ジョージ・オーウェル その2

カタロニア讃歌』  

われわれは希望が無気力やシニシズムよりもふつうである社会にいた。「同志」という言葉が、たいていの国でのようにまやかしの言葉でなく、本当の同志的連帯を意味するコミュニティにいたのだ。そこでは平等の空気が吸われていた。今日、社会主義と平等の結びつきを否定するのが流行っているのを私はよく知っている。世界各国で、政党御用評論家や口先達者のろくでもない学者先生たちが、寄ってたかって、社会主義とは独占欲を手つかずで残しておいたままの計画的な国家資本主義であることを「証明」するのにやっきとなっている。けれども、幸いなことに、そんなものとはまったく異なる社会主義のヴィジョンも存在するのだ。(略)

社会主義の「神秘」とは、平等の理念である。大多数の人びとにとって、社会主義とは、階級のない社会を意味する。そうでなかったらなにも意味しない。民兵隊での数カ月が私にとって価値があったのは、まさしくこの点においてである。スペインの民兵隊こそ、それが存続していたあいだは、階級なき社会の小宇宙とでもいうべきものだったのだから。(第七章)

 

 『カタロニア讃歌』の明るいトーンの所以がここに示されている。(略)「希望が無気力やシニシズムよりもふつうである社会、人間の人間らしさ」が損なわれずにある社会が現実にありうるのだという発見が、スペインで得たかけがえのない収穫であった。バルセロナに到着してまもなくイタリア人の民兵とかわした握手(略)、待避壕の焚火のなかに「冗談」で手榴弾を投げ込んだ部下の少年、あだ名が付いた不発弾、「バター付きトースト」のプロパガンダ、夜明けに歌いだすアンダルシア人の歩哨(略)

「冬の寒さや、ぼろぼろの民兵服や、スペイン人の卵形の顔や、モールス信号のような機関銃の銃声や、汚い皿でがつがつかきこんだビーン・シチュー」などを想起しつつ、彼はこう書く。「[戦場でのさまざまな労苦が]起こっているときは堪えがたいものだった。けれども、そこはいまや、私の心が草を食む良き牧草地となっている。(略)私は、記憶のなかで、思い出すにも値しないと思えるほど些細な出来事を、ふたたび生きなおす」

(略)

カタロニア讃歌』の最終段落は、スペイン内戦で辛酸をなめたオーウェルが、英国ののどかな(のどかすぎる)田園風景と都市ロンドンを換喩的な表現で記述してから、「英国はすべてが深い、深い眠りについている。その眠りから私たちがようやく覚めることになるのは、爆弾の轟音によって跳び起きるときなのではないかと、私は時々心配になる」と結んでいる。

 イギリスを巻き込む二つ目の大戦争の予感を語るところでオーウェルは筆を擱いている。

『ライオンと一角獣』 、愛国心

本書の狙いは、「ブリッツ(空襲)」のさなかで民主的社会主義者として「イギリス革命」を説き、イギリスの将来について、基幹産業の国有化、所得制限(富裕層への規制)、貴族院の廃止、教育制度改革(階級的差別のない教育制度の確立)、インド植民地の解放など、社会主義体制の樹立に向けた提言をおこなうことであった。その革命を導く重要な力としてオーウェルは「愛国心」を持ち出している。「革命」と「愛国心」は一見ミスマッチで、いまの日本語の一般的な語感からすると「愛国心」は極右、あるいは歴史修正主義者の振りかざす用語であるように思える(略)

オーウェルはそうした否定的な意味合いは「ナショナリズム」という語に負わせて、両者を対照的に使い分けている。(略)

パトリオティズム」が「特定の場所と特定の生活様式への献身」を意味する防御的な概念であるのに対して、「ナショナリズム」はつねに権力欲と結びついた攻撃的な概念としてとらえる。「すべてのナショナリストの不変の目標は、より大きな権力、より大きな威信を獲得すること、それもけっして自分自身のためではなく、彼が自分自身の個性を没入させることを選んだ国なりなんなりの単位のために獲得すること」なのである。(略)

愛国心保守主義とは無関係で、むしろ保守主義とは反対のものである。なぜならそれは、つねに変化しながらも、なんとなくおなじものだと感じられているものへの献身なのだから。それは過去と未来をつなぐ橋である。真の革命家が国家主義者であったためしはない」。

(略)

鶴見俊輔が解説するように、「パトリオティズム」とは「時の政府にたいする服従」を意味するものではなく、日本語ではむしろ「郷土愛」という言葉のほうが近い。「おさない時からおなじ土地にそだち、そこでおなじ言葉をつかって一緒にくらしてきたものの間にうまれる親しみが、人間を底の方から支えるという思想」(略)にほかならないからだ。

戦況ニュース解説、検閲

 BBCの上層部はオーウェルの手腕を認め、もっと長く勤務をつづけさせたかったのだが、本人は嫌気がさして二年で辞めた。(略)

「私が辞表を出すのは、なんの結果ももたらさないことをするのに私自身の時間と公金を浪費しているのだとここしばらく痛感しているからです。現下の政治情勢ではイギリスのプロパガンダをインドに向けて放送するのは絶望的な仕事だと考えます。

(略) 

右で説明しているような英政府によるインド向けプロパガンダ放送の無益さという理由に加えて、官僚的な機構になじめなかったのが大きかったのだろう。おそらくいちばん耐え難かったのは検閲であった。情報省の厳しい管理下で放送前に台本は二度の念入りな検閲を受けねばならなかった。一九四三年六月には新米の検閲係がオーウェルの原稿をチェックし忘れて、そのまま放送してしまう「放送事故」が起き、陸軍省や情報省からBBC会長に苦情が寄せられた。その後はオーウェル専門の「スイッチ検閲係」が張り付くことになった。検閲済みの台本から逸脱したらスイッチを切って生放送を中断する係である。また情報操作に不本意ながら手を染めざるをえなかった。戦略的な必要から、同僚がおこなう事実の歪曲を黙認しただけでなく、日本軍がソ連侵攻を計画中だとする情報を嘘と知りながら流すこともしている。

 とはいえ、BBC勤務はオーウェルにとって無益な日々でしかなかったとは言えない。(略)

[『動物農場』『一九八四年』]の世界に深く関わる経験をBBCで得たというのは決定的であろう。ドイツに対抗する情報戦に直接したことによって、近代にマスメディアが果たす重要な役割をリアルに認識したのだし、日常的にうけた検閲は出版・表現の自由をめぐる考察を深めたはずである。さらに(略)[「ベイシック・イングリッシュ」]にオーウェルは戦前から関心をもっていたが、一九四三年秋にチャーチルの指示でBBCでのその導入が検討され、同僚のウィリアム・エンプソンがその任についた。『一九八四年』の「ニュースピーク」は、全体主義体制が自己保全のために「ベイシック・イングリッシュ」の原理を盗用した場合にどうなるか、そのネガティヴな帰結を極限まで推し進めたものと言っていいだろう。(略)

BBCの食堂も「真理省」内の寒々しい食堂の描写におそらく生かされている。

(略)

[20歳の鶴見俊輔はジャワ島で海軍軍属として連合国のラジオを聴取し情報をまとめていた際に、オーウェルの放送も聴き]

「他の放送にくらべて、平明であり、単純に世界の情勢をつたえ」ていることに印象づけられた。

(略)

 のちに鶴見は日本におけるオーウェルの仕事の紹介者のひとりとなった。

 『動物農場

[同盟国とスターリンを批判していることが時局に合わないとどこからも断られ、話を聞きつけたフレドリック・ウォーバーグが原稿を読み、出版を了承。紙不足の影響もあり]

ようやく刊行されたのが一九四五年八月一七日、日本がポツダム宣言を受諾して降伏した三日後のことだった。

 初版四五〇〇部はたちまち売り切れた。紙不足のためすぐには増刷できず、同年一一月にようやく二刷一万部が出た。米国版は四六年八月に初版五万部が刊行され、会員制のブック・クラブである「月間優良図書クラブ」の推薦図書に選定されて二刷五〇万部が刷られた。

(略)

 『動物農場』は、ソヴィエト批判のテーマであることが障壁となって出版まで一年半もかかり、結果としてちょうど終戦時での出版となった。これはイギリス(および西側諸国)の対ソ関係で潮目が変わる時期だった。商業的に見れば絶妙なタイミングで、出版社にとっても著者にとっても大成功という。ことにはなる。じっさい、一九四六年になってオーウェルは作家人生のなかで初めて金に困らない境遇となった。だが、そのタイミングは、まもなく本格化する冷戦の文脈のなかに置かれて、西側の資本主義陣営からソヴィエト共産主義を叩く「反ソ・反共」の作品というふうに読解の幅を狭めてしまうことにつながり、オーウェルのそれまでの仕事を知らない読者層から色眼鏡で見られる結果を招いた。なによりも米政府が『動物農場』と『一九八四年』を積極的に冷戦プロパガンダに利用していったのである。 このように利用されるのはオーウェルの本意ではなかった。

「復讐は苦し」 

[ドイツ降伏後の現地取材によるエッセイ「復讐は苦し」で]

ドイツ南部の捕虜収容所で目撃した出来事について書いている。(略)[案内人]のユダヤ人が、いまや囚人となったナチス親衛隊員を見つける。(略)強制収容所の責任者として拷問や処刑に関与していたと思われる男で、案内人は「この豚野郎」と男を罵り、さんざん蹴り飛ばす。(略)

その復讐行為(略)も無理からぬことではある、そうオーウェルは思いつつも、蹴られている男の様子を見ると、挙動不審で明らかに精神を病んでいる。ナチの拷問者として怪物だったのが、縮んで哀れな姿になり、いま必要なのは処罰というよりも、なんらかの精神的治療であるのは明らかだ。そういう相手に復讐行為をしても本当は愉快ではないだろうとオーウェルは内心で思う。「復讐というのは人が無力であるときに、無力であるからこそ果たしたいと思う行為である。無力感が取り除かれるやいなや、そうした欲求も雲散霧消してしまう。(略)怪物の処罰はそれが可能になったときにはもうそうする魅力がなくなってしまうようだ。

(略)

 もうひとつの思い出としてオーウェルはベルギー人の記者とともに、連合軍によって破壊されたシュトゥットガルトの町中に入っていったときのことをおなじエッセイで語っている。

(略)

[転がっていたドイツ兵の死体に]ライラックの花束が供えられている。(略)

連れのベルギー人記者は死体を見るのはこれが初めてだとオーウェルに打ち明ける。そしてそれまで「ドイツ野郎」に過酷であったのに、そこで「哀れな死骸」を見たあとはドイツ人に対する記者の態度は軟化する。

(略)

これを発表した頃、イギリス国内の世論はドイツに対する過酷な講和条件を支持しており、多くの国民がいわば復讐に燃えていた。そうした読者に対して復讐の「苦さ」を強調する、味わい深いエッセイである。

「文学の禁圧」 

 「文学の禁圧」(『ポレミック」一九四六年一月)は、全体主義体制のなかで文学的営為は可能か否かという問題を扱っている。「社会の支配層が全体主義化するのは、その構造がはなはだしく人為的になるとき、すなわち支配階級がその機能を失いながらも武力や欺瞞によってまんまと権力にしがみつくとき」であるとオーウェルは指摘する。「そのような社会は、どれだけ長続きしようとも、寛容な社会にも知的安定を得た社会にもなれない。事実を忠実に記録し、感情を誠実に述べることが文学創作には求められるのであるが、全体主義社会はそのいずれも許容できない」。じっさい、全体主義は「過去のたえざる改変」を、ひいては「客観的事実の存在そのものへの不信」を要求するだろう。『一九八四年』の重要な主題がここに論述されている。

 おなじ論考で著者は大衆を馴致して政治刷新への芽を摘む仕掛けとしての文化産業にも言及している。全体主義体制では「低級な扇情的小説のたぐいは残るかもしれない。人間の積極的な精神を極力削減した一種の流れ作業方式でそれは生産される」のではないか。「機械に本を書かせることも工夫次第では不可能ではないだろう。一種の機械的工程が映画やラジオ、広告や宣伝、また低級なジャーナリズムで使われているのがすでに見て取れる」。その究極のかたちとして、『一九八四年』の真理省内部の虚構局という「プロール向けの文学、音楽、演劇、娯楽全般」を扱う部局において、「スポーツと犯罪と星占いの記事ばかりのくだらない新聞、扇情的な五セント小説、セックスばかりの映画、そして作詞機 という名の万華鏡のような特殊な機械でひたすら自動的につくられるセンチメンタルな歌謡曲」が恒常的に製造・散布されるさまをオーウェルは描きだすことになる。