フォークソングのアメリカ―ゆで玉子を産むニワトリ

牛追い(ロング・ドライブ)

 南北戦争が終わったとき、男たちを戦場に送った後の働き手の不足もあって、テキサス州には三〜四千万頭の牛が放置されていた。人口の少ないテキサス州では食肉の需要はほとんどなかったので、牛は皮と牛脂だけの価値しかなく、当時一頭三〜四ドルだった。一方、北部の市場では、急増する人口や鉄道労働者の食料をまかなうのに、供給が追いつかない状態だった。
 ちょうどそのころ、鉄道はカンザスまで延びてきていた。テキサスやミズーリの鉄道駅まで牛を運べば、十倍の値で売れた。そこでカウボーイはチームを組んで、あるいは資本家に雇われて、千頭近い牛を追って旅をするようになったのだ。牛追いである。アビリーンやダッジ・シティといった悪名高い暴力町は、牛追いの終点としてにわかにでき、牛追いの報酬を得たカウボーイたちの解放の場として賑わった。
(略)
 牛追いは約二十年間盛んに行われたが、一八八○年代には下火となって、一八九〇年代までには消滅した。理由は、生産過剰になった牛値の下落、異常寒波による家畜の凍死、鉄道網の発達、羊農家の急増、定着農民の土地開墾による放牧地の消失などであった。
 カウボーイの暮しは、開拓民の経験に通じた苦労に満ちていた。馬を操りながら牛の大群を制御する仕事は、技術を要する重労働だった。牛の群れに川を渡らせるのは容易ではなかった。また、水の乏しい大平原を、コヨーテやガラガラ蛇、嵐、砂嵐などの自然の危害と家畜泥棒を避けながら移動する長旅は、危険で苦痛だった。カウボーイの多くは家族を持たない独身者で、牛を追って太陽の下を黙々と進みながら、単調で厳しく孤独な日々を送った。病人もよく出た。
(略)
夏に給料をもらったら何に使おう、と考えながら冬の寒さと退屈を凌ぐ。そうして夢見た牛追いの報酬を、しかし、一時の楽しみに費やしてしまうこともあった。酒場へ行き、もう仕事はやめると大口をたたき、気前よく仲間に酒をおごったり下手なポーカーをしたりして、一年分の給料をすってしまう。
(略)
 話が変わるが、牛追いには、料理用の道具や食料を載せた荷馬車と料理人がついていった。(略)
朝四時半にカウボーイを眠りからたたき起こし一日をリードするのが料理人であるように、彼らは牛追いの旅において料理以外にも大事な役割を果たしていた。料理人には、老いたり怪我をしたりして牛追いのできなくなったカウボーイがなることがよくあった。
(略)
さあ若いカウボーイたちよ 俺が歌ってやろう
荷馬車から離れろよ 自分の場所をわきまえろ
おまえらは俺が小うるさくて のろまだと言っているそうだな
おまえらが牛を叩いて 俺がパン生地を叩いているときに
おまえたちは窓や明かりに 銃をぶっ放して自慢する
だが十二人の空きっ腹に 朝めしのビスケットをぶち込めるかい
身体に巻きつけた毛布から這い出てみたら 地面が凍っているようなとき
コーヒーを沸かして おまえらの鼻を 溶かしてくれるのは誰なんだ
こうして歌い手の料理人は、自分たちが主役だと思っているカウボーイのうぬぼれをあざ笑い、「黙って俺の用意する物を食べな…俺はこのショーの終わりに大将になるんだ」と歌い終えている。
(略)
 料理人がカウボーイの生活に規律を与え、荷馬車がカウボーイにとって唯一くつろげる特別な場所であったことは、いくつもの歌に読みとれる。

牛追いの終わり、ホームステッダー

 牛追いが終わった原因はいくつかあったが、最終的なものは農民の移住だった。農民は所有地を囲って牛を閉め出し、放牧を不可能にしたのである。彼らは一八六二年に成立した自営農地法による政府の安い払い下げ地に定住したので、ホームステダーと呼ばれる。
(略)
じゃあごきげんよう、自営農民のみなさん。
とうとうこの土地を手に入れましたね。
これからのご成功を祈ります。
昔カウボーイが成功したように。
この国全部を農地にしたあなたたち。
耳標のない牛、焼印のない牛が、
のどかに歩いていた土地なのに、
俺を故郷から追い出した。
なつかしい生まれ故郷から はるか遠くへ。
(略)
あなたたちは水を独占し
手当たり次第土地も取ってしまった
(略)
 バッファローは鉄道発達期に、荒野で建設にあたる工夫の食料として乱獲された。(略)
中西部へ延びてきた鉄道が牛追いのブームをもたらし、同じ鉄道が農民を連れてきたのだ。そして、急速に発展する鉄道が牛の生産地まで届いたとき、牛追いの必要は完全になくなったのだった。

列車強盗ジェシー・ジェイムス

アメリカでヒーロー視されたのにはわけがあった。アメリカの鉄道会社は非常にあくどいやり方で富を蓄え、このために最も苦しんだのは、鉄道を使って農作物を都市に送る農民たちだった。彼らの多くは借金して鉄道会社から土地を買い、高い運賃を鉄道会社に払って作物を出荷していた。利益はほとんどないか、ひどいときには作物を出荷しない方がましだというほどの状態だったという。大衆は鉄道会社を憎み、鉄道会社と手を組んでいる政府にも腹を立てた。
(略)
列車強盗の話は大げさに書きたてられ(略)どんどん神話化して、流行歌もでき、その歌がさらに話を広め(略)
[ジェシーは典型的義賊に]

ホーボー・ソング

[ホーボーは無賃乗車で放浪し]収穫の手伝いや採鉱などの季節労働でその日暮らしをした。(略)
国民的な愛唱歌ともいえる「ビッグ・ロック・キャンディ・マウンテンズ」(略)
 ある晩、ホーボーが線路伝いにやってくる。そして、「遠い土地、クリスタルの山のそば」へ自分は行くのだといって仲間を誘う。そのはるかな土地、ビッグ・ロック・キャンディ・マウンテンズというのは、キャンディでできたロッキー山脈みたいなところを想像すればいいのだろう。そこは美しく明るい楽園で、木々に貧者用の施し物がぶら下がり、タバコがなっていたりする。日頃自分たちを追いかける警官はみんな義足、やっかいな犬の歯もゴムだからこわくないという。果実は盗み放題、雌鶏は半熟卵を産むし、牢屋はブリキ製だから簡単に破って出られる、といった具合である。
(略)
これらはみな、ホーボーが根強く抱えている社会的権カヘの恐怖と、生活の窮乏を間接的に伝え、現実の厳しさを茶化してできた楽園風景である。「カリフォルニアヘようこそ!」とハミングしながら目指す具体的な目的地は、もうないのだ。
(略)
楽園への道である鉄道は、終着駅を空想の地に置いたときから、現実に対する人々の絶望も運んだのだ。

もう一人のジョン・ヘンリー 中国人鉄道工夫

 鉄道工事にかり出されたのは、アフリカ系アメリカ人の他にアイルランド人と中国人が多かった。アフリカ系アメリカ人の場合と同様アイルランド人も多くの作業歌を残し、アメリカ鉄道民謡の伝統に大事な一章を加えている。一方、中国系労働者の歌は、今まで私が調べた限りでは記録がない。しかし、中国人を題材にして歌はいくつか残っている。その中に、「中国人、ジョン」と呼びかける、美しい旋律の、差別を笑いにした歌がある。
 これは十九世紀半ば、ゴールドラッシュと大陸横断鉄道工事の時期、カリフォルニアヘ移民してきた中国人についての歌である。鉄道工事現場では、彼らは賃金や労働条件の上で白人と明らかに差別された。そのうえ、険しいシエラ・ネヴァダ山脈でひじょうな危険を冒して働いた。傾斜の厳しい崖に線路を敷くため、山の頂上から綱で吊るしたバスケットに入れられて岩をうがち、そこに発破を仕掛けてすぐバスケットを引き上げてもらう。引き上げるのが少しでも遅いと爆薬は中国人の足元で破裂し、彼らはよくて両足を、多くの場合は命を落とした。雪が深いにもかかわらず無理に作業を続け、中国人の作業グループ全部が雪崩に埋もれたときには、多数の死者が春まで雪の下に放置されたという。
 また、東から進んできたユニオン・パシフィック鉄道と西から進んできたセントラル・パシフィック鉄道は、大陸上のどこかで合流してアメリカ初の大陸横断鉄道を完成する予定であったが、敷設の距離に合わせて政府から多額の援助が出るという背景から、両者はお互いに激しい競争心を持っていた。その競争心は経営者から労働者にも影響を与え、同鉄道の合流が近づいてくるとユニオン・パシフィックに雇われているアイルランド人と、セントラル・パシフィックに雇われている中国人との間に摩擦がおき始める。曾祖父が鉄道工夫だったというコニー・ヤング・ユの語るところによれば、中国人が崖の上で働いているのにアイルランド人が下で発破をかけたりした。もちろん上の中国人は全員死んだ。アイルランド人たちの弁解の言葉は「あれ、言うのを忘れてた」(Oh,we forgot to tell you)だったという。
 こうして働いた中国人が、アメリカの鉄道建設に果たした貢献の大きさは測り知れない。彼らは鉄道工事がすんだ後もアメリカに留まり、その多くがサンフランシスコに住んだ。生活の仕方から服装、弁髪の髪型まで、中国式を守って暮したので、アメリカ社会に同化しない特殊な集団として見なされるようになる。また、鉄道工事のときも往々にしてそうだったが、彼らは不平等な労働条件や人の嫌う仕事に不平を言うことが少なく、たいへん勤勉に働くので、資本家たちは他の労働者に率先して中国人を雇った。そうして労働市場を犯していく中国人に対して反感が強まり(略)一九〇二年には無期限の中国人移民禁止法が成立
(略)
「中国人、ジョン」
ジョン・チャイナマン、私の愛しいジョ、ジョン、あっという間にあんたはやってくる。
(略)
あんたたちがここへ割り込んでくるのをいつやめるか、もしわかったらいいのだけれど。
あんたたちは、哀れなヤンキーどもより多くなっちゃう。ジョン・チャイナマン、私のジョ。
(略)
あんたは浅瀬に入るだけじゃ気がすまない。川で洗濯物をばさばさゆする。
それで砂金集めの穴をだめにしちゃう。
そりゃあ、鉱夫がおこるわけよ、ジョン。みんな、カンカンよ。
それであんたを追い出すのよ、ジョン・チャイナマン、私のジョ。
(略)あんたはいつも米を食べていた。(略)
あんたの頭に神のお恵みを。それから、シッポ[弁髪]にもっと力を。
でも、ひとこと言っておくよ、さよならの前に。
自由は正しく使うもんだよ、ジョン・チャイナマン、私のジョ。

ジョン万次郎、「おお、スザンナ」

 ジョン万次郎は、日本とアメリカについて語るとき何かにつけて「最初」の人であるが、アメリカの歌を日本に伝えた最初の人でもある。(略)
[沖縄上陸、長い取り調べの後]解放され故郷の土佐へ向かった。その道中、身柄を引き取りに来た土佐藩士ほか一九名で「おお、スザンナ」を合唱したという。
(略)
[歌詞の一番で主人公はバンジョーを持って登場]
しかし後は完全なナンセンスである。雨が降ったのに乾燥していて、暑いのに寒いのだから。わざとらしい黒人なまりも使っている。
(略)
馬は大事なので死ななくてよかったが、ニガーは五百人まとめて死んだというあたりで、一八四八年当時ミンストレル・ショーに集まった白人の聴衆は爆笑したに違いない。(略)
このように時代の風景と人種差別的価値観をもろに反映した二番の歌詞は、現代ではほとんど知られていない。
 三番で、主人公は恋しいスザンナを夢に見る。二番での激しいどたばた劇と差別的なユーモアのあと、ふと叙情的で静かな場面を作っているところには、フォスターの作詞家としての才能がうかがえる。
(略)
 万次郎はこの歌をどう解したのか。(略)「俺はアラバマから来たのさ…」は、自分は異邦人であり人に会うために旅をしている、との告白に聞こえたのではないか。(略)
つまり万次郎は、「おお、スザンナ」のコメディを理解せず、かわりに漂流民としての自分の姿と望郷の声をこの歌に聞いていたのではないだろうか。

船乗りと七つの海の歌

 一八世紀後半から一九世紀前半にかけて、アメリカは外国貿易により大きく経済成長した。(略)
クリッパーと呼ばれる快速船は日に三百マイルを走り、航海日数を大幅に縮めた。冒険と富を求めるまなざしが、海と海の向こうの国々に、熱く注がれていた時代だった。
 だから、船に乗り込んだのは、必ずしも困窮した男たちばかりではなかった。そしてまた、多くがアングロ・サクソンアメリカ人ではなかった。しかも、港で船主と契約を結んで乗り込んだ船員ばかりでもなかった。漂流民を救って乗組員に加えることもあれば、密航者もいた。一方、水兵不足に悩むイギリス艦船は、しばしばアメリカ船の船員をイギリス海軍からの逃亡水兵として強制的に連れ去ったりした。しかし連れ去られた「イギリス人」の多くはアメリカ人であり、アメリカ側のひじょうな不利益となって一八一四年戦争の原因の一つになる。また、寄港地で逃げ出した人員の不足を補うため、泥酔者が船に連れ込まれるのも珍しくなかった。このようなことは、海の労働力が国境を越えてダイナミックに流動していたことを知らせている。

 「ロール」という動詞は多くの意味を持ち、歌の中でダイナミックに変化する。「綿を運べ」の場合は綿の荷を運ぶことを意味するし、前に紹介した「シェナンドア」の合唱部で「はるかに川よ流れよ」(Away you rolling river)と歌われるときには、川がうねって流れる姿を表している。また、「綿を運べ」のバリエーションの一つでは、「さあ、俺をゆさぶってひっくり返して/綿を運べ/こんな仕事はさっさとやっちまおう/おお、綿を運べ」(Come rock an’ roll me over/ Roll the cotton down/ Let's get this damned job over/ Oh,roll the cotton down)と、奮い立たせ動作を呼び起こす言葉となっている。他にも、海がうねって船を揉むこと、索を巻きつけること、車地などの装置を動かすこと、ものを移動すること、時が過ぎること、セックスすることまで、船乗りの行動と関わりのあるさまざまな所作が「ロール」の一言で表現できるのである。この言葉は、もちろん現代音楽のロックンロールにつながっている。

 最後に、「男の職場」という枠も越え、変装して冒険に挑んだ女性たちがいたことを記しておこう。そうした女性を扱っている歌に「ハンサムなキャビンボーイ」がある。「ある美人」が外国を見たくなり、少年のふりをして船員になる。彼(彼女)は美貌ゆえに船長の妻に可愛がられるが、一方、目ざとく変装に気付いた船長に妊娠させられ、船上で男の子を出産する。事の真相を見抜いたのは船長の妻であった。船長と妻はキャビンボーイをめぐって恋敵だったのだ。
(略)
「お医者さん、ああ、お医者さん お願いだよ!」
ハンサムなキャビンボーイは叫ぶ。
「もうおしまい。もうだめ、死んじゃうよ。」
医者が駆けつけて おもしろがってほくそえんだ。
この船乗りが産むのは、女の子か男の子かと。
船乗りたちはこの話を聞くと、へっと動作をとめて目を見張った。
俺の子じゃない、俺の子じゃないと、みんなが誓って否定した。
乗り組んでいた船長の奥さんがこういった「船長、おめでとうございます。
ハンサムなキャビンボーイをもてあそんだのは、あなたか私のどちらかね!」