出版アナザーサイド・その2 藤脇邦夫

前回の続き。

出版アナザーサイド

出版アナザーサイド

漫画ブリッコ
当然大塚英志が出てくるのだが、特別悪口を書いてあるわけでもないのに、全部「O」となっている。安全策なのか、下記のような事情だからなのか。うーん、コワイw

[同人誌周辺でのロリコンブームに乗って創刊してみたが不振。廃刊の瀬戸際でOに会う。そのつてで「藤原カムイ」「ひろもりしのぶ」を掲載すると大反響。社内の反対を押し切り単行本を出すと2冊で2万部。会社所有の新宿の「大人のおもちゃ店」が不振で、Oに印口崇を紹介してもらい「まんがの森」オープン。自社コミックを系列書店で販売するから丸儲け]
[『「おたく」の精神史』]連載当時、僕についても実名で触れていたが、1冊にまとまった時、なぜかその箇所は全て削除してしまったようだ。
(略)
Oがそれ[三人のNW女性漫画家]を発見して、掲載したのはやはり編集者としての目利きが確かにあったと思う。この点についての評価はどう低く見積もっても動かない。Oがいなければ、この雑誌がなければ、岡崎京子桜沢エリカといった才能が世に出なかった可能性だってあるわけだ。
(略)
 その前後から、Oはフリーの立場ながら、この雑誌に対する発言権が強くなり、フリーの枠を超えた言動が多くなってきた。収益的にも無視できない部分があり、それを許容してしまった社内側(僕も含めて)にも問題があった事は否めない。
 結果的に、僕がOと会社の調整役のようになってしまい、公私ともども付き合いが始まるようになった。
(略)
僕から見ても漫画出版の編集者のなかで、Oの見識と教養はズバ抜けていた。(略)
 だが、何事にも限度があって、理論が先行すると、肝心の仕事がおろそかになる。そのころから、いつまでも「漫画ブリッコ」を続ける気がなくなったのか、雑誌もひところの売れ行きから下がってきて、その対策について話し合うことが多くなっていった。そのうちどういうわけか、「漫画ブリッコ」内で、白倉由美を相手の対談で、何号にもわたって会社の内部批判を始めるようになった。さすがに中止を迫ると、結果的にこの雑誌の編集担当から降りるという一方的な電話の一言でOとの縁は切れた。2〜3年の付き合いだっただろうか。その後、30年近く一度も会っていないが、その前後ぐらいに刊行した『物語消費論』が、Oの考えをそのまま書いたもので、当時、鏡明SFマガジンに書いた書評が一番的を射ていると思う。
 今から考えると、その内部告発のような対談は、この雑誌を辞める理由付けにわざと始めたようなフシもないではない。

ザッパ本と八木康夫

 僕がこの会社で音楽本を手がけるようになった最初は、第一章で述べたように、『ザ・ビートルズレポート』だが、本格的に始めたのは、1988年1月に刊行した『ロックンロール・バビロン』からだった。(略)この本の思いもよらぬヒットが、良くも悪くもこの後の音楽本の方向を決定付けたといってもいい。
[初版7000、最終的に24000部]
[1988年バブル絶頂、何度目かのザッパブームでザッパ本を企画]
初対面の八木康夫さんは何とも形容しがたい不思議な雰囲気の人で、ヒッピーまがいの風体ながら物腰は柔らかく、およそ人と対立しそうもないような人に見えたが、これは自分の仕事を遂行するためのスタイルの一つとわかったのは随分後になってからだった。八木さんには、本のブックデザインと解説をお願いしたい程度の心づもりだったのだが、八木さんは違う風に受け取ったのか、自分の都合のいいように解釈したのか、今となっては不明だが、自分が今まで書いたザッパのレコード解説を1冊にまとめる話で来たと思った(もしくは思いこんだ)らしい。僕自身は必ずしもそう思っていなかったが、この機会に、その翻訳本の中に、資料として入れてもいいかなぐらいの考えだった。本のデザインは引き受けるとのことなので、今まで書いた解説を全部コピーして送ってもらえませんかといって、それが届いてみたら……(略)
解説の範囲をはるかに超えた、もう1冊の本になるような分量になることがわかってきた。この時から、そんなに一定数のファンがついているのなら、このライナーも1冊にまとめて、2冊本にしてもいいかなと思うようになっていたが、これが半分正解で、半分間違っていたのは本になるまでわからなかった。
 これで大体の概要が決定して、八木さんに、今まで書いたライナーは70年前半からのものなので、それまでの60年代の部分と、現在までの抜けている所を書き足してほしいと言ったのが運のツキで、これをまたほとんど無制限に近く書くとは思わなかった。この人は物事の「ほど」ということがわからない人なんだと気付いた時はもう遅かった。(略)
八木さんが仕事に夢中になると、締め切りを意識しない(無視する?)人であることを知らなかったのだから、暢気なものだった。(略)
[予告広告だけで500部注文が来た。紀伊國屋書店梅田本店からは50冊、最後には100冊。芸術書コーナー担当の北村貴克は80年代「Hanako West」を2万部売り切った男]大阪という場所における本の売れ方を熟知していた人で、逆に同店の新宿店のデータはあまり意識していなかった。(略)
1冊定価250円で、いかに店内で5〜6ヵ所積み、店前のワゴン販売等があっても、である。僕は最初2000部の聞き間違いと思っていたが、本人は涼しい顔で2万部と言っていた。[1ヶ月を待たず完売]
(略)
社長が年明けに出社した際、この本を持っていくと、「何だ、これは」と言うので「ザッパの本です」と答えると、
 「こんな本、企画会議に出したか? 定価は9800円じゃないか。こんな豪華本何冊作ったんだ」
 「3000部です」
 「こんな本どうやって売るんだ。一体どういうつもりだ」
 「定価9800円で3000部ですが、事前注文で発売前に完売しました」
 「?!」
 文句を言おうとふり上げたこぶしを降ろすところがなくなったわけだが、自分が企画した本の中でも、一番結果オーライだったのは、これと『オール・アバウト・ナイアガラ』だろう。こういうことは2回もあれば十分である。
(略)
製作費も、ここで初めて書くが、当時の金額で合計1200万円前後かかった。もし赤字になったらどうしていたのだろうといったことは一切考えていなかった。考えていたらこういった本はどうやっても出来ない。自分のカンを信じるしかないわけだが、まだ35歳頃の僕はまさに自分の興味と関心だけで仕事をしていたのだから、見方を変えたら無謀の一言だった。
[定価5800円5000部作ったスプリングスティーン本が4割弱の売れ行きで大コケ、以後10年間音楽本は封印]

摘発で「写真時代」自主休刊のピンチを「パチンコ必勝ガイド」で逆転した末井昭

[パチンコ雑誌では後発三番手、しかも]最初は投稿アイドルグラフ誌の「クラスメイトジュニア」の増刊で、これは後から考えると大きな意味を持っているのだが、この本誌「クラスメイトジュニア」は最初からセブン-イレブン等のCVS(コンビニ)に入っていて、増刊も当然、同じCVSで販売されることになる。来る90年代のCVSでの雑誌販売を予見していたのか、当時この雑誌しかCVSの扱いがなかったのでこの雑誌の増刊にしたのか、その辺の事情は不確かだが、森下さんの営業センスから考えると、そこまで見通していたとしても不思議ではない。
 増刊1号は、確か12万部だった。すぐ反応があり、というのはこの時でさえ、CVSのPOSは書店の一部POSより早く、1週間目のPOSで50%超えていると、返品率は20%以内、つまり80%の売れ行きが期待できるという計算式があり、それに従うと次の部数はこのくらいという幸せな計算をしていくことになる。
 増刊3号目から独立創刊、部数も一気に15万部を超え、当時末井さんは「この雑誌は20万部行きますよ」と静かな口調で語っていたが、その予想どおり1年以内に20万部になった。これを基本部数(?)として、末井さんなりの方程式があるらしく、次号はこの必勝法が掲載されるので5万部増やしてくださいといった調子だった。これは取次にも非常に分かりやすい理由にもなり、この頃部数は自由自在だった(何と幸福な時代だろう、今では想像もできないことばかりだ)。
(略)
[CVSの]データによると、深夜1時が一番売れるという。つまり、ホールが11時に閉店になるので、その後、CVSで弁当を買うのと一緒に、今日の戦果の分析をするために買うわけだ。いつか末井さんにこの雑誌を読んだら本当に勝てるんですかと初歩的な質問をしたが(略)「これは負けた人が買う雑誌だから」と明快な答えだった。(略)
深夜1時の次に売れているのが、午前中の8〜9時だった。これは10時にパチンコ店が開店する前に研究するために買っていることを示している。開店の10時が一番売れないのは当たり前で、この時間は開店時に並んでいる貴重な時間だから、雑誌を買っている時ではない。
(略)
[この二つの時間帯は]書店が開いていない時間帯(略)この雑誌とCVSの出現は完全にこの常識を変えた。夜中の1時に一番売れる雑誌が今まであっただろうか。
(略)
[30万部近くなった1992年10月から月2回刊になり50万部超え]定価は税込390円だったから、2億近くになる。これがピークと思っていたら、2000年代に入りパチスロ必勝ガイドパチスロ漫画誌で、さらに驚異的な売り上げを記録していくことになる。
 これが、2010年以降まで続くとは誰が予想しただろうか。
(略)
[一方著者は「クロスワード」の増刊として暴走族周辺狙いの「バースト」を創刊、3号まで不振だったが、雑誌内の「刺青」の写真がウケ出し、さらにパンク雑誌としても認知されるようになり、広島パルコでは100冊入れて8〜90%売れた]

アマゾンの功罪

 アマゾンの日本上陸は出版業界的にはそんなに大きな話題ではなかったように思う。最初の説明会も日本出版クラブの一室で、150人くらいだっただろうか。取次も中堅の大阪屋ということで、一部での試験的な取り組みとしてのニュアンスが強かった。しかし、自社的には、2001年3月21日に刊行した白夜版『オール・アバウト・ナイアガラ』の事前受注で、マニア的な、どうしても欲しいジャンルの販売先として確実な需要があることがよくわかった。書店に注文するよりも確実に在庫のあるなしが分かり、事前予約もできるというのが読者にとって最大の利点だったのだろう。(略)
[ネット書店の事前予約数は]発売前の初版部数設定の確立と根拠にもなる。
(略)
 しかし、全て物事にはプラス・マイナスがあって(略)ネット書店で事前の反応のないアイテムはその時点で、悪い意味でその売れ行きが発売前に判明してしまうこと。しかし、一番意外だったのが、ネット書店の書誌データが業界的に使用され始めたことだ。発売日、タイトル、著者、定価、ISBNが瞬時にわかる方法は当時他になかった。また、書店としても、この売れ行きデータは自店の売れ行きの物差しにもなるわけで、店頭にないものは注文してみようということになるし、店舗との売れ行き比較の基本データにもなる。

渋谷陽一

[『出版幻想論』の3年後出した『出版現実論』の対談に出てくれた]
渋谷さんは出版活動において、営業と編集は同等のもので、どちらが上とか下とかいうものではなく、営業の部分だけが突出しすぎると、編集不在になってしまう。両方ともクリエイティブな部分があり、それをポップカルチャーは発生当時から元々内包しているものだと説明してくれたが、それは僕の営業過多の部分をやんわりと指摘してくれたのかもしれない。
 僕は渋谷さんが取次に行って、実際に部数交渉している姿を想像できなかったが、営業についても一家言あり、ロック評論家とは全く別の一面をかいま見た瞬間だった。(略)この時、僕は確かに、「ロッキング・オン」の経営者としての渋谷さんと対談していたわけだ。
 渋谷さんにとって、会社発足以後、営業感覚は本人はもちろん、会社的にも必要不可欠なものだったらしく、ずいぶん後になって、元「ロッキング・オン」の音楽ライターから、『出版幻想論』を社員研修の一環として、すべての新人社員に読ませていたと聞いて、対談の際の発言を裏付ける一つの事実として、僕は素直に厚意として受け取った。

ロックンロール・バビロン

ロックンロール・バビロン

フィル・スペクター 甦る伝説 増補改訂版

フィル・スペクター 甦る伝説 増補改訂版

増補改訂版 オール・アバウト・ナイアガラ

増補改訂版 オール・アバウト・ナイアガラ

大瀧詠一『オール・アバウト・ナイアガラ』

『ロックンロール・バビロン』がヒットして、社内でも音楽本に力を入れていこうということになり、まだ海外情報が少ない時代ということもあって、「翻訳を中心に」のコンセプトで、米「Goldmine」、英「Record Collector」と提携した「GOLD WAX」というマニアマガジンを立ち上げて、第1号の原稿を選択していると、近々Rhinoフィル・スペクターの過去のタイトルのCD化が進んでいるという記事を発見した。[それに合わせて初の本格的なフィル・スペクターの伝記が89年に刊行されること知る](略)
これが、後に刊行した『フィル・スペクター 甦る伝説』(1990年)の原書で、88年5月のことだった。その時、僕がこれを翻訳して大滝さんの監修で日本版を出そうと思ったのはいうまでもない。(略)
その時はまだ大滝さんの、音楽以外のジャンルでのこだわり、関心の深さをよく埋解していなかったのだろうと思う。[大瀧の快諾を得て]さっそく翻訳者と打ち合わせて、これで完成と思っていたのだから、おめでたいにもほどがある。
[できた翻訳を送ると大瀧から脚註をつける必要がある200近い人名、用語一覧表が送られ、それができたら監修・解説を書くとの回答。さらに日本盤ディスコグラフィーもつけたいと言われ、一年かけてなんとか完成](略)
 しかし、ここでまだ終わらないのが「ナイアガラ」で、最後に大滝さん自身に註の監修チェックをしてもらわなければならず、また翻訳出版権(2年間)が切れるギジギリの頃で、この日中に見てもらわないと本が出ないという時期になって切羽詰まって電話すると、「ゲラを持って福生まで来い」ということになり、夜7時近くに訪問して、それから4時間近く、大滝さんの部屋で家庭教師の如く、机に2人向かって座り、すべてのページに赤の訂正等を入れていく作業で、時間が過ぎていった(その時に、あるミュージシャンの名前を間違えて、お互いに言い合いになり、怖いもの知らずで反論した自分も自分だが、大滝さんが証拠のシングル盤を棚から探し出してきて、それを突きつけられて怒鳴られた時は心臓が止まるかと思った)。終電近くまで何とかすべてチェックしてもらって帰宅し、これでやっと、すべてが終わったと思ったら、まだ最後のどんでん返しが待っていた。(略)
[なんと同時発売予定のMMGの「スペクターCD-BOX」が、寸前で発売中止]
会いに行くと大滝さんは、「CD-BOXが発売中止になったら、本だけ出しても仕方ないだろう」と、平然とした回答だった。僕が自殺しそうな顔をしていたからかどうかはともかく、何とか本だけは出させてもらうように了解してもらった。しかし、普段は絶対妥協しない大滝さんが、この時は珍しく、僕の立場を少しは考えて譲歩してくれたのだと今にして思う(解説に、「辞表片手の藤脇君」とあるのはこのことだ)。結局本だけ出すことになったのだが、まだバブルの残滓があった頃で、4800円の価格でも販売は好調だった。
(略)
 この一件で、さすがに僕ももうこれ以上の本作りもないだろうと思って、最後に、スペクター本のお礼も兼ねて福生に行くと、珍しく逆に大滝さんから、「俺は生涯で、あと1冊だけ本を出そうと思っているんだけど、お前やるか?」と言われて、やめとけばいいのに、「僕に任せて下さい!」と言ってしまったのが運のツキ。「わかっちゃいるけどやめられない」とはこのことだ。
(略)
[それから音沙汰なく]
94年、10年ぶりの活動再開ともいえるダブル・オーレコード発足の業界パーティーで、また4年ぶりに大滝さんに会うと、前述の話の続きが待っていた。(略)
 今から考えると、スペクター本の刊行は、この『オール・アバウト・ナイアガラ』増補版を任せるかどうかを見極める、大滝さんなりのテストだったような気もする。(略)スペクター本はほぼ2年かかったが、この『オール・アバウト・ナイアガラ』は、これは本当なのだが、完成まで実に5年かかった。

デニス・ホッパー―狂気からの帰還

デニス・ホッパー―狂気からの帰還

大瀧詠一の本の読み方

 確か、『デニス・ホッパー 狂気からの帰還』を贈った後、会う機会があった時に、この本のことを「意外に面白かった」と言ってくれて、どういう風に読んだかを一部始終話してくれた。
 まず、目次を見て、自分の興昧のありそうなことを探し(なければ、もうその本を読むことはない)、まずその箇所から読み始めるのだという。その箇所を読んで面白いと思ったら、今度は最初からその部分も含めて最後まで読みとおす。そうすると、なぜ自分がその箇所に興味があったかが分かるのだということだった。
(略)
自分の興味、関心のある範囲が今もブレていないか、もしブレているのなら、それはどうしてなのかを自分自身に問い直しているとでもいったらいいだろうか。あくまでも自分なりの確固たる興味の範囲があり、それに入らないものには関心はないが、もし関心があるのなら、その理由を自分自身で自問自答しているということになる。
(略)
 因みに、前述の本で大滝さんが興味を持った箇所というのは、「イージーライダー」の後、ホッパーが酒とドラッグでハリウッドを追われて、メキシコで「ラストムービー」(1971年)という映画を撮っていた時のことで、「ブルーベルベット」で復活を果たす前の雌伏時代の章だった。「ロン・バケ」前の時期とダブらせていたところもあったのかもしれないが、何となく、その章に興味を持った理由が分かるような気もする。

『ジャップロックサンプラー
kingfish.hatenablog.com 

著者の周辺に、日本ロック誕生の時期について、生半可の聞きかじりの情報を持つ怪しいスタッフが多くいたらしく、その連中からの事実確認のない誤情報がこの本の基本になっていた。その誤解を楽しむといった屈折した考えが僕の中にあり、原書で読んでいても「?」の連続で、そのまま訳しただけでも爆笑の連続だった。僕はこういった妄想による、カルチャーギャップの産物が昔から大好きで、この「どこまでが本当で、どこまでがそうでないのか」について、当の日本人が検討しながら読んでいくのは一種の快感だった。
(略)
[後日]大手新聞社のヨーロッパ支局のある人から連絡があり、当のジュリアン・コープから、自分の本が日本で翻訳されたそうだが、日本での売れ行き、反応はどうかとの問い合わせだった。
 そこで僕が、日本でのアマゾンのカスタマーレビューや、書評等について、そのまま伝えると、翻訳版が好評だったら日本に行く予定にしたかったらしいが(公演も含めて)、その様子では来日は見送りたいとのことだった。

第四章はファンだった小林信彦の本をようやく作れた話と、そのイベントでの苦労話。


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