前日の続き。
PURE DYNAMITE―ダイナマイト・キッド自伝 (BLOODY FIGHTING BOOKS)
- 作者: ダイナマイトキッド
- 出版社/メーカー: エンターブレイン
- 発売日: 2001/09
- メディア: 単行本
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全日移籍
帰国するとミスター・ヒト経由で全日移籍話。契約金ひとりにつき2万ドル(450万円)、ギャラは週6200ドル(新日より1000ドル多い)。極秘来日して一週間カンヅメに。デイビーボーイ・スミスはヤクザに襲われるのではとビクビク。ベルトはメッセージを添えて新日に返還。
[全日初戦当日、外人レスラー宿泊ホテルへ]
馬場がラウンジで長い葉巻を吸っていた。さらにその向かいの席を見て驚いた。そこに座っているのは坂口征二だったからだ。まさにその場で俺たちのことを話し合っていたのだ、正直、まったく予期していないことだったのでビックリしたが、それでもなんとか平静を装ってその場を通り抜けた、一方のデイビーボーイ・スミスはガタガタと震え、坂口に見つからないように俺の後ろに隠れていた。チビッているのかと思うほどビビッていた。(略)
坂口は馬場と真剣な話し合いをしていた様子で、俺たちのことなど見もしなかった。後になってわかったことだが、ふたりの間では何らかの合意に達していた。(略)
人伝に聞いた話では坂口はとても残念がっていたようだ。新日本離脱から半年後、俺はニューヨークのMSGで彼と再会する機会に恵まれた。彼は俺に手を差しのべ、握手を交わしながら「へんな感情はないよ」と言ってくれた。さらに数年後、東京の空港でアントニオ猪木とバッタリ出くわした時も、「アントニオ!」と叫ぶと、彼は振り返ってニッコリと笑ってくれて握手をした。
ブレット・ハートから移籍について責められて
キッド名言
「それは俺の問題だからだ、ブレット。それにしても即決だったぜ。バカは金が動けば、それについて行くのさ」
- ブッチャーとは親友だし良くしてもらった。だがタイガー・ジェット・シンはマット界でも最悪の人物。人としてもレスラーとしてもクズ。
- WWFはステロイドは黙認していたがドラッグには厳しく抜き打ちで尿検査、陽性なら即解雇。レスラー同士で尿を交換して切り抜ける日々。
- 86年12月WWFでの試合中、背中に激痛、まったく身動きできなくなる。病院へ、キング・トンガが夜中付き添ってくれた(デイビーは薄情にトンズラ)。6時間の手術、だが左脚は麻痺。ビンスから王座移動のために一試合だけと言われ車椅子で会場入り。デイビーに抱えられるようにしてリングイン、即ボコられ王座移動。ギャラはたったの25ドル。その後、背中に爆弾を抱えてではあるがリングに立てるように。
興行戦争に敗れWWF入りしたハーリー・レイス。
尊敬するレイスが歳もあり怪我で休んだ時に、小馬鹿にしたレスラーを制裁するキッド。
彼の偉大さはそのNWA王座の奪取の記録にある。そこで知っておいてほしいことは、ひと昔前まではよほどのレスラーでない限り王者になる権利を与えられなかったということだ、つまり、たとえそこが路上であろうと、リング外でも自分を守れる人間でなければいけないということだ。なぜなら、世界王者が街でチンピラに絡まれボコボコにされたなんてことになればこの業界の大恥になってしまうからだ。こういう事実を踏まえた上でハーリーの記録を見れば、彼がどれほどのレスラーだったかわかってもらえるだろう。
ダイナマイト・キッドのステロイド講座
「ウィンストロールV」のような水溶性のものと、「テストステロン」や「デカドュラボリン」といった油性ベースのものがある。(略)本当に身体をデカくするのが目的だった時は毎日1.2グラムもの多量摂取をしていた。
でも、必要としている肉体とパワーが付くと、その後は1日おきに毎回1cc中に200ミリグラムのテストステロンが入ったステロイドを両方のケツに注射するようになった。ちょっと変化をつけたい時には左のケツにそのテストステロンを、そして右のケツには1ccあたり50ミリグラムのデカドュラボリンが入ったものを摂取した。
(略)[水溶性はすぐ体外排泄されるので毎日摂取可能]油性ベースのステロイドは体内の組織に長く留まる特性があるので、せいぜい1週間に2、3回が限度だった。そして針も長さ約4センチはあろう22番型のものを使って、液が筋肉の奥深くまで行き届くように根元まで刺し込まなければならなかった。
ステロイドを4、5週間取った後は1週間中断するのだが、その間にはまた別の薬「ゴナダトロフィン」と呼ばれる成長ホルモンを摂取しなければならない。というのもステロイドを長期使用すると、体内で男性ホルモンの生成が止まってしまうからだ。つまり1週間ステロイドの使用を空けた時に、ゴナダトロフィンを摂取することで男性ホルモンの生成を促して、体重と肉体を維持するのだ、
ドラッグ
通常の仕事がある場合でも、まずアンフェタミン(スピード)を服用して、翌朝の便に遅れずに起きられるようにする。それから次は機内でグッスリ熟睡できるようにバリウムを飲み、試合前にはパーコセットを飲むといった具合だった。さらに試合が終わると翌朝までビールを飲んでコカインを服用し、再び眠れるようにバリウムを飲んでいた。俺ばかりでなく、大多数のレスラーが同じことをしていた。
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馬場
ギャラに関しては律儀な馬場。いつも年初めに払ってくれた年間契約金、だがジョー樋口は今度来たときと。変だと思いつつ帰国するとWWFから誘いが。そう情報をつかんでいた馬場は移籍を予測し払わなかったのだ。
それから三年、WWFの扱いにキレたキッドは馬場に電話。
[突然の電話に驚きを隠せない馬場]
俺が肝心の用件を伝える前に彼はこちらからかけ直すのでいったん電話を切るようにと言った。(略)電話の主はロード・ブレアースだった。彼は元プロレスラーで、ハワイに在住し馬場のエージェント役を務めていた。
馬場はとても慎重な人物だったから、レスラーと直接話をすることが滅多になかったのである。
90年ステロイドも減らし体もしぼみ
俺とデイビーボーイ・スミスが菊地毅&渕正信と対戦した時のこと。渕がリングに仰向けに倒れる俺の手首を極めてきた。俺はすかさずニップ・アップに移行しようと思ったが、その瞬間「ひょっとしたら失敗するかも?」という不安が頭をよぎった、そこで俺は渕に目配せすると「頼む」とつぶやいた。そしてニップ・アップにいった時、渕は俺を持ち上げるようにフォローしてくれた。
相手が馬場級のサイズとなると本当に苦労した。(略)馬場をブレーンバスターで投げることはできたものの、彼の身体では捻りを加えて高速で投げることはできなかった。その頃の馬場はまだ確実に受け身を取っていて、多くの日本人レスラーに嫌がられている俺のパイルドライバーでさえ、彼はキチンと受けていた。
ブッチャー
リング上でアブドーラをバカにするような攻撃を仕掛けようものなら、彼は途端にかなりのクセ者に変身した、いわゆるファイターではなかったが、相手の額を流血させたり、相手にダメージを与えることには長けていた。(略)
[ある時、アンジェロ・モスカが仕掛けた]
アブドーラを持ち上げ、マットに叩きつけようとしたのだ。しかしその瞬間、アブドーラは両手でモスカの喉を絞めながら言った。
「大将、下に降ろしてくれ」
「投げてくれ」ではなく「降ろしてくれ」というのがミソだった。そして刃物のような鋭い爪で喉を絞められ苦しみだしたモスカは、すかさずアブドーラをマットに降ろしたが、それはまるで壊れ物を扱うかのような注意深さで足からそっと置いた。
これ以降、リング上でのモスカはまさに図体がデカいだけの赤ん坊だった。
ダニー・スパイビー宅でLSDやったら心臓停止。医者からステロイドで心臓肥大と言われ、使用禁止宣告。ステロイドとドラッグを止め体に自信をなくし全日来日もこれが最後と引退宣言。
渕が俺のところへ来て言った。
「キッド、引退だけはするな……。半年ほど休養すればいいんだ」
「それでどうにかなるとでもいうのか?」
「馬場さんには『半年後に戻って来る』と言っておけばいいんだ。“引退”という言葉は絶対に出しちゃダメだ」
俺が再び戻って来るとなれば馬場は俺に多少の金をくれるだろう、というのが渕の考えだった。
全日で温かく引退を祝われ、翌日の空港
ブッチャーが俺に近寄ってきてプレゼントをくれた。
「じゃあな、大将。これを眺めながらたまには俺のことも思い出してくれ」
彼からの贈り物は腕時計だった。
「ありがとうよ、ブッチ」
「とっとと失せやがれ!」
こう言ったブッチャーは今にも泣き崩れそうに見えた。この時以降、ブッチャーとは一度も再会していない。
96年、初代タイガーサプライズでみちプロに呼ばれる。実力ではなくネームバリューでブッキングされたことに落ち込む。
97年、再婚。数ヵ月後、両脚と背中に未経験の激痛。一生車椅子生活に。