大山倍達の遺言

空手界について全く知識がないので、このことについてこんな風に書いているから信用できるできないという判断がつかないのだけど、全体の記述から判断するに全ての派閥についてフラットに書いているように思う(一番悪く書かれている三瓶派についてもそれなりに配慮してると思うけどな)。どっちにしても爽やかな読後感ゼロw。まあこれ読んで、三瓶さん素敵と思う人は皆無だと思う。

大山倍達の遺言

大山倍達の遺言

松井章圭

[プロ格闘技ブームに乗ろうとテレ朝&日刊スポーツとの提携が確定していたが、分裂騒動で白紙に]
[門下生でフジテレビ社員立川善久が動くも]
突然の話でもあり、なかなかスポンサーがつかなかった。地上波のフジテレビで大会を放映するには資金が足りず、結果的に約2000万円の営業持ち込みという形で放映してもらうことになりました。この放映をきっかけにして、立川さんを中心に『フジテレビ格闘技委員会』というプロジェクトが発足しました。その会長に就任してくださったのが、当時、フジテレビ専務だった出馬迪男さんでした。(略)この出馬さんから、直接『K‐1に選手を出してくれないか』と要請されたのです。(略)
私は単刀直入に『専務、それはK‐1からの白旗を揚げた降参と捉えてよろしいのですか? ようするに、K‐1の人気が落ち、視聴率も低下してきて、そこを極真さんに助けてほしいとお願いされている、そう理解していいのですか?』と聞きました。すると、間髪を容れずに出馬さんが『100%それで結構です。石井館長から一任されている私の答えです』と断言なさった。
 そんな経緯があって、フジテレビが仲介する形で石井さんと会うことになったのです。出馬さんはそのとき、『儀礼上のことだけど、松井さんが上座、石井さんが下座という形を取ります』ともおっしゃいました。(略)
石井さんははっきりとこう言いました。『格闘技界の住み分けをしませんか?私にプロをやらせてください。アマチュアはすべて松井館長にお任せします』と。(略)
 「次の会談のとき、私は石井さんに言いました。『アマチュアとプロの住み分けをするならば、正道会館の商標権と営業権をこちらに渡してください』と。すると、石井さんはそれは難しいと言う。そこで私は一歩退いて、『ならば正道会館として国際空手道連盟の傘下に入って会員登録してほしい』と提案しましたが、それもできないと。それでは結局、何も変わらないということで、K-1との提携はいったん暗礁に乗り上げたのです」

フランシスコ・フィリオK−1参戦

[ブラジル支部長・磯部清次談]
[深刻な不況下のブラジル]フィリォは親兄弟を養わなければならない個人事情があり、彼に道場を持たせる、新支部を開かせるということだけでは明らかに不十分でした。師として不甲斐ない話ですが、フィリォは空手で生活できないならばボクシングに転向するといって、ドイツのジムにいってしまった。ドイツでプロの資格を取り、ボクシングのヘビー級チャンピオンを目指すというのです。そんなとき、極真にK‐1から協力依頼がきているという話を聞きました。K‐1はショーではあっても、厳格なルールに基づいたプロの格闘技です。そう考えたとき、私はフィリォのK‐1参戦を現実的に捉え始めました」(略)
[松井談]
たとえこちらの要求を正道側がのめなくても、石井さんから白旗を揚げてきたのは明らかな事実。フジテレビからの要請、フィリォと似た生活を背負った選手の処遇、その他、さまざまな方面からの圧力……。結局、極真会館としてもK‐1と絡まざるを得ない状況に陥っていきました。

高木薫と三瓶啓二

ある意味、似た者同士だった。彼らは同じように、大山亡き後、自らが二代目館長の座に就くべき野望を抱いていた。だが、二人には決定的な違いがあった。松井から館長職を奪い、極真会館の実権を掌握するための方法論こそが、彼らの違いを如実に表している。
 三瓶は大山の生前から、自らの派閥を拡大したり、百人組手に挑戦したり、後に予想される権力争いを有利にするための地固めを着々と進めていた。高木は直接、大山や智弥子に取り入り、自らをアピールすることで権力を手中にする策に出た。他の支部長にどう思われようと、大山にだけ気に入られればよいという考えが高木にはあった。(略)
 三瓶については、前述したように「自らは裏に回り、周囲を動かす狡猾な性格」という声が多い。一方、高木については「一本気で協調性がない」という意見で一致している。つまり、三瓶は陰で人を操る狡さはあるが、表面上は多くの支部長たちとの交友関係を保っており、高木は周囲と溶け込まず、独立的な存在と思われていた。それゆえに、高木は支部長のなかでも浮いた存在だった。

三瓶派は緑健児が新代表に

[使途不明金と大山三女との不倫の二大スキャンダルで]
三瓶師範が代表を降りた途端、三好師範や小林師範、藤原師範らが三瓶師範から離れていったように思います。結束力が固かった三瓶師範の派閥はぐちゃぐちゃの状態になっているんです。実際に理事会を支配しているのは三好師範たちじゃないですか。緑代表は彼らには何も言えないようです。かといって、三好師範たちも三瓶師範には面と向かって反論できない。うまく三瓶師範を懐柔しながら、緑代表と三瓶師範の関係をカットして緑代表を操っているのが実際だと思います。緑代表は三瓶師範を悪くは思ってないようですが……。だから、以前に比べれば三瓶師範の権限は一見、消えたように見えながらも、決してなくなったわけでもないという、なんだか複雑な関係にあるように思います

1996年、ニューヨークで会議が行なわれた際、三瓶は通訳兼秘書の名目で喜久子を伴って出席した。二人の様子はまるで夫婦同然であり、その関係をただした関係者たちに対し、「私はマス大山の義理の息子」「マス大山の孫の父親」といった言葉で応じていた姿を金村清次はじめ日本人支部長、さらに複数の外国人支部長が目撃している。以下は金村の言葉だ。
 「私は以前から、三瓶君が総裁の住んでいた大泉の家に寝泊りして喜久子さんを女房扱いしているとか、総裁が生前愛用していたバスローブを着てビールを飲んでいたという話を家政婦さんから聞いてはいましたが、単なる噂だと思っていました。しかし、あの二人の姿を見て驚きを隠せませんでした。日本では絶対にばれないようにしていたのでしょうが、海外ということで気が緩んだのか、それとも『俺こそが総裁の後継者だ』ということを外国の支部長たちに印象づけようという計算があったのかはわかりません。中南米支部を回ったときも三瓶君は喜久子さんを同行させて、ニューヨークと同じような発言をしていたようです。何人もの支部長から『あの二人は夫婦なのか』とか『結婚して三瓶が二代目館長になるのか』などと何度も質問されました」

新極真会」商標

[「新極真会」商標登録申請するも取得は難しいだろうと判断した緑派は松井派と和解交渉]
 和解条件に関しては、「守秘義務があるかもしれないので……」と松井は言葉を濁して語ろうとしない。ただ、かなり松井派に有利な内容だったことは否定しない。「新極真会」の商標権を緑派に譲る代わりに、今後一切松井派を誹謗中傷しない、松井派の道場がある地域には緑派の道場を出さない、さらには今後一切「極真空手」を公に名乗らない――などの条件を緑派が受け入れたことは確実だ。また、松井は「想像に任せる」としか言わないが、有力な噂として、商標権の譲渡には数千万円の金銭が動いたとも言われている。