マイケル・ムーア、語る。 その3

前回の続き。

マイケル・ムーア、語る。

マイケル・ムーア、語る。

 

 アメリカン・ドリーム殺戮計画

[行くあてもなく途方に暮れていたある日、ある雑誌広告が目にとまった]

《マキラ・エキスポ86
アメリカ商務省・在メキシコ全米商工会議所主催
メキシコを活用して業績改善!その方法を教えます

ここに工場を移せば地元での雇用も守れます
招待者のみ アメリカ商務省までお問いあわせを》

(略)

ラルフ・ネーダー事務所のスタッフ[に](略)

このいかれた会議のことを話し、これは何かのジョークに違いない、なんだって俺たちの国の商務省がアメリカから仕事を奪ってメキシコに移す手伝いをするんだ、と言った。
 「レーガン政権だ」ネーダーの参謀役のジョン・リチャードが言った。「政権を握ったときからずっとそれをやろうとしてるのさ」
 「それは知ってるが――いくらなんでもこれはやりすぎじゃないか」

(略)
 「潜入して彼らが何をたくらんでるのか教えてくれるなら、アカプルコに派遣しよう」とリチャードが言った。

(略)

[経営者を装い会議に参加]

部屋には銀行員と企業重役、起業家、コンサルタントがひしめいていて、みなアカプルコまでやってきた俺たちに、アメリカの工場をたたんで国境の南に生産を移す方法を教えてやろうと手ぐすねひいていた。

(略)

 一九八六年当時、すでに多くのアメリカ企業がひっそりとメキシコへの移動を開始していた。でもまだ規模が小さかったので、真剣に気にする者は誰もいなかった。

(略)

過去最高となる四十五億ドルもの利益を出していた。GMは世界一の企業だ。それなのに、しじゅう生き残るための戦いについて語ってる。全部ペテンだ。メキシコに工場の一部を移さなければ、会社の経営が傾き、それとともに景気も落ちこむと世間にどうにかして信じこませるための。それは真っ赤な嘘だったが、少なくともレーガン政権はそれを信じていた。

(略)

 「自由企業制こそ、メキシコを共産主義革命から救う唯一の手段なのです。メキシコの発展を助けなければ、目と鼻の先に第二のニカラグアができてしまう」

 ほう、なるほど。レーガン支持の連中がアメリカの仕事をメキシコに輸出するのを正当化するこれ以上ない口実だ。

(略)

 「十五年もしないうちに、メキシコの国境の町はアメリカの郊外みたいになりますよ」シスネロス氏はそう付け加えた。
(略)

 「われわれはここで歴史をつくろうとしているのです」と講演者のひとりが高らかに宣言した。「今この場にいるみなさんは、アメリカが工業の国からサービス産業の国へ、ハイテク産業の国へと転換するのを率いたパイオニアであり、英雄として記憶されることでしょう。

(略)

 「自動車メーカーはこっちに移ってくる。そのことは間違いない」グッドセルは諦め顔で言った。「おおっぴらには認めないだろうけど、こっちに来る。そして、取引を続けたいならおまえらもこっちに来い、自分たちの近くにって、うちのような下請け企業に言うんだ。来ないならバイバイだってな。ほかにどうしようもないだろう?」(略)
 「うちも同じさ」と俺は言った。「ミシガンの人々にこのことが知れたら、石もて町を追われることになると思わないか」

「従業員にどうやって打ちあければいいかもわからないよ」名札に“ビル”と書かれた男が悲しげに言った。「二十年一緒に働いてきた社員もいるのに。家族だっている。でも、きっとほかの仕事が見つかるだろう。ミシガンにはたくさん仕事があるんだから」

(略)
 どのプレゼンも人種差別的で、プランテーションの農園主みたいな物言いが横行してた。出てくる講演者出てくる講演者、搾取してやろうとする仮想のメキシコ人労働者一般を指して、口々に“パンチョ”と呼んだ。
 「パンチョがこれをしてくれる、パンチョがあれをしてくれる」
 「パンチョは組合に入らない」
 「パンチョは従順な労働者だ」

(略)

アメリカ企業をメキシコに進出しやすくしなければ、「自動車やその他の製品はアジアで生産されるようになる」と付け加えた。聴衆がいっせいに忍び笑いを漏らした。アメリカ人がアジアの車を買うだって?冗談はよしてくれ!

(略)

司会を務めていたメキシコの役人が“コルビー議員をアメリカ大統領に指名する動議”を提案し、観客は盛大な拍手で応えた。(略)

さっきの“アジア”発言にほんの少し不快感をあらわにした同じテーブルの日本人の銀行員は、ひとごとのように面白そうにこの様子を見ていた。

(略)
 この週末に目撃したことの意味は、胸が悪くなるようでもあり、息を呑むようでもあった。アメリカの中流階級を皆殺しにしようとする機械が、よく油を差されてすでにうなりをあげ、働きだしていた。「誰もこのことを知らない」と俺は思った。(略)

その後、フリントのような町が国中で没落していくのを目撃しながら、俺は思うことになる。俺はその場にいた。殺人が企てられた現場に。アメリカン・ドリームを殺す計略が俺の目の前で生まれて実行に移された。

(略)

 帰りの飛行機のなかで(略)俺はそのすべてについて、これから何をすべきかについて、じっと考えた。

  俺は映画制作について何も知らなかった。

 十代になるころには、一九六〇年代末から七〇年代初頭の偉大な映画の数々が衝撃とともにスクリーンに登場した。(略)

イージー・ライダー』に『卒業』、『真夜中のカーボーイ』に『ラスト・ショー』、『脱出』に『タクシードライバー』、『ナッシュビル』に『ハロルドとモード 少年は虹を渡る』なんかがはやった。
 十七歳のとき、スタンリー・キューブリックの『時計じかけのオレンジ』を観て、それからキューブリック作品をすべて観た。それが運のツキだった。映画の持つ可能性と力に完全に心をつかまれちまったんだ。

(略)

 二年後、俺はフリントに私設のアートシアターを開き、週に二晩、フランソワ・トリュフオー、アンドリュー・バーグマンライナー・ヴェルナー・ファスビンダー黒澤明ヴェルナー・ヘルツォークマーティン・スコセッシウディ・アレンルイス・ブニュエルフェデリコ・フェリーニスタンリー・キューブリックアメリカン・ニューシネマの巨匠たちの作品を片っ端から上映した。

(略)

 ドキュメンタリー映画は好きじゃなかった。だからめったに観にいかなかった。ドキュメンタリーは薬とかヒマシ油みたいだった。ためになるから観たほうがいいものって感じの。でもたいていは退屈で先が読めた(政治的な主張には同意できたとしても)。だいたい、政治演説を聞きたかったら映画館には行かない。政治集会や立候補者の討論会に行く。

(略)

 映画を観にいくときは、驚いたり、興奮したり、打ちのめされたりしたかった。腹を抱えて笑ったり、感涙にむせんだりしたかった。そして映画館を出るときには、宙に浮かんでるみたいにふわふわした気分で通りに出ていきたかった。

(略)

 そしてドキュメンタリー映画を観にいってもそういう気分は何ひとつ味わえなかった。

(略)

ドート・ハイウェイ沿いのフリント・シネマで、衝撃的なベトナム戦争映画『ハーツ・アンド・マインズ』を観た。今日にいたるまで、あれ以上に優れたドキュメンタリー映画を俺は観たことがない。また別のときには、アナーバーまで行って『アトミック・カフェ』を観た。こんな気の滅入るテーマで笑える映画がつくれるなんて驚きだった。

(略)

大学を中退してずいぶんたち、レイバーデイの翌日に金持ちのリベラルにクビにされて週に九十八ドルの失業手当をもらいながら、アカプルコで生涯最高に恐ろしい週末をすごした直後に、ドラッグもやってないのに、俺の心がこれらの映画と映画監督をすべてごちゃまぜにしたあげく、見たこともないアイデアがおりてきた。頭のなかで映画のスプールが回りだし、前頭葉の想像上のスクリーンに映しだされはじめたんだ。

(略)

映画学科卒でもないし、そもそも大学教育さえまともに受けてない。でも気にしなかった。俺にはアイデアがあり、新しい友達がいた。ケヴィン・ラファティという友達が。
 ケヴィンはドキュメンタリー映画の監督だった。一九八〇年代はじめに『アトミック・カフェ』というスマートで笑える映画を撮っていた。

(略)

 一九八〇年代のフリントは忘れられた町だった。(略)ゼネラルモーターズを生んだ活気あふれる、好況に沸くかつての大都市が、今では金持ちのための邪悪な科学実験の場となっていた。車をつくるだけでなく、その車を買ってくれてもいた人々から仕事を奪っても、はたして利益を増やすことが可能なのか?答えはイエスだった。(略)

[だが]仕事を失った自動車工場の労働者は、車を買わなくなるだけじゃなく、テレビも食器洗い機も時計つきラジオも靴も買わなくなるってことだ。その結果、そういう製品をつくっている会社も、倒産するか外国に工場を移すしかなくなった。

(略)

 中流階級という布から一本の細い糸を引っぱって抜くだけで、やがてタペストリー全体がバラバラになり、誰もが食うか食われるかの、その週をどうにか暮らすのがやっとの世界に放りこまれることを予想した者はほとんどいなかった。ある意味で、それは天才的な政治計略だった。なぜなら、生きることに必死の有権者は、職場や近所や町内で団結して立ちあがり、自分たちの苦境を生みだしたマッド・サイエンティストと政治家に反抗しようなどという時間もエネルギーもなかったからだ。

(略)

「えーと、まずは」俺はおずおずと言った。「十六ミリカメラの使い方を教えてもらえないかな」

「フリントに行って映画の一部を撮ってあげてもいいよ」ケヴィンがだしぬけに言った。(略)

「ああ。機材を持っていくよ。撮影スタッフも何人か連れていけるかもしれない。(略)一週間、ぼくの時間をあげるよ」

(略)

「(略)ところで一週間で全部教われるものかな?」

「機材の使い方を覚えるのにそんなに時間はかからない。映画を撮るうえでもっとも重要なのは構想やアイデアさ。次がそれを語るビートやリズムだ。どれだけ少ない言葉で多くを語れるか。鋭い目を持つこと。行間を読み、語られない言葉に耳をすますこと。それと度胸も大事だな。(略)」

(略)

俺たちはすわりこみストライキの記念集会を撮影し、それから七日間でさらに三十のシーンを撮影した。失業者が自分の血を売る血液センターや、無料のチーズ配布に並ぶ人の列

(略)
 俺はケヴィンやアンのやり方をじっと観察していた。カメラやマイクで拾ったほんのちょっとした瞬間が、ときに重要な何かを物語るってことをふたりから教わった。カメラに入ってるフィルムは十分だけだから(略)現場で、すべて頭のなかで編集作業をしなきゃならないんだと彼らは言った。そうすることで、フィルムのムダ遣いを避けられるだけじゃなく、おのずと自分が何を伝えようとしてるのかをよく考えざるをえない。ふたりは十分の時間制限を障害だとは感じてなかった。創作上のメリットだと思っていた。
 「仮にカメラに一時間分のフィルムを入れることができて、フィルムが紙みたいに安かったら」撮影スタッフの誰かが言った。「横着してなんでもかんでも撮るようになる。撮ってるあいだ考えなくなる。心配はあとですればいいってね」

(略)

経済的には本当にギリギリだったので、ニューヨークのデュアートという現像所は、映画が完成するまで支払いを待つと言ってくれた。そこの経営者は年配の左翼で、俺の送ったフィルムを見て気にいってくれてたんだ。ニューヨークで映画の配給会社やスポンサーが集まり、製作中のフィルムを見るイベントがあることを聞いた。登録料を払えば、自分の映画を十五分だけ見てもらうことができる。だが、俺の撮影したフィルムはまだまったく編集されていなかった。というのも、編集のしかたがわからなかったからだ。そこでふたたびケヴィンが救いの手を差しのべてくれた。
「フィルム一巻分の編集はやってあげよう」(略)

彼が編集してくれた十五分の俺の映画を観た。感動したよ。本物の映画みたいに見えたんだ。ケヴィンがスタインベックの編集機の使い方を教えてくれた。それから自分の編集室のつくりについて説明し、俺が自分でそれをつくる方法を教えてくれた。ケヴィンがネオナチの映画を編集する様子を横で何時間もみつめ、彼がどうやって決断を下すか、あるシーンをどれだけの長さにしてどこで切るかを決めていくのを眺めていた。ケヴィンはナレーションも音楽も一切使わず、自らカメラに映ることもしなかった。
(略)

[どこで編集を学んだかと尋ねると]

ケヴィンはちょっとためらった。「ハーヴァード」
「ハーヴァードって、あのハーヴァード?」俺は唖然として言った。

(略)

 俺たちは少しずつ映画編集のコツを覚えていった。(略)映画は笑えるのに、同時にもの哀しかった。俺たちは“ドキュメンタリー”をつくるのをやめて、金曜日の晩にデートで行けるような映画にすることにした。

(略)

[ある日、ブッシュの就任式を見ていると、ブッシュの背後にケヴィンに似た男が、後日、それについて確認すると]

沈黙。

「あそこにいたのか?(略)どうやって入ったんだ?」

ため息。

「ぼくのおじがアメリカ大統領になったからさ」

「ハハハ。おもしろいジョークだな。俺のおじはダン・クエールだ」
「違う、ジョークじゃない。大統領のジョージ・ブッシュはぼくのおじなんだ。ぼくの母とバーバラ・ブッシュが姉妹なんだ。

(略)

 頭がクラクラした。
 「聞いてくれ」ケヴィンが言った。「きっと今まで黙ってたことに腹を立ててるだろうな。だけどぼくの立場になって考えてみてくれないか。身元がばれるたびに、急に相手の態度が変わる。それまでと接し方が変わったり、勝手に判断されたり、何か要求されたり。この身分は重荷でしかない。(略)

だって今、きみはこのことを知って思ってるだろう?こいつはあの憎きブッシュ家の一員なんだって」
 俺はあわてて言った。「違う、そんなことない。俺はそんなことで人を判断したりしない。

(略)

俺が彼やレーガンのことを悪く言うのを聞いてどう思ってたんだ?」
「べつに何も。きみに賛成だったからね。おじとは政治的な立場が違う。それに正直なところ、家族の事情ってやつは複雑なんだ。個人的なことだしね。それについては話したくないな」(略)

[映画公開後ホワイトハウスからケヴィンの携わった映画の家族上映会をしたいとプリントを所望された。ラリってたブッシュの息子ジョージがバカ笑いしていた以外は上映会は静まり返っていたらしい。]

「わかったよ。でも正直言うと、まだちょっと頭が混乱してる。この映画をつくるのに重要な役割を果たしただけじゃなく、映画監督になる方法を俺に教えてくれた人物がブッシュ家の一員とはな。なんてこった、まったく」
「もっともだ。なんとでも言ってくれ」
「でもこのことで何も変わったりしない。安心してくれ、ケヴィン。ようやく打ちあけてくれて嬉しいよ」 

アトミック・カフェ DVD-BOX

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