マイケル・ムーア、語る。 その2

 前回の続き。

マイケル・ムーア、語る。

マイケル・ムーア、語る。

 

父の戦争

 一九六六年ごろには、夕方のニュースで見る映像が、俺たちが道端で演じてるものとは似ても似つかないことがわかって、戦争ごっこがだんだん楽しくなくなってきた。テレビに映ってる兵士は本当に死んでた。血まみれで、泥だらけで、そのあとシートにくるまれて。英雄的なスローモーションの死はどこにもなかった。生きてる兵士はみんなおびえてて、むさくるしくて、混乱してるように見えた。

(略)

 父は、数年前から俺が銃を撃ちたがらなくなったことに気づいていた。近所の男の子たちが戦争ごっこをしなくなったことにも気づいていた。俺は父が第二次世界大戦中に南太平洋で海兵隊員としてすごした当時のことをよく知らなかった。俺や妹にわかるのは、飼い犬にペリリューとかタラワとが、自分が加わった戦闘の名前をつけてたことだけだ。

(略)

 ある日、父はなんの説明もなく(略)静かにガレージからシャベルを持ってきて(略)[屋根裏に保管していた日本軍の戦利品を裏庭に]すごく大きくて深い穴を――掘って、銃や日本刀や旗を木の下に理めた。作業が終わって、土をすっかり埋めもどしたあと、父はそこにひとりで立って下を見おろし、考えに沈んでるんだか、祈りを捧げるんだかしてた。(略)
 「おまえに戦争の話をしたい」ある日、父がそう言った。「知っておいてもらいたいんだ。毎日が大切な理由を。俺がここにいられることを日々感謝してる理由を」

(略)

 数カ月間ニューギニアで戦って、南太平洋戦線がまるでこの世の地獄だってことをフランクは身をもって感じていた。

(略)

部隊はすばやく二百五十高地をのぼった。擲弾と三十七ミリ機関銃、そして強固な意志の力で、部隊は高地を制圧した。

(略)

最初の勝利の味は悪くなかった。星条旗を立てるほどの勝利じゃなかったが(略)それでも充分に素晴らしかった。おまけに奇跡的に死傷者もいなかった。
 そのとき、航空機の音が聞こえてきた。それは歓迎すべき音だった。B-25爆撃機のライト・サイクロン・エンジンの甘い調べだったからだ。その音は「待たせたな、みんな!助けにきたぜ!」と言ってるように聞こえた。(略)
[だが]一機から煙が上がるのが見えた。(略)橋頭堡にいたアメリカ軍の部隊が、日本の爆撃機だと誤って思いこみ、アメリカの航空機に向けて撃ってたんだ。それに対して、アメリカの航空機は日本軍に撃たれたと思いこみ(略)[反撃してきた]

 だけどもちろん、二百五十高地にいたのは日本兵じゃなかった。俺の父の部隊だった。

(略)

 目をあけたとき、フランクの人生はまだ終わっていなかった。だが、目の前には二度と見たくないような光景が広がっていた。すぐ近くに仲間のひとりが倒れている。顔が吹き飛ばされている。顔をあげると、その死体の向こうにも十人以上の部隊の兵士が地面に横たわっていた。(略)

全部で十四人の海兵隊員が撃たれ、ひとりが死んだ。無傷だったのはフランクひとりだけだった。

(略)

どうしてこんな悲劇的な間違いが起きたのかとある少尉に尋ねると、戦争ではよくあることだと告げられた。

暴動

「なにぼさっとしてんだよ、ニガーどもが来るぞ!」

ウォルターは十二歳で、親切心からそう言っていた。

(略)

ふたりのベトナム帰還兵のためのパーティが開かれていた終夜営業のクラブで、そこにいた黒人を警察がひとり残らず逮捕しようとしたらしい。これに怒った近隣住民が抗議行動を始め、まもなくそれが暴力に転じた。州兵が出動し、ミシガン州南東部の住民の多くが、二年前にワッツで――そしてほんの二週間前にニューアークで――起きた人種暴動が自州でも勃発したんだと考えた。
 当時理解されてなかったのは、それが本当はデトロイトの貧しい人々による蜂起であり、その貧しい人々は、警察や州兵が逆上して、黒い肌の疑わしい人物をかたっぱしから射殺してるのを目のあたりにしたってことだ。
 だけどフリントでは様子が違った。フリントでは、その前年に全米初の黒人市長フロイド・マクリーが誕生してた。マクリーは住民の八割近くが白人のフリントの町でも人気があった。フリントの有権者はさらに、それからまもなく、家を貸したり売ったりするときに差別を禁じる、これも全米初の公正住宅取引条例を可決することになった。周辺の町ではまだ人種差別が色濃く残ってたいっぽう、人種問題を解決したいっていう思いがフリント一帯に広がってたように思う。(略)
フリントは爆発したりしないし、黒人が俺を殺しにくることもない。それは両親にたしかめるまでもないことだった。

(略)

 フリントで暴動は起こらなかったが、デトロイトでは一週間にわたって騒乱が続いた。毎晩のローカルニュースでは、ベトナム戦争の映像のかわりにデトロイトの戦争の映像が流れた。それは全州を揺るがした。美しく豊かなデトロイトの街は永遠に姿を消してしまった。
 それがどういうことだったかをあとから理解するのはむずかしいだろう。でもすぐそばで生まれ育った俺たちにとって、デトロイトはエメラルドの都だった。活気にあふれ、通りは人でいっぱいで、中西部中の憧れの店が建ち並び、立派な大学や公園や庭園や(略)美術館があって、アレサ・フランクリンイギー・ポップやシーガーやMC5のいるデトロイト

(略)

[ジョンソン大統領が戦車や機関銃を装備した軍隊を投入]

すべてが終わったとき、四十三人が死んで、二千棟の建物が吹っ飛んだり焼け落ちたりして、俺たちの精神はその瓦礫のはるか下に埋もれてしまった。

(略)

 父が俺たち家族をデトロイトのタイガースの野球の試合に連れていったのは、そういうことがあってからわずか二週間後だった。(略)

たぶん大枚をはたいて買ったチケットをムダにするほうが罪が重いと思ったんだろうな、結局行くことになった。(略)
 試合のあと、暴動が起きた一帯に隣接するあたりに出ていく観客のあいだには緊張が流れてた。おびえる白人の一大行進だったよ。(略)みんな小走りだった。走るな、歩け。でも逃げろ、命がけで逃げろってね。

(略)

車のボンネットから蒸気があがりはじめた(略)車が動かなくなった。(略)

俺たちがいるのは十二番通りで、暴動のまさに中心地だった。そのことを言うと、父がめったにないほど目に見えて動揺しはじめた。
 「みんな、落ち着け」そういう父の声がまるで落ち着いていなかった。「ドアをロックしろ!」(略)
 母と妹たちは黙りこんでいる。みんなの心臓の音が聞こえそうだった。だけど、実際に聞こえてきたのは、黒人の男が車の窓をノックする音だった。
 「何か困ってるのかい」パニックがシボレーの車内を満たすなか、男が訊いた。
「ああ」父が答えた。

「じゃあちょっと車を見てみよう」黒人の男が言った。
「なかにいろ」父は言った。「俺にまかせておけ」でも、父はまかせてもらいたくなさそうにしか見えなかった。

(略)

 「(略)まったく残念な試合だったな」
 ふたりの父親はボンネットをあけてなかをのぞきこみ、すぐに問題がわかったようだった。
 「ラジエーターホースが駄目になってる」父が俺たちに大声で言った。黒人の男が自分の車のトランクをあけ、水の容器を取りだして父に渡し、父がそれをラジエーターにかけた。
 「これでガソリンスタンドまで数ブロックは走れるだろう」と男は言った。「ただし、俺ならこの道は行かずに引きかえすがね」
 父は親切の礼を述べて、いくらか金を払うと言ったが、男は受けとろうとしなかった。
 「役に立ててよかったよ」男は言った。「俺が困ったときにも誰かが助けてくれるといいんだがね。おたくの車のあとをついていこうか」
 父は、彼が困っていたら自分は車をとめただろうか、ってたぶんまだ考えながら、いやだいじょうぶ、ミシガン・アベニューを戻ればあいてるスタンドがあるだろうからって答えた。

(略)
 「ラッキーだったな」クラークストンに差しかかったあたりで父が言った。「親切な人に出会えて。もうナイトゲームには行かないぞ」 

神学校

 神父になるまでには十二年もの神学教育を受けなきゃいけない。高校で四年、大学で四年、そのあと神学校で四年だ。

(略)

[週二回近くのカトリック高校のブランスバンドと一緒に演奏]

神学校では、毎週千六百七十六時間、ずっと男ばっかりのなかですごしてる。だけどこの夢のような二時間のあいだは、異性のそばにいられるんだ。クラリネットの上を動くリンの長くて器用な指にはつい見とれてしまうほどだった(略)リンの笑顔は感じがよかったけど、あまりよく覚えてない。胸とか脚とか、そのほかの神学生らしからぬところにばかり目がいってたからな)。(略)本当にたまらなかったよ。頭がどうかなりそうだった。
 俺はルールのことを考え、リンの制服の下を想像することさえも、苦行だと思って必死に耐えようと努力した。だけど、それは十五歳の少年にはとても耐えられない苦行だった。ある日、俺はバスのなかで別の生徒に訊いた。「いったい誰がこのルールをつくったんだ?」ってね。「わからないけど、たぶん神様じゃないか?」とそいつは答えた。そうか。
 そこである週末、俺は四福音書を全部読みなおした。だけど、使徒たちがセックスや結婚を禁じられてたとか、ペニスをハッピーにしちゃいけなかったなんて、どこにも――どこにも!――書いてなかった。俺は放課後に図書室の仕事を手伝ってたので、独自に調査した。そこでわかったのは、カトリック教会の神父が、最初の千年は結婚してたってことだ!つまりセックスしてたんだ!(略)ペテロは結婚してたし、使徒のほとんどもそうだった。三十九人の教皇もだ。
 だけど、十一世紀にある教皇が、セックスはよくないし妻帯はもっとよくないって思いこんだ。それで神父が結婚したりセックスするのを禁じたんだ。(略)

 俺は図書館の地下で長い時間をすごすようになった。(略)ある神父がパリス・マッチ誌を購読してて、一九六九年のフランスでは、女たちが夏に“涼しく”しようとしてた、とだけ言っておく。俺の初恋の相手はみんなそこにいた。セントポール神学校の雑誌の書庫に。

(略)

[フェラー神父の提案で社会見学として映画へ]

神父は知らなかったが(それとも知ってたのか?)十五歳の少年たちが生まれてはじめて、十五歳の少女の胸を目にすることになった。(略)

 『ロミオとジュリエット』を観にいった(略)その晩からオリビア・ハッセーの熱烈なファンになって、ついでに元カトリック神父志望者になった、とだけ言っておこう。ありがとう、シェイクスピア。そしてありがとう、フェラー神父。

破門

 学年末の三日前、俺はクラス担任のデューウィック神父に会いにいった。神父になるのをやめるという決意を伝えるために。(略)

 「さて」デューウィック神父が妙に皮肉っぽい調子で口を開いた。「マイケル・ムーアくん、きみにあまり愉快でないことを伝えなければならない。休みあけにこの学校には戻ってこないでほしい。学校がそう決めたんだ」

 なんだって?俺は耳を疑った。(略)

「ちょっと持ってください」俺は動揺し、動転して言った。「ぼくは学校をやめるって言いにきたんですよ」

「そうかね」神父は満足げに言った。「それなら意見は一致したね」

(略)

「どうしてもう学校に来るななんて言うんですか。ぼくは成績はオールAだし、作業もちゃんとやってるし、大きな問題も起こしてない。しかも、一年のほとんどのあいだ、あのふたりの不良と一緒の部屋で耐えてきたんですよ。いったいどういう理由でぼくを退学させるんですか」

「簡単なことだ」デューウィック神父が言った。「きみにここにいてほしくない理由は、質問しすぎて、ほかの生徒を混乱させるからだ」

「質問しすぎるって、いったいなんについての質問ですか?どういう意味ですか?どうしてそんなことが言えるんですか?」

「きみはいま五秒で三つの質問をした。それだけでわたしの言う意味が伝わったと思うがね(略)

きみはわたしたちの指導するルールや教えを、信仰にもとづいて受けいれない。何かにつけて質問する。それはなぜだ、なんのためか、誰がそう言ったのか、ってね。だんだんうんざりしてくるんだよ、ムーアくん。ものごとを受けいれるか、受けいれないか。そのどちらかしかない。中間はないんだ」

(略)

 俺はすわったまま神父を睨んだ。憤慨し、深く傷ついていた。教会を破門されたら、たぶんこういう気分になるんだろうと思った。イエス・キリストを代表する存在としてこの世に存在する人々から見捨てられ、イエスはおまえなんかとかかわりあいになりたくないって言われたんだ。ただ、俺がバカな質問をするからっていうだけで。デューウィック神父の首を絞めて、したり顔をやめさせてやりたいっていう思いが脳裏をよぎった。
「たとえば、教会はどうして女を嫌ってて司祭にさせないんですか、っていう質問とか?」
「そう」デューウィック神父はナイフみたいな笑顔とともに言った。「そういう質問のことだよ。ごきげんよう、ムーアくん。きみのこれからの人生に幸多かれと祈っているよ。それからきみに耐えなきゃならない人々のためにも祈っている」

フリント・ボイス 

  リベラルや左翼はみんな同じだと思っていた。思いやりがあり、優れた思想信条を持っていると。リベラリズムの総本山サンフランシスコに行ってみて、“リベラル”にもいろいろいるんだってことにはじめて気づかされた。フリントではお目にかかったことのない、人類愛を信奉しながら現実の人々を嫌ってる裕福なリベラルという存在がいることにも。気前よく小切手を切ることで良心の慰めを得るリベラル

(略)

 フリント・ボイスの編集・発行をしてきた(略)十年近くのあいだ、俺の年収が一万五千ドルを超えることはなかった。あまりにも赤字で、自分で自分をクビにしなきゃならなくなったことも二回あった。(略)スポンサーもなかなか集まらなかった。自社の醜聞をいつすっぱ抜くかもわからない新聞に広告を出したがる企業がそうそうあるはずもない。

(略)

大手マスコミが、自社の収入減につながりかねない真実を決して報じない理由が俺にもようやくわかってきた。

(略)

 フリントの失業率が二十%をゆうに超えた一九八五年末には、フリント・ボイスの資金繰りはにっちもさっちもいかなくなった。それまでの最大のスポンサーは、偉大なフォークシンガーのハリー・チェイピンだった。

(略)

[コンサートにノーアポで押しかけ]

「俺たち、フリントで反体制の新しい新聞を始めたいと思ってるんです。それでもしできれば、フリントに来て資金集めのコンサートをしてもらえないかと」(略)
 それからの五年間、一九八一年七月にロングアイランドの高速道路での悲劇的な事故で命を落とすまで、ハリー・チェイピンは毎年フリントにやってきて、フリント・ボイスのために合計十一回のコンサートをしてくれた。その収益が新聞の運営費になり、ハリーの死後も、彼の弟のトムとスティーブ、それにハリーのバンドがフリントでの年に一度のコンサートの伝統を継いでくれた。
 それでも一九八五年には、新聞を存続させるには充分じゃなくなり、発行を続けるのはますますむずかしくなってきた。
 サンフランシスコのある人物からの電話を受けたのはそのころだった。アダム・ホックシールドという大金持ちのリベラルで、全米最大の発行部数を誇る左派系雑誌マザー・ジョーンズを所有する財団を運営していた。フリント・ボイスには注目してきたし、内容もいい、今フリントでしているようなことを全米規模でするつもりはないか、とホックシールドは言った。
 それはもったいないほどのいい話に聞こえたし、実際にそうだった。そこで、俺は愛するフリント・ボイスをたたみ、家財をすべて売り払い、サンフランシスコのアッパーヘイト地区のパルナッソス・アベニューに引っ越した。しかしほどなく、自分が大きな間違いを犯したことに気づいた。俺はマザー・ジョーンズを労働者階級のための雑誌に変えたかった(略)。ホックシールド(略)はもっと知的でハイソな、ニューヨーカー誌やアトランティック誌に肩を並べるような論評やルポの載った雑誌を求めていた。(略)

 サンフランシスコの俺は陸に上がったカッパも同然だった。マザー・ジョーンズでのやり方が理解できなかったし、雑誌を変えようとすると激しい抵抗にあった。(略)

たった四ヵ月でホックシールドは俺をクビにした。 

Cats In the Cradle

Cats In the Cradle

  • ハリー・チェイピン
  • ロック
  • ¥250
  • provided courtesy of iTunes

 次回に続く。