命の廃棄まで、ギロチンまで進行むと同じである。政治生活は特別の自己陶酔を契機として、市民社会とその要素を押し潰し、現実の、矛盾なき人間の類的生活として自らを構築しようという前提を模索するのである。もっともこうしたことが可能になるのは、自ら独自の生活条件に対して暴力的に反対することによってのみであり、革命が永久であると宣言される場合のみであり、政治的ドラマは、戦争が平和で終わるように、宗教、私的所有、市民生活のあらゆる要素の再復活によってまさに必然的に終焉するのである。
(略)
他の宗教に対して排他的にふるまう、いわゆるキリスト教国家は、完成されたキリスト教国家ではなく、むしろ市民社会のそれ以外の成員の宗教を追放する無神論的国家、民主国家、宗教を市民社会の他の要素の一つとして追放する国家である。
(略)
いわゆるキリスト教国家は単なる非国家にすぎない。なぜなら、現実の人回的創造を遂行できるのは、宗教としてのキリスト教国家ではなく、キリスト教の人間的な背景にすぎないからである。

国家の宗教からの解放は、現実の人間を宗教から解放するということではない

 だからわれわれは次のことを示したのだ。政治的解放によって宗教は、たとえ特権的な宗教がなくなっても存続するということを。ある特殊な宗教の信者が国家市民に対してもつ矛盾は、政治国家と市民社会との世俗的な一般的矛盾の一部にしかすぎない。キリスト教国家の完成は、国家が国家として告白し、その成員の宗教を無視することである。国家の宗教からの解放は、現実の人間を宗教から解放するということではない。
 だからわれわれは、バウアーのようにユダヤ人に対してこうはいわない。諸君たちが政治的に解放されえるのは、ユダヤ教から徹底して解放されるときであると。むしろユダヤ人にこういおう。諸君たちの政治的解放など、ユダヤ教から矛盾なく、完全に解放されてなくとも可能であるがゆえに、政治的解放などそれ自体人間的解放ではないと。諸君たちユダヤ人が、自ら人間的に解放されることなく、ただ政治的に解放されたいと望むなら、その中途半端さと矛盾は諸君たちの中にはなく、政治的解放の本質とカテゴリーの中にある。諸君たちがこのカテゴリーに囚われているとすれば、諸君たちは一般的な偏見を共有していることになる。国家が国家であるにもかかわらず、ユダヤ人に対してキリスト教的に関係しようとするとき、国家が福音化するように、ユダヤ人は、ユダヤ人であるにもかかわらず国家市民という権利を要求するとき、政治化しているのである。
 しかしユダヤ人がユダヤ人であるにもかかわらず、政治的に解放され、国家市民権を得ることができる場合、ユダヤ人はいわゆる人権を要求し、それを獲得することができるのであろうか? バウアーはそれを拒否する。
(略)
 バウアーによると、人間が一般的人権を獲得するには「信仰という特権」を犠牲にしなければならない。われわれは当面いわゆる人権と、しかもその真の形態、その発見者である北アメリカ人とフランス人が所有している形態での人権を考察してみよう。こうした人権は、一部は政治的権利、他人との共同体においてのみ影響を及ぼす権利である。共同体、しかも政治的共同体、国家制度への参加がその内容を形成する。人権は政治的自由のカテゴリー、国家市民のカテゴリーのもとにあり、すでに見たように、宗教、したがってたとえばユダヤ教の積極的な、矛盾なき廃棄を前提にしているわけではない。われわれには人権のもう一つの部分、すなわち人権が公民権と区別される限りでの人間の権利の考察が残されている。
 任意の宗教に権利を与える良心の自由は人権の流れにある。信仰の特権は人権として、人権の結果としての自由として明確に認められている。

自由という人権は政治的生活と闘争に入るや権利であることをやめる

しかし自由の人権は人間と人間との結合に基づいているのではなく、むしろ人間と人間とが分離することに基づいているのである。人権とはこうした分離の権利であり、限定された個人に限定する権利である。
 自由という人権を実際に応用するのは私的所有という人権である。
(略)
いわゆる人権というものはどれも利己的な個人、市民社会の成員、すなわち、自分自身、私的利益と私的意志に引きこもる、共同体から分離した個人である人間を超えることはないのである。
(略)
 まさに自らを解放し、さまざまな人民の枠を壊し、政治的共同体を基礎付けようとするこうした人民が仲間や共同体から分離した利己的な人間を厳かに宣言する(1791年の宣言)のは不思議なことである。
(略)
すなわち、自由という人権はそれが政治的生活と闘争に入るやいなや権利であることをやめるということになる。一方理論によると、政治的生活は人権を保障し、個人的人間の権利を保障するだけであり、したがってそれがその目的である人権と矛盾するやいなや、廃棄されるか、されねばならないのだ。(略)しかし、革命的実践を正しい関係の状態だと考えようとすれば、なぜ政治的解放者の意識の中では、この関係が逆立ちするのか、目的が手段として、手段が目的として現れるのかという謎が依然残る。
(略)
政治革命は封建社会のさまざまな袋小路に同じように散らばり、溶け、流れている政治的精神を解放したのである。分散した精神を集め、その市民生活との混同を解き放ち、それを共同体の領域として、市民生活のある特殊な要素から理念的に独立した一般的な人民の業務として構成したのである。
(略)
政治的解放は同時に市民社会の政治からの解放であり、一般的内容をもつ見せかけの姿からの解放であった。
(略)
封建社会はその根にある人間に解体された。しかしそれは現実の根の中にある人間、利己的人間への解体だったのである。
市民社会の構成員であるこうした人間は、今では政治的国家の前提であり、基礎である。人間はこうしたものとして、人権の中で認識されている。
 しかし、利己的人間の自由とこうした自由を認めることは、その生活内容を形成する精神的、物的要素の、きリのない運動を認めることである。
 したがって人間は宗教から自由ではなく、宗教的自由を獲得したのである。人間は所有から自由にはならなかった。所有の自由を獲得したのである。人間は商業の利己心から自由ではなく、商業の自由を獲得したのである。
(略)
すべての解放は、人間的世界、関係の、人間それ自体への復帰である。
 政治的解放は人間を一方で市民社会の成員に、独立した利己的個人に還元することであり、他方で国家市民、法的人間に還元することである。
 現実の個人が抽象的国家市民を自らの中にとりもどし、その経験的生活の中、その個人的労働の中、その個人的関係の中にある個人として、類的存在となったときはじめて、人間がその「固有の力」を社会の力として知り、かつ組織し、したがって社会的力がもはや政治的力の形態をして自らを分離しなくなったときはじめて、人間の解放は完成されたことになるのである。

 貨幣は嫉妬深いユダヤ教の神であり、その前ではほかの神は存在することを許されない、貨幣によってあらゆる人間の神は低くなり、商品に転化する。貨幣はそれ自身によって構成されるすべてのものの一般的な価値である。こうして貨幣は全世界、自然界と同様に人間界からその固有の価値を奪い取ったのである。貨幣とは人間にとってその労働からも、その存在からも疎外された本質であり、この疎外された本質が人間を支配し、人間は貨幣を崇拝するのである。
 ユダヤ人の神は世俗化し、世俗の神となったのである。交換手形こそユダヤ人の現実の神である。ユダヤ人の神は幻想の上の手形にすぎない。

明日につづく。