アメクラ! ポップ・ミュージック・ファンのための新しいクラシック音楽案内

 アメクラ事情を知るにはアマプラでやってる『モーツァルト・イン・ザ・ジャングル』を観るといいらしい。 

 「迷った時には墓参り」

大瀧詠一が遺した数多くの名言のひとつに「迷った時には墓参り」というのがある。(略)

過去のなかに、必ず″未来″への答えがある。むやみやたらに新しいことを試すのではなく、まずは自分たちの来た道をきっちり振り返ってみる。まさに温故知新。(略)
 たとえば、今どきのルーツ・ロックやアメリカーナと呼ばれる音楽を好きになれば、やがて60年代のフォーク・ロックや50年代のロックンロール、それ以前のカントリー・ミュージックブルーグラス……とさかのぼり始めることになる。それはやがて郷愁に満ちたスティーヴン・フォスター、都会の洗練と南部の土臭さが交錯するジョージ・ガーシュウィン、米民謡の要素を大胆に取り入れたアーロン・コープランドらの楽曲群、果ては南北戦争時代の流行歌にまでたどりつく。さかのぼってゆくほどに、クラシックとポピュラー音楽の境目はどんどん曖昧になってゆくのが面白い。

フィラデルフィアは弦がいい

音楽通の先輩が面白いことを教えてくれた。

「クラシックでも、やっぱりフィラデルフィアは弦がいいんだよ」

フィラデルフィア管弦楽団は、濃厚でとろけるようなストリングスが特徴の華麗なるフィラデルフィアサウンドでおなじみだけれど、それはポップ・ミュージックの世界でも同じ。(略)“フィリー・ソウル”だ。(略)

こちらもまた、やはり流麗なストリングスの響きが特徴だった。そう。フィラデルフィアは弦がいいのだ。

 実のところ、こうしたソウル界のレコーディング・セッションには、契約の関係上名前は出せなかったものの、フィラデルフィア管の奏者たちもかなり参加していたらしい。

(略)

[その]先輩は、「それに対して、シカゴは管がいいんだよ」とも言った。

(略)

古くから南部の黒人労働者が出稼ぎのために多く流入してきた土地柄だったこともあり、ジャズやブルースが独自の発展を遂げるなか、多くの名管楽器奏者を輩出してきた。

 エルヴィスの憧れ、マリオ・ランツァ

  マリオ・ランツァ。1921年、フィラデルフィア生まれのイタリア系アメリカ人テノール歌手にして″歌う銀幕スター″。40年代後半から50年代にかけて大活躍した、ロックンロール誕生前夜の″アメリカン・アイドル″だ。歌手として44年にRCAレーベルと契約、艶やかなヴェルヴェット・ヴォイスと甘いルックスでたちまち人気者となり、その後、映画界にも進出して黄金期MGMのドル箱スターとなった。50年、主演映画『ニューオリンズの美女』のなかで歌った「ビー・マイ・ラヴ」がシングルとしてもリリースされ全米1位の大ヒット全記録。翌年にかけて34週間ヒットチャートにランクし続け、200万枚以上を売り上げた。

(略) 

 映画での代表作といえば、なんといっても51年に伝説の名テノールエンリコ・カルーソーを演じた『歌劇王カルーソ』だろう。これが全世界で10億円近い興行成績をあげ、アカデミー賞3部門にもノミネートされる大ヒットに。この映画に描かれたサクセス・ストーリーに憧れてオペラを志した歌手は多い。かのルチアーノ・パヴァロッティもそのひとり。

(略)

 もちろん、ランツァ自身も本格的オペラ・シンガーヘの道を夢見ていた。けれど、格式を重んじる当時のオペラ界は銀幕アイドルには冷たく(略)生涯、実際に本格的オペラの舞台に立つことはなかった。

(略)

 ケタはずれの才能と、それゆえ生じた時代との齟齬。その、もどかしいような、切ないような微妙な″ズレ″感は、もしかしたら優れたロックンロール音楽から匂い立つ孤高や反逆の感情に相通じるものかもしれない。ランツァが歌っていたのはジャズでもロックでもクラシックでもない、ある意味とても無難で、優等生的で、今の時代からすれば退屈に思えるジャンルの楽曲だったりするのに。彼の歌声からは、今聴いてもドキドキするほど生々しい情感が伝わってくる。気品あふれる唱法でありながらも、カリスマならではの危険な色気が漂っている。やがて誕生するロックンロールによってもたらされることになる躍動感や昂揚とまったく同じ質感の何かが、そこにはある。それもまた、ランツァが時代の寵児となったゆえんだろう。

(略)

 あのエルヴィス・プレスリーも、ランツァのそんな魅力に惹かれたひとりだった。(略)

70年代になってからもエルヴィスはことあるごとに、54年のミュージカル映画『皇太子の初恋』(略)のサウンドトラック・アルバムを聴いていたという。もっとも影響を受けた歌手としてランツァの名前を挙げることも多かった。(略)

[エルヴィスが除隊後活動拠点を映画界に移したのには]

“ロックンロール版ランツァ”のようなイメージもあったのだろう。

Be My Love

Be My Love

  • Mario Lanza
  • ヴォーカル
  • ¥150
  • provided courtesy of iTunes

  

ネヴァー・ティル・ナウ

ネヴァー・ティル・ナウ

 

 山下達郎とイタリアン・テノール

[日本ではあまり有名ではないランツァだが]

なかには彼の名曲を愛してやまないアーティストもいるのだ。ディオン、フランキー・ヴァリ&ザ・フォーシーズンズ、ラスカルズ、ジョニー・マエストロといったイタリア移民系アメリカ人によるポップ・ミュージックをこよなく愛する山下達郎だ。彼は93年に発表したホリデイ・アルバム『シーズンズ・グリーティングス』のなかでランツァの「ビー・マイ・ラヴ」をカヴァー。

(略)

 思えば、私にオペラへの道を開いてくれたのも、おそらく山下達郎の 「ビー・マイ・ラヴ」だった気がする。

(略)

彼の艶っぽいロックンロール流ベルカントは、普通のポップス好きがちょっと背伸びをしてイタリアン・テノールを聴いてみたいと思う好奇心の背中を押してくれた。 

Season's Greetings

Season's Greetings

 

 オペラ

 オペラだけは敷居が高いとずっと敬遠していた理由は、知識と時間と金銭問題。

(略)

[多少齧ってはいたが]

オペラが「面白い!」と思えるまでには至らないまま10年くらいが経ってしまった。 いっときは、正直、オペラはもう無理かなと思った。30代の頃だ。(略)

が、40代になって間もない頃、ふと、自分はこのままオペラを知らないまま一生を終えるのだろうかと考えた。もったいない。(略)

とりあえず、好きな演目や歌い手がわかる程度になるまで聴き続けてみようと決めた。

(略)

オペラ通の知人にいわせれば、オペラはー生かかっても登りきれない高い山のような趣味だから楽しいのだとか。そういう意味では私なんかー生かかって登山靴の紐を結ぶところで終わってしまうかもしれない。それでもオペラには、これまで体験してきた音楽や演劇や映画や文学では味わうことのできなかった新しい感動がある。

(略)
ドーナツ盤に刻まれた1曲の名曲は、たった3分間で長編映画にも匹敵するような夢を見せてくれるのだ。オペラは、その正反対のパラダイスなのかもしれない。もしかしたら3分もあれば説明できてしまうかもしれない想いを、じっくり3時間、4時間かけて丁寧に濾過してゆくような、そんな心地よさがある。 

Mountain of Love

Mountain of Love

  • ハロルド・ドーマン
  • ポップ
  • ¥200
  • provided courtesy of iTunes

 ノエル・ギルバート

 ポップ・ミュージックのなかのストリングスについて考える時、テネシー州メンフィスの音楽業界の歴史を振り返ってみると面白い。(略)

注目すべきはメンフィス。正確には[その礎を築いたヴァイオリニスト、ノエル・ギルバート](略)

 スタジオ・セッション仕事として関わった最初の全米ヒットは(略)「マウンテン・オブ・ラヴ」[ポップ・カントリー曲がストリングスによって印象がガラッと変化]

(略) 

サン・レコード関連のスタジオに頻繁に出入り(略)スタックス・スタジオ、アメリカン・サウンド、ロイヤル・スタジオ、アラバマ州マッスルショールズのフェイム・スタジオ……など、まさに60年代から70年代の米国南部サウンドを確立したレコーディング・セッションの数々にノエル・ギルバートや、彼が教え子あるいは同僚として育てた面々が携わっている。
[参加した主な曲は、ザ・ボックス・トップス「あの娘のレター」、エルヴィス・プレスリー「イン・ザ・ゲットー」「サスピシャス・マインド」、アイザック・ヘイズ「黒いジャガーのテーマ(シャフト)」etc]

[教え子のマイク・リーチ]の表現によれば60年代のメンフィスのストリングス・セクションは“ややぬかるんだサウンド”なのだとか。(略)

ダン・ペンは、そんなメンフィス・ストリングスが大好きだったという。ベンいわく″バーベキュー・サウンド″。(略)

ニューヨークやロサンゼルスのそれとはひと味違う、おっとりとした優しい南部訛りと、古きよき田舎の紳士の上品な物腰を思わせるメンフイス産ストリングス。その心地よさは、″巧い″とか″洗練″とは異なる独特の味わいだ。

 ノエル・ギルバートと興味深いつながりを持つロック・ミュージシャンとしては、先述した「あの娘のレター」を歌ったザ・ボックス・トップスの中心メンバー、アレックス・チルトンがいる。アレックス・チルトンの父親シドはもともとジャズマンで、ノエルとも古くからの友人だったらしい。そんなこともあって、アレックス・チルトンにとってノエルはもっとも信頼を寄せるミュージシャンでありメンターのひとりだった。

(略)
[ビッグ・スターのサード収録の「ストローク・イット・ノエル」]

デモ段階では「ラブリー・デイ」なるタイトルだった曲だが、バンドの演奏のバックでノエルが気品あふれる、しかし力強いストリングス演奏を披露した時「ストローク・イット・ノエル」と改題され、歌詞も書き直された。

(略)

 この曲をはじめ、ビッグ・スターのストリングス・アレンジを手がけていたカール・マーシュもまたノエル・ギルバートの教えを受けた後進のひとり。

(略)

 60年代、楽譜などまったく読めないR&Bシンガーが、譜面がなければ何もできないクラシック畑のオーケストラ団員に自分の欲しい音を伝えたい時、通訳の役目を果たしてくれる存在が必要不可欠だった。(略)

[今なら]「フィル・スペクターロネッツでやったようなオーケストレーションを」とか「『ザ・ロング・アンド・ワインディング・ロード』風の弦が欲しいんだ」というざっくりした表現だけでも真意は十分に伝わるだろう。けれど、60年代にはまだまだポップ・ミュージックとクラシックの演奏家の間には高い壁があった。

(略)

[ノエルは]クラシック畑の演奏者たちにわかりやすく“通訳”することができた。だから(略)スタジオに集められたクラシック系奏者たちは何の心配もなく演奏に専念できたという。
(略)

[カーラ・トーマス「ジー・ウィズ」、スタックス・スタジオでの録音。アレンジャーのボブ・タリーがすっぽかしたあげく、譜面も未完成。慌てふためいたジム・スチュワートは自分の先生でもあった]ノエルにストリングス・アレンジを頼んだ。(略)

 「こんな風に弾いてください、先生。最初は白玉で、サビには変化をつけて、また戻ってきたら、こう、何かやってくれれば……」(略)

[一気にアレンジをまとめヴァイオリニストの息子と娘に指示]

ミュージシャンたちは、焦るスチュワートの心を読み取ったかのように、見事たった1テイクでこの素晴らしい演奏をやってのけた。ヴォーカルをとったカーラ・トーマスも含めて、すべて生で一発録り。  

Stroke It Noel

Stroke It Noel

  • Big Star
  • ロック
  • ¥250
  • provided courtesy of iTunes
Gee Whiz, Look At His Eyes

Gee Whiz, Look At His Eyes

  • カーラ・トーマス
  • ロック
  • ¥250
  • provided courtesy of iTunes

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