高橋源一郎、自身の創作活動を語る

拘禁性ノイローゼで大切なことが言えなくなる

[東京拘置所の面会時間は5分、ガールフレンドが片道三時間かけて来てくれるが]
だんだんね、会って喋るのがつらくなってきた。言うこともない。僕の状況は変わらないし、そのうちに彼女が面会に来るのかと思うと、重い気分になってくる。話題がなくてね。無理やり「元気?」とか「調子はどう?」とか。そう言われても、「捕まっています」としか言いようがない。「昨日、『資本論』の第二巻を読み終わったところさ」とかね。そんなつまんない話題しかないんですね。そうしているうちに、彼女と喋るのが何か苦痛になってきて、「今週は行けない」とかいう手紙が来ると、ほっとするようになっていって。結局、八月に釈放されて彼女に会いに行ったら、「別れたい」と言われるという悲惨な話が続くんですけれど。
 それで、出所した後、日常生活で普通に喋るには問題ないんです。ただ、何か大切なことを言おうとすると、すごく緊張して言えなくなるという状態が数ヶ月続いたんですね。70年の終わりぐらいまで。それは一種の拘禁性ノイローゼからくる症状で、「なくなるよ」って言われたんですけれど。それ以降、いまでもなんですけど、大切なことを言おうとすると「いやだな」と思う。いまだに拘禁性ノイローゼだということです。
 でも、その大切なことを言おうとすると、とりあえずためらうというのが、もしかすると僕が作家に進んだ動因の一つになったのかもしれない、客観的に見るとね。(略)
本当のこと、大切なこと、重大なこと、決定的なことを考えて言おうとするとき、また書こうとするときも同じですね。すると、やっぱり何か「いやだな」という感じがする。なかなか説明しにくいです。

『さようなら、ギャングたち』

[柴田翔の劣化版みたいなヒドイ青春政治小説を書いて]群像新人文学賞で81年に落ちる。そのときのタイトルは「すばらしい日本の戦争」で、最終的には『ジョン・レノン対火星人』になる作品のもとになるものを79年に書いているんです。それが非常にゴダールに似ている。断片的で、引用が多くて、詩的な言葉に満ちていて、こういうのを書いている奴は誰もいないだろうと思って、最初は書き出したんです。(略)
[出す前に『群像』を見たら、村上春樹]『風の歌を聴け』があって、これが断片的な小説だったんですね。一人でやっていると思ったら、断片的に詩的な言葉を使うことをやっている人がいたというのがすごいショックでした。しかも、僕はフランスから攻めていったときに、向こうはアメリカから攻めてきた(笑)。(略)
しかも、僕が書いていた小説はゴダール的にごちゃごちゃになっていたわけだけれども、向こうは同じやり方でもう少し違ってエレガントだったんで、かなり衝撃的で、三日ぐらい立ち直れなかったんです。
(略)
――当時、高橋さんはアメリカ文学にあまり関心がなかったのでしょうか。
僕が読んでいたのは、もっと違うダークな奴なので、村上さんが読んでいたような作品は読んでなかったんですね。その後、近い人から「君はバーセルミに似てるよ」と言われて、バーセルミを読んだり、ブローティガンを読んだりしていたんですけど。
 今回、久しぶりに『さようなら、ギャングたち』を読んでみたんですけど、いいですね、これ(笑)。「いい」っていうのは、もう書けないという意味でね。
(略)
 もう一つ、自分では気がついていたと思うんですが、これは完全に『気狂いピエロ』のリメイクですね。この小説はどんなふうに書いたのか、あんまり覚えてない、あっという間に書いちゃったんで。でも頭のなかで、ほぼ完全にゴダールの『気狂いピエロ』を小説化していたんだな、と。
(略)
 他人の映画をノベライゼーションしたものだったと、しかも絶対ノベライゼーションできないような作品で行っていたんだなと、あらためて思いました。(略)
ある意味、一つの映画作品を完全に消化して、もはや原型をとどめない形でリメイクしている。

自分のなかの音楽を聞く

それまでにいくつか試行錯誤して、とにかく小説を書こうとしていたんですが、このときになると、自分のなかにある種の音楽みたいなものが生まれて、書いているというか、その音に耳を傾けている状態になっていたんです。それに気づいたとき、「あ、物を書くっていうのは、こういう状態のことを言うのか」と初めてわかりました。ここからは毎日が本当に幸せで、「次の日には何が出てくるんだろう」というような日々を過ごして。『さようなら、ギャングたち』は第三部まであるんですけど、第二部まではすごかった。第三部になったら、音が聞こえなくなっちゃった。ガス欠して、そこからちょっときつかった。
 特に最初の第一部と第二部は、毎日、朝起きると、もう音が聞こえてくる。書き写しているだけ。それで寝る前に、「もう次の部分はこうかな」となって寝て、起きてまた書く。自分でも不思議な感覚でした。小説を書いているんじゃなくて、自分のなかにある音楽を聞いている。それが書くことだって言うことができたので、僕はそれから三十年以上書いているんですが、あんなに幸せだったことはありません。
 もう友達とも会わず、家族もなしだったので、次の日が来るのが待ち遠しくて。不思議なのは、一日ごとに自分のなかの音楽を聞き取る能力が増していくのがわかるんです。「昨日はここまでしか聞こえなかったけど、今日はもっと聞こえる」、「明日はもっと聞こえるようになるだろう」という確信がある。
 だから、すごくフィジカルな、音楽的な経験です。たぶん、そのとき僕が作家になったんだと思うんですけれど、それは書くのが大変とか、書くことの困難さとかではなくて、とても喜ばしい体験によってです。それ以降も、そういうことがたまにあるんです。一ヶ月ぐらい毎日、もう特別な空間のなかにいて、すごく豊かな気持ちで過ごせたというのは。これがやはりどこかで、僕たちが作家になるときに、創造の神様が与えてくれる特権的な時間、音楽的な時間ではないかと思います。いま考えても、リズムみたいなのが、「ああ、あのときこうやって聞いていたよね」というのは、よく覚えています。

二葉亭四迷、『日本文学盛衰史

 まあ、こう言っちゃなんですけど、二葉亭四迷を読み始めた頃には、こんなに自分に似た人がいるんだ、と。四迷という人は、すごく簡単に言うと、作家になれなかった人なんですね。もちろん『浮雲』を書いて、優れた翻訳もしていますが、当人は書きたいものが他にあった。でも、いつも書けないんですよね。あれだけ著作集が出ているし、文学史にとって非常に大切な仕事をしているし、翻訳なんか大変素晴らしいんですけれども、これがいわゆる作品だろうかっていうと、微妙なところがある。何か上手くいってない。『平凡』という作品があるんですね、朝日新聞に連載して。これは超ひどい。僕は大好きなんですけど(笑)。毎回、書くことがない。いまでいうメタフィクションですね。でも、ひどいです、投げやりな感じが。もはや、やる気なし。
 つまり、鴎外、漱石、藤村といったビックネームたちは、自分のなかに豊かな表現すべき何物がある。剰余の何か、無意識の何かがあって、そこに大きな豊潤な世界を作り上げていく。けれども、俺はないよ、と、そういうものは、何もないんだ。でも、そのことをよくわかって、なおかつ書いている。これはもう、四迷というのは、マイナー作家の代表みたいな人です。気持ちも含めてね。貧しさを知っているけれども、書かずにはいられないという。本当に僕は、他人事じゃないと思えたんですね。
 四迷自身も、自分のことを「偽者じゃないか」というふうにずっと言っている。「いやいや、あれが本物なんだよ」と言ってあげたいですが。でも、それを認めることはまた四迷らしさを否定することになるんで、彼は、まあ、悩んで死ぬしかなかったということなんですよ。そういう意味では、僕は『日本文学盛衰史』に出ている全ての作家のなかで、やはり四迷にどうしても強い共感を持つ。つまり、啄木のような無意識の天才のようにはできない。鴎外のような豊かな世界を作ることもできない。がりがりにやせた裸の世界で、認識だけはポロッと出てくる。何かを表現しようとする人たちにとって、一番近いのは四迷のような人じゃないかと思うんですね。だから、彼を主人公にできたことはとてもよかった。これもいい出会いだと思いますね。

日本文学盛衰史 (講談社文庫)

日本文学盛衰史 (講談社文庫)

人の男(女)を笑うな(笑)

有吉佐和子さんが遊びに来て、たまたま彼を見たんです。それでもう皆にね、「瀬戸内さんの男、つまらない男、なんであんなのと夢中になって、家庭を壊してまで、一緒になったのかしら」って言いふらしたんです。その有吉さんは、有名な人と結婚したんですよね。神さんて人、有吉さんの結婚の相手。その人を私が見たとき、つまらないと思った(笑)。やっぱり他人が見たら人の夫なんてつまらないんです、皆。
(略)
 [「あ、この人を奪い合ったのか」と]ほんとにびっくりした。佐藤春夫谷崎潤一郎の両方と結婚した人、千代さんね。あの人は佐藤春夫の詩なんか読むと、どんな美人かと思うでしょ?私も、きっとすごい美人だろうと思ってたの。ものの本にもだいたい美人だって書いてあるんですよね、元芸者さんで。
 私は実物に会っているんですよね。「はあーっ、これがお千代さんか」と。「いらっしゃい」なんて出てきて、もう大きくて太っていて、色が黒くて髪がぼさぼさで。佐藤春夫はもう写真のとおりの人でかっこいいんです。それで奥さんを見て、ほんとにびっくりした。
 だけど、すごいんですよ。(略)[細君譲渡事件の時]他にもう一人、若い男がいたんです。探偵小説を書いていた人。あの人がまた、もうまさに結婚してもいいぐらいになってたの。だから千代さんというのは、男がその気になるような人。体が大きな人でしたよ。だけど、美人とは誰も言わないと思う(笑)。
(略)
でもね、せい子さんというのがいたでしょ?奥さんの妹で、谷崎がとても好きになって、『痴人の愛』のナオミのモデルね。その人は綺麗でした。(略)八十八歳ぐらいのとき私、会ったんですけど、それは綺麗でした。足が細くて、特別の注文の華やかな靴を履いて、足がとっても綺麗だった。

三島由紀夫から、

「ファンレターには返事を出さない主義だけど、あなたの手紙はほんとに面白いから思わず返事を書きました」って来たの。それからちょいちょい往復していたんです。それで小説を書くようになったら、「あなた、手紙はあんなに面白いのに、小説がどうしてあんなに下手なんだ」って言われた。

永山則夫は、

そこに連れていってくれる人がいて、裁判からずっと見ているんです。かっこいい男だったのね。ショーケンが若かった頃のような、そんないい男でした。でも途中で、とにかく世話になった人の悪口を言うんです。井上光晴さんが主催する雑誌に掲載され、永山の本が出版された。そしたらその光晴さんの悪口を言う。よく言っても、私の悪口も言うし。それから、私なんか以上にずっと世話している人が何人もいたんです。なのに、その人たちの悪口を片っ端から言うの。それで私は嫌になったのね。もういくらなんでもと思って、行かなくなったの。

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