フィル・スペクター 甦る伝説 その4 大瀧詠一

前回の続き。

フィル・スペクター 甦る伝説 増補改訂版

フィル・スペクター 甦る伝説 増補改訂版

ロニー・スペクター

フィルとロニーのサイコドラマは、60年代に成人した、クスリ漬けの、イノセンスのかけらもない世代にとって、ポストモダン的な『ある愛の詩』と化していた。
(略)
[ジョシュ・アラン・フリードマンの未発表の中編]
ロニーと親しくなった彼は、彼女の物語を「ボニー」という主人公に託して語り直した。(略)
 なんの怪我もしていないのに、彼が医者にお金を払って、あたしの脚にギプスをつけたこともあるわ。そうしておけば何週間か、車椅子から離れられなくなるから。彼が不能になるにつれて、嫉妬は激しさを増していった。だってそのころにはもう、ミニのサンタ服を着せたあたしに犬用のひもつけて床を這わせて、ワンワン吠えろと命令するなんて真似までしてたのよ。
(略)
 フィルとの結婚生活でさんざん恐怖を味わわされたにもかかわらず、ロニーは再婚後も彼の姓を名乗り、フィルも相変わらず、彼女にある種の心理的抑圧をかけつづけた。
(略)
女房と結婚というのは単語じゃないんだ。文章なのさ。そして女房は結婚のあいだしか存在しないが、元女房は永遠に存在しつづける。(略)元女房は四〇年たってもステージに立って〈ビー・マイ・ベイビー〉をうたい、拍手喝采をもらえるんだ。あの女を有名にしたのはわたしだが、そのことを彼女は憤っている。「あら、でも彼は病的に支配欲が強い人なのよ」

ホール・オブ・フェイム

[ホール・オブ・フェイム]入りを知らされたとき、フィルはほとんど心を動かされなかった。(略)
フィルを筆頭に少なからぬ人々が、この式典を自己満足的な茶番と見なしていた。なにしろその「勝者」は、驚くほど少数の権威者たち――中心人物は「ローリング・ストーン」誌発行人のヤン・ウェナーと、アトランティック・レコードの創立者にして業界の名物男であるアーメット・アーティガン――によって布告されていたのである。(略)
[しかも新参者に横柄、95年三人のビートルズが式典に出席しなかったのは]三人の姿を収めた、大切な、途方もない価値を持つヴィデオの所有権は、彼らではなく「ローリング・ストーン」にあると通達されたのだ。
(略)
フィルもやはりワクワクしていた。全員が勢ぞろいしているのを知っていたからだ――アーメット、セイモア・スタイン、モ・オースティン、ベリー・ゴーディ、レスター・シル(略)唯一姿が見えないメンバーがドニー・カーシュナーだった。どうやら今や本当に老齢になった守旧派の権力を奪い取った時期にさかのぼる遺恨が原因で、ホール・オブ・フェイムの名簿からはずされてしまったらしい。まったくなんという皮肉、そしてなんという本末転倒だろう。フィルが伝説として敬意を受けるその晩に、その大恩人たるカーシュナー――もし彼がパトロン的にヒット曲を次々と送りこんでくれなかったら、現在、世間の知っているフィル・スペクターは存在しなかっただろう――は、自分の番がめぐってくるときをむなしく待ちつづけていたのである。
(略)
 「どういうことだ」と彼はトロフィーをなでさすりながら、神経質な笑い声を突くように、しわがれ声で話しはじめた。「就任式に出席できなくて、まことに申し訳ありません、ミスター・ブッシュ、あなたはとてもいい仕事をされたと思いますし、次回もあなたに投票しますよ……ティナ・ターナーは最高だ。とやかく言われているけれど、信じちゃいけない。それは全部、ほんとうのことなんだから」(略)
[フィル得意の]ドライで皮肉っぽい決めゼリフだった。だが真意をつかめない聴衆にはまったく受けず、会場は一気に静まり返った。(略)客席は次第にざわつきはじめた。彼はさらにいくつか、支離滅裂な文章を口にした。(略)ビル・グレアムが、演壇に「降りろ」というメモを貼りつけるころには、ようやく彼と客席の心もひとつになっていた――どちらも、もうたくさんだと思っていたのだ。
 バンドがそそくさと演奏をはじめるのに合わせて、彼は「神のご加護を」とつぶやき、最後にもうひとつ、ひねくれたビートを追加した。
 「信頼性を測る基準は本当に変わってしまったんだな」
 この時もやはり、フィルがほんとうに言いたかったことが、そこには暗示されていた――彼にとって、こうしたかたちで敬意を表されるのは、怨みを忘れないというレコード業界の長年の伝統が、わきにやられたことを意味していたのだ。

セリーヌ・ディオン

 ディオンとアンジェリルに会ったとき、フィルは「悪いフィル」の面を見せないように気をつけた。彼はせいいっぱい愛嬌をふりまき、彼女の才能と、ジャンルを超えた魅力を褒めそやした。ほんの少し方向転換するだけで、彼女は次代のティナ・ターナーになれるだろう、と彼は断言した。アンジェリルがすでにディオンの所属レーベル、ソニー・ミュージックにかなりの影響力を持ち(略)彼女専用のカスタム・レーベル、550ミュージックを設立していたという事実も、スペクターにとっては魅力的だった。(略)
アンジェリルは、再建されたウォール・オブ・サウンドをバックに、力強い歌声を響かせるディオンの姿を思い浮かべて、ゾクゾクするものを感じていた――ただしどちらがスターなのかを、スペクターがわきまえている限りにおいて。
(略)
フィルはセッションの勘定を持つだけでなく、最終的に約一五パーセントの印税を受け取るという条件で、前払い金はいっさい無用と言ってきたのだ。[アンジェリルはうまくやったつもりだったがフィルが上手だった](略)
テープの独占はジョン・レノンのLAセッションにまでさかのぼるスペクターの常套手段
(略)
契約書のインクが乾くころには、フィル・スペクターは現役に返り咲いていた。獣にふたたび餌が与えられたのだ。
(略)
まずはアレンジャー探しだった。最初の候補はジャック・ニッチェ――スペクターにしか聞こえない音や、彼にしか理解できない衝動を、まるでアンテナが備わっているかのように、いつでも譜面に写し取ることができる男である。けれどもニッチェは依然として酒びたりで、あてにならなかった。似たような考え方の持ち主を求めて、フィルはさらにつき合いが古いドン・ピークに声をかけた。五〇歳になったピークは、ここ何年か、レイ・チャールズとともにツアーし、ウェス・クレイヴンのホラー映画に音楽をつけていたが、フィルとはレノンのセッション以来、一度も会ったことがなく、話もしていなかった。
(略)
[次に声がかかったのがジミー・ハスケル]
 フィルがハスケルに託した最後の仕事は、ディオンのセッション用にミュージシャンをブッキングすることだった。彼のような実績のある人間には、いささか不釣り合いな、侮辱的とすら言える依頼である。ハスケルはやんわりと断ろうとした。
 「フィル、わたしはもう、ミュージシャンを集めるようなことはやってないんだ」
 スペクターはとたんにカッとなった。
 「ミュージシャンを呼ばないと言うんなら」と彼はつばを飛ばしてまくしたてた。「あんたはクビだ!」
(略)
 「使いたいミュージシャンの名前をずらずら挙げてね、それはそれでいいんだが、全員、最低のギャラ[スケール]で使いたいと言うんだ」とハスケル。「それで『フィル、それは無理な相談だ。みんな、ダブル・スケールで仕事をしてる連中だよ』と言うと、彼はカンカンになって、『スケールで文句言うようなやつらに用はない!』
 というわけでわたしは、もう何年もスケールで仕事をしたことがない、伝説的なミュージシャンたちに声をかける羽目になった。(略)[断る者もいたが]相手がフィルだと知ると、とたんに目の色が変わってね。(略)
ドン・ランディは『いい歳になったフィルがそうしたいというんなら、わたしはべつにかまわない』と言ってたな。というわけで超強力なオーケストラができあがり、しかも全員がスケールでやることになった。
(略)
関係悪化は、予想外の事態によってなおのこと早められた。スペクターと悪魔の取引を結んだ直後、ソフト・ポップの巨匠、デイヴィッド・フォスターがプロデュースしたディオンの一九九三年のアルバム《ラヴ・ストーリーズ》が大ヒットを記録し、一二〇〇万枚を売り上げたのだ。これはつまり、アンジェリルとディオンがもはや、必死で起死回生のヒットを求める必要がなくなったこと、あるいは以前ほどスペクターに盲従しなくてもよくなったことを意味していた。スペクターはヴォーカルを入れる前に、何時間もディオンを待たせるような真似をしていたが、そうしたかれの気まぐれにつきあうことが、急に馬鹿馬鹿しく思えてきた。ディオンにはだれがボスなのかを思い知らせるポーズにしか見えず、彼女はそれを侮辱行為と受け取った。
(略)
[ソニーの重役がフィルと口論になり]
 その日、プロジェクトは実質的に終わったとハスケルは見ている。
 「身動きの取れない状態になったのさ――テープはフィルのものだが、声はそうじゃない。簡単に言うと、そういうことになる。なによりも残念なのは、録音した曲がどれも、ヒットまちがいなしだったことだ。今出してもヒットするだろう。しかもフィルは合法的に、あの何曲かをリリースすることができた。今だって出そうと思えば出せる。でも失敗が怖いんだ。失敗という選択肢は、フィルの場合、ありえないのさ」

「ホール・オブ・フェイム」でポールと鉢合わせ

 下に降りるエレヴェーターに乗ろうとして、出てきたポール・マッカートニー――彼はその晩、ソロ・アーティストとして殿堂入りを果たした――とはち合わせするという気まずい事態を迎えたときも、フィルは優雅に場を収めることができた。六〇年代の寵児ふたりは、優に三〇年は口をきいておらず、一〇年前にフィルがこのイベントでミック・ジャガーとばったり顔を合わせたときと異なり、旧交をあたためようにも、そもそもつき合いらしいつき合いがなかった。ふたりはしばし立ちつくし、どうすればいいのか、なんと言えばいいのか、あれこれ考えをめぐらせながら、おたがいに警戒の目を向けた。ビートルズ/アラン・クライン/スペクターの亀裂が生んだ古傷は、まだ癒えていなかった。最初に動きを見せたのはサー・ポールで、これ見よがしに旧敵に両腕を回し(略)プラットホーム・シューズをはいていたフィルを、あやうく倒しそうになった。ふたりとも、しばらくこの見え透いた嘘を演じつづけたが(略)それが終わるとほっとした表情で、すぐさまそれぞれの軌道に戻っていった。
 その後、階上のゲストたちを前に、フィルはこの茶番劇を再現し、「どーうしてたあ?ずいぶんひさしぶりだなあ。あーーーーいしてるよぉ!」とマッカートニーのリヴァプールなまりを完璧に真似てみせた。
 そして自分の声に戻ると、捨てぜりふをひとこと――「愛してるだと?オレのクソったれな性根を嫌ってるくせに!」

日本版特別解説対談 朝妻一郎大瀧詠一

朝妻 レスター・シルに関しては今まであまり日本の音楽界でも語られてないけど、その存在は一冊の本になるくらいのものなんですよ。
(略)
業界ですごく尊敬されていたんですよ。本人もいい人でね。レスター・シルが後ろにいるっていうと、みんながスペクターが結構おかしなことやっても、「まあ、しょうがねえか」って許してたとこがあるわけ。
 ところが、そのレスター・シルも、後年はさじを投げたというか、フィルがだましたっていうか
(略)
そういう意味では商売っ気がないっていうか。だって、そのリーバー&ストラーと一緒にスパークなんていうレーベルやってて(略)ただ同然でリーバー&ストラーに渡しちゃってるし。
(略)
ドン・カーシュナーは、「モンキーズをつくったのはおれだ」とかって言い出したの。実はモンキーズの番組はスクリーン・ジェムズっていうテレビ制作会社がつくっていたのにね。(略)
[その後始末をレスター・シルがやることに]
大瀧 そのモンキーズのチームは、その後、『イージー・ライダー』なんかをつくる人たちなんだ。
朝妻 だから、あの番組ってのは、すごい優れたスタッフがいたわけ。ジャック・ニコルソンなんかもそのスタッフの一人だったし。(略)モンキーズっていうと、どうしてもビートルズにあやかったいいかげんなグループとか、ただの音楽番組だと思われているけど、実はちがう。
(略)
大瀧 「シャボン玉ホリデー」っぽいとこがあるね。だから、そこから、いろいろな才能がとびだしたんだよ。
朝妻 しかも、あの時代のああいうテレビ番組にしては政治的な発言とかね、随分あったんだ。
(略)
大瀧 とにかく、レスター・シル人脈というのは、スペクターからモンキーズまで続いているんだから、たいしたもんだね。
朝妻 リー・ヘイズルウッドもそうだしね。
(略)
大瀧 日本でフィル・スペクターの名前が知られるようになったのは、ビートルズの《レット・イット・ビー》からだと思うけど、「スペクター・サウンド」というのが活字になったのは、ジョージ・ハリスンの〈マイ・スウィート・ロード〉あたりでしょう。
(略)
 スペクター・サウンドの復活だっていうことを宣伝したことによって、スペクター・サウンドっていう語句が初めて七〇年代に日本で知られるようになったのであって、それまではスペクター・サウンドは知られてないのよ。(略)
日本でそういうのを実践されたアルバムとかはないし、サウンド自体もない。カバーがあっただけ。
(略)
朝妻 自分が手掛けた中でいうと、モコ・ビーバー・オリーブはスペクター・サウンドじゃない。要するにあれは、スペクターがプロデュースしたパリス・シスターズ風だけど、そのころまず、スペクター・サウンドっていうのは確立してないから。
大瀧 要するに、ある意味ではモコ・ビーバー・オリーブは〈わすれたいのに〉のころは、リー・ヘイズルウッドですよね、グレグマークの。フィレスじゃないの。朝妻さんがやったのはグレグマークだったけど、俺になってようやくフィレスの音に近くなったわけで。
(略)
朝妻 (略)でも音やレコード以上に、最初、スペクターがすごいと思ったのはね、コスチュームだね。要するにあの格好ね。例えばひげを生やしたりとかさ、サングラスとか。(略)プロデューサーがあんなすごい目立つ格好したのは初めてだった。
(略)
大瀧 (略)ウォール・オブ・サウンドなんて、七〇年代に知った。いや、よっぽどの人じゃないと知らないよ、当時。
(略)
朝妻 でも、本当にスペクターはモノではちゃんとスペクター・サウンドやってたんだけど、ステレオではあの良さを出し切れてなかったんだよね。大瀧君はそれをちゃんとステレオでやった。そこがね、大いなる進歩なんだよ。
(略)
大瀧 ブライアン・ウィルソンだって、ちゃんとやろうと思ったんだろうけど、全然できなかったんだね。なんで、そういう音にならないんだろうと。ギター・フレーズでこうやって、ちょっとエコー足してんだけど、ならないんだね。〈ビー・マイ・ベイビー〉、何だ、このエコーは。ドーンストトンバーンってやっても、何でああいうように広がらねえんだろう。
 だから不思議なことに、まるで関係のないウォーカー・ブラザーズが、ブライアンができなかったサウンドをイギリスでやったわけだよ。だからウォーカー・ブラザーズはまあ、俺の前身みたいなもんだなと思うね。
 で、あそこの連中がよく知ってるなと思うのは、〈ゼア・ゴーズ・マイ・ベイビー〉が最初のストリングス弦のスペクター・サウンドの大元だっていうのを分かって、スペクター・サウンドのようにやったわけ。ドリフターズってほら、いまいちスペクター・サウンドじゃないじゃない。なんだけれども、黒人のビートにストリングスを入れてああいうふうにしたっていうのはドリフターズが最初だっていうことを、あのプロデューサーは百も分かってるから、スペクター・フォロアーとしては、「〈ゼア・ゴーズ・マイ・ベイビー〉をやらなければいけないんだ」っていうふうに思ったわけよ。
 ウォーカー・ブラザーズが、意外にもちゃんとスペクター・サウンドやったわけ。アレンジもジャック・ニッチェを使ったりしているのもあるし。あまり名前は出て来ないけど、あのウォーカー・ブラザーズのプロデューサーはよく分かってる人だったね。
朝妻 そのプロデューサーはジョン・フランツという人だと思うな。選曲もよかったもんね。
大瀧 ね、〈ラブ・ハー〉なんてほら、隠れた曲だったでしょ。
朝妻 そう。で、バカラックの〈メイク・イット・イージー・オン・ユアセルフ〉とかね。
大瀧 〈メイク・イット・イージー・オン・ユアセルフ〉だって、ジェリー・バトラーなんかよりスペクター・サウンドにしてるんだよ。〈メイク・イット・イージー・オン・ユアセルフ〉の持っていき方は偉いよね。だから、バカラックの曲もスペクター・サウンドにしたほうがバカラックの楽曲としては、曲調としてはよくなるってことは、あのプロデューサーは分かってたわけだね。後のジェフ・リンみたいな人だよね。あのアルバムは日本でヒットしたものばっかりだから、日本で最初に受け入れられたスペクター・サウンドはウォーカー・ブラザーズということになるね。
朝妻 で、そのウォーカー・ブラザーズの解説は僕が書いたんだ(笑)。
 そういえば、大瀧君には言ったことあるんだけど、もう、七、八年前かなあ。ワーグナーのオペラをさ、NHKホールに見に行ったの。それで、スペクターがワーグナーってのは分かった。だってさ、普通のシンフォニーのオーケストラって、大体ウッドベースがさ、四本とか六本とかぐらい。結構多いんだけど、そのワーグナーのやつって十本ぐらいなの、ベースが。ともかく、そのリズムセクションが厚いの。
大瀧 山下君が「ナイアガラ・カレンダー78」の〈五月雨〉をアレンジした時に「自分ではジャック・ニッチェのつもりでやるんだけど、どうしても伊福部昭になって」とラジオで語っていたけど、伊福部さんの特徴も分厚い低音だからね。ドンドンッとかが。だからワーグナーと共通している。
朝妻 やっぱり、スペクター・サウンドの元は、ロックにワーグナーを持ってきたらどうなるかっていうところから始まってるよね。
大瀧 だったら過剰になるのは必然だね。基本的にワーグナー自体が過剰だから。
(略)
[「はっぴいえんど」のLA録音に]ヴァン・ダイク・パークスが入ってきて、何か突然アレンジ始めてさ、頼んでもいないのに。でも、あ、なるほど、このやり方はブライアン・ウィルソンのセッションに行ったときにこのようなスタジオ手法だったのではないかと思ったの。で、ブライアン・ウィルソンは、あ、なるほど。スペクターのところで見てきたなと。(略)[それで]スペクターが見えたから。あ、そういうことだったのかと思った。
 で、そういう構造が分かった途端、サウンドがどうつくられてるかっていうのが如実にわかったんだ。
(略)
ヴォーカル・マイクがソニーのマイク[C−38](略)アメリカ行って日本製見るとは思わなかった。(略)
[メジャーのスタジオはドイツ製だけど、サンセットはA級のスタジオではなく]
メジャー・スタジオのダビングだけをするとか(略)若手のグループが使うようなね。で、聞いたんだよ、エンジニアに。「何でソニー?」「うちはノイマン買う金がない。でも、いいマイクだろ、これ」って。(略)バッファロー・スプリングフィールドがサンセットで録音してたんだよ。特に一番気に入っていてステージでは何度も歌ったことのある〈ブルーバード〉という曲もここで録音されていてね。俺、それ、知らなかったわけだよ。後になって全部分かったんだけど。(略)その偶然というか必然というかさ、とにかく驚いたね。(略)
 スティーブン・スティルスニール・ヤングが歌っていた同じスタジオで俺も歌っていたとはね。〈田舎道〉歌ってたらね、「おまえ、デイブ・メイスンに似てるなあ」ってエンジニアが言うんだよ。それが、デイブ・メイスンの《ヘッドキーパー》ってのをやったエンジニアだった。で、デイブ・メイスンもじゃあこのマイク使ったのかって聞いたら、「そうだ」って。「ああ、なるほどね」と思って、それから、帰ってきて、マイクもずーっとそのまま使ってる、いまだに。ひょっとすると〈ブルーバード〉の歌もソニー38Aで録音されたものだったかもしれないと考えるとゾクゾクするね。はっぴいえんどの録音よりも前、イギリスの連中がアメリカに来て録ってるよね。(略)
あの頃、やっぱりアメリカに行くっていうのがイギリスではやって。EMIのエンジニアでビーチ・ボーイズの大ファンだったマルコム・アデーという人が(略)[サンセットで]ソニーの38のマイクを気に入ってね、早速帰国してからEMIにそれを何本か入れたらしい。
 最近、ビートルズが使ったマイク等の機材、ヘッドアンプから卓、スタジオの位置を全部調べた、分厚い一冊の本が出たんだ。(略)
ビートルズ関連では〈ブルー・ジェイ・ウェイ〉以外には使われなかったようだとも書いてあるけど。その後調べたらね、そのマルコム・アデーというエンジニアはクリフ・リチャードの録音もやってたんだよ。俺好きだったからね、クリフ。それでシャドウズも好きになったんだけど。だからこのエンジニアがソニーの38Aを気に入ったのもよくわかるし、このマイクでビーチ・ボーイズバッファロー・スプリングフィールド、そしてクリフとビートルズとも繋がるというね。もう一つおまけなんだけど、〈外はいい天気だよ〉で使ったオルガンはブライアン・ウィルソンがよく使ってたとサンセット・スタジオのエンジニアが言ってた。

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