大塚康生インタビュー・その2

前日のつづき。
アニメにおいて指揮者は集団統一のために自身を消耗させるし、兵卒はその作家性を殺さなければならない。ビジネスの確立は現場の創造性を削ぐ。職人で名が残らなくても仕事がハードでも、「あの柱はおれの工夫」という、現場で自己の創造の余地があれば満足できる。それが全体のクオリティを上げる。

大塚康生インタビュー  アニメーション縦横無尽

大塚康生インタビュー アニメーション縦横無尽

 

労組の時代と個人主義

あのころは、濃密な人間関係を作って仕事に向かうというやりかたが、東映に限らず、どこでも---ソ連をはじめどこの国でも---主流だったと思う。つまり、バラバラな人間をどうやって集めるかというんじゃなくて、初めからバラバラになりたくない人たちの集団だったんですよ。日常の楽しみにしても、みんなでどこかに旅行に行くくらいしかない。それが日本という国全体の傾向だったと思う。
(略)
「群れ集うのはうっとうしい。寂しいといえば寂しいけど、オレはオレでやるよ」という時代の夜が明けたのは、高度経済成長が成熟してからじゃないでしょうか。
(略)
今はいい時代になりましたね。一人で孤高に立つ人が多いでしょう。「こんなヤツとやっていけるか」といって、一人でもなんとかやっていけますから。それがいい悪いじゃありません。そういう時代の流れなんてすから。だから、これからのアニメ作りはもっともっと難しくなると思いますよ。宮崎さんの号令一下、兵隊になって作るのはイヤだと言う人も出てくるでしょう。「監督の名前が出るだけじゃつまらない、貧しくてもいいからオレはオレのものを作るよ」と。たとえ宮崎さんのようにはいかなくても、自前のを作りたいというのは、考えかたとしては当たり前でしょ。

アニメは個々の作家性より集団統一。

地味ながら、労働者がこつこつ作った映画という感じが東映作品にはあるんですね。いっぽうの虫プロでは、手塚さんご自身が作家だったこともあって、スタッフの一人一人がすごく作家的だった。東映では、「オレたちは作家だ」なんて思ってる人はいませんでした。
(略)
あいまいな人間の集合体だからこそ、いざ何か大きなものを作るときには、キチンと意志統一をして、美意識や指揮系統を統一しなきゃいけないと思う。虫プロでは、トップの手塚さんが大作家だから、その下のほうがちょっと野放しぎみというか、東映よりもバラバラだったんじゃないでしょうか。でも、世の中の趨勢は、圧倒的に虫プロのほうに向かっていた。日本中がもう東映を顧みずに、これからは虫プロだという時代が確実にあった……。いや、虫プロは本当に豪華でしたよ。芸能界みたいに華やかだった。帝国ホテルやプリンスホテルでしょっちゅうパーティーをやったり。記者会見をすれば、マスコミが大勢集まってねえ。東映はそんなことやらない。地味ですから。労働組合があったせいか、根が労働者なんですよ(笑)。

給与体系

東映動画の初期なんか、普通の会社のような賃金体系を適用したことで、大きな矛盾が生じていましたから。その矛盾の一番いい例が僕だったんですけど(笑)。つまり、アニメーターも正社員だから、完全固定給でしょ。学歴や経歴で初任給を決めるわけですよ。で、僕は中学卒だから、月給6000円くらい。同じころ入った東京芸大出の同年輩の人が1万円で、僕はその半分強。ところが、実際の作業に人ると、僕は彼の2倍ぐらい描くわけ。こうなると、総務部長も困っちゃうんですよ。当初は、アニメーターが辞めても他に行くところがないから会社も安心だったんでしょうけど、虫プロができてからは、いつ辞められるかわからないから、真剣に給与体系の変更を考えはじめまして(笑)。(略)
で、毎月毎月、給料日になると部長に呼ばれて、「大塚君、残念ながら東映の給与体系があるから、君の給料は今すぐには上げられないんだ。何とかガマンしてくれよ。実は今、会社は新しい雇用方法を考えているんだ」と。つまり、契約制度ですね。(略)
で、その原資をどうするかというと、これが驚いたことに、建築費から出すというんです。(略)
映画の撮影所ではセットをいっぱい組んだりつぶしたりするから、材木費とか建築費とかいう名目があって、かなり自由にできる。あるいは、たとえば、映画の主人公が海辺にたたずんでいるシーンがあって、撮影中、その沖を大きな船が通ったとする。たまたま船が通っただけなのに、「実はあれはお金を払って通ってもらったんだ」ということにして精算する。そんなふうにして計上した機動費を、僕のほうに回してくれたわけです。東映動画東映の子会社だったからこそできたんですけどね。(略)
この間、東映OB会というのが池袋であったんですが、当時の役職者の方たちも来ていて、「大塚さん、あなたの給料では苦労しましたよ。下げる苦労じゃなくて、上げる苦労でね」なんて言われた(笑)。

システムにスキがある方が創造の余地がある。

1本のアニメ作品がオンエアされるまでにいろいろ複雑なプロセスがありすぎる。制作現場に企画が降りてくるころには、作品づくりのコンセプトがほぼすべて出来上がっちゃってるんですよ。(略)
[昔は原作をいじることに鷹揚だった]
今、雑誌で当たった漫画をアニメにするとき、アニメの現場では、原作以上のことをほとんどやらせてもらえないんですよ。(略)
あらゆるスタッフに対して「変えるべからず」、ひいては「動かすべからず」というプレッシャーがダーッとかかってくる。これはつらいですよ。すべての会社のすべての作品がそうだとは言えませんが、業界全体として、そういう傾向は強い。僕が今、最も危機感を感じているのは、実はそこなんです。日本文化を代表するジャパニメーションなんていうのは実は大ウソで、これじゃあまるで、アニメは雑誌漫画をテレビ化するためのツールにすぎないじゃないか、と……。(略)
作品をハンドリングする局のプロデューサーや出版社の担当のレベルも上がってきています。昔は出版社の人も「アニメはようわからんから、ひとつよろしく」みたいな感じで、ようするに素人っぽかった。ところが今や、「私は素人だからお任せします」なんていう人は出版社じゃやっていけませんよ(笑)。局のほうも同じです。「面白いものを作ってください、あとはよろしく」という時代には、現場がずいぶん遊べたし、そのぶん苦労もするけど、「いっちょう面白いものを作ってやれ」とがんばれた。創作という作業には、実はそういうことがとても大事なんですよ。管理組織があまり強固になると息苦しいですね。

「動かし派」としてのグチ

日本人はアニメーションの「動き」自体についてはぜいたくじゃないから、手をかけて動かしたからといって喜ばれるわけでもない。ちょっとキツい言いかたをすれば、雑誌漫画に色がついて、有名な声優が声を出して、ある程度動いてさえいれば喜んでくれる。それ以上の厳しい採点はない……。皮肉なことですが、そのお客さんの「ゆるさ」こそが、逆に、今の日本アニメ隆盛の大きな理由じゃないかと思うんです。これも、「動かし派」としてのグチにすぎませんが。

貞本義行。集団作業への絶望。

   ところで、漫画とアニメは、同じ「絵」という意味では隣接した世界ですから、絵を描くのが好きで、漫画家になるべきか、アニメーターになるべきか、悩む人も多いんじゃないでしょうか。
そのことでいつも思い出すのは、貞本義行さんのことです。絵を動かさせたら、べらぼうにうまい人なんですよ。
(略)『リトル・ニモ』をやっていたころ、新人で入ってきた。とにかくもう、めったやたらにうまいんですよ。どのぐらいうまいかというと、僕が今まで出会ったアニメーターの中で、新人の時点で、「あっ、この人は自分よりうまいんだ!」と思った人が3人いる。月岡さんと、宮崎さんと、貞本さん。3人とも、そのぐらいうまかった。
(略)
はじめからもう脱帽というのは、あとにも先にもその3人だけです。だけど、そのうまさをアニメ作りにおいて完全に使いこなしたのは、今のところ宮崎さんだけだと思う。きっと、あまりにうますぎると、集団作業の中で絶望しちゃうんじゃないでしょうか。(略)
[月岡貞夫は映像作家になり、貞本はイラストや漫画]
どこのスタジオでもそうですが、アニメーター全員がうまいわけじゃないから、それを自分のレベルに統一していこうとすると、ものすごい労働量になる。貞本さんも、今の若い人らしく、以後、そこまでのエネルギーはあえて使わないんでしょうね。

職人

僕はね、さっきも言ったように、絵を描く技術に徹した職人です。そこに徹しないと、僕自身が演出家みたいになっちゃって、対立した関係になりますから。相手が信頼に足る演出家ならば、「あなたはどう考えたの?あ、そう。じゃ、そういうふうに描くよ」と、その人の考えを聞くだけでいい。その方針に納得さえできれば、どっちでもいいんですよ。豪華なら豪華に見せるし、貧乏なら貧乏にみせるのが僕らの商売ですから。どうもみんな、そういうことをはっきり言わないようだけど、そこははっきりさせたほうがいいと思う。技術というのは本来そういうものであって、その時々の演出を立てなきゃ商売になりませんからね。

高畑勲

遅刻寸前で現われ、入り口脇の水道を飲み、パンをパクパク食べるから「パクさん」と呼ばれた男の人格破綻ぶり。[高畑勲をさんざん褒めた後の話ですから、誤解のないように]

日常生活での高畑さんはだらしないもんだから言いかたは悪いけど、ちょっと能なしみたいに見えるときもある(笑)。不器用で、みんなで料理を作るときも、彼だけはあまりうまくできなかったりね。
[ナマケモノ・パクさんが突如見せる凶暴性]
その深い傷を受けたのは、おそらく、他ならぬ宮崎さん自身でしょうねえ。僕はそんな傷は負わなかったけど、何を言っても全部叩き伏せられてしまうほどすごい思想と論理を持っていますから、つき合っているうちに、「この人にはとてもかなわないなあ」という気分が出てくるんでしょう。会議なんかするとね、彼、はじめはじっと聞いているんですが、しだいに伸びをしたり、「ちょっといいですか」なんて、いつの間にか長椅子に横になっていたりする。あるいは、ずっと机にうつ伏せになったまま、顔も上げない。あまりいい態度じゃないですよ。「何考えてるのかな」「寝てんのかな」とみんな思うんだけど、実は、ちゃんと話を全部聞いている(笑)。で、最後の最後に、「悪いけど、今おっしゃったことは全部間違っています」とそれまでの意見をすべて否定する。みんな唖然とするんですよ。彼、ニッコリ笑って、「この企画はダメですね。はい、終わりにしましょう」(笑)。それまで懸命にしゃべっていた人は、どうしていいかわからなくなる。「高畑さん、どこがダメなんですか?」「いや、全部じゃないですか。また今度にしましょう」。そういうとき、人に与える打撃の大きさははかり知れないものがあるでしょう。

じゃりン子チエ』のとき、彼、立ったまま頭を壁にゴンゴン打ちつけてるんですよ。そんなことを5分以上もやっている。「何やってるのかなあ」と思うけど、恐ろしくてとても聞けない(笑)。長浜さんや大隅さん、あるいは宮崎さんにせよ、演出家が何を考えているか僕にはだいたい読めるんですけど、高畑さんだけはちょっとわからないところがある。そうそう、[何か他に楽で面白い仕事はないかという話になって]あるとき高畑さんが、アニメーションをやめて文房具屋をやりたいと言い出したことがあるんですよ。(略)
いっぽうの宮崎さんは、そういう弱音はいっさい吐かない。高畑さんには、やっぱりどこか優しい、弱いところがあるんですね。

ちょっといい話。戦時中に放浪。

いつもSLをスケッチしに行って顔見知りになった機関士が、「岩国に行ったら面白い機関車があるぞ」「見に行きたいなあ。おじさん、連れてってくれよ」「じゃ、何時何分の汽車で行くか」。当時の機関車というのは、機関士の前は機械でいっぱいだけど、助手席の前がちょっと空いているんですよ。そこに乗って、駅を通過するときだけしゃがんで隠れていればいい。駅長が来ても、しゃがんでいれば中までは見ないから。いくつも駅を通過して広島に着いたら、今度は広島機関区の人に「この子をよろしく頼むよ」とリレーしてくれるんです。そのうえ、機関区に置いてある特別食の乾パンや焼き芋を食べさせてくれたり、お風呂にもちゃんと入れてくれたり……。

フランスでの映画祭の

作品チョイスをしたのはイラン・グェンさんという30代の人でしたが、日本語を学んでコツコツと日本のアニメを研究していたのをフランス政府が認め、フランス大使館付にして、日本に2年間行かせて研究させた。批評家でもなんでもない、普通の民間人ですよ。上映についても、政府が金を出して、その人を中心にやらせた。市の職員も全部その人に従うわけです。で、彼が選んだのは、ほとんどが東映の旧作とジブリの作品でした。「公平にやらないんですか?」と聞いたら、「こういうものに公平はないでしょう。私がいいと思ったものでやります」と。「ものを生産するとき、どうしたってゴミもいっぱい生まれる。そのゴミと本物を見わける目は、突き詰めて言えば偏見です」なんて言うんですよ(笑)。

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