ファンタジーランド(上) その3

前回の続き。 

ファンタジーランド(上): 狂気と幻想のアメリカ500年史

ファンタジーランド(上): 狂気と幻想のアメリカ500年史

 

陰謀

 アメリカ人はアメリカ史の最初の1世紀の間、魔女や先住民を使ったサタンの陰謀に苦しめられた。次の1世紀の間は、ヲーロッパの君主と結託した独裁的傾向のある指導者や、ヨーロッパの革命家と結託したやはり独裁的な指導者など、外国の陰謀に悩まされた。(略)

フリーメイソンイルミナティなど、ヨーロッパの破壊分子を強大な力で支配する秘密結社があると記されている。

(略)

[1798年外国人・治安諸法成立]

その対象として考えられていたのは主にフランス人だった。しばらく前に起きたフランス革命は、イルミナティの仕業だと噂されていたからだ。
 それに、フランス人はほとんどがカトリックだった。19世紀に入ると、カトリックアメリカを破壊しようとしているのではないかという妄想が、一気に過熱した。実際、当時はアメリカにおけるローマ法王工作員カトリック教徒のことである)の数が、10年ごとに倍増していた。ジェデダイア・モールスの息子で、そのころニューヨーク市で画家・発明家として生計を立てていたサミュエル・モールスは、副業としてヒステリックな反カトリック運動を展開した(電信を発明する少し前のことである)。

(略)

 同じころアメリカ人は、ジェデダイア・モールスが警告していたフリー―メイソンの陰謀にもようやく気づいた。

(略)

独立宣言やアメリカ合衆国憲法に署名した人物の多くが、このフリーメイソンの会員だった。若くして会員になったベンジャミン・フランクリンは、「その最大の秘密は、何の秘密もないことだ」と述べている。だが会員は、広い人脈を持つ上流階級の人間ばかりだった。そのためか、1820~30年代にかけて宗教的熱狂がアメリカを席巻し、「第二次大覚醒」期に入ると、とりわけ信仰心の篤い人たちの間に、フリーメイソンが全権力を掌握してアメリカを運営しているのではないかという不安が広まった。
 彼らは、暴飲暴食や酒色にふけり、サタンに従って政府を操っていると噂された。この陰謀説は、全国的な熱狂の彼に乗るキリスト教聖職者の間に広まると、やがて一般大衆やその歓心を買おうとする日和見主義者を巻き込み、ついには元大統領にまで影響を及ぼした。第6代大統領ジョン・クインシー・アダムズがこう述べたのだ。「フリーメイソンほど、わが国のモラルに汚点を残すものはない」。

P・T・バーナム

その女性は、後に実際に会ってみると、目は見えず、歯は抜け落ち、下半身の自由がきかなかったが、「愛想はとてもよかった」という。なぜこの女性が記事になっていたかというと、当人が、1世紀前にジョージ・ワシントンの「乳母」を務め、今年で161歳になると主張していたからだ。その記事を見てバーナムは思った。「このニュースなら、本当だと思えないこともない」。そして、1000ドルでこの女性を買い受けると、チラシやポスターを製作し、新聞に告知を出して、この奴隷が数か月後に死ぬまで、見世物にしてお金を稼いだ。「興行師としての新たな人生の始まり」である。
 新たな仕事が軌道に乗るまでの6年間、ちょうどアメリカ初の広告代理店が開業したため、バーナムはそこで広告のコピーライターとして働いた。そして1841年、マンハッタンの真ん中にアメリカ博物館を開館した。複数階建ての巨大なマルチメディア娯楽施設である。その初期の出し物の中でも、とりわけ人気が高く、評判を呼んだのが、フィジーの人魚の遺骸である。これは、バーナムが手に入れたサルと魚の剥製を組み合わせた加工品だった。自伝によれば、それを展示しようとすると、雇っていた博物学者が、こんな歯や腕を持つサルも、こんなヒレを持つ魚も見たことがないと言った。「『では、あなたはなぜこれを加工品だと思う?』と私が尋ねると、博物学者は『人魚の存在など信じていないからです』と答えた。そこで私は言ってやった。『それでは理由にならない。だったら、私は人魚の存在を信じるから、あれを展示するよ』」。
 P・T・バーナムは、心躍る世俗的な幻想や真実まがいのものを売り込んで有名になったアメリカ人の草分け的存在である。(略)

ある想像上の見解が刺激的であり、それが正しくないことを証明できる人がいなければ、アメリカ人にはそれを正しいと信じる権利がある、という考え方だ。

バッファロー・ビルの仮想現実

[26歳で]騎兵隊を率いてスー族と戦った功績により、議会名誉勲章を受けた。こうして有名になったコディは、間もなく興行師の仕事を始めた。自分の人生に基づく『大平原のスカウト』という演劇を上演し、自分の役を自分で演じたのだ(略)

 1876年夏、ジョージ・カスター将軍がリトルビッグホーンの戦いで先住民に壊滅的な敗北を喫した。その3週間後、コディは陸軍の兵士を引き連れて数百キロメートルにわたる大平原を駆け、リトルビッグホーンの南東部に到着した。そして間もなく、黒のビロード、赤の縁飾り、銀のボタンというステージ衣装姿で敵の前に現れると、「イエロー・ヘア」と呼ばれていたシャイアン族の戦士を殺害し、その頭皮をはいで持ち帰った。それから数か月後、東部に戻ったコディは、この出来事を舞台化し(略)各地で巡業公演を行った。行く先々では、「イエロー・ヘア」の武器や頭皮も展示した。[火薬を用いて戦争を実演]

(略)

 その巡業公演は、後に『バッファロー・ビルのワイルド・ウェスト・ショー』と呼ばれる大がかりなものとなり、先住民役には先住民を、兵士や入植者の役には白人を使い、絶大な人気を博した。

(略)

 [「ノスタルジー」は過度のホームシックという意味だったが、19世紀になると自分が経験したこともない&存在しない場所や時代に対する想像上のホームシックが加わった。フォスターの主要テーマは北部から想像した南部へのノスタルジーだった]

 つまり、1870年代にバッファロー・ビルがフィクションの興行師になるころまでに、アメリカ人は『ワイルド・ウェスト・ショー』の仮想現実を受け入れる心の準備を整えていたということだ。

(略)

 当時のアメリカの人口は6500万人だが、シカゴ万博には2700万人以上が訪れた。彼らはその展示物や催事を見て、こう思ったに違いない。現実よりも幻想のほうが優れているような気がする。そのそも幻想と現実の間に重大な違いがあるのか?

 反ユダヤ主義

ソビエト連邦樹立後の1910年代から1920年代にかけて、最初の大規模な反共パニックが起きると、それはたちまち反ユダヤ主義と結びついた。ちなみに、第一次世界大戦中にアメリカ人がドイツ系アメリカ人を恐れたのも、彼らの多くがユダヤ人だったからかもしれない。

(略)

ヘンリー・フォードは、『シオンの議定書』の熱烈なファンだった。これは、もともとフィクションとしてロシア語で出版された本だが(略)

1920年代、フォードは、アメリカでこの本を50万部出版するための費用を負担した。それどころか、『(略)国際ユダヤ人――世界晨大の問題』と題する4巻本を構想・出版してもいる。青年時代のヨーゼフ・ゲッベルスアドルフ・ヒトラーがドイツ語訳で読み、ヘンリー・フォードの熱烈なファンになったという、いわくつきの書籍である。だが、アメリカでフォードを非難する声が上がり、不買運動が始まると、フォードはただちに謝罪・回収した。

古きよき南部幻想

[南北戦争の悲劇や殺戮から30年後]ブルックリンに奴隷制度のテーマパークが設置された。(略)
 『ブラック・アメリカ』では、「南部の有色人種」500人が雇われ(宣伝文には「南部の綿花農場で実際に働いていた労働者」とある)、新たに複製した田舎の奴隷の小屋150棟をあてがわれた。そして2か月間、奴隷のふりをして、40アールほどの即席の農場で綿花を摘み、本物の綿繰り機でそれを加工した。ニューヨーク・タイムズ紙の記事にはこうある。「奴隷時代の黒人が従事していた労働、仕事が終わったあとにそれぞれの小屋で繰り広げられる心配のない楽しい生活」を、何万もの白人が見物に来た。「太った黒人の母親が、頭に赤いハンカチを巻き、小さな小屋の外に座って編み物をしている」。(略)

『ブラック・アメリカ』は大ヒットを記録し、北東部各地で巡回公演が行われた。
 同じころには、元テネシー州知事で後に上院議員となるロバート・ラヴ・テイラーが、「古きよき南部」の栄光について全国各地で講演していた。「夏はいつも日の出のころから、黒人たちの笑い声や歌が聞こえた。彼らは一か所に集まると、四方八方に散り、その日の仕事を始める。木立が広がるひんやりと涼しい空間に立つ、白い柱の邸宅が忘れられない。綿花畑が地平線まで広がっている。そこは懸命に働く奴隷でいっぱいだ。奴隷たちには、心に重くのしかかる心配ごとなど一つもなく、朝早くから日暮れまで働きながら歌っている」。こうした「古きよき南部」の甘ったるい、ため息の出るような幻想が、20世紀初頭にも広まっていた。
 ノスタルジーは再び、一種の病気と化していた。1915年には、映画監督のD・W・グリフィスが、かつてないほど野心的、感動的で洗練された大作映画『国民の創生』を公開し(略)大成功を収めた。だがこれは、神話的な「古きよき南部」やクー・クラックス・クラン(KKK)の復興を3時間にわたり訴える、恥知らずなプロパガンダ映画だった。『国民の創生』は、ホワイトハウスで上映された初めての映画となり(略)

やがてそれが現実となった。続く10年間、復興したKKKが爆発的な人気を博したのだ。

相対主義がもたらした権威の失墜

 20世紀の前半、苦渋をなめていたのは、保守派のキリスト教徒などの伝統主義者だった。そのころは、合理主義や近代主義が支配し、大衆の考え方を変え、あらゆる伝統を破壊していた。だが第二次世界大戦後になると、学界の体制派も、理性に対して疑いを抱くようになった。そのような動きを代表するのが[ナチスから逃れてきたアドルノとホルクハイマー](略)

 1960年代になると、学界の大部分が同様の傾向を示し、従来の理性や合理主義に背を向けた。こうした流れの先駆となった学者の多くは思慮に富み、その著作は、現状に満足しきった戦後の学界を活性化するのに大いに役立った。ところが1960年代以降、これらの思想が安易に解釈されて広まると、もはやあらゆる前提、あらゆる理論的枠組みが利用したい放題というありさまになった。つまり、学界に偏狭でいいかげんな追随者が無数に現れ、その主張が社会全体に浸透していったのだ。

 その結果、こう考えられるようになった。科学であれ寓話や宗教であれ、真実らしきものや信念はいずれも、自分に都合のいいように作られた物語でしかない。(略)

フィクションとノンフィクションの世界は双方に移動が可能であり、その間の境界線など存在しないのかもしれない。迷信、魔術的思考、妄想はいずれも、西洋の理性や科学が想定する真実と同じように、正当な価値がある。(略)自分が好きなことを信じろ。それぞれが信じていることはどれも、同じように本当であり、同じように嘘なのだから。

(略)

[フーコーは]合理主義は「真実という制度」であり、別の形での抑圧であると主張した。その間に、フーコーの理性に対する疑念は、アメリカの学会に広く、深く浸透していった。

(略)

[クーンのパラダイムシフト]

結局、影響力のある偉大な科学者たちというのは、自分の考えをほかの人に信じさせるだけの力があったペテン師にすぎないのか?

(略)

 ファイヤアーベントの主張によれば、科学は単なる信仰の一形態にすぎない。そのため理性の殿堂もそれを認め、「科学をより無政府主義的なもの、より主観的なものに」しなければならない。

(略)

 さらに言えば、近代的理性が誹謗・中傷してきた魔術的信仰は、理性より優れている場合が争い。科学やテクノロジーがなければ「月への団体旅行はできない。だが一人ひとりであれば、魂や精神に対する大した危険もなく自由に天体を行き来し、美しく輝く神そのものに出会うこともできれば、動物に生まれ変わってまた人間に戻ることもできる」。

(略)

社会に広がる相対主義を強硬に非難するのは、アメリカの右派の仕事になった。

(略)

 ところがやがて、現実や真実は無数にあり、いずれも等しく妥当なのだという考え方を、主流の知識人たちが全面的に受け入れた。すると、大学だけでなく文化全体を通じて理性の権威が失墜し、どんな野蛮な主張も真剣に受け止められるようになった。何でもありの相対主義は大学だけにとどまらないという保守派の指摘は正しかったわけだ。しかし相対主義アメリカ全土にあふれると、次第に右派もその影響を受け、急進的なキリスト教や、重大な影響力を持つ幻想を生み出すようになった。銃を所持する権利を擁護するヒステリックな主張、「黒いヘリコプター」陰謀説、地球温暖化否定論などである。「役に立つばか」という言葉はもともと、急進左派に利用されているリベラル派を嘲笑する言葉だった。しかしそのころになると(略)ポストモダンの知識人が、右派に利用される「役に立つばか」となった。スティーヴン・コルベアは2006年、「現実は、周知のとおりリベラル寄りだ」と述べ、「信念は事実に勝る」とする今日の右派の傾向を彼らしい言葉で嘲笑した。つまり、エリート左派も大衆主義の右派も気づいてはいないが、両者の大半は、別のユニフォームを着ているだけで同じチームに属している。「ファンタジーランド」というチームだ。

 政治に関わりだした福音主義

トム・ウルフは1976年の秋にこう記している。「政治家が大統領選挙で、非理性的で熱狂的・恍惚的な宗教を利用した奇妙な見世物を行うようになったのは、1976年からだ」。 「ジミー・カーターは、神秘的・宗教的傾向を一身に帯びていた。福音主義のバプテスト派の信者」で、最近になって“新生”“救済”され、“イエス・キリストを個人的な救い主として受け入れた”という。(略)

それまでは、モルモン教徒のジョージ・ロムニーにせよカトリックケネディにせよ、妙な宗教を信仰している大統領候補者は、その信仰をあまり重視していないように見せかけなければならなかった。だがカーターの場合、福音主義信仰が大統領選の勝利につながったのだ。
 カーターは1978年(略)こう述べた。「今では“新生”という言葉は、その意味を知らない多くのアメリカ人の意識にも、鮮やかに刻印されている」。本当にそうだった。10年前に大統領がこんなことを言えば、いやそれどころか、説教師でもない有名人や権力者がそれほど信仰に熱心なことが明るみに出れば、大半の人が動転したことだろう。

(略)

 300年にわたるアメリカの歴史の中で、キリスト教は全体的に、長い弧を描いて穏健化の方向へ、理性の方向へ進んでいった。

(略)

 ところが、1960年代から70年代にかけて、超自然的信仰が激化して氾濫し、支配権を確立した。それまで異端視されていた魔術的思考の急進派が、かつてないほどの勝利を収めた。その結果、原初の過去(天地創造)に関する古くからの間違った思想、あるいはやがて起こるはずの未来(「終末」)に関する古くからの突飛な思想、それらを熱心に支持する人が、一気に増大した。現代も、超自然的現象(異言、信仰療法、天からのお告げなど)が起きたイエスの時代と同じだという確言が、猛烈な勢いで広まっていったのである。

 戦闘再現イベント

南北戦争100周年は、ちょうどタイミングもよく、新たな娯楽を生み出す格好の口実となった。(略)

1961年夏のある週末、気温32度という猛暑の中、南北戦争当時の衣装をまとった数千人がその地に集まり、互いを攻撃し、殺害し、捕虜にするふりを演じた。1860年代の兵士になりきっていた人たちの中には、1960年代の本物の兵士が2200人いた。州兵がこのイベントのために貸し出されていたのだ。(略)

 間もなく何万ものアメリカ人(アメリカのほとんどの白人男性)が、南軍の騎兵隊や北軍の砲兵連隊に扮し、こうしたイベントにフル装備で定期的に参加し、殺したり殺されたりを演じるようになった。いわば男性版のコスプレイベントである。(略)熱心に本物らしさを追求する人たちはやがて、「ハードコア・オーセンティックス(筋金入りの本格派)」「スティッチ・カウンターズ(縫い目一つにもこだわる人)」「スレッド・ナチス(糸一本にもうるさい人)」と呼ばれるようになった。彼らは、大砲、布、ボタン、ブーツ、眼鏡、髪型、鉛筆、食料など、何から何まで1860年代当時に似せるよう主張した。

 間もなくこうしたイベントは、あらゆる時代のあらゆる出来事の模倣へと広がった。カリフォルニアでは、若い女性たちにより、過去を再現した自由奔放なイベントが盛大に開催された。

[16世紀イングランドの海辺町、中世ヨーロッパをテーマにした仮装パーティ、中世騎士競技会にSFファンタジー・マニアが参加]  

時間がないので下巻は省略。

 

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