私の聖書 小川国夫

 

私の聖書

私の聖書

  • 作者:小川 国夫
  • 発売日: 1994/10/28
  • メディア: 単行本
 

黙示の輝き

 聖堂は、初代キリスト教徒の時代には、文字通り墓であった。未公認の時代、迫害のゆえに、彼らは地下に祈りの場を設けたという説明だけでは充分ではない。世に容れられずにひそかに、あるいは、虐げられつつ信仰を守り抜いた死者と、今その試練を受けつつある生者が集って、共同体を感じることができる場所は墓以外にはなかった。やがて、そこに色濃く籠っていた熱狂が空へ憬れ、やみがたく、凄まじく噴出して行く姿は、聖堂建築史と照応する。

 これほど激しく、人々を先導した目的地のヴィジョンは何であったろうか。〈ヨハネ黙示録〉に書かれている終末であったに違いない。こう書かれている。

 幻の中で、天使は私を、大きく高い山の頂上へ連れて行った。そこで私は、深く美しい都エルサレムが、天からくだってくるのを見た。都は神の光に満ちて、水晶のように透き徹り、碧玉のように光り輝いていた。

(略)

 この赫奕とした光のヴィジョンは、本来カタコンベにあった。聖堂建築史の始源であるカタコンベでは、勿論、ヴィジョンとしてとどまっていた。ロマネスク時代にも、依然としてヴィジョンにとどまっていたといえよう。しかしやがて、一方で東方教会はこのヴィジョンをモザイクによって具体化して行き、西欧の教会はステンドグラスによって具体化して行った。

 さらに私は、聖堂は墓であると同時に家でもある、と考えている。

 かつてイスラエルの大昔に聖所とみなされたのは、野に石を置き、その上に別の平たい石を横たえただけのものであった。時代が経つにつれて、その形は整えられてくるが、それも、ここが聖なる食卓であるとする本義は変らなかった。

(略)

新約の時が到来すると、その考えかたは脱皮をとげる。キリストは十二使徒と共に食卓について、パンを割いてくばり、これが私の肉だ、といった。それから葡萄酒を各人の杯に注いで、これが私の血だ、といった。新約とはこの事実が起源なのだから、それを継承した祭儀の場である聖堂とは、食卓を中心に置いた家だということになろう。墓という厳粛な一面と、家という懐かしい人間的な一面が聖堂にはあると私は考える。そして、この二つの原型の名ごりが、聖堂のいたるところにあるように、私には思える。

(略)

 〈ヨハネ黙示録〉は小さな記述だが、巨大な建築的ヴィジョンを含んでいる。また音響は深く、時には耳を聾するほどけたたましいし、光と色彩も豊かで、時には眩惑するように眼を射る。

 その意味を解釈しながら地上に具体化して行くのが、後世の代々の宗教建築家たちの役割であった。勿論ステンドグラスも、ヨハネの幻の具体化だったに違いない。こうも書かれている。

 市街はガラスのように透き徹る純金で、城壁は碧玉でできていた。

(略)

 読者はここで〈全能の神である主と小羊自身が聖殿だった〉という個所に注目してほしい。確かに、キリストの聖殿である教会は、キリストの身体だという見方もある。具体的に、内陣はその頭であり、二つの翼廊は腕、身廊は胴と足という見方だ。この見方は、〈キリストの身体において救われる〉、また、〈信徒はキリストの身体の一部だ〉といっているパウロのことも思い出させるし、当然、〈私は葡萄の幹でお前たちは枝だ〉というキリスト自身の言葉も思い出させる。聖堂建築に協力を惜しまなかった大多数の信徒の胸にあったのはこれらの言葉であったろう。

(略)

パウロによれば、キリストの身体から離されたものは、不可避的に、罪の大海に沈んでしまう。同様に、キリストの墓の外は、暗い大海だともいえよう。この考え方が、聖堂を閉鎖的な世界としていることは間違いないし、重苦しいものにしている原因であろう。しかし、一方で、ヨハネの壮大な幻が――特に照明の幻が意味を帯びてくる条件ともなっている。

(略)

中心には食卓があって、そこには昔も今もキリストが坐っているとするなら、ユダは裏切り続けていることになる。キリストに〈お前は生まれてこないほうがよかった〉と譴責され、家から出て行くユダは、暗闇に包まれる。聖堂建築を知ろうとするなら、ユダの行く手、つまり〈外は闇であった〉という新約聖書の短い夜の描写が鍵となる。

 以上書いてきたような、教えの内容自体が、新しい材質にあこがれ、触手を働かせて、ガラスの破片を掴んだのは、いつのことだったろうか。今に残るステンドグラスから推測すると十世紀のようにも思えるが、もっと古いことなのかもしれない。ガラスは、キリスト教の内容を象徴するために、かけがえのない素材であったし、それによって発想された趣向は、表現の革命であった。

 ステンドグラスに関してよくいわれるのは、読み書きのできない素朴な人々に、彼らが信じていることの、あるいは信ずべきことの内容をわかりやすく示したものだということだが、これは、そこに描かれている絵物語についてだけいえるのではなく、もたらされる光の深度についてこそいえることだ。

 ステンドグラスは啓蒙のためだっただけではない。もっと重要だったことは、それが感覚を開拓したことだ。この意味でいうなら、単に文盲の人だけではない、知識ある人も、考え深い人も、ガラスという物によって、キリスト教の未知の側面に思い当ったに違いない。

 ステンドグラスは、ヨーロッパの教会建築が頂上にたどりつくための、いわば最後の切り札であった。

パウロ

 パウロという人物はどうしてこのようにキリスト教徒をさんざんにやっつける過激な伝統主義者になったかといいますと、けっして無自覚な過激派ではなかったのです。彼はいまのトルコのタルソスという町に生まれた外地のユダヤ人ですが、ローマの国籍も持っておりました。つまりそうとうな資産家の息子だったようです。ユダヤ伝統主義の勉強が大好きでして、エルサレムへきて勉強しました。当時の主な勉強は律法ですから、律法を研鑽して秀才ぶりを発揮した人らしいのです。

 そのころエルサレムには律法の大先生でガマリエルという人がいまして、そのガマリエルの膝元で勉強して、伝統主義者のあいだでは手本といわれたような人物であったらしいのです。自分の主義主張からいうと、当時、ナザレ派といわれたキリスト教徒は絶対に許せないということだった。彼らが強硬ならば殺してもいいというところまで考えていったのです。

 そのパウロが、激越な思いを抱いてキリスト教徒を逮捕し、拉致しようとして旅していたその道すがら、ダマスコの近郊でどうしてこのように倒れてしまい、そしてキリストの声を聞いたかということになりますと謎中の謎です。(略)

手掛りになるのは、〈ロマ書〉のなかでパウロが罪について論じている個所ではないかと私は思うのです。(略)

律法の根本をくつがえす批判として、こういうところがございます。〈ロマ書〉の七章の十五~十八節です。

 

わたしは、自分のしていることが分からない。自分が望むことは実行せず、かえって憎んでいることをするからだ。もし、望まないことを行っているとすれば、律法を善いものとして認めていることになる。そして、そういうことを行っているのは、もはやわたしではなく、わたしの中に住んでいる罪なのだ。わたしは、自分の内には、つまりわたしの肉には、善が住んでいないことを知っている。善をなそうという意志はあるが、それを実行できないからだ。

 

(略)

この膨大な律法がユダヤ人の全生活を支配していました。つまり神様とどう付き合うかという祭儀とか儀典の在りかたから始まって、誤って牛を殺したときはどうするか、また、わざと隣の牛を殺した場合にはどうするか、というような日常の犯罪のことまで細かく決めてあります。

 私は聖書の骨格は裁判のかたちだと申しました。イスラエルのすべての歴史は裁判のかたちであり、したがって、終末論、最後の審判が結論として出てくるのも自然なことだと申し上げました。大きな流れのかなたに滝があるようにです。

 そのいわゆる〈裁判好きのイスラエル人〉を最も端的に表しているのはこの律法の存在です。(略)

この律法のもっている裁判のかたち、審問のかたちを否定して、赦しとか愛の側面をパウロは高く評価してゆくことになるのです。

(略)

つまり律法主義がはらんでいる矛盾に気がついたのがパウロだと思います。

 律法をないがしろにするナザレ派、つまりキリスト教徒は殺してもいいのだということで実際に殺しが行われているのです。このことをパウロは肯定していました。自分も手を下したかもしれません。しかしやがて、そのこと自体に律法のはらんでいる大きな矛盾があることに気がついたと思うのです。真面目な人ですから、そういう疑問に逢着してすごく苦しんでいたと思うのです。彼がダマスコに向って旅したときは、まさにその自己矛盾の苦しみがいちばん高まったときではないかと私は解釈します。

 そしてその頂点で劇的な回心が起こって、〈いや、考えてみればナザレ派の言っていることのほうが正しい、つまり律法を実施しようとすれば必ず矛盾に陥る〉と決定的に感じました。その矛盾とは何か。〈わたしの肉には、善が住んでいない〉という一言にその分裂が露呈しています。善を望むものは、霊の示唆のみに耳を澄まして肉を棄てなければならないのか。その意味の二重人になってしまわなければならないのか。果たして律法はそんなことを教えているのか、とパウ口は考えたのでしょう。こう考えつめてきて、彼はお先真暗になってしまったのです。ですから彼は、肉の復権につとめたのです。それにはナザレ派の殉教が網膜に残っていたこと、その残響がとどろいていたことがあったと想像されます。つまり彼らはキリストのように肉体を滅ぼしました。喜んでそうしましたから、死に行く肉体もまた崇高だったのです。ダマスコの回心は、パウロが陥った霊肉二元論からの回心であったと跡づけられます。それ以後パウロはずっと霊肉は有機体だとする考えをとります。