ジミ・ヘンドリクス 鏡ばりの部屋

イギリスのジミ 

[アメリカでは]彼の肌の色は障害となっていた。だが、イギリスでは、その肌の色もアメリカ訛りも、目新しいものとして受け入れられた。(略)

当時ティーンエイジャーだったミュージシャンのスティングも「そのとき[67年のツアー]初めて黒人を見た」と書いている。

(略)

[ロンドンのフリーマーケットで買った]イギリス帝国の栄光の時代の古い軍服(略)胸には六十三個の金ボタン、中央と袖には金糸の刺繍があり、そして、襟は着ている者をダンディに見せた。(略)

ある年齢以上のイギリスの退役軍人たちは、ジミがロックスターであることは知らず、彼が軍服を着ているのは好ましくないと言っていた。だが、その軍服が引きおこしたトラブルは、常に礼儀正しいジミが素直に謝り、自分もアメリカ陸軍の第一〇一空挺師団から退役したばかりだと話すと、だいたいは丸くおさまった。それを聞くだけで、老人たちは感謝の念をこめてジミの背中をぽんぽんと叩いた。一九六七年になっても、多くのイギリス人は、第二次世界大戦ノルマンディ上陸作戦で伝説の第一〇一空挺師団がパラシュートで降りてきた勇敢な姿を覚えていたのだった。

 そのジャケットを着ているヘンドリクスはまさに英雄だった。身長は一七八センチだったが、一八〇センチ以上に見られることが多かった。(略)[大きなアフロヘアと]痩せて骨張った逆三角形の体格のせいで、より長身に見えたかもしれない。ジミの尻は小さく、ウェストは細かったが、肩幅はとても広く、腕は長かった。指は異常なほど長くしなやかで、体のほかの部分と同様、濃いキャラメル色をいていた。バンド仲間はふざけて彼を「こうもり」と呼んだ。窓を覆って昼間寝るのが好きだったせいもあるし、よくマントを着ていたからでもあった。

両親の喧嘩

ジミは家を出るか、クローゼットに閉じこもって大騒ぎを聞いていた。デローレスとドロシーは、その年、ジミが内向的になったことに気づいた。なぜそんなにおとなしいのか訊かれると、ジミはいつもこう答えた。「母さんと父さんは喧嘩ばっかりしてるんだ。いつも、いつも。僕はそれが嫌なんだ。やめてくれればいいのに」。毎晩のように両親が喧嘩を始めると、ジミはドロシー・ハーディングの家へ避難した。(略)「あの子はまったくしゃべらなかった」とドロシーは言う。ジミがしゃべるときは少しどもりがあり、それは思春期の頃まで続いて、成人してからも緊張するとその癖がもどってきた。ドロシーの名がうまく言えず、「ドーティーおばさん」と呼ぶようになった。秋にプレスクールに通うようになると、少しは心を開くようになったが、しょっちゅうしゃべり方をからかわれた。

おとぎ話

 ついに福祉庁はアル・ヘンドリクスを追いつめ、伯母たちによる掃除の苦労も、レオンとジミが育児放棄されていることを隠せなかった。[弟レオンは施設へ](略)

 何年にもわたって、ジミの面倒を一番よく見てくれたのはハーディング一家だった。ジミがドーティーおばさんと呼ぶドロシー・ハーディングは、陣痛に苦しむルシールの世話をし、赤ん坊だったジミのおむつを替え(略)

ジミのまわりにいるどの女性よりも、母親の役目を果たしていた。(略)

 ハーディング自身は、シングルマザーとして九人の子どもを育てていて(略)

 ハーディングの年長の息子たちは、ジミの保護者役になることが多かった。(略)

[年長の女の子シャーリー弟や妹を寝かしつける]お話は、ジミにとってまるで魅惑的な万能薬のようだった。(略)

ジミは、よくロイとして物語に登場した。(略)

ジミと子どもたちがもっとも喜んだのは、ロイが有名なギタリストになるお話だった。「ロイはほうきのギターで、大金持ちの有名人になりました」と、シャーリーは語った。「ロイの演奏を聴きに、人々はあちこちからやって来ました。ロイは大金持ちになって、大きな黒いキャデラックを乗り回しました。ロイはとても幸せでした。そして、裕福になっても、ロイはキッチンを掃除し、床を掃き、お皿を洗い続けました」。ここが、物語の教訓だった。金持ちで有名になっても、掃除はしなければいけない。そして、シャーリーは続けた。「(略)ロイは世界を旅したあと、いつもキャデラックに乗ってふるさとに帰って来ました。レーニア・ヴィスタまで帰って来てキャデラックのクラクションを鳴らすと、子どもたちが走り出て来てロイを歓迎するのでした」。物語がここまでくると、ジミは愉快な夢のように近づいてくる自分の遠い将来の話が語られているのだということを確信するのだった。

おんぼろのギター

一九五六年の九月にそのまま八年生にあがるはずだった。その月に家が銀行に差し押さえられ、ジミとアルはミセス・マッケイが運営する下宿に移った。(略)

 マッケイ家の下半身不随の息子は、弦が一本しかないおんぼろのギターを弾いていた。そのギターが捨てられたとき、ジミは拾いに行って、ミセス・マッケイに自分に売ってくれないかと訊ねた。「ミセス・マッケイは五ドルで売ってくれると言ったんだ」とレオンは語る。アルは金を出すことを渋り、結局アーネスティン・ベンスンがジミの初めてのギターを買うための金を出した。多くの人にとって、このギターは価値のない木の箱でしかなかったが、ジミはギターで実験をおこなった。すべてのフレットをいじり、ガタガタ鳴らしたり、うなるような音を出したりして、ギターが持つ音の特性を研究した。音楽を奏でてはいなかったが、音は出していた。「弦は一本しかなかったけど、その一本を本当にうまく鳴らしていたわ」とアーネスティン・ベンスンは言う。

(略)

ジミはニコラス・レイ監督の映画『大砂塵』を観た。(略)「あの映画を観たジミは、ギターを背負っている主人公のかっこうがひどく気に入ったんだ。それから、彼とまったく同じようにしてギターを背負うようになった」。(略)

ギターが弾けるのかと訊ねられると、ジミは「これ、壊れてるんだ」と答えた。それでも、ジミは常にギターを持ち歩いていた。寝ているときでさえ、胸の上に置いていた。

エルヴィス、リトル・リチャード

 一九五七年の夏、ジミは十四歳だった。それから一年半のあいだに起こったふたつのできごとを、ジミは生涯忘れることはなかった。エルヴィス・プレスリーのステージを観たことと、リトル・リチャードの説教を聞いたことだ。

(略)

一ドル五十セントのチケットが買えなかったジミは、スタジアムを見下ろす丘の上からコンサートを観た。(略)

ジミが彼を一番近くから見られたのはキャデラックが球場を出て行くときで、キング・オブ・ロックは金のラメのスーツを着ていた。その二カ月後、ジミはノートにギターを持ったエルヴィスの絵を描き、たくさんのヒット曲のタイトルをまわりに書いた。(略)

[翌年レオンが]リムジンからリトル・リチャードが出て来るのを見かけた。リチャードはレオンと握手し、その晩地元の教会で説教をするのだ、と言った。それはちょうど、リトル・リチャードが神に仕えるためにロックをやめている短い期間のあいだだった。レオンは走り回ってジミを見つけ、その晩ふたりはリチャードの説教を見に行った。「いい服はもっていなかった」とレオンは言う。「ジミは白いシャッは着ていたけど、ぼろぼろのテニスシューズを履いていた。教会に来た人たちが、僕たちのことを見ていたよ」。(略)

ジミとレオンは、年配の人たちから白い目で見られていることも気にせず、身動きもせずに信者席に座り、薬品でのばした縮れ毛を振りかざしながら地獄の責め苦について説教しているリチャードを見つめた。説教のあと、ふたりはリチャードに会うためにぶらぶらと待っていた。聖書の話をしたがるほかの人々と違って、ふたりはただ、初めて近くで見た有名人に触れてみたいだけだった。

初めてのガールフレンド、カーメン・ガウディー

ジミが カーメンに惹かれる魅力はもうひとつあった。カーメンの姉がギタリストとつきあっていたのだ。(略)ジミはよくその男の足下に座っていた。ジミはエアギターの演奏に、口から出す音を加えるようになった。「実際の音符のような音を出していたわ。スキャットみたいなものだったけど、言葉ではなく、口から出す音で、実際にギターソロを歌うことができたの」とカーメンは言う。

(略)

 ジミはようやく、自分のアコースティックギターにつける弦を手に入れ(略)

だが、ネックが曲がっていて、すぐにチューニングがずれてしまった。それでも常にギターをかき鳴らしていた。

[父親が右利きを強制したので]

アルが帰ってくるたびにジミを急いでギターをひっくり返し、そのまま演奏を続けるという、滑稽な動作が日常的におこなわれるようになった。

非公式な学校 

[15歳のジミは学校をさぼり]

演奏の役に立つヒントが得られることを期待して、何人ものミュージシャンの家に立ち寄るようになった。「その時代にはみんな心が広くて、リフを見せてくれたり、いろいろ教えてくれたりしたもんだよ」とドラマーのレスター・エクスカーノは言う。「音楽が仕事になるなんて、誰も思っていなかったから、ほかのミュージシャンとアイディアを教えあうのは、プライドの問題だった」。エクスカーノによると、当時のジミのお気に入りギタリストは、B・B・キングチャック・ベリーだったという。

(略)

キーボード・プレイヤーのデイヴ・ルイスとその父親ディヴ・ルイス・シニアは多くのミュージシャンにとって刺激となった。「ピアノが置いてある地下室があって、誰でも入れるようにドアはいつでも開いていた」とジミ・オギルヴィーは言う。「デイヴ・シニアはギターを弾いたが、ほとんどの場合、彼はただミュージシャンたちを激励していた。レイ・チャールズクインシー・ジョーンズにリックを教えていたよ」。(略)

[ホールデン一家]も、同じように、若者たちに場所を提供した。多くの意味で、この非公式な学校――セントラル・シアトルの地下室やバックポーチで開かれたR&Bとブルースの学校が、ジミの高等教育となった。

(略)

初めてのエレキギターを買ってもらったのだ。「ジミにギターを買ってやれ」とアーネスティンからしつこく言われたアルが、とうとう(略)買ったのだ。

(略)

 ギターはジミの人生となり、ジミの人生はギターとなった。(略)

ギターケースも持っていなかったので、いつもそのまま持ち運ぶか、ドライクリーニングの紙の袋に入れていて(略)浮浪者のように見えた。(略)[その姿は]「ジョニー・B・グッド」のようだった。

童貞

ジミー・ウィリアムズとパーネル・アレキサンダーは、みんなで行ったあるパーティのことを覚えている。パーティには、年上の性的経験が豊富な女の子たちが来ることになっていた。それは、ジミが童貞を失うチャンスのように思えた。いつでもジミたちより世慣れしていたパーネルは、パーティ会場の家へ入る前に、ジミとジミーを玄関前に座らせ、兄貴分のように実情を話して聞かせた。「女の子たちの親は今夜いないから、一晩中パーティしたがってるんだ。どうすればいいか、わかってるだろうな。お前ら、女の子と寝たことはあるのか?」

 ジミもジミーも答えなかった。その沈黙と、見開いた目から、ふたりに経験がないことはあきらかだった。「落ち着いていれば大丈夫だよ」パーネルはそう言い、家へ入って行った。

 ジミとジミーはそのあとに続かなかった。ふたりはお互いを見つめあい、勇気を振り起こそうとしながら、そのままポーチに座っていた。セックスという言葉からふたりが連想するのは、女の子を妊娠させないようにという忠告だった。すでに子どもがいる友人を知っていることが、さらにふたりの不安をあおった。しばらく、ふたりは話し込み、すでに苦しい若者の人生に妊娠の問題が加わったらどうなるか検討した。もう十七歳だったが、まだ少年だった。「女の子を妊娠させたらおおごとだよ」ジミは不安を隠せなかった。ジミーもその意見に賛成だった。結局ジミーが立ち上がって歩き始めると、ジミも後について家に帰り、パーティ会場へ足を踏み入れることはなかった。

“ベティ・ジーン” 

「煙草も吸わなかったし、酒も飲まなかった。ただ、ほかのやつらより少しワイルドだったけどな」。舞台を降りればまじめなジミも、舞台の上でギターをアンプにつなげてスポットライトを浴びると、まるで別人だった。

(略)

 ギターが盗まれてしまうと、ジミはロッキン・キングスにとってはなんの役にも立たない存在となった。ついにメンバーの数人が、新しい楽器を買うための金を寄付してくれた。ジミは、シアーズ・ローバックでダンエレクトロのシルバートーンを、揃いのアンプとセットで四十九ドル九十五セントで買った。前の楽器と同じように、父の怒りを避けるため、普段は友人の家に置かせてもらっていた。ジミはギターを赤く塗り、前面に五センチほどの文字で“ベティ・ジーン”と書いた。

スパニッシュ・キャッスル

 一九三一年にボールルームとして建設されたキャッスルは、二千人収容することができた。(略)

小塔があるその会場は、一九六一年にファビュラス・ウェイラーズが『アット・ザ・キャッスル』というアルバムをリリースすると、北西部での歴史的地位を確固たるものにした。(略)

 ジミが初めてそのステージにあがったのは、一九六〇年後半にロッキン・キングスがほかのバンドの前座を務めたときのことだった。(略)

 キャッスルの客のほとんどは白人だったが人種差別はなく、地域の白人ミュージシャンもR&Bやジャズをやるようになっていた。「北西部のミュージック・シーンはアフリカ系アメリカ文化の影響をかなりうけていた」と、キャッスルで人気のグループ、チェッカーズでキャリアを始めたラリー・コリエルは語る。「北西部の音楽は独特で、その理由のひとつはシアトルが地理的に孤立していることにあった。そのため、ウェイラーズやフランティックス、キングス・メンらによるR&Bのダーティーサウンドが地元独特のものになったんだ」。

 「ルイ・ルイ」は地域のテーマ曲となり、すべてのバンドがすべてのショーで演奏した。(略)

コリエルの言う“ダーティー”なサウンドは、ローファイの機材のボリュームを最大にすることで得られたものだったが、意図的な実験の結果でもあった。「僕らは荒い音を出すために、スピーカーのコーンを切ってそこにタオルをかぶせ、ウーファーに楊枝を差した」のちにモビー・グレイプのメンバーとなるジェリー・ミラーは言う。ジミの、音をねじ曲げる実験もこの頃からで、きっかけはアンプを落としたときに、その衝撃でギターの音が変わることに気づいたことだった。

 “ダーティーでクール”なサウンドをもっとも得意としていたのがタコマのファビュラス・ウェイラーズだった。メンバーはすべて白人だったが、彼ら独自の革新的なR&Bサウンドを完璧にものにしていて、ギタリストのリッチ・ダンジェルはジミに大きな影響をあたえた。

(略)

[61年]春、ジミは同じ地域に住む有名人に遭遇した。ブルース・リーだ。(略)

当時リーは、地元で空手の実演をしていたことと、ボーリング場の駐車場でしょっちゅう喧嘩を始めることで有名だった。

入隊、ビリー・コックス

[父への手紙 ]

「僕が希望した場所へ到着しました。僕は第一〇一空挺団の一員なのです。(略)つらいけど、文句は言えないし、後悔もしない(略)今のところはね。三日目に十メートルの高さの塔から飛び降りたんだ。(略)

教官がジミにベルトをつけて、塔から押し出した。(略)ベルトは「むちのような音をたて」、ジミは砂丘に着陸した。「新しい体験だった。ここへ来てから二週間、肉体トレーニングといじめばかりだけど、本当に地獄を見るのはジャンプ・スクールへ行ってからだ。文句を言われたり、殴られたりして、死にそうになるまで働かされる。目の前に火花が飛びそうになり、半分はやめていくんだ。そこで、青臭い少年と、一人前の男に別れる。今度こそは、僕も一人前の男になれるように祈ってるよ」。

 十一月のある雨の日、ジミがフォート・キャンベルのサービス・クラブ・ナンバーワンでギターを練習していたとき、ひとりの軍人がジミの演奏を聴いた。(略)

 演奏を聴いた兵士、ビリー・コックスは、「ベートーヴェンジョン・リー・フッカー」を足したような音楽だと思い、好奇心をそそられた。コックスはピッツバーグ出身で、いくつものバンドでベースを弾いていた。「あんな音、聴いたことがなかった」とコックスは言う。「近づいていって、自己紹介をした。すぐに友人になったよ」。コックスはベースを借り、ジミとジャムを始めた。その縁で、ジミとコックスは、個人的で音楽のつながりもある友情を築き上げ、それは十年近くも続くことになった。

(略)

コックスとジミはすぐにほかの三人の兵士と五人組のバンドを結成した。

(略)

南部へ来て、ジミは初めて本当の人種差別に遭遇した。公式には陸軍に人種差別はなかったが、兵士たちのつきあいは人種別になり、基地から出ると地域社会の多くの場所は、黒人は立ち入り禁止だった。音楽でさえも人種により異なっていて、南部の黒人はブルースとR&Bが好きだった。ジミの味のある「ルイ・ルイ」のリフは、ここでは通用しなかった。コックスによると、ジミはアルバート・キング、スリム・ハーポ、マディ・ウォーターズ、ジミー・リードなど、その地域で有名になったブルースの伝説的アーティストに深く興味をもった。

(略)

 落下傘部隊には危険がつきもので、ジミはパラシュートが開かないことを恐れた。そして実際の戦闘に呼ばれることも多少は心配していた。

(略)

 陸軍の給料はジミの人生で初めての――そして唯一の――安定した収入となった。

(略)

バンドへの興味が大きくなるにつれ、一時期は大きかった陸軍への敬意の念は消えていった。

(略)

相変わらず、夜はギターを胸に置いて寝ていた。分隊の仲間からは変わり者と思われ、そのせいもあってジミは一匹狼として孤立していた。

 ジミにとって居心地がよかったのは、ビリー・コックスやバンドのメンバーといるときだった。その頃にはカジュアルズという名前がついていたバンドは、ゆっくりと地域での評判をあげていた。ナッシュヴィルや遠くはノース・カロライナ州の基地まで出かけ、週末はギグをするようになっていた。ジミはすぐに、人種差別のある南部では、アフリカ系アメリカ人のバンドは黒人の観客相手にしか演奏できないことを学んだ。

(略)

シアトルで出会ったよりもたくさんの黒人女性と知り合った。舞台ではハンサムで派手なジミは、人生で初めて自分がもてることを知った。

除隊

コックスの服務期間は終わりに近づいていた。ジミは陸軍を辞めるわけにはいかなかった。勝手に辞めれば、懲役刑が待っている。(略)三十六ヵ月の服務期間のうち十ヵ月しか通ぎていなかったが、ジミにとって、それは耐えがたい状況となっていた。四月二日、ジミは、深刻で個人的な問題について精神科医と相談したいと言って、基地の病院へ出向いた。ジミは、同性愛の気が出てきて、ルームメートのことを妄想してしまう、という突飛な話をした。

(略)

ジミは、自慰行為がやめられず、中毒のようになっている、と言った。おそらく意図的に、ジミは兵舎で自慰行為をしているところを発見された。精神科医には、分隊の仲間のひとりを好きになった、と打ち明けた。(略)片思いの恋煩いで七キロも痩せてしまったと主張した。これらのでっち上げの告白は、いちかばちかの作戦だった。もし除隊されることに失敗すれば、兵士仲間たちからは疎外されるだろう。

(略)

 陸軍はついに折れた。ハルバート大尉は、「同性愛の性癖」を理由に、ジミを除隊させることを提言した。ジミは仲のいい友人にも、自分の嘘を認めなかった。その代わりに、なぜ陸軍から除隊になったのか訊かれると、二十六回目の飛行機からのジャンプで足首を骨折したのだ、という話をした。(略)

六月に撮影されたカジュアルズのギグの写真では、足首にガーゼを巻いている。これが本当の怪我だったのか、さらなる偽装だったのかはわからないが、陸軍のカルテには足首の骨折のことはなにも書かれていない。

次回に続く。