正義の他者 アクセル・ホネット

ホッブズが「社会哲学」という

タイトルのもとで関心をいだいていたのは、絶対主義国家が十分な安定と権威を獲得することができ、ついには宗教的内戦状態を鎮定することができるような法的諸条件についてであった。(略)
どこでもつねに利害をめぐってコンフリクトが起こりうるという社会的前提のもとで、いかにすればせめて国家秩序だけでも維持することを保証することができるのかという問いである。それに対し一八世紀の半ばにルソーが、『人間不平等起源論』の執筆に取り掛かったときには、この観点はもはや彼にとってはほとんどどうでもいいことになってしまっていた。つまり市民社会の自己保存が可能となる前提よりはむしろ、その退廃を導いたにちがいない諸原因のほうが彼の興味を引いていたのだ。これらの二つの問題設定の間の百年間に、資本主義的近代化の過程は、絶対主義的国家の背後で私的自律のための市民的領域が形成しえるほどにまで展開していた。
(略)
経済的かつ社会的競争の圧力の増大のもとで、欺瞞と偽装と嫉妬に基づく行為習慣と志向が発展してきたのであった。

ルソーが関心をよせたのは

(略)人間がその下で善き生活を、健やかな生活を営むことができるのかどうか、についてである。
(略)
[分業が不可欠になり]お互いの差異を強調してみずからの尊敬を得ることへの欲求もまた増大し、結果的には高慢、虚栄心、偽善が人々を支配するほどにまでなってしまう。
(略)
ノローグ的な自己関係を他者から隔てていたものが突然崩れ去り、この関係が万人による威信をめぐる闘争状態へと変貌してしまうならば、最終的には社会的不平等が生じてくるにちがいないのである。
(略)
人間はこれからは自分のコミュニケーションのパートナーのパースペクティブから自分に向けられた視線を取り入れることで、自分自身の偽りのイメージを呈示しないといけないという絶えざる強制のもとにおかれてしまうからである。
(略)
自己呈示をめぐる不安な状態が現われると同時に、われわれは同情という原初的な徳と同様、個々人の自立性をますます失っていってしまうのである。(略)
「未開人は自分自身の中で生き、社会における人間はそれに対しつねに自己の外部にいて、ただ他の人々の意見の中でしか生きることができないのである」。
 この結論に至ることで、ルソーは近代の社会哲学の創始者となったと言っても大げさではない。

ヘーゲルもまた四〇年後の若きカール・マルクスに劣らず

、ルソーの問題設定の魅力にとらわれていた。(略)
これらの材料に市民社会における不快感をまず結びつけたのはヘーゲルであったが、それを初めて正しく行ったのはマルクスであった。フランス革命という出来事とその余波だけではなく、とりわけ急激に進行してゆく産業化の随伴現象こそが、彼ら二人が理論的な構想とともに立ち向かった事柄であった。
(略)
ヘーゲルから見て彼の時代の社会を特徴づけるものは、まさしく主体が自由を喪失するという事態であった。彼が社会生活において病理的なものとして経験したのは、ルソーとはまったく反対に、個々人の個別主義が際限なく増大してゆく過程に由来する破壊的な作用であった。その際にヘーゲルがまざまざと見せつけられた経験的諸現象は社会的孤立化であり、政治的アパシーであり、経済的貧困化であった。
(略)
ヘーゲルが最初から彼にとっての現在における中心的問題として捉えていたのは、市民がまだ法的規制による弱いつながりを通じてのみ互いに結びついている社会的領域の発生である。(略)
個々の主体を法的に解放することは同時に、共同体全体のアトム化という危険を招いてしまうのである。

トクヴィルとミル

すでにトクヴィルは、マルクスが『経済学・哲学草稿』を執筆したときに、社会的に平等化が進むにつれて生じるかもしれない文化的貧困化の危険性に対して警鐘を鳴らしていた。それから三〇年もたたずしてジョン・スチュアート・ミルは『自由論』という著作において、あらゆる人々にまで拡がってゆく体制順応主義の傾向を嘆いている。しかしこうした発展現象がすべて結びつけられるような理論的パースペクティブに、その著作において初めて到達したのはニーチェであった。
(略)
[トクヴィルとミルが見ていたのは]断固として擁護されなければならない民主化過程から生じてくる、修正可能な副作用だけである。彼らとはまったく反対に、ニーチェの認識によれば、彼の時代の社会的生活はもはや徹頭徹尾損なわれてしまっているのだ。

フーコー

 ニーチェの社会哲学がそうであったように、フーコーの社会哲学もかなりの部分を歴史研究から構成されている。この歴史研究において目指されているのは、特殊な人間の知のあり方と適切なものとされる社会的規律化、そして最後には個々人の生活遂行の諸形式の間に内的な連関があることを暴くことである。そこでフーコーが彼の研究の出発点である科学史から遠ざかるほどに、しだいに彼の研究の重点として明らかになっていったのは近代の権力関係の構造である。フーコーが一方ではマックス・ヴェーバーと、他方ではアドルノとある意味で一致していると言えるのは、次のことを確信している点である。つまり彼の確信によれば、高度に発展を遂げた近代の社会ができるのは自己を維持することだけなのである。なぜならこの社会ではいくつもの管理制度に備わっているきめ細かく編み上げられたネットワークが、人間の身体の規律化の増大に貢献し、それと同時に諸主体に目的合理的に組織された生活遂行を行うことを強制し、いかなる形の抵抗も未然に防いでしまうからである。(略)
いかなる種類の知もあるいは認識も、たしかにフーコーによればそのつどすでに存在している権力関係との緊密な関係において見出されるにちがいない。しかしそのことゆえにフーコーにとっては、そこから社会現象がある理想からの逸脱として規定することができるような超越的なパースペクティヴは、もはやまったく生じえないのである。なるほど古代の生活実践を例に実存の美学の概要を描こうと試みた晩期の著作からは、人間の自己実現という超越的な概念のためのヒントのいくつかを導き出すことができるだろう。この超越的概念を遡れば、それを彼が行った近代的権力関係の診断のための基準としても把握できる。しかしながら、全体として彼の診断の規範的判断基準はきわめて不明瞭で、とりわけ認識論的パースペクティヴィズムによって曇らされ、見極めがたくなってしまっているのである。その結果としてフーコーが行う権力批判の規範的方向性は、政治的‐ジャーナリズム的な発言に即してのみ見出されるということがしばしばあったとしても、彼の著作そのものから読みとられることはないのである。
(略)
リチャード・ローティからジュディス・バトラーに至るまで、彼の思考を継承している人々が支持しているのは次のテーゼである。つまり、すべてのコンテクストに対して超越するような規範の中に、さらに正確に言うなら、あらゆる人間の自然的本性に参照することにおいて、ここにおいてこそ権力と結びついた構成が見出されるのである。

ネガティヴィズムの遺産

アドルノが後期の著作の中で行ったネガティヴィズムの見地からの社会批判を、さらにもう一段階ラディカルにしたものがある。それによれば、社会が社会的であるための中核となるものは、すっかり自己溶解してしまうという見通しが与えられる。このとき目撃を迫られるのは、大規模な技術システムが肥大してコントロールがきかなくなったり、システム制御が社会的な生活世界に対して自立してしまったり、そしてついには人間の人格性が急速に失われつつあるといった諸現象である。(略)
現在こういった時代診断は、とりわけアドルノネガティヴィズムの遺産を拠り所としようとする理論集団によって下される。(略)
[ドイツではシュテファン・ブロイアー、国際的には]フランスのポスト構造主義を信奉する人たち(略)
理論的な像には、一様に脱人間化の傾向が刻まれている。ブロイアーの場合には技術と科学の万能性に対する宗教めいた信仰が、中期のフーコーの場合には権力装置の戦略に対する消極的な反応が、最後にボードリヤールの場合には広範囲にわたる一覧への愛着、つまり単なるシミュレーションヘの愛着が、今日人間を、総じてオートポイエシス的に自己を再生産するシステムの単なる対象へと変貌させるものである。

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