何ものにも縛られないための政治学 栗原康

デヴィッド・グレーバー『負債論』

サーリンズの弟子、デヴィッド・グレーバーの『負債論』という本がわかりやすい。(略)
 まず、奴隷制というときに、ひとが奴隷になるというのはどういうことか。グレーバーは、ひとが親類や友人、その他一切合財の人間関係を断たれてしまうということなんだといっている。自分がどこのだれだかわからなくさせられてしまう。そのひとの社会性、人間性みたいのを剥奪してしまって、ただ主人のためにはたらかせる。おまえが生きているのは、ここでオレさまの富をふやすためなんだ、はたらけ、はたらけと。(略)
どれだけつかえるやつか、値札がはられて、いくらでも交換可能になるのだ。奴隷である。
 もちろん、これは自然なことでもなんでもない。だってふつう、ひとはだれかにとってのかけがえのないひとであり、そんなの交換することはできないのだから。というか、もともと自由というのは、そういう状態のことを意味していて、英語のfreeはドイツ語のfriunt(英語のfriend)に由来する。かけがえのない友だちといっしょにいられること、いくらでもあたらしい友だちをつくれること、遊ぶんでもいいし、はたらくんでもいい、なにもしないんでもいい、友だちとなんでも好きにやれることだ。そうこうしているうちに、ひとはふとしたときに友だちに触発されたり、たすけられたりして、自分ひとりじゃできないことができるようになっている。で、オレすげえといって、生きていることに充足感をおぼえるのだ。なんでもできる、なんにでもなれる、自由だ、自由だ。
(略)
戦争をやって捕虜にして、家畜のようにかこいこむ。そうして、それまでの人間関係をたちきって、かんぜんに人格をうばいとるのだ。(略)
自分の利益のために他人の未来を収奪するのが奴隷制というものだ。(略)
グレーバーがおもしろいのはここからで(略)奴隷制っていうのはすごいもんで、自由とはなにかというその考えかたまでかえてしまったんだと。どうもローマ法とかをひもといてみると、自由とは、そのひとがなにをやってもいい権利のことなんだという。貨しだしたっていい、捨てたって、ぶっこわしたっていい、なにをしたっていいんだと。これが私的所有権とか、財産権といわれるわけだが、どうだろう。

シュティルナー

 さて、じゃあシュティルナー自由主義について、どんなことをいっていたのか。
(略)
主人と奴隷の関係をしいるのはよくないといわれるようになった。ひとはひとを支配しちゃいけない、そこから自由になろうよと。で、どうなったのかというと、目にみえて功績をあげた連中がいばればいいんだといわれるようになった。カネ、カネ、カネ。自分の力で事業をおこして、市場でとりひきをしてカネもうけ。ライバルたちと競争して、ガンガンけおとして、さらに財産をたくわえていく。えらい、えらい、ブルジョアえらい。
 だから、ブルジョアというのは、いきなりひとをぶんなぐっておどしたりして、ムリやり自分のいうことをきかせるのはよくないとおもっているのだが、そこに合理的な理由があればいいとおもっているのだ。カネである。ほんのちょびっとカネをだして貧乏人をやといいれ、自分のためにコキつかう。カネをはらえば、そいつはもう自分のものだ、財産だ。利子をうみだす所有物。どんなあつかいをしてもかまいやしない。ケガをしたり、病気になればポイ捨てするし、さからえばヤクザ者をやといいれてぶちのめし、警察をつかってたたきのめす。だって、そいつは財産権を侵害しているのだから。ドロボウだ。どうみても、けっきょく奴隷制とおなじことをやっている。
(略)
 いまおおくの人たちが不自由なのは、一方的にブルジョアだけが所有できるようになっているからだ。(略)
みんな所有できないようにしちゃえばいいじゃんかと。(略)あらゆるものは、みんなのものだ。みんながみんなのためにはたらいて、みんなでみんなのものを平等にもらう。みんなのために、みんなのために。
(略)
で、シュティルナーは、それを徹底していったのが、共産主義なんだといっている。(略)
 シュティルナーは、共産主義についてはダメだといっている。なんでかというと、みんなが不自由になるからだ。(略)みんなたのめにならないことはできなくなってしまう。
(略)
みんなにとって有用な労働を強制される。(略)
なんのおもしろみもない単調な作業を(略)くりかえしていくうちに、みんな人間性をみうしなっていくのだ。しかも、それを社会のためにとかいわれて強制されるわけだから、またたまらない。

パリ・コミューン

で、その戦争に負けて、こんどはひとがすんでいる領土を勝手にゆずりわたすとかいいはじめた。ファック、ファック。
 そのうえさらに、ムダに借金をせおって、みなさん、これからは返済のためにもっとがんばってはたらいてくださいねとかいっているのだ。なにいってんだこのやろう、どこまでオレたちをコケにすれば気がすむんだ。ああ、もうたえらんねえ。ヤレ、ヤレ、ヤッチマエ。騒乱、騒乱、騒乱だ。
(略)
一八七一年二月八日、選挙がひらかれた。臨時政府はプロイセンとの休戦協定を正式なものにするために、国民議会でゴーサインをだしてもらおうとおもったのだ。でもその結果、どうなったのかというとパリでは抗戦派の圧勝だ。パリの民衆は、たたかうほうをえらんだのだ。こりゃダメだ、そうおもった休戦派のブルジョアたらは、拠点をボルドーにうつしてしまう。[トップに任命されたティエールはプロイセンと休戦調停]
(略)
 これをうけて三月一日、パリにプロイセン軍がはいってくる、といっても、ムダに支配しようとすると、こいつらなにおこすかわからねえとおもって、象徴的な進軍にとどめたようだ。三日だけ滞在して、すぐにでていった。そのかん、パリはあまりの怒りでしずまりかえっていた。(略)
[これでなめてかかったティエールが]パリを手中におさめようと軍隊をひきつれてやってくる。
 ティエールはおもった。パリの治安がまずいことになっているのは、あの愚民どもが武器をもっているからだ。だったら、とりあげてしまえばいい。そうだ、国民衛兵から武器をうばいとれと。三月一八日未明、ティエールは軍に奇襲を命じた。パリの民衆がねているあいだに、大砲をもちさってしまおうとしたのである。でも、そうは問屋がおろさない。このとき、モンマルトルの丘にいて、国民衛兵の屯所にいたのがルイズだ。夜を徹して、見張り番をやっていた。
(略)
はげしくドンパチがやられているなか、ルイズはひとり騎銃をもって屯所をとびだした。「うらぎりだ、うらぎりだ、みんなはやくおきろ!」。そうさけびながら、丘をかけおりた。第一八区の監視委員をたたきおこし、カン、カン、カーンッと警鐘をならす。すぐに国民衛兵の隊列がくまれた。ルイズは数人をひきつれて、丘のうえにもどっていく。死んだっていい、あのクソやろうどもにひとあわふかせてやると。特攻じゃあ!
 でも丘のうえまでのぼっていくと、ルイズは信じられないような光景をまのあたりにしてしまう。このやろう、大砲はもっていかせねえぞと、すさまじい人数の群衆がヴェルサイユ軍をとりかこんでいたのだ。それでもと兵隊が大砲をもっていこうとするが、そこに女たちがたちふさがる。銃をかまえても「うてるもんなら、うってみろ」と、だれひとりひるまない。これにブチキレたルコント将軍ってのが発砲を命じるが、いやムリっすよといって、だれもうたない。「なにやってんだ、うて!」というが、それよりもおおきな声で、ある下士官が「うつな、銃をさげろ!」とさけんだ。みんなそっちのいうことをきいた。武装がとかれ、ルコント将軍はとらえられた。群衆の怒りがすべて将軍にむけられる。ヤレ、ヤレ、ヤッチマエ。すぐに処刑だ。
(略)
ティエールは、いちもくさんにパリを脱出。
(略)
このときパリでは、女性たちの力がハンパなかった。ここからさき、ヴェルサイユ軍との戦闘にはいっていくわけだが、女性たちは朝はやくから店頭にならんで食料確保をしたりしていた。まあ、そういったらおとなしそうにきこえるかもしれないが、なにがおこっていたのかは察しがつくだろう。このご時世だからとやたら高値をつけてきたり、パンをだししぶっている店があったら、集団でおしかけて、うりゃあ、てめえ、パンをよこしやがれとまくしたて、うばっていったわけだ。(略)[さらに]武器をつくったり、ここが攻められたらやばいっしょっていうとこにバリケードをきずいていたのだ。
(略)
 じゃあ、そのあとパリはどうなったのか。一八七一年三月二八日、パリ・コミューンが宣言された。このパリっていう街を自分たちで管理しちまおうぜということだ。
(略)
 ちょっとまえまでは、オスマンの都市改造だなんだのがやられて、カネがないと生きていけない、工場がないと生きていけない、道路がないと生きていけない、行政がないと生きていけない、税金をはらわないと生きていけないとおもわされてきたわけだし、いつ外国に攻められるかわかんねえから、オレたちがまもってやるとかいって、徴兵制がなきゃ生きていけない、軍隊がなきゃ生きていけない、そのためにも税金はらわないと生きていけない、ああ、やっぱりカネがないと生きていけないとかおもわされてきたわけだ。でも、いざ国家が破綻して、生きていくために必要だっていわれてきたインフラがとまってみれば、モーマンタイ、なんの問題もなかったわけだ。

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