『リア王』の時代・その2

前回の続き。

『リア王』の時代:一六〇六年のシェイクスピア

『リア王』の時代:一六〇六年のシェイクスピア

 

寵臣といちゃつくジェイムズ王

 一六〇六年新年の祝賀は、国王にとっても国王一座にとっても、祝日にはならなかった。(略)

王が暗い気分になるのも無理はなかった。命を狙われてもだいじょうぶだったということで政治的に有利な展開になったものの、この小康状態がいつまで続くかわからなかった(略)
 議会はますます聞く耳をもたなくなってきたものの、少なくとも一か月以内に召集されて統合をどうするか議論することになっていた。金遣いが荒くて財政的に問題のある君主に補助金を出すかどうかの決議もなされるはずだ。イングランドにいるカトリック教徒らをあまりに厳しく取り締まりすぎると、また王の命を狙われるかもしれなかった。かといって寛容すぎると、国教忌避を厳しく取り締まる法案を通したがっている下院を敵に回して、やはり命を狙われるかもしれなかった。さらに面倒なことに、王妃アンが、ルター派プロテスタントとして育ったにも拘わらず、カトリックに改宗してしまい、外面を保つためにプロテスタントの祭式に参加していた。国内問題だけでも手がつけられないのに(略)

イングランドカトリック信徒の行く末を心配したローマ教皇パウルス五世が対抗処置に出ると警告してきたのだ。

 クリスマス前のその日曜日の陰鬱な食事のあと、ジェイムズ王は、「激しくお怒りになり」、憂鬱な沈黙が爆発的憤怒となった。

(略)

教皇が私を破門するというローマからの急使があった。カトリックどもは、私が信仰の自由を認めないかぎり、私を廃位し、命を奪うと脅すのだ。こうなったらやつらの血でこの手を染めざるを得まい。

(略)

 ジェイムズ王はこの調子で一時間続けた。(略)

[ヴェニス大使]モリーノは、仲間のカトリック信徒の苦境を慮って、こう本国に報告した。「聖職者の逮捕のニュースばかりあり、まだ大多数は隠れているにせよ、役人の仕掛ける罠に不安は禁じ得ない。すでに逮捕された者も多く、死刑になると思われている。そして、次期国会ではカトリックに厳しい対応がなされるであろう」。(略)

[さらに王は亡きエセックス伯の息子とサフォーク伯の娘]と結婚させて未だ膿んでいるエリザベス朝時代の古傷を癒そうとしていた。十代の恋人たちの犠牲的な統合によって、遺恨ある家族同士が一つになるのであるから、これはジャコビアン版『ロミオとジュリエット』だ。(略)

[モリーノは]そんなことをしても焼け石に水であるというのが大方の意見である」と記した。

(略)

 シェイクスピアの時代の結婚について広く信じられていることとは裏腹に、十代の結婚は稀であり、十代で結婚しても性的関係を結ばないほうがよいと強く考えられていた(まだ成長中の体には危険であり、特に少女が出産するのは常に危ないとされていた)。当時のイングランドの平均結婚年齢は、男女を問わず、およそ二十五歳だった。同盟関係を固めたり男子の世継ぎを確保したりするために幼い子供を結婚させるのは、一握りの富裕な貴族の話だ。
 法的に結婚が認められたのは、男子が十四歳、女子が十二歳だった。それゆえ、アーサー・ウィルソンがのちに記したように、エセックス伯とフランセス・ハワードは「結婚するには早すぎるが、結婚できる年齢」だったのである。二人の肉体が結ばれるのは延期され、若きエセックス伯は荷物をまとめて長い大陸旅行へと出かけ、花嫁は実家へ戻された。二人とも配役された役どころをじょうずに演じてみせて、幕引きとなったのだ。
 ジェイムズ王自身は、後悔していたかもしれない。前年のクリスマス・シーズンに、二十歳のフィリップ・ハーバートを、オックスフォード伯の十七歳の娘スーザン・ドゥ・ヴィアと結婚させたばかりだった。寵臣ハーバートは人目もはばからずジェイムズ王といちゃつき、王は明らかに心を惹かれていたのだ。一六〇四年の元旦に、ハーバートは緑の野に立つ種馬を描いた儀式用の盾を手にして王の前に現れた。王がその意味を尋ねたところ、若者は「これに乗れるのはアレグザンダー大王ほど偉大なる者のみです」と、誘いをかけるかのように答えた。王はその仄めかしの意味を理解し、ダドリー・カールトンが報告するところによれば、「この青二才(仔馬)を馬屋へ送るぞと陽気に脅かした」。ジェイムズは花嫁とも冗談を交わし、「もし王妃がいなければ、あなたを結婚させずに自分のものとしていたのに」と言ったという。仮面劇が結婚による貞節を言祝ごうが言祝ぐまいが、王の欲望はまったく別のところにあったのだ。

(略)

 シェイクスピアはジョンソンの仮面劇を観て衝撃を受け、まずまちがいなく『ヒュメナイオスの仮面劇』の本を入手しただろう。(略)

つい数年前、エリザベス女王治世では(略)シェイクスピアの劇は宮廷でのクリスマス期の目玉となっていた(略)

ところが、シェイクスピアの新作は今や、クリスマス期に上演される大量の劇に押しのけられそうになっていたのみならず、宮廷仮面劇の壮大さと比べても色褪せて見えていたのだ。

 つい数年のあいだに、どうしてシェイクスピア作品は真打ちから前座へ落ちてしまったのだろうか。

二枚舌、曖昧表現、心裡保留

 『マクベス』より以前、「二枚舌」という語は、シェイクスピア劇に一度出てくるのみだ。

(略)

 「エクィヴォケーション」はもともと珍しい学術用語であり、十六世紀のイングランドでは数十冊の本でしか用いられておらず、それもたいていは宗教論で、戯曲や詩や物語で用いられたことは一度もなかった。

(略)

 ところが、一六〇六年にシェイクスピアがこの語を用いたときは、もはや誰もが知っている言葉となっていた。ほとんど一夜にして、国民にショックを与えるキーワードとなり、シェイクスピアが執筆中の『マクベス』で強力な光を放ったのだ。もはや無色透明な語ではなく、「あることを言いながら実は別のことを意味して真実を隠す」という意味で理解されるようになっていた。シェイクスピアは、観客がその意味で理解するとわかっていて、マクベスに「決意がぐらつきだした。真実のように嘘をつく悪魔の二枚舌だったのではないか」と言わせている。

(略)

[この急激な変化をもたらした]文書には、数年前にカトリックの囚人が性的暴行を受けて転向することがなければ決して書きとめられることはなかったであろうと思われる危険な議論が記されていた。

(略)
[火薬陰謀事件で連行され獄死したフランシス・トレシャムら]を尋問したのは、サー・エドワード・クックだ。
 クックは頭脳明晰で虚栄心に富み、情け容赦なく(略)「少なくとも七年ごとに偉大な人物を破滅させなければ気がすまない」という男だった。(略)火薬陰謀事件の首謀者たちをやっつけられればさらに自慢の種が増えることになるわけだ。

(略)

 捜査官たちが見つけたのは(略)誓言をしながら嘘をつく方法を特にカトリック信者に教える二枚舌論だ。クックは自分が見つけたという手柄を明確にするために(あるいは証拠としてきちんと扱われるように)その文書の見返しに、何をどこで見つけたのか次のように注意深く書き込んだ。(略)エドワード・クック記す」。

(略)
 クックがこの論文から学んだのは、イエズス会士は曖昧表現に四通りあるとしていたことだ。第一の単純な方法は、わざと曖昧な表現を選ぶやり方。自宅に神父を泊めていても、神父は「私の家におりません(lyeth not in my house )」と言って否定してよい。なぜなら「おりません(lyeth not)」にあるlieという動詞は「嘘をつく」の意味にもなるので、「神父は私の家で嘘をついていません」は真実だからだ。第二の方法は、重要な情報の省略。たとえば、自分は友人の家に食事をしに行ったのですと言って、食事をしたほかにカトリックのミサを開いたことは伏せておく、など。(略)

第三の方法は言葉と所作を交ぜて用いる。「権力側が捜している人物はどこにいるのか」と尋ねられたとき、「こちらのほうには来ません」と言いながら、袖のなかでこっそり別の方を指さす。(略)

真に社会を揺るがしたのは第四の方法だった。当時のイングランドの著述家たちが「心裡保留」と呼ぶもので、思っていることと口にしたことが食い違っているのだが、相手には食い違っているとわからないという方法である。たとえば「ジェラール神父を……見かけていません」と言うとき、心のなかで「巧みに作られた隠れ場所に隠れていらっしゃるところを」と付け加えるといった具合だ。質問している相手にはこちらの心の中まではわからないが、確かに神が心の中をご存じであると信じるなら、それは嘘でないと言えるかもしれない。だが、これが嘘でないなら、何が嘘だろうか。数年後、心裡保留の意味がよく理解されたとき、法廷は、誰もがやってみたがりそうなこんな教義がまかり通ってしまえばいかなる混乱をきたすかと恐れて、「この邪悪な教義をしっかりつぶさないと、社会は成立しなくなる。こんなものが人々の心に根づいたりしては、誠実さも真実も信用もあっという間に崩れ、きちんとした社会は崩壊してしまう」と指摘した。
 このように真実も信用もない絶望的な社会観が示されるとき、二枚舌を使うマクベスが統治するスコットランドがまさにそういう社会になっていることを思わずにはいられまい。そこは、言葉が意味を裏切り、正直なやりとりが不可能となった悪夢の世界だ。マルカムが仲間のスコットランド人マクダフに、信用したいができないと言っているのはそういうことだ。

(略)

[ガイ・フォークスによる火薬陰謀事件は]もはや一握りのカトリックの不満紳士たちが国王の死を謀った事件というより、その計画を可能にした邪悪な思想の問題となっていたのだ。謀叛人なら内臓を抜き、斬首し、四つ裂きにできたが、思ったことを口にしないという心の謀叛を根絶やしにすることは難しかった。

悪魔憑き

 シェイクスピアは、エドガーが悪魔憑きの狂人を演じる場面を書く際にハースネットの『途轍もない教皇派のまやかしに関する報告書』を利用したので、この本は『リア王』の貴重な種本として広く認められてきたが、『マクベス』の種本としてはめったに議論されてこなかった。しかし、『マクベス』においてシェイクスピアがハースネットの議論――人間が悪に走るのは悪魔的なもののせいだと(略)誤って看做されてきたこと――をさらに深く追求していることは明らかである。

(略)

 シェイクスピアがハースネットから影響を受けたことが最もはっきりわかるのは(略)

カトリックの司祭たちのせいで自分は悪魔に憑かれてしまったと信じた十代の女性使用人フリズウッド・ウィリアムズについてのハースネットの説明を利用したところである。台所で働いているときに転んでお尻を傷つけ、その後も痛みが治まらず、司祭たちにそれは転んだせいではなく悪魔の呪いなのだと言われた少女の話である。「治す」ために、少女は悪魔祓いをされ、めまいがする薬を飲まされ、脚にピンを刺されたり、釘を呑まされたりした。釘はすぐに口から出されたが、トリックに気づかない目撃者たちは仰天した。

(略)

 あるとき、司祭に回廊に連れてこられた少女は、そこに「新しい首吊りの縄と二本のナイフ」があるのを見た。(略)

[あえてそれが見えないふりをする司祭]

少女はあとで「悪魔に憑かれた人が縄で首を吊るかナイフで自殺するように、悪魔が回廊に置いたのだ」と教えられた。この話で真に悪魔的なのは、二枚舌を使う司祭のあざといやり口である。

(略)

 悪魔に憑かれているのではないかという疑念は、マクベス夫人をどう解釈するかに関しても問題となる。

(略)

 夫人は深淵から恐ろしい悪魔を呼び寄せるが、夫人に取り憑き、夫妻を破滅させるものは、結局夫人の中からやってくるのである。

 人が悪事を働くときに何に憑かれているのかについて安易な表現を避けるシェイクスピアは、まさに時代に即した劇を書いた。火薬陰謀事件の余波のなか、当時の人たちは、あれほどの悪魔的犯罪はいったいどうして生まれたのかと考えていた。

地上の地獄

 だが、二枚舌に関する門番の台詞はそれ自体が曖昧表現となっている。(略)

ガーネットが陰謀に関与したという政府側の主張を多くの人は確かに受け入れたものの、自分のためではなく「神様のために謀叛を働いた」信心深い人物であるから寛大な処置をすべきだと考える人たちもいたのだ。強要され、拷問すら受けて二枚舌を使ったかもしれないが、「神様には二枚舌は使えなかった」というのは、そのようなつらい状況で心裡保留をするときに胸の内に何があるか神様にはおわかりだからである。
 この場面設定も問題だ。悪魔の手先のつもりでいる酔っ払いの門番の言葉をどこまで真面目に受け取るべきか。

(略)

 この劇における最も重大な曖昧表現は、マクベスとバンクォーが最初に魔女たち(略)と出会う場面で起こる。最初の魔女がマクベスを「グラームズの領主」と呼び、二人目が「コーダーの領主」と呼びかけ、三人目が「やがて王となるお方」と呼ぶ。それからバンクォーに「王を生みはするが、ご自身は王にならぬお方」と言う。どれも嘘ではないが、重要な情報を告げていないという点で二枚舌になっている。(略)

二枚舌のせいで、『マクベス』の対話を理解するのは精神的に疲れることになる。観客は――二枚舌を使うイエズス会士と話をする役人同様に――言葉どおりの意味なのか、そうでないなら、心裡留保によって隠されていることは何なのかを理解しようと努めなければならない。

(略)

 『マクベス』のおけるシェイクスピアの最も強烈な洞察は、そのような悪弊の広まった状況では(略)悪のみならず善もまた二枚舌を使うと見抜いていることだ。(略)

火薬陰謀事件のあとでは疑いの文化が根付き、もはや元には戻らなかった。『マクベス』の後半では、最も尊敬されるべき人物たちでさえ、誓っておいて嘘をつき、道徳を地に落としている。

検閲 

 ジェイムズ王にとって暗殺未遂の脅威があって最もよかったのは、財布の紐を握っている国会が安堵して、喉から手が出るほど欲しかった収入を王に与える決定をついに下してくれたことだ。

(略)

 この春のもう二つの政策は、シェイクスピアにもっと直接的な影響を与えただろう。第一は[1606年制定された](略)“役者の罵声禁止令”だ。(略)

 ロンドンの演劇界は、なぜこの法制が進められてしまったか重々承知していた。(略)[二月に上演された王妃祝典少年劇団]『馬鹿の島』のせいだ。(略)統合問題の扱いのことで、政府を怒らせてしまったのだ。

(略)

激怒した下院議員たちはこれを機会に、冒涜を取り締まるべしと行動を起こしたのだ。
 それからは、神様、キリスト、聖霊、あるいは三位一体の名をふざけて、あるいは冒涜して口にした役者は、十ポンドもの罰金を科せられた(年収の約半分)。これ以降、シェイクスピアの劇に「神」は出てこない。施行を促すために、この法令は、罰金の半分は国庫に入れられるが、あとの半分は違反を通報した者の懐に入ると定めていた。シェイクスピアがこれから書く劇だけでなく、すでに書いた劇についても法令は適用された。登場人物は「神かけて(by God)」とか「何と(by Load)」とか「まあ(by my troth)」とか言ってはいけないだけではない。俗に多用される誓言――神の傷にかけて誓う「畜生」、神の血にかけて誓う「くそ」、神の足にかけて誓う「ちぇ」といった、マキューシオ、ハムレット、リチャード三世、フォールスタッフ、エドマンド、イアーゴーらがよく用いてその性格づけの一助となっていた何気ないキリスト教徒の感嘆詞――は、今や舞台で口にすることを禁じられたのだ。門番が二枚舌野郎のことを「神様のためなんて言って謀叛を犯しやがって」と言う台詞や

(略)

などは、グローブ座で二度と聞かれることはなかった。これこそ四十年後に劇場を閉鎖するに至るピューリタンの厳格主義の最初の表れだった。
(略)

一六〇六年の前に出たクォート版では、オフィーリアの墓地でハムレットがレアーティーズに「畜生、何をするか見せてみろ」となじる台詞が、一六〇六年よりあとに出たフォーリオ版では「さあ、何をするか見せてみろ」に変わっている。『オセロー』でイアーゴーが初めて口をきくときの「畜生、俺の話を聞こうとしないじゃないか」と怒鳴るように言う慰めの台詞はカットしなければならず、フォーリオ版では「だけど、俺の話を聞こうとしないじゃないか」と泣き言を言うような台詞になってしまっている。この調子であちこち失われるのだから、全体的な喪失は大きい。

(略)

登場人物を創造しにくくなったのみならず、場面設定にも影響が出てきたのだ。(略)キリスト教文化ではなく異国ないし古典世界に設定した方が面倒が少ない。(略)『アントニークレオパトラ』であり、『コリオレイナス』、『ペリクリーズ』と続く。

(略)

[禁止令で]罰金が発生した記録はないが、その必要はなかった。『馬鹿の島』関係者が投獄され、その劇団から王室の保護が剥奪された以上、メッセージは明瞭に伝わっていた。(略)
それよりも強烈に効いたのは最後の法令の方だった。十一月五日の大騒動を受けて、政府はイングランドにいる国教忌避者たちを取り締まらざるを得なくなった。

国教忌避者への圧力

下院の強硬派は、国教忌避者の子供は親から引き離すべきだとか、国教忌避者と国教会信徒との結婚を禁じるべきだとか主張した。(略)

[カトリック信者が]スペインの友人に送った手紙に次のように記されている。
今ある敵意や脅威はものすごく、みな殺されるか追放されそうだ。さもなければ、国会で進められている法案のせいで一人残らずやられるだろ……いずれにせよ、どんなに勇敢で敬虔な人も、恐怖に打ちのめされ、かつてあった信仰を守る自信を失っている。

(略)
さほど苛酷でない多面的な法案が採択された。(略)

聖体拝領を拒んだ者は(略)罰金を初年度は二十ポンド、二年目は四十ポンド、それ以降は年六十ポンドと増やして課すことになった。ものすごい金持ちの国教忌避者でもないかぎり、どんどん貧乏に追い込まれたわけである。(略)

[さらに聖体拝領を拒絶した者は、ジェイムズ王が正規の王であり、ローマ教皇が国教忌避者に武力蜂起させる権利がないことを]誓わないと投獄すると定めたのである。(略)[しかも]「曖昧表現や精神的な逃げや秘密の保留など一切用いずに」誓わなければならないとした。

(略)
 一六〇六年当時、国教忌避者にとって、「忠誠宣誓」を頂点とする法令は、理論上の問題であるよりも、むしろ実際的な選択を迫るものだった。

(略)

この復活祭でイングランド社会が忠臣か謀叛人予備軍かのどちらかに分けられるということは、地方の役人や教区民にとって二月の段階ではっきりしていたのである。忠誠が、新たな決まり文句なのだ。『リア王』はこの春以前に完成して初演がなされていたが、リアが冒頭の場面でケントに鋭く言う「聞け、忠誠の誓いにかけて、聞け!」という台詞を含めて、「忠誠宣誓」にまつわる議論を鑑みれば、分裂した忠誠は並みならぬ意味合いを持つ。『リア王』では、忠誠が分裂したり、多重になったりしており(略)『マクベス』と同じなのだ

(略)

失敗したミッドランド蜂起の近隣の町ストラットフォード・アポン・エイヴォンでは(略)町の人たちのあいだでいつ暴力沙汰が起こらないとも限らず、まだ旧教に固執している人たちと改革後の信仰を受け容れた人たちとのあいだに、穏やかな和解など、もはやありえなかった。かつては町全体がカトリックであったことは、礼拝堂に描かれた地獄の口の生々しい絵を見てもはっきりしていたが、そうした絵が漆喰で塗られたことは誰もが覚えており、また復元されるかもしれなかった。ジョージ・バジャーのカトリックの祈禧書や遺品の入った袋が発見されことからもわかるように、カトリック復元のために頑張っている人もいたのだ。

(略)

一五九〇年から一六一六年までの二十五年間で聖体拝領を受けなかったと非難されたのはたった三人だった。そのうちの一人はシェイクスピアの父親ジョンであり、一五九二年のことである。

(略)

[1606年の復活祭]二十一人のストラットフォード・アポン・エイヴォンの教区民が聖トリニティー教会への出席を拒んだのは、前代未聞の驚くべき事件だったに違いない。少なくとも町の三分の一は、イエズス会士を家に泊めたり、息子が神父となったりするような筋金入りのカトリックであり、シェイクスピアはこの二十一人のうちの何人かと知り合いだった。

(略)

[長女スザンナがその中にいた]

 二十二歳の未婚女性がそのように自分の意思を貫くのは大胆なことだった。

[最終的には全員が国教会を受け入れた](略)

 このためにスザンナが結婚できなくなってしまうのではないかとシェイクスピアが心配したとしたら、それは取り越し苦労だった。翌年スザンナは、三十一歳の医師ジョン・ホールと結婚した。(略)

ホールは強力なプロテスタント寄りの人間であり、カトリックのスザンナと結婚することがどういうことかお互いに承知していたはずだ。シェイクスピアがスザンナの行動についてどう感じていたか――長女を誇りに思って支持していたのか、それとも上手に立ち回らない意固地さに腹を立てていたのか、あるいはひょっとすると娘に二十ポンドの罰金を支払わなければならなくなったことを気にかけていたのか――はわからないものの、シェイクスピア作品に広くしみ込んでいる当時のイングランドの問題をシェイクスピア自身が切実に感じていたことは想像に難くない。

次回に続く。

『リア王』の時代:一六〇六年のシェイクスピア

うーん、これは久々に面白かった。

爆破未遂事件がもたらした悪夢の世界、シェイクスピア演劇に与えた影響、 「二枚舌」が一夜にして恐ろしい言葉になったてな話等々。

『リア王』の時代:一六〇六年のシェイクスピア

『リア王』の時代:一六〇六年のシェイクスピア

 

 新国王の仮面劇、二つの王国結婚、国会爆破計画

新国王が主催した仮面劇は贅を極め、たった一度の公演で三千ポンド以上という信じられない出費を伴った。このクリスマス・シーズンでシェイクスピアの劇団が宮廷で上演した十本の劇に支払われた総額が百ポンドそこそこだったのに比べれば、その規模の大きさが窺い知れよう。

(略)

 ジェイムズ王は、先代の女王が遺した政治的腐敗もつくろわねばならず、この夜の仮面劇はなかばそのために催されたのだった。エリザベス女王がかつての寵臣であったカリスマ的な叛逆者、第二代エセックス伯爵ロバート・デヴァルーを処刑した一六〇一年から五年が経っていた。その処刑は、いまだにエセックス伯爵に心酔していた者たちの心に傷を残しており、ジェイムズ王治世下において政権や庇護から遠ざけられたエセックス伯派残党は、つまはじきにされて臍を噛んでいた。(略)

[14歳の嫡男は]残党らによって担ぎ出されかねなかった。王国の分割を防ぐためにも、強硬なエセックス伯派をなんとか懐柔する必要があった。(略)

そうするだけの財力も役職も土地もあるにはあったが、そんなことをしたら宮廷での派閥争いが紛糾してしまう。かと言って、全員を粛清するわけにもいかなかった。となると、解決法は、政略結婚によって敵同士を結びつけてしまうよりほかなかったのだ。ジェイムズ王は、国家の庇護下にあったエセックス伯爵の嫡男を、エセックス伯爵に死刑を宣告した委員会メンバーでもあった強力なサフォーク伯爵トマス・ハワードの美しい十五歳の娘フランセス・ハワードと結婚させ、自らその仲人を務めようとしていたのである。今宵の仮面劇はその結婚を祝うものだが、同時にイングランドスコットランドの政治的統合――二つの王国結婚――を期待する側面もあった。この二つの王国が結ばれることをジェイムズ王は心から求めており、一月中に議会で両国関係を慎重に審議する段取りになっていた。
 この頃シェイクスピアは、イギリス一経験豊富な劇作家となっていたものの、仮面劇を書いたことはなかった。

(略)

エリザベス朝時代には、シェイクスピアは年に三、四本のペースで書いていたのに[ジェイムズ王の時代になると『尺には尺を』を書いてまた充電期間に入り、『アテネのタイモン』は16歳年下のミドルトンと共同執筆。]

二人の共同作業はひょっとするとうまくいかず、途中で放棄されたのかもしれない。「シェイクスピアなんて一昔前の人であって、もう古いよ」と、若いライバル劇作家たちは噂し出していたのだろうか。グローブ座や宮廷で再演されていたのは、シェイクスピアの昔の、もはや流行最先端ではない劇だった。

(略)

[1600年では]どこもかしこもシェイクスピアの戯曲だらけだった。

 ところが、六年後ロンドンの本屋に戻ってみると、新しい本は『ウィンザーの陽気な女房たち』と『ハムレット』の二冊しかなかった。

(略)

 しかもシェイクスピアは、もはやグローブ座の舞台でも馴染みの顔ではなくなっていた。

(略)

 ただし、シェイクスピアが作家として有名になっていたのは疑いない。

(略)

 あの仮面劇を観てまもなく、シェイクスピアは秋からずっと書き続けていた『リア王』を仕上げた。一六〇六年が終わらぬうちに、さらに二作、『マクベス』と『アントニークレオパトラ』も書き上げることになる。

(略)

仮面劇を観に集まった人たちは、まさにそのちょうど二か月前、今で言うテロに遭って死ぬところであり、すんでのところでそのテロは阻止されたのだった。政府に不満をもったカトリックの紳士たちが、国会爆破を計画し、この国の政治指導者ら全員を王もろとも抹殺して、ヘンリー八世の時代に始まったプロテスタント革命を白紙に戻そうとしたのである。

(略)

「十一月五日」について、いろいろな物語が紡がれた。とりわけ政府が国王の悲劇的な死を国民に想像させた手口は巧みだった。そうした筋書き/陰謀について誰よりもよくわかっていたシェイクスピアは、これまでも観客に王や王妃の死を想像させる戯曲を書いてきたわけだが、一六〇六年にも『マクベス』で王の死を思う戯曲を書くことになる。

 シェイクスピアは、この事件に対する大衆の反応も、劇に使えることを見逃さなかった。すなわち、渦巻く恐怖、復讐の希求、一瞬の国民的団結、そしてどこからそんな悪が出てくるのか理解したいという思い――そうしたものが執筆中の悲劇を形成する重要な要素となっていた。

 火薬陰謀事件の影響で、イエズス会士が用いた「曖昧表現」が社会不安を惹き起こしたが、シェイクスピアが選んだ最新のこの言葉は、当時の病的興奮[ヒステリア]を何よりよく示していた。事件の影響で反カトリック法が制定され(略)「個人の心までガラス張りにしない」としていたかつてのエリザベス朝の妥協など過去の遺物となった(略)シェイクスピアの長女まで捜査を受けた。

 『レア王の真の年代記

 一六〇五年の夏、ロンドンの本屋ジョン・ライトは、一五九〇年頃に初演された『レア王の真の年代記』という戯曲を新刊として売り出し[シェイクスピアも購入]

(略)

[女王一座の]『レア王の真の年代記』公演の年は、シェイクスピアを創立メンバーとする宮内大臣一座が創立された年でもある。(略)[そして]女王一座に成り代わってイングランド一の劇団となるのだ。

(略)

 シェイクスピアが女王一座の人気作『ヘンリー五世の有名な勝利』を見事に『ヘンリー五世』に作り変えてから六年が経っていた。

(略)

[ジェイムズ王が病床の宮内大臣を交代させ]シェイクスピアの劇団はもはや宮内大臣一座ではなく(略)しかもケアリーは九月初旬に亡くなってしまった。[パトロンの心配をしていたら、突然国王一座に取り立てられる]

「王国分割」 

「王国分割」をしてはならないというジェイムズ王の警告は、『リア王』冒頭でグロスターが「王国分割」について語る台詞にリンクしている。(略)

ジェイムズ王は(略)統合問題のせいで両国民がどれほど面倒なアイデンティティー問題に直面することになるかわかっていなかった。イングランド人とスコットランド人は、出生地以外の何が違うのか。(略)

大陸型の連邦制で、それぞれの法の違いはそのままになるのか。それとも、いわゆる「完全統合」で、イングランドウェールズを呑みこんだように、征服に近い合併になるのか。ジェイムズはその点をはっきりさせておらず

(略)

 劇は古代ブリテンに設定されているものの、当時の観客にとってはイングランドスコットランドが消えてブリテンとなるという問題があったのだ。(略)

 フランス王国(少なくとも書類上はジェイムズの王国の一つ)の『リア王』での役割はさらに問題を複雑にする。グローブ座の観客は、フランスの侵略軍を倒そうとするブリテン軍に当然思い入れをする。しかし、フランス王と結婚した清く正しいコーディーリアが敵側にいるとなると、その気持は揺れてくる。

(略)

 フランス軍が負けて、ブリテン君主制が復活したとしても、最後にイングランド人とスコットランド人のどちらが国を率いるのか。

『レア王』と『リア王

『レア王』を観たり、流布しているリアの物語を読んだりしたことがある観客は、物語がどう終わるかすでに知っているのだ。(略)

『レア王』では誰も死なないし、失われたものはすべて回復される。神々はコーデラをお守りになり、レアは王座に戻ってうれしく勝利を神に感謝し、義理の息子に感謝する。

(略)

 一六〇六年の観客は[『リア王』も同様のエンディングだと思っていただろう、だが]

ついに芝居が終わろうというとき、リアもコーディーリアも死んでしまっており、観客が目にするのは悲惨な場面だ。とりわけ悪党エドマンドが心変わりをしてコーディーリアの命を救おうとして観客の期待感を募らせておきながら、望まれたハッピー・エンディングはなく、観客はなおさら大きな挫折感を味わうことになる。サミュエル・ジョンソンがエンディングをあれほど耐えがたいと感じたのももっともだ。

国会爆破未遂事件

 十一月五日の朝に目覚めて、陰謀未遂のニュースを聞いたロンドン市民は大騒ぎをした。(略)

[ヴェニス大使ニコロ・モリーノはこう記した「カトリック教徒は異教徒を恐れ、異教徒はカトリック教徒を恐れ、どちらも武装している」]

「騒動を避けるために」通りのあちこちに訓練を受けた自警団が立った。

(略)

 この陰謀がどれほどの根を持っているのか、まだ誰にもわからなかった。国会爆破はほんの始まりで、これから大々的に国際的な暗殺が起こり、無政府状態になるという噂が渦巻いた。

(略)

 三十六もの樽に詰まった火薬が大爆発を起こしたら(略)貴族院が吹っ飛ぶだけではすまなかっただろう。ジェイムズ王は個人的にモリーノに、「計画が実行されていたら、三十万人もの人が一瞬で死に、ロンドンには略奪が起こり、金持ちが貧乏人より打撃を受け、要するに、前代未聞の恐ろしい大惨事になっていたことだろう」と語った。

(略)

政府は、陰謀者の正体やその動機を忖度するのではなく、この陰謀のひどさや破壊力について誰もが同意する話を作ることに直ちに全力をあげた。

 しかし、火薬陰謀事件の破壊の影響が国王自身に及ぶと国民に想像させることで、政府は矛盾に陥っていた。イングランドでは一三五一年に法令が発せられており、「国王の死を意図したり、想像したりする者は謀反人である」とする法律は当時も有効だったのだ。

(略)

事件についての政府の見解は、現存する主要文書とともに「火薬陰謀事件ブック」として編纂された。

(略)

 このような都合のよい政府側の説明を受けつけない反体制側は、多くの証拠がもみ消されたのだと言い、記録に齟齬があることから、十一月五日の前から権力側は陰謀のことを知っていたのに、国家の目的を推し進めるため、とりわけイングランド在住のカトリック教徒を抑圧するために泳がせておいたのだと主張した。(略)

陰謀を思いついたのはカトリック嫌いのソールズベリー伯であり、陰謀者たちは操られて墓穴を掘ったのに過ぎず、いよいよ処刑されることになるまで命は助けられると信じていたのだという。しかし、こうした主張はあまり人気を得なかった。なにしろ、ジェイムズ王朝体制は証拠をほぼ独占しており、なぜを語らず、どうなっていたかもしれないかを強調することで効果的に体制側の都合のよい物語を語ったからだ。
 つい忘れがちだが、火薬陰謀事件がその後の悪名高いテロリズム事件(略)と違うのは、今回は何も起こらなかったという点なのだ。(略)

この悲劇のカタルシスを感じるには、犯人の捕り物、拷問、そして連坐した者の公開処刑の一場を観るまで待たねばならなかった。
 イングランドの劇作家たちは、当時の出来事についてぼやかして書くことしか許されていなかったが、お株を奪われたと臍を噛んだに違いない。勘のいい劇作家なら、何一つ破壊されたわけでもないのに、昨日までと世界が変わってしまったことに気づいただろう。こうした陰謀があったこと自体、水面下に不満があったことの証であり、抑圧を感じ、憎悪や夢想をふくらませていた連中がいたことを、スパイ組織を有する政府でさえ見逃していたのだ。それは、情報の把握に失敗したというより、想像力の欠如の問題だった。ジェイムズ王の治世となって三十か月が経った時点で、国民のなかに我慢も限界だと思っている者がいると理解できなかったのが元凶なのだ。そして、悪魔の仕業だと言い立てることはできるくせに、悪魔に憑かれていようといまいと、人間がこんな無差別殺人という残虐行為ができるほど凶悪になりうると想像できなかったのが敗因なのだ。この事件の翌年、イングランドの作家たちはこの謎に満ちた事件をさらに深く探り、究極の問題点は何かを調べることになる。

処刑

枢密院ががっかりしたことに、スタッフォードシャー州当局は無思慮にも、ホルベッチ・ハウスで殺害して身ぐるみを剥いだ陰謀者どもの死体を埋めてしまっていた。そこで、遺体を「墓から掘り出して、内臓を抜き、四つに裂いた遺体をその者にゆかりある町で掲げよ。パーシーとケイツビーの首級はロンドンへしかるべく送るように」と命じたのだった。陰謀者の首は、まもなく鉄の棒の先に刺して国会で展示され、期待どおりの効果を見物客に与えた。

(略)

[裁判で]最後まで喧嘩腰だったフォークスは、この計画に巻き込まれたイエズス会士たちを無罪にしようと、「連中に計画を打ち明けたことはない」と主張した。(略)

[謀反人達は]セント・ポール大聖堂へ運ばれ、そこで首を吊られ、去勢され、内臓を抜かれ、ばらばらにされた。

(略)

最後の最後にスター登場となって、ガイ・フォークスが処刑された。拷問を受けて衰弱しきっていたフォークスは「階段を上がることもままならなかった」。しかし、その最後は、他の連中よりも幸運であった。と言うのも、吊るされたときに、喉が締まってしまい、そのあとに体になされる恐怖に耐えることもなく落命したのだ。

事件の影響

事件は、上演される前の『リア王』にも痕跡を残した。十一月五日にまだなってもいないというのに、古い悲喜劇を書き直す際に、誰が書いたかわからない偽手紙によって最終的にはブリテンの王家が全滅してしまうという黙示録的な終わり方をする話を思いつくとは、ちょっと背筋が凍らないだろうか。劇の最後でのケントの厳しい問い、「これが約束された終わりなのか?」と、エドガーの返答「あの恐怖のかたちなのか?」は、『王の本』やバーロウによる火薬陰謀事件の説教における言葉遣いの先駆けとなっている。(略)

[荒野で]嵐に向かって叫ぶリアの(略)

台詞の効果は、謀叛人たちの裁判で更に強まったことだろう。(略)

サー・エドワード・クックの言葉はまだロンドン子たちの心に響いていただろうから。「ああ、何という風が吹き、何という火が燃え、どれほど大地と空とが揺れ動いたことだろうか!」
 劇のなかで道化が独占のことを揶揄する、それとない政治批判は、つい数か月前だったら検閲官も見逃したかもしれないが、国王が独占を非難したことが火薬陰謀事件の共謀者たちにより国王殺しの理由の一つとされた今となっては、削除しなければならなかった。そして、十一月上旬に国会で王国統合の懸案に決着がつくはずだったのが再び延期されてしまったために、王国分割を描く『リア王』の政治性は、まさに時宜を得て、意味深長なものになってしまったわけである。
 まだ書いていない劇にも影響があった。シェイクスピアは、これまで何度もいろいろな作品でカトリックの残り香への郷愁を示してきたが、十一月五日ののち、それをやめてしまった(晩年の共作『ヘンリーハ世』は例外)。カトリック世界の存在を示すものとして最も有名なのは、煉獄から亡霊がやってくる『ハムレット』だ。

(略)

 一六〇八年の生まれで、火薬陰謀事件を直接知らない世代のジョン・ミルトンが、十代のときにこの事件に夢中になり、学校への提出物として、事件について短いラテン語の詩五篇を書いたことはあまり知られていない。その後も、題名もそのものずばりの「十一月五日に寄せて」という長いラテン語の詩を、事件の十二周年記念に書いている。この詩では、サタンがローマヘ飛んできて、イギリスの指導者たちを破滅させるようにローマ教皇に促し、「連中が集まる部屋の下で火薬を爆破させて、連中の体を空に撒き散らし、灰になるまで燃やし尽くせ」と唆すのだ。だが、神が介入して、「とんでもないローマ教皇派の暴動を鎮圧した」。悪者らは罰せられ、神は感謝され、篝火が焚かれ(略)

誘惑や悪と神の力を描くこの詩は、数十年後にミルトンが『失楽園』で鋭く切り込んだ問題を先取りしていた(とりわけ、神の力に逆らう武器として、サタンが火薬を発明する第六巻は特筆される)。だが、ミルトンの十一月五日に寄せる詩が今日あまり読まれなくなってしまったのは、若いミルトンにとって、この火薬陰謀事件は問いではなく答えだったからだ。悪がどこから生まれるかミルトンにはわかっていたのだ。善玉と悪玉、きれいと汚いとが、はっきりしていたのである。『失楽園』ではそうではないし(ミルトンがそのつもりであったとしても)、もちろんシェイクスピア作品においてもそうではない。
 シェイクスピアは『リア王』を書き終えていたが、ハースネットの悪魔憑きや虚偽や悪事に走る人間の傾向について考え続けた。「悪事の寄せ集め」と呼ばれた十一月五日は、そうした問題に新たな意味を与えたのだ。と言うのも、この事件をきっかけに、シェイクスピアに限らず国じゅうの人がこれまで考えてもいなかった問題に深く必死で向き合うことになるからだ。すなわち、どうして普通の人々がこんなに恐ろしい、ありえない犯罪をしようとしたのかという問題である。(略)

この悪は、悪魔的な力から生み出されるのか、それとも自分のなかから生まれるのか?私たちを結びつけるのは何か――家族か?結婚か?国か?――そしてその結びつきを破壊するのは何か?シェイクスピアは自分の世界に押し寄せてきたこれらの問題を探る芝居を人々は求めているのだと悟って、マクベスについて調べ始めていた。

次回に続く。

日銀と政治 暗闘の20年史・その3

前回の続き。

日銀と政治 暗闘の20年史

日銀と政治 暗闘の20年史

 

候補者選び

「このなかに記したどなたになっても、うまくやってくれると思います」

[浜田は自著『アメリカは日本経済の復活を知っている』を安倍に手渡す。そこに挙った七人は岩田規久男、岩田一政、黒田東彦伊藤隆敏竹中平蔵、中原伸之、堺屋太一。高齢の中原、堺屋、麻生と合わない竹中が除外され、候補は四人に。そこに財務省推しの武藤敏郎が一旦追加される。選定に入った本田悦朗は、まず武藤をインタゲに慎重だと削除。リーマン・ショック時の円高容認発言が問題になり伊藤も外れた]

(略)

 麻生はのちに、周囲にこう振り返っている。
 「極端な考え方の集団にしちゃいけない。バランスのとれた構成をする必要があった」(略)
[安倍私邸]

 麻生はウィスキーを片手に、安倍にこう切り出した。
 「(総理は)武藤(敏郎)は、ダメなんでしょう?」
 麻生の問いかけに対し、安倍は深くうなずいた。麻生は続けた。
 「だけど、学者は勘弁して下さい。組織を動かしたことのない奴は、絶対、日銀総裁は無理です」

[と「リフレ派」岩田規久男に駄目を出し]

麻生は安倍にこう提案した。

アジア開発銀行総裁の黒田でどうですか?いいんじゃないですか?」

(略)

 安倍は「黒田でいいですか?」と麻生に聞き返した。(略)
 黒田東彦日本銀行総裁の人事案が決まった瞬間だった。
 安倍はさらに続けた。
 「副総裁は岩田にしてくれませんか」
 麻生は「岩田?岩田一政ですか?」と聞き返した。すると、安倍は小さな声で「いやいや、岩田規久男教授です」と言った。(略)

麻生も、総裁が(略)黒田であれば、執行部に学者が一人いても、うまくやれるだろうと考え、これを認めた。
 問題は、もう一人の副総裁だった。
 「総裁と副総裁が大蔵と学者なら、もう一人の副総裁は、日銀のプロパーがいないとダメです。山口(廣秀)副総裁を残せませんか」
 麻生は安倍にこう提案した。
 麻生の提案にはウラがあった。麻生は白川から「一人は日銀から山口副総裁を入れてもらいたい」というお願いを受けていたのである。正副総裁三人が全員、「リフレ派」に占拠され、日銀内部が混乱することを恐れての「遺言」であった。

(略)

[白川は退任記者会見で]

 「単に物価が上がれば良いというわけではない。物価が上がり、円安になっても、対外競争力が高まるわけでもない。目指すべきは、実質成長率が高まり、その結果として物価上昇が高まっていくという姿だ」 

 また、市場参加者の期待をつくりだそうという考え方についても、「中央銀行が言葉によって市場を思い通りに動かすという意味であるとするならば、そうした市場感、施策感には私自身はあやうさを感じる」と

(略)「アベノミクス」を批判した。

消費増税を巡る攻防 黒田「増税」促す

「脱デフレと消費増税は両立する」

 二〇一三年八月八日、金融政策決定会合後の[黒田の]記者会見。

(略)

 消費増税を延期したら、日本政府が財政再建に真剣ではないと市場で受け止められ、長期金利が上昇して、経済が混乱する恐れがある――。

(略)

「何を余計なことを言っているんだ。やっぱり財務省のDNAは消えていなかった」

本田悦朗は周囲に吐き捨てるように言った。

[本田は安倍の別荘で「一九九七年の教訓」を持ち出し]

毎年一%ずつの引き上げへと組みかえるように求めた

(略)

[官邸での集中検討会、読売社長白石興二郎から増税見送りのリスクを問われた黒田は]

「確率は低いかもしれないが、起こったら『どえらいこと』になって対応できないというリスクを冒すのか」(略)

この「脅し文句」は公表されなかった。内閣府が公表した議事要項では、黒田の発言は削除されたのである。

(略)

[9月5日の金融政策決定会合記者会見でも黒田は同様の「脅し文句」を使い]

 翌日の朝刊には、「日銀総裁国債急落リスクを警告」などの見出しが躍った。

(略)

[1%ずつなら大丈夫であれば、2%分の5.4兆円を経済対策で手当すればいい]

 甘利は事前にこのアイデアを本田に披露した。本田は「確かに、そういうやり方もありますね」と述べており、手応えを感じていた。

[さらに甘利は法人税減税を提案]

(略)

麻生は首を縦には振らなかった。「消費増税で庶民増税をしておきながら、企業減税をするのか、批判される」と反論した。

(略)

 安倍は麻生の反対を織り込んでいた。(略)[用意してあった腹案]が、復興特別法人税の前倒し終了であった。

[麻生がそれを受け入れ、消費増税決定]

景気悪化

岩田規久男はもともと、デフレ脱却が確実にならない状況で、消費税率を引き上げることには反対だった。黒田総裁が安倍首相に増税を迫っている様子を、内心、苦々しく思っていた。だが、日銀の総裁と副総裁は一体の存在であり、不一致だと思われる言動は控えてきた。
 とはいえ、景気の現状を見て、黙っていられなくなった。副総裁という立場上、記者会見や講演で表立った意見表明はできないものの、リフレ派には自分の見解を伝えた方がいい――。こう考えた岩田は八月のある日(略)盟友の山本幸三衆院議員を昼食に誘った。(略)
 山本は一年前の消費増税判断のとき、消費税率八%への引き上げに賛成した。その根拠は「マンデル・フレミング理論」であった。
 その解釈は「変動為替相場制のもとでは、財政政策よりも金融政策の効果のほうが大きく、理論的には財政政策の効果はない」というものだ。公共投資をすれば、長期金利の上昇を招き円高の要因となる。その効果は、輸出減少・輸入増加という形で、海外に流出してしまう。逆に、増税をすれば、長期金利の低下圧力となって円安の要因となり、輸出が伸び、増税で消費が減った分を相殺するはず。つまり、増税の効果も、為替変動によって調整され、マクロ経済的には影響がないと考えていた。
 そのことを知っていた岩田は、こう切り出した。
 「あんたの信奉している理論通りにならないよ」
 その根拠は、日本企業の海外生産シフトがかなり進んでおり、円安になっても、肝心の輸出が伸びていない、という点だった。これは為替変動によって増税の悪影響が調整されない、ということを意味する。(略)
 「事態は深刻だ。このまま予定通り一〇%への増税をしたら、アベノミクスは終わりだろう」
(略)

[本田悦朗も同様に再増税延期]

 本田の分析はこうだ。もともとアベノミクスと消費増税は相性が良くない。アベノミクスは金融政策で物価を上昇させ、デフレ脱却をしようとしている。そこに、消費税率の引き上げが重なって、二重の物価上昇が起こった。
 賃金の上昇は、物価の上昇よりも遅れる傾向にある。(略)そこに消費増税が重なれば、家計で使えるお金が一気に減ってしまう。本田にしてみれば、当然の結果であった。
 本田は「消費増税は予想以上に日本経済に大きな打撃を与えてしまった。(略)同じ過ちを二度繰り返してはいけない」と訴えた。

山本も動き出した。

増税のタイミングは慎重に見きわめるべきだ。一年半くらい延期してはどうか」

(略)

[10月30日追加緩和発表]

黒田はなぜ、このような賭けに出たのか。

[増税を決断させるための『消費増税緩和』を疑う政府高官。その理由はGPIFの投資配分の変更](略)

 波紋を呼んだのは、GPIFが運用見直しで減らす国内債券の額が、日銀が追加緩和で増やす国債の購入額三〇兆円とほぼ同じという点であった。(略)

市場からは「(略)日銀とGPIFはあらかじめ相談していたのではないか」という声が上がった。(略)

[黒田はそれを否定したが]

首相には疑念が生じているようだった。(略)

[財務官僚を引き連れ安倍を訪れた]

麻生はご機嫌だった。

「黒田さんはやっぱり大したものじゃないですか」(略)

さらに「財政とリンクしないとうまくいかない」と述べ、補正予算などで新たな経済対策を打ち出す考えを伝えた。

 ただ、同席者の一人の気分は晴れなかった。安倍が表情一つ、変えなかったからだ。
 「首相は財務省、日銀、厚生労働省がグルだと思って、怒っているのではないか」

(略)

[11月5日夜、麻生を密かに公邸に招いた安倍]

安倍の表情はこわばり、思い詰めた様子だった。そして、おそるおそる切り出した。
 「衆院を解散したいと思うが、どう思いますか」(略)
麻生は突き放した。
 「解散なんていうものは、人に相談するものではありません。決められたんであるなら、相談しないでください。決めたらやると。あとの段取りはご相談に応じます。すべきかすべきでないか、はご自分で決めてください」
 そう言うと、安倍は一瞬つまったが、気を取り直して言った。
 「解散します」(略)
麻生は「解散するなら、消費税を上げるのか、あるいは延期するのか、記者会見で必ず聞かれますよ」と尋ねた。だが、安倍は明確には答えなかった。

(略)

[麻生は]こう警告した。

「消費税は予定通り上げるべきです。あとで『やっぱり上げておくべきだった』となる」

この日、結論はでなかった。

[翌日、安倍は本田悦朗が招いたクルーグマンから増税延期を進言される。

9日APEC出発前の羽田で「解散については全く考えていない」と安倍。

17日、帰国の政府専用機内で安倍と麻生はGDPの報告を受ける](略)

麻生は言った。

「これで、ゲームは終わったな」

安倍は「消費増税は延期させていただきます」と応じ、二人は機内で消費増税延期の条件について話し合った。

(略)

 解散をセットにしたことで(略)党内の異論はかき消された。安倍の「作戦勝ち」だった。

 リスキーな状況

[安倍は圧勝後]これまでとは違う財政健全化目標の考え方を口するように

(略)

 「国内総生産を大きくすることで、累積債務の対GDP比率を小さくすることになる。もう少し複合的に見ていくことも必要かなと思う」

(略)
 黒田東彦は、安倍の姿勢に違和感を覚えていた。(略)
 二〇一五年二月一二日の諮問会議。黒田は「オフレコ」にするよう求めたうえで、こう話を始めた。
 「欧州の一部銀行は、日本国債保有する比率を恒久的に引き下げることとした」

(略)

銀行が国債保有しにくくなるような、厳しい資本規制が導入される可能性がある。黒田は「(そうなれば銀行が)国債を手放してしまうかもしれない」と指摘したうえで、こう警告した。

 「(財政再建を)もっと本腰を入れてやらないといけない。リスキーな状況になってきている」
 黒田の「大演説」に会場は凍り付いた。(略)
 その静寂を破り、反論したのは安倍自身であった。
 「格付け会社にしっかりと働きかけることが重要ではないか。(政府の累積債務は)グロスで見ると確かに大きいのだが、(政府が保有している土地や建物などの資産を差し引いた)ネットで見ると他国とあまり変わらない。そういう説明をしなければならない」
 安倍は、日本の財政状況は、黒田が言うほど深刻ではないと反論した。明らかに不快そうな表情をしていたという。

(略)
 三月五日、首相官邸(略)[本田悦朗は]持論を訴えていた。
 「PBの黒字化はしなくてはいけないが、二〇年にこだわるべきではない。アベノミクスをしっかり続ければ、二〇年を少し超えるころには、ちゃんと黒字化できる。一番最悪なのは、PB黒字化のために、予算をバサバサ切ったり、増税したりして経済を破壊することだ」
 安倍は本田の意見に真剣に耳を傾けていた。 

マイナス金利導入

 マイナス金利導入の二九日、政府は歓迎一色のムードだった。

(略)

 追加緩和に躊躇していた首相ブレーンの本田悦朗も「ビッグサプライズだ。さすが黒田さんだ」と持ち上げた。(略)

「日銀はまだまだ打つ手はあるということだ。これなら出尽くし感がない」とコメントした。

(略)

初日は市場が「好感」しているように見えた。(略)

[だが週明けから市場は混乱。まず最初に国債市場に異変、銀行株も急落] 

宰相になるか、ポピュリストになるか

[伊勢志摩サミットの翌日夜、麻生は安倍に]詰め寄った。
 「宰相になるか、ポピュリストになるかですよ」
 「宰相になる」とは、来年四月の消費増税を予定通り実施すること。(略)「ポピュリストになる」とは、増税を先送りすること

(略)

 さらに、麻生は政治論の矛盾をついた。(略)

[前回の延期では衆院を解散したのだから、今回もそうすべきだと。

翌29日、谷垣と富山のセミナーに出た麻生は増税延期ならば]

もう一回選挙をして、信を問わなければ筋が通らない。というのが私や谷垣さんの言い分だ」

 麻生は公の場で、安倍に反旗を翻したのだ。(略)

 内閣ナンバー2の副総理と、自民党ナンバー2の幹事長による「反乱軍」結成であった。

(略)
[30日夜安倍と麻生はホテルで3時間議論]

 「総理がそこまで言うなら、仕方がない」
 麻生は折れた。怒りは収まらなかったが、このまま対立を続けていたら、夏の参院選に悪影響を及ぼし、多くの与党議員に迷惑をかけると考えたからだった。

(略)

[安倍は記者会見で]

伊勢志摩サミットで、過去の発言との辻棲を合わせようと、「リーマン・ショック級の事態が目前」という数字を並べた「へりくつ」を撤回し、再延期を「新しい判断」と説明した。
 安倍なりの麻生に対する「誠意」であった。
 盟友・麻生の「反乱」を何とか抑えることができた安倍。だが、次に待っていたのは市場の「反乱」だった。
 「『国債市場特別参加者』資格を返上したい」

[と三菱東京UFJ銀行が申し出]

(略)
一二〇兆円超の資金を誇る国内最大手のメガバンク。そこが資産運用先として国債に「見切り」をつけた――。財務省には衝撃が走った。(略)
大臣室は重苦しい雰囲気に包まれていた。
 「非常に納得がいきません」。迫田理財局長は不快感をあらわにした。だが、三菱東京UFJ財務省にとってはお客様であり、その経営判断を尊重せざるを得なかった。
 小山田隆頭取は[会見で](略)
 「国債のマイナス金利化が進んでいるなかで、プライマリー・ディーラーとして落札業務をすべて履行していくのはちょっと難しい」
 マイナス金利が「引き金」。そういう説明だった。