書くことについて スティーヴン・キング その2

前回の続き。

書くことについて (小学館文庫)

書くことについて (小学館文庫)

 

文章講座

 ひとはつねに完璧な文章を書かなければならないのか?そんなことはない。断片的で脈絡のない語句を寄せ集めた文章をつくったからといって、文法警察に逮捕されるわけではない。
(略)
 任意の名詞に動詞を組みあわせたら、それだけで文章になる。失敗はしない。“岩が破裂する”、“ジェーンが送信する”、“山が浮かぶ”などなど。どれもみな完璧な文章である。かならずしも理にかなっているとは言えないが、一見奇妙に見える文章でも(“スモモが神格化する”とか)、いい感じに詩的な雰囲気をかもしだすものもある。名詞と動詞だけの単純な構造は、少なくとも文章にセーフティネットを張ってくれるという意味で有効だ。
(略)
ヘミングウェイは単文で見事な成功をおさめている。どんなに大酒をくらっても、ヘミングウェイは天才なのである。
(略)
受動態の使用はできるだけ避けたほうがいい[詳しい説明が続いて]
(略)
副詞の多用は、自分の文章が明快でなく、言いたいことがよく伝わらないのではないかという書き手の恐れを示すものと言えるだろう。(略)
地獄への道は副詞で舗装されていると、私はビルの屋上から叫びたい。別の言い方をすると、副詞はタンポポである。芝生のなかに一輪ぽつりと咲いていたら、かわいらしい。だが、抜かずに放っておくと、次の日、花は五つになり、その次の日には五十になり、そのまた次の日には……というわけで、いつのまにか芝地はタンポポでいっぱいになってしまう。タンポポが雑草だと気がついたときは、ゲッ!もう手遅れだ。
 とはいいながら、副詞に関しては、これでも私はまだ物わかりがいいほうだと思っている。嘘ではない。ただし絶対に許せないこともある。会話を説明する地の文で、副詞を使うことだ。それはどんなことがあっても必要最小限にとどめるべきである。できることならゼロにしたほうがいい。
(略)
 「そこへ置いて!」と、彼女は居丈高に叫んだ。(略)
 元の文章に比べて、あきらかに間の抜けた感じがする。
(略)
 作家のなかには、副詞無用のルールをかいくぐるために、動詞にステロイドをたっぷり注入する者がいる。(略)
 「銃を降ろせ、アタースン!」と、ジェキルは凄んだ。
(略)
 これだけはやめてもらいたい。お願いだ。
 会話を説明する言葉としては“言った”がいちばんいい。“彼は言った”(略)で充分だ。

ストーリーは地中に埋もれた化石

ストーリーは自然にできていくというのが私の基本的な考えだ。作家がしなければならないのは、ストーリーに成長の場を与え、それを文字にすることなのである。
(略)
 あるとき、私は<ニューヨーカー>のインタビューのなかで、ストーリーというのは地中に埋もれた化石のように探しあてるべきものだと答えた。(略)
ストーリーは以前から存在する知られざる世界の遺物である。作家は手持ちの道具箱のなかの道具を使って、その遺物をできるかぎり完全な姿で掘りださなければならない。
(略)
 どれだけ腕がよく経験豊かな者でも、化石をまったくの無傷で掘りだすのはむずかしい。できるだけ傷をつけないようにするには(略)ときには歯ブラシとかの繊細な道具が必要になる。プロットは削岩機のような馬鹿でかい道具だ。削岩機を使えば、固い土から化石を取りだすのは簡単だろう。それは間違いない。だが、そうすると化石が粉々になってしまう。削岩機は粗暴で、無個性で、反創造的である。私に言わせれば、プロットは優れた作家の最後の手段であり、凡庸な作家の最初のよりどころだ。プロット頼みの作品には作為的で、わざとらしい感じがかならず付きまとっている。
 どちらかというと、私は直観に頼るほうだ。私の作品は筋立てより状況設定に依存するものが多い。それでこれまではなんの支障もきたさなかった。
(略)私は複数の人物(略)を窮地に立たせ、彼らがどうやってそこから脱出するかを見守っているだけだ。
(略)
作中人物を自分の思いどおりに操ったことは一度もない。逆に、すべてを彼らにまかせている。

とにもかくにも、一次稿は仕上がった。

おめでとう!よくやった!お祝いだ。シャンパンをあけるのもいいし、ピザを注文するのもいい。だが、たとえできあがった作品を読むのを心待ちにしている者がいるとしても(略)この時点ではまだお預けだ。(略)
心と想像力(略)をリフレッシュさせて、書くという作業を再開できるようにしなければならない。そのためには、少なくとも、二日か三日は頭を空っぽにして、釣りをしたり、カヤックをこいだり、ジグソーパズルをしたりすればいい。それから次の作品にとりかかる。このときは短くて、できれば、先に仕上げたものとはまったく肌合いのちがうもののほうがいい(私自身は『デッド・ゾーン』や『ダーク・ハーフ』といった長篇の合間に『ゴールデンボーイ』や『スタンド・バイ・ミー』などの中篇を書いている)。(略)
私は六週間を最低の目安としている。その間、原稿は私の引きだしのなかで眠っている。(略)あなたはその原稿のことが気になってならず、何度もそれを取りだしたいという衝動に駆られるだろう。(略)
 だが、誘惑に負けてはならない。実際に読んでみれば、思っていたほどではなく、その場で書きなおさずにはいられなくなるかもしれない。それならまだいい。より悪いのは、読んだところが、思っていたよりずっとよく見えたときである(略)いますぐ見直し作業に入ろう。機は熟している。おれはシェイクスピアだ!
 いいや、それはちがう。機はまだ熟していない。新たにとりかかった仕事に没頭して(あるいは、普段のありふれた日常生活に埋没して)、かつて数カ月にわたって毎日数時間をあてた非現実の世界をほぼ忘れかけたときが、ようやく引きだしのなかの原稿に向きあえるときなのだ。(略)
[原稿が]蚤の市かガレージセールで買った汚い紙の束のように見えたら、機は熟したと言える。
(略)
気がついたことを片っ端からメモにとっていく。ただし、その範囲はスペル・ミスや矛盾箇所の訂正といった事務的な作業の範囲内にとどめておいたほうがいい。これだけでもけっこうな量になる。
(略)
自分と瓜ふたつの他人が書いた原稿を読んでいるような気がするにちがいない。それでいい。それこそが時間を置いた理由なのだ。
(略)
 六週間という時間をおいたあとだと、プロットやキャラクターの穴がよく見えるようになる。
(略)
 私の場合(略)登場人物の動機(略)であることが多い。
(略)
 この作業は楽しくてならない(略)。自分の作品を再発見し、たいていはより好きになれるからだ。本ができあがるまでに、最終的には十回以上読み、全文を暗唱し、そのときには、これ以上おかしな箇所が出てこないことを祈るようになっている。
(略)
いちばんの問題は、ストーリーが首尾一貫しているかどうかということだ。そこがクリアーできたら、今度はその首尾一貫性をどうやって曲にするかを考える。ストーリーのなかで繰りかえし現れるものは何か。それらは撚りあわさって、テーマをかたちづくるだろうか。言葉を変えるなら、“つまり何が言いたいんだ、スティーヴィー?”ということだ。
(略)
大事なのは余韻を響かせることであり、そのために求められているのは、自分が何を言おうとしているかをはっきりさせることだ。

公式――二次稿=一次稿マイナス10%

 ティーンエイジのころ、私は〈ファンタジーサイエンス・フィクション〉や〈エラリー・クイーンズ・ミステリー・マガジン〉に投稿を繰りかえしていたが、かえってくるのは“親愛なる寄稿者殿”で始まる(略)不採用通知ばかりだった。だから、そのピンクのタイプ用紙に一言でも手書きの寸評が添えられていると、嬉しくてならず、その日は一日ご機嫌で、頬は緩みっぱなしだった。
 あれはリスボン・ハイスクール最後の春のことだったから、一九六六年だったと思う。そのときに受けとった不採用通知の寸評によって、私の原稿の見直し方法は一変した。編集者の署名(印刷されたもの)の下に、こう記されていたのである。“悪くはないが、冗長。もっと切りつめたほうがいい。公式――二次稿=一次稿マイナス10%。成功を祈っています”(略)
[この公式を]タイプライターの脇の壁に貼った。そのすぐあとから、いいことが起こりはじめた。(略)[といっても]不採用通知に添えられた手書きの寸評の数が増えただけだ。
(略)
“公式”を知る以前は、一次稿が四千語なら、二次稿は五千語になるのが常だった(略)
“公式”が教えてくれたのは、短篇であれ長篇であれ、小説はある程度までコンパクト化が可能だということである。

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