マスタースイッチ

チラ読み。順番を飛ばして、後半を先に。

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 台頭する独占企業を評価できる理由が一つある。ある一定期間に、圧倒的な利便性や優れた効率化、驚異的なイノベーションがもたらされるからだ。歴史の浅い独占は、いわばそのメディアの黄金期につながることが多い。また、独占は巨大な利益を生み、それが組織の拡大や研究に再投資され、場合によっては公共事常に向かう可能性もある。
 AT&Tは全米に電話線を張り巡らせ、トランジスターを発明した。
(略)
 長期独占による抑圧を受けずに、短期的な独占のメリットだけを享受する方法はあるのだろうか。実はそれこそが、まさに[著者の唱える]分離原則の狙いなのだ。
 統合を進める独占企業はどうしても逃げ揚が欲しくなる。つまりは要塞化だ。まずこういう慣習を断ち切れば、たとえ大成功を収めた企業であっても、要塞に逃げ込むことはできず、その後も競争にさらされ続けることになる。

AT&T帝国再建

[分割後厳しい監視下にあったAT&T残党電話会社]
そこで地域ベル電話会社の支特派は考えた。規制に苦しめられているのは、競争がないからだ。ならば、まっとうな競争さえあれば、規制とはおさらばだ、と。幸か不幸か、地域ベル電話会社は米国一規制に縛られた会社だ。その地域ベル電話会社が、通信業界にすでに競争が十分根付いている事実を、身をもって示せばいいのではないか? そうすれば、これまでの束縛から自由になれる日が来る、という論理だ。
(略)
[規制緩和を推進するクリントン政権AT&T残党の新戦略の思惑が一致し、「聖域なき競争導入」が貫かれた電気通信法が成立]
[新規参入者にインフラを貸与することになっていたが、実際はその依頼をのらりくらりかわしたAT&T残党]
 1996年の電気通信法導入後と、1913年の「キングスベリー誓約」後を比べると、奇妙なほどによく似ている。どちらも、電話市場に恒久的な競争を導入しようと政府が介入し、当初はベルシステムを打ち砕く大勝利と歓迎されたが、現実にはどちらもAT&T支配の新たな時代を作るきっかけになった点も同じだ。
 だが、決定的な違いがある。旧AT&Tは公益を託された昔として事業に取り組むと誓い、その言葉どおりの成果を残したのに対して、新生AT&Tにはそのような志が皆無だったことだ。(略)
 独占主義者の手先となるのは、弁護士と州議会である。さらに時間稼ぎと法廷闘争を駆使し、“持たざる企業”から潰していく。電気通信法のお陰で、地域ベル電話会社は競争の火蓋を切ると同時に、競争相手を次々に駆逐することに成功した。死屍累々とはこういうことだろう。(略)
SBCは巧妙な消耗戦を仕掛けた。ゲリラ作戦が展開され、他の地域ベル電話会社も後に続く。すなわち、大都市でも、小さな地方自治体でも、全米で1000件にものぼるケーブル切断が発生した。競合他社は、地域ベル電話会社の設備を使わせてもらっている現実を、否応なく思い知らされた。(略)
 1990年代後半の業界誌は、この手の卑怯な策略を報じる記事でいっぱいだった。一説によると、競合他社と契約しようとした小学校にSBCが弁護士を送り込んで脅したとか、交換局局舎内で、他社の交換機を預かっているスペースの窓をわざと開けっ放しにしてハトに巣を作らせ、やがて糞だらけになってシステムが故障したという話もある。

復活したAT&T帝国は追加料金を払った客の回線を優先する“追い越し車線”サービスを目論むがネット等の大反発に遭い断念。これを機にネット中立性が法制化された……、がっ!

「消費者のブロードバンド・インターネットのアクセス・サービスに関して、合法的なネットワーク・トラフィックの送信を遮断」せず、また「不当に差別してはならない」と定めた。
 これだけ明快な規則なら、ウェブやオープン・インターネットに対する潜在的な脅威も一掃されそうだ。だが、それは大間違いだった。(略)
「帯城制限」のようなプロバイダ側に都合のいい行為は、お咎めなしだったのだ。(略)差別禁止規定が適用されるのは、有線接続のインターネット(主にケーブルテレビ業界が支配)だけで、無線ブロードバンドは適用対象外。スマートフォンiPadに届くデータは対象外なのだ。
 この例外規定は、AT&Tとベライゾンが中立性規則に賛成する条件だったわけで、法の抜け穴ではなく、明らかにベル陣営のウルトラCだ。ケーブルテレビ業界にとっては不利な規定だが、AT&Tとベライゾンがそろって将来を賭けてきた市場は、政府の監視を逃れることになった。

 ベル陣営は無線が将来の鍵を握ると考えており、まさにそのとおりになったのである。

以下、最初に戻って。
宝の持ち腐れ

[1934年ベル研究所クラレンス・ヒックマンは磁気テープによる留守番電話を開発するも、上層部は電話事業に害をなすと抹殺]
AT&Tの屋台骨が揺らぐようなら、たとえ意義のある研究テーマでも葬り去ったほうがましという発想だ。これが集権型イノベーション体制の弱点だ。(略)
[性能向上といった持続的イノベーションはいいが、現状を否定する破壊的イノベーションは御法度]
 被害妄想のAT&Tが、長年にわたってお蔵入りにした技術は記録装置に限らない。光ファイバー、携帯電話、DSL、ファックス、スピーカーフォンなど枚挙にいとまがない。

[ネットに翻訳記事あったとです。カトリック司祭ダニエル・ロードが作成した悪名高い「プロダクション・コード」は]
1934年から1960年代まで、ハリウッドの映画製作に適用された。絶頂期には、ロード一派(ジョセフ・ブリーン他)が米国の映画界を完全支配し、職権も権限もないのに検閲を実施するなど、独裁政権顔負けだった。
(略)
[矯風団(風紀の乱れを取り締まる自主団体)は最盛期1100万人、ボイコットを武器にハリウッドに圧力。教会側の圧力によりルーズベルト政権が政治介入の動きをみせたこともあり、映画界は「プロダクション・コード」を導入]
憲法修正第一条は、「合衆国議会は、(中略)言論または報道の自由を制限する法律(中略)を制定してはならない」と言っているに過ぎない。
 つまりロードとブリーンのコンビが生み出した検閲制度は、憲法修正第一条とも司法とも、何ら関わりがない。法律なら違憲立法審査の対象になるが、今回の検閲制度は法律ではなく、単なる民間の制度。だから修正第一条の適用範囲にないのだ。
 矯風団は、政府とは無縁の完全独立組織であり、業界に対する影響力は、業界自ら決めた仕組みで生まれたもの。憲法は、政府が言論の自由を制限しないように国民を守ってくれるが、国民がお互いを縛り合うことには口を出さない。
(略)
 ここに巧妙な仕掛けがある。集中化が進んだ業界では産業構造自体で表現の自由が萎縮する。検閲を出すまでもない。情報産業は「言論産業」であり、ひとたび集権化されると、理由はどうあれ言論を制限したい外部の人間の格好の餌食になる。そこに問題がある。しかも、制限の理由が言論産業とは無関係ということもある。(略)
その結果、教会とハリウッドが手を組み、米国史上、稀に見る強大な力の検閲体制が確立したのだ。
 1930年代には、米国で映画を作りたければ、一人の男にお伺いを立てるほかない状況になっていた。1936年に雑誌『リバティ』が、ジョセフ・ブリーンについて「思想統一という意味では、恐らくはムッソリーニヒトラースターリンよりも影響力がある」と評したほどだ。
(略)
 そもそも映画を製作することさえ、わずか12人の人間にしか権利がなかった。これは合憲性云々ではなく、単に特許による事情だ。そして、この12人は、仕事上の上下関係から、ジョセフ・ブリーンというたったひとりの男の意向に従わざるを得なかった。米国での言論の自由の行方を理解するには、それがどのように発生したのかを理解することが第一歩となる。

FMの悲劇

[ラジオ業界のドン・RCA社長サーノフの依頼でAMラジオの雑音や歪みを除去しようとしてFMを開発してしまったエドウィン・アームストロング。AM帝国を脅かす技術を葬ろうとするサーノフ]
FM波でラジオ局同士を相互接続できれば、ネットワーク局が全米に番組を配信する際に、AT&Tの長距離回線を使わずに済む。(略)
FM波を使って『ニューヨーク・タイムズ』や電報を複写送信してみせた。招かれたRCA関係者は度肝を抜かれた。これは今で言う無線ファックスだ。アームストロングの頭の中では、単なる高品質のラジオ放送だけでなく、多彩な通信技術の構想が渦巻いていた。驚くなかれ、実は現代でもFMの可能性はまだまだ未開拓の部分が残っているのだ。
(略)
連邦政府の支援を受けていたラジオ放送業界は、少数の放送局で牛耳る体制維持にこだわった。ラジオのビジネスモデルは「カネを生む娯楽」が基本。番組制作費は広告主が持つのだから、聴取率が命だったのだ。ラジオ局の選択肢は少ないほど都合がいい。(略)
垂直統合された産業では、表現の自由を制限することに既得権益が生まれる。言い換えれば、さまざまな声を流すことではなく、ごく少数の見解を流すことに利益があるのだ。言論の大量生産である。
(略)
[軍部に技術を無償提供したりとFM存続のために苦闘を続けたアームストロングだったが]
AM陣営が周到に企てた作戦と、“共謀犯”のFCCによる規制(総じてAM陣営寄り)にFMは足を引っ張られ、単なる“ステレオ版AM放送”から脱却できなかった。(略)
1946年になると、RCAはFM技術をテレビ放送の音声部分に使えると考え、FMに対する姿勢を変え始めた。(略)
ところが、かつての友アームストロングに協力を求めるどころか、FM技術を無断で利用し、アームストロングが訴えてきたら対応するという腹づもりだった。
 RCAは、社内技術者が“別のFM”を発明して特許を取得したと言い張った。(略)
[裁判になると]
サーノフは「RCAとNBCは、誰よりもFMの発展に尽力してきました」と答えた。
 本当のFM発明者の目の前で、真実をあっけなく否定する厚かましさに、アームストロングは我慢の限界を超えそうになっていた。
[特許で築いた財産もRCAとの法廷闘争で失い、1954年アームストロングは投身自殺]

と、こういう感じの面白い話が満載なのだけど、あまり気力がないので終了。