日銀と政治 暗闘の20年史・その3

前回の続き。

日銀と政治 暗闘の20年史

日銀と政治 暗闘の20年史

 

候補者選び

「このなかに記したどなたになっても、うまくやってくれると思います」

[浜田は自著『アメリカは日本経済の復活を知っている』を安倍に手渡す。そこに挙った七人は岩田規久男、岩田一政、黒田東彦伊藤隆敏竹中平蔵、中原伸之、堺屋太一。高齢の中原、堺屋、麻生と合わない竹中が除外され、候補は四人に。そこに財務省推しの武藤敏郎が一旦追加される。選定に入った本田悦朗は、まず武藤をインタゲに慎重だと削除。リーマン・ショック時の円高容認発言が問題になり伊藤も外れた]

(略)

 麻生はのちに、周囲にこう振り返っている。
 「極端な考え方の集団にしちゃいけない。バランスのとれた構成をする必要があった」(略)
[安倍私邸]

 麻生はウィスキーを片手に、安倍にこう切り出した。
 「(総理は)武藤(敏郎)は、ダメなんでしょう?」
 麻生の問いかけに対し、安倍は深くうなずいた。麻生は続けた。
 「だけど、学者は勘弁して下さい。組織を動かしたことのない奴は、絶対、日銀総裁は無理です」

[と「リフレ派」岩田規久男に駄目を出し]

麻生は安倍にこう提案した。

アジア開発銀行総裁の黒田でどうですか?いいんじゃないですか?」

(略)

 安倍は「黒田でいいですか?」と麻生に聞き返した。(略)
 黒田東彦日本銀行総裁の人事案が決まった瞬間だった。
 安倍はさらに続けた。
 「副総裁は岩田にしてくれませんか」
 麻生は「岩田?岩田一政ですか?」と聞き返した。すると、安倍は小さな声で「いやいや、岩田規久男教授です」と言った。(略)

麻生も、総裁が(略)黒田であれば、執行部に学者が一人いても、うまくやれるだろうと考え、これを認めた。
 問題は、もう一人の副総裁だった。
 「総裁と副総裁が大蔵と学者なら、もう一人の副総裁は、日銀のプロパーがいないとダメです。山口(廣秀)副総裁を残せませんか」
 麻生は安倍にこう提案した。
 麻生の提案にはウラがあった。麻生は白川から「一人は日銀から山口副総裁を入れてもらいたい」というお願いを受けていたのである。正副総裁三人が全員、「リフレ派」に占拠され、日銀内部が混乱することを恐れての「遺言」であった。

(略)

[白川は退任記者会見で]

 「単に物価が上がれば良いというわけではない。物価が上がり、円安になっても、対外競争力が高まるわけでもない。目指すべきは、実質成長率が高まり、その結果として物価上昇が高まっていくという姿だ」 

 また、市場参加者の期待をつくりだそうという考え方についても、「中央銀行が言葉によって市場を思い通りに動かすという意味であるとするならば、そうした市場感、施策感には私自身はあやうさを感じる」と

(略)「アベノミクス」を批判した。

消費増税を巡る攻防 黒田「増税」促す

「脱デフレと消費増税は両立する」

 二〇一三年八月八日、金融政策決定会合後の[黒田の]記者会見。

(略)

 消費増税を延期したら、日本政府が財政再建に真剣ではないと市場で受け止められ、長期金利が上昇して、経済が混乱する恐れがある――。

(略)

「何を余計なことを言っているんだ。やっぱり財務省のDNAは消えていなかった」

本田悦朗は周囲に吐き捨てるように言った。

[本田は安倍の別荘で「一九九七年の教訓」を持ち出し]

毎年一%ずつの引き上げへと組みかえるように求めた

(略)

[官邸での集中検討会、読売社長白石興二郎から増税見送りのリスクを問われた黒田は]

「確率は低いかもしれないが、起こったら『どえらいこと』になって対応できないというリスクを冒すのか」(略)

この「脅し文句」は公表されなかった。内閣府が公表した議事要項では、黒田の発言は削除されたのである。

(略)

[9月5日の金融政策決定会合記者会見でも黒田は同様の「脅し文句」を使い]

 翌日の朝刊には、「日銀総裁国債急落リスクを警告」などの見出しが躍った。

(略)

[1%ずつなら大丈夫であれば、2%分の5.4兆円を経済対策で手当すればいい]

 甘利は事前にこのアイデアを本田に披露した。本田は「確かに、そういうやり方もありますね」と述べており、手応えを感じていた。

[さらに甘利は法人税減税を提案]

(略)

麻生は首を縦には振らなかった。「消費増税で庶民増税をしておきながら、企業減税をするのか、批判される」と反論した。

(略)

 安倍は麻生の反対を織り込んでいた。(略)[用意してあった腹案]が、復興特別法人税の前倒し終了であった。

[麻生がそれを受け入れ、消費増税決定]

景気悪化

岩田規久男はもともと、デフレ脱却が確実にならない状況で、消費税率を引き上げることには反対だった。黒田総裁が安倍首相に増税を迫っている様子を、内心、苦々しく思っていた。だが、日銀の総裁と副総裁は一体の存在であり、不一致だと思われる言動は控えてきた。
 とはいえ、景気の現状を見て、黙っていられなくなった。副総裁という立場上、記者会見や講演で表立った意見表明はできないものの、リフレ派には自分の見解を伝えた方がいい――。こう考えた岩田は八月のある日(略)盟友の山本幸三衆院議員を昼食に誘った。(略)
 山本は一年前の消費増税判断のとき、消費税率八%への引き上げに賛成した。その根拠は「マンデル・フレミング理論」であった。
 その解釈は「変動為替相場制のもとでは、財政政策よりも金融政策の効果のほうが大きく、理論的には財政政策の効果はない」というものだ。公共投資をすれば、長期金利の上昇を招き円高の要因となる。その効果は、輸出減少・輸入増加という形で、海外に流出してしまう。逆に、増税をすれば、長期金利の低下圧力となって円安の要因となり、輸出が伸び、増税で消費が減った分を相殺するはず。つまり、増税の効果も、為替変動によって調整され、マクロ経済的には影響がないと考えていた。
 そのことを知っていた岩田は、こう切り出した。
 「あんたの信奉している理論通りにならないよ」
 その根拠は、日本企業の海外生産シフトがかなり進んでおり、円安になっても、肝心の輸出が伸びていない、という点だった。これは為替変動によって増税の悪影響が調整されない、ということを意味する。(略)
 「事態は深刻だ。このまま予定通り一〇%への増税をしたら、アベノミクスは終わりだろう」
(略)

[本田悦朗も同様に再増税延期]

 本田の分析はこうだ。もともとアベノミクスと消費増税は相性が良くない。アベノミクスは金融政策で物価を上昇させ、デフレ脱却をしようとしている。そこに、消費税率の引き上げが重なって、二重の物価上昇が起こった。
 賃金の上昇は、物価の上昇よりも遅れる傾向にある。(略)そこに消費増税が重なれば、家計で使えるお金が一気に減ってしまう。本田にしてみれば、当然の結果であった。
 本田は「消費増税は予想以上に日本経済に大きな打撃を与えてしまった。(略)同じ過ちを二度繰り返してはいけない」と訴えた。

山本も動き出した。

増税のタイミングは慎重に見きわめるべきだ。一年半くらい延期してはどうか」

(略)

[10月30日追加緩和発表]

黒田はなぜ、このような賭けに出たのか。

[増税を決断させるための『消費増税緩和』を疑う政府高官。その理由はGPIFの投資配分の変更](略)

 波紋を呼んだのは、GPIFが運用見直しで減らす国内債券の額が、日銀が追加緩和で増やす国債の購入額三〇兆円とほぼ同じという点であった。(略)

市場からは「(略)日銀とGPIFはあらかじめ相談していたのではないか」という声が上がった。(略)

[黒田はそれを否定したが]

首相には疑念が生じているようだった。(略)

[財務官僚を引き連れ安倍を訪れた]

麻生はご機嫌だった。

「黒田さんはやっぱり大したものじゃないですか」(略)

さらに「財政とリンクしないとうまくいかない」と述べ、補正予算などで新たな経済対策を打ち出す考えを伝えた。

 ただ、同席者の一人の気分は晴れなかった。安倍が表情一つ、変えなかったからだ。
 「首相は財務省、日銀、厚生労働省がグルだと思って、怒っているのではないか」

(略)

[11月5日夜、麻生を密かに公邸に招いた安倍]

安倍の表情はこわばり、思い詰めた様子だった。そして、おそるおそる切り出した。
 「衆院を解散したいと思うが、どう思いますか」(略)
麻生は突き放した。
 「解散なんていうものは、人に相談するものではありません。決められたんであるなら、相談しないでください。決めたらやると。あとの段取りはご相談に応じます。すべきかすべきでないか、はご自分で決めてください」
 そう言うと、安倍は一瞬つまったが、気を取り直して言った。
 「解散します」(略)
麻生は「解散するなら、消費税を上げるのか、あるいは延期するのか、記者会見で必ず聞かれますよ」と尋ねた。だが、安倍は明確には答えなかった。

(略)

[麻生は]こう警告した。

「消費税は予定通り上げるべきです。あとで『やっぱり上げておくべきだった』となる」

この日、結論はでなかった。

[翌日、安倍は本田悦朗が招いたクルーグマンから増税延期を進言される。

9日APEC出発前の羽田で「解散については全く考えていない」と安倍。

17日、帰国の政府専用機内で安倍と麻生はGDPの報告を受ける](略)

麻生は言った。

「これで、ゲームは終わったな」

安倍は「消費増税は延期させていただきます」と応じ、二人は機内で消費増税延期の条件について話し合った。

(略)

 解散をセットにしたことで(略)党内の異論はかき消された。安倍の「作戦勝ち」だった。

 リスキーな状況

[安倍は圧勝後]これまでとは違う財政健全化目標の考え方を口するように

(略)

 「国内総生産を大きくすることで、累積債務の対GDP比率を小さくすることになる。もう少し複合的に見ていくことも必要かなと思う」

(略)
 黒田東彦は、安倍の姿勢に違和感を覚えていた。(略)
 二〇一五年二月一二日の諮問会議。黒田は「オフレコ」にするよう求めたうえで、こう話を始めた。
 「欧州の一部銀行は、日本国債保有する比率を恒久的に引き下げることとした」

(略)

銀行が国債保有しにくくなるような、厳しい資本規制が導入される可能性がある。黒田は「(そうなれば銀行が)国債を手放してしまうかもしれない」と指摘したうえで、こう警告した。

 「(財政再建を)もっと本腰を入れてやらないといけない。リスキーな状況になってきている」
 黒田の「大演説」に会場は凍り付いた。(略)
 その静寂を破り、反論したのは安倍自身であった。
 「格付け会社にしっかりと働きかけることが重要ではないか。(政府の累積債務は)グロスで見ると確かに大きいのだが、(政府が保有している土地や建物などの資産を差し引いた)ネットで見ると他国とあまり変わらない。そういう説明をしなければならない」
 安倍は、日本の財政状況は、黒田が言うほど深刻ではないと反論した。明らかに不快そうな表情をしていたという。

(略)
 三月五日、首相官邸(略)[本田悦朗は]持論を訴えていた。
 「PBの黒字化はしなくてはいけないが、二〇年にこだわるべきではない。アベノミクスをしっかり続ければ、二〇年を少し超えるころには、ちゃんと黒字化できる。一番最悪なのは、PB黒字化のために、予算をバサバサ切ったり、増税したりして経済を破壊することだ」
 安倍は本田の意見に真剣に耳を傾けていた。 

マイナス金利導入

 マイナス金利導入の二九日、政府は歓迎一色のムードだった。

(略)

 追加緩和に躊躇していた首相ブレーンの本田悦朗も「ビッグサプライズだ。さすが黒田さんだ」と持ち上げた。(略)

「日銀はまだまだ打つ手はあるということだ。これなら出尽くし感がない」とコメントした。

(略)

初日は市場が「好感」しているように見えた。(略)

[だが週明けから市場は混乱。まず最初に国債市場に異変、銀行株も急落] 

宰相になるか、ポピュリストになるか

[伊勢志摩サミットの翌日夜、麻生は安倍に]詰め寄った。
 「宰相になるか、ポピュリストになるかですよ」
 「宰相になる」とは、来年四月の消費増税を予定通り実施すること。(略)「ポピュリストになる」とは、増税を先送りすること

(略)

 さらに、麻生は政治論の矛盾をついた。(略)

[前回の延期では衆院を解散したのだから、今回もそうすべきだと。

翌29日、谷垣と富山のセミナーに出た麻生は増税延期ならば]

もう一回選挙をして、信を問わなければ筋が通らない。というのが私や谷垣さんの言い分だ」

 麻生は公の場で、安倍に反旗を翻したのだ。(略)

 内閣ナンバー2の副総理と、自民党ナンバー2の幹事長による「反乱軍」結成であった。

(略)
[30日夜安倍と麻生はホテルで3時間議論]

 「総理がそこまで言うなら、仕方がない」
 麻生は折れた。怒りは収まらなかったが、このまま対立を続けていたら、夏の参院選に悪影響を及ぼし、多くの与党議員に迷惑をかけると考えたからだった。

(略)

[安倍は記者会見で]

伊勢志摩サミットで、過去の発言との辻棲を合わせようと、「リーマン・ショック級の事態が目前」という数字を並べた「へりくつ」を撤回し、再延期を「新しい判断」と説明した。
 安倍なりの麻生に対する「誠意」であった。
 盟友・麻生の「反乱」を何とか抑えることができた安倍。だが、次に待っていたのは市場の「反乱」だった。
 「『国債市場特別参加者』資格を返上したい」

[と三菱東京UFJ銀行が申し出]

(略)
一二〇兆円超の資金を誇る国内最大手のメガバンク。そこが資産運用先として国債に「見切り」をつけた――。財務省には衝撃が走った。(略)
大臣室は重苦しい雰囲気に包まれていた。
 「非常に納得がいきません」。迫田理財局長は不快感をあらわにした。だが、三菱東京UFJ財務省にとってはお客様であり、その経営判断を尊重せざるを得なかった。
 小山田隆頭取は[会見で](略)
 「国債のマイナス金利化が進んでいるなかで、プライマリー・ディーラーとして落札業務をすべて履行していくのはちょっと難しい」
 マイナス金利が「引き金」。そういう説明だった。