- 作者: アブドーラザブッチャー,Abdullah The Butcher
- 出版社/メーカー: 東邦出版
- 発売日: 2003/05
- メディア: 単行本
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私はデビュー前から緩急を重視した現在のスタイルをアイデアとして持っていた。(略)毎日の靴磨きでお客の機嫌に敏感になっていたから、なにをすれば観客が喜ぶかを察知していたのかもしれない。
私のスタイルには絶対にスピードが必要だと考え、とにかく毎朝ひたすら走った。私のような体型の者が疾風のようにリングを走り、素早く相手を捕まえ、底知れぬスタミナを持ち合わせていたら、それだけで金になる。
空手もプロレス流にアレンジして、できるだけ大きなモーションでダイナミックに見える技の練習を延々と繰り返した。(略)
代名詞となる地獄突きもすでにアイデアとして持っていた。
ナチュラルだと褒められる
このナチュラルには2つの意味があった。ひとつは私がプロレスの本質をスマートに理解できたことを指したものだ。プロレスは面白くなければならないということは、常に頭の隅にあった。もうひとつは、生まれながらのタフさを持っていたことだ。それがいまでも現役を続けられている理由でもある。
[生活のため幼少から働いたことによる自然な労働筋肉]
バイオレンス
「ファンの求めるのはバイオレンス。世間の常識など存在しないリングで、本物のバイオレンスを見せつける。プロレスは殺し合いではないが、面白くなければならない。なによりも面白さを優先させ、人の心を捉える者が一流である」
バンクーバーのプロモーターが
「アブドーラ・ザ・ブッチャーというのはどうだ?イメージは“スーダンから来た気の狂った屠殺人”だ」
バックドロップで投げられるようなことはなかったが、格闘技を死に物狂いで練習した経験のある私には、テーズのクオリティーの高さはヒシヒシと伝わってきた。
自称シューター
彼らは私との対戦でセミファイナルに起用されたりすると、「自分の強さを見せつけてやる!」と舞い上がり、試合の流れを無視して唐突に裏技を使ってくる。
そういう場合は私もその気になる。靭帯を引きちぎらんばかりに捻ろうとする相手に、こう言うのだ。
「ユー・フィニッシュ?」(略)
仕掛けられたら、きっちり返事をする。それができなければトップは務まらない。もし相手が目のなかに指を入れてきたら、もう2度とそんなことができないような仕打ちを私はする。私はどんなときでも反撃できる能力を持っている。おかげで病院送りにされることもなく、長くヒールを続けてこられたのだ。
初来日。大人しい観客の前で吉村を鉄柱流血。
日本の観客もアメリカ人のように、会場で大騒ぎしたがっていると感じた。だが、なにかがそれを妨げている。ならば私がカミングアウトさせてやる。徹底したバイオレンスで。
ハッキリ言えば、全日本プロレスをスタートさせたのは私だ。私が全日本プロレスの設立を馬場に提言したのだ。もっと正確にいえば、私とデストロイヤーが馬場に独立をけしかけ、それにドリー・ファンク(略)[一家]が乗ったのだ。
新日からギャラ倍額のオファーがあったと馬場に告げるも賃上げ交渉のハッタリと相手にされず。
馬場はそれまでの付き合いから、私が全日を離れるようなことはないと信じ切っていたようだ。(略)
[79年『夢のオールスター戦』のギャラは同時参加シリーズ一試合分でしかなかった]
そういうものなのだ。馬場のやり方に誤りはない。プロモーターとはそういうビジネスなのだ。事前に確認しておかなかったほうが悪い。文句があるならビジネスを打ち切ればいい。だから私は、『チャンピオン・カーニバル』で2度優勝してもギャラが変わらなかったことも受け入れた。とりあえず要請はしてみたが……。
(略)
馬場はプライドを持った男だ。私が本当に新日本に移籍することを知ったとき、後追いはしなかった。
新日
[ハンセンの全日移籍は恩人ファンクスの頼みというだけでなく]
スタンは新日本というオフィスに戸惑いを感じていた。
新日本は猪木が社長であるにもかかわらず、だれに決定権があるのかわかりにくい部分があった。私の移籍も猪木の望みだったのか、それとも第三者が別の狙いを持って仕掛けたことなのかわからなかった。というのは、試合をしていても、私の移籍を猪木本人が望んでいたとは思えなかったのだ。
馬場の好敵手を奪って自分のライバルに仕立て上げようとする気は、猪木にはまったくなかっただろう。奪うことのみに意味があったのかもしれない。現に後日、私は新日本が本気で全日本を倒産させようとしていると感じた瞬間があった。
MMAへのコンプレックス
奇妙なのは、MMA系の選手に妙なコンプレックスを持っているレスラーがいることだ。(略)
MMAが対戦相手ひとりと闘っているのに対し、プロレスは相手だけでなく会場にいる全員と闘わなければならない。しかもただ勝つだけではなく、観客を喜ばせ、相手の魅力も引き出さなければならない。
それは非常にプロフェッショナルな仕事なのだ。そのことにプライドを持つべきだ。MMA系の選手がプロレスのリングに上がったときの姿を見れば、いかに私たちが困難な仕事をしているかわかるだろう。(略)
日本のプロレスファンのなかには、プロレスの裏側に異常なほどの関心を示す人たちがいる。だが、プロレスに裏も表もない。見たものがすべてだ。
幼少期のアイドル、そして師でもあったシーク
シークとの関係は、とてもひと言では説明できない。私にとって恩人であることは間違いないが、一時期、私たちは本気で憎み合っていた。リング上で敵対心を剥き出しにして互いを傷つけ合ったものだ。(略)
すでに70歳近くなったシークがFMWの有刺鉄線リングで、血まみれになりながら大仁田の額を5寸釘で引き裂く写真を見たときは目頭が熱くなり、あらためて尊敬の念を強くした。最後まで本当のプロフェッショナルだった。
私の試合スタイルは、シークのバイオレンスを理想とし、そこにオリジナルな空手技を取り入れ創り上げたものだ。