前回の続き。

- 作者: リヴォンヘルム,Levon Helm,Stephen Davis,菅野彰子
- 出版社/メーカー: 音楽之友社
- 発売日: 1998/12/10
- メディア: 単行本
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映画
ロビーは、神経質な早口のマーティンをハリウッドヘのパスポートと考え、ラスト・ワルツの監督を依頼した。
「ヴァン・モリスンが出るのか?」スコセッシはいった。
「ほんとうか?絶対にやる!」十月の初め、コンサートの六週間ぐらい前のことだった。(略)スコセッシとロバートスンはほとんど一晩で、曲のコードの変化にあわせて照明を変える箇所まで書きこんだ、百五十ページにわたる詳細な撮影台本を書きあげた。
ふたりはそれを持ってモー・オースティンのところへ行き、金を出してくれと頼んだ。モーは、ボブ・ディランが映画に出演するのであれば金を出すといった。それが条件だった。ふたりがボブ・ディラン側に問いあわせたところ(略)[自分の]映画『レナルド・アンド・クララ』をつくっている最中なので、映画に出たくないといっていると返事が来た。(略)[ボブの出演が出資の条件と再度説明したが、考慮するという曖昧な回答]
スコセッシたちはワーナーに対し、ボブが全面的に了承したといって計画を進めた。ワーナー所属のアーティストでもないザ・バンドが、モー・オースティンから百五十万ドルの金を借りられたのには、こうした次第があった。
ビル・グレアムも映画には反対だった。(略)観客やゲストを第一に考え、大きな映画用カメラや可動アームで視界がさえぎられるのをいやがった。さまざまなことが保証され、ようやくビルは映画に反対しなくなった。
ジョン・サイモンのラスト・ワルツヘの関わりかたからも、当時グループをとりまいていた雰囲気がよくわかる。彼はつぎのようにいっている。「昔はザ・バンドといっしょに仕事をするときには、書類はなかったし、『これだけの仕事をすれば、これだけを払う』といったような明確な取り決めもなかった。ただいっしょにいることがうれしくて、そんなことを考えなかったし、また考えようともしなかった。金がなくなったときには、アルバート・グロスマンに電話すれば金をもらえた。何年かたって、自分がプロデュースしたザ・バンドの二枚のアルバムから、一セントの印税もうけとっていないことに気がついた。一九七六年の初め、アルバートにそれを尋ねたら、ロビーに訊けといわれた。(略)[ロビーの会計士は]未払いの印税はないといってきた」(略)
[ロビーから音楽監督になってほしいと言われたので]
「ぼくはいったんだ。『喜んでやらせてもらうよ。それで、その仕事をやっているあいだに、もう一度、そっちからの未払い分がないかどうか会計士に調べさせてくれ』とね」
「二、三週間して、六万二千ドルの小切手が送られてきた。そのあとロビーが電話をかけてきて、信じられないようなことをいった。経理上の便宜のため、それを二枚のアルバムに関する最終の小切手ということにしてくれといったんだ。それにつけくわえて、『ラスト・ワルツ』のアルバムはとてつもなく大きなものになるから、それが発売されれば財政的な問題はいっさいなくなるといった。すぐ人を信用してしまうタイプのぼくは、ザ・バンドの二枚のアルバムのその後の印税を放棄する書類にサインをした――そしてもちろん、『ラスト・ワルツ』からの金はいっさいもらっていない。ほとんどの人がもらっていないと思う。ワーナーがこのあと、映画の経費をアルバムのほうに繰りこんだからだ。大勢がだまされた。(略)
[公演二日前、マネージメントがゲストを呼びすぎたので出演者を削りたいと言ってきた。ロビーがプロデュースしたからと関係ないニールをゲストにしたことに、元々怒っていたので]
「ロバートスンをニール・ダイヤモンドのところへやっていわせろ。『こっちはあんたが何者かもわかってないんだ!』って」
(略)
[さらにマディ・ウォーターズを外すことになったので、それを本人に伝えて欲しいと言われて、ブチ切れる著者]
「あんたは根性のくさった最低野郎だ!さっさと消えなよ。でないと、このアーカンソーの連中をけしかけて息の根を止めてやる!」(略)
マディはちゃんとコンサートに出た。
(略)
雄牛のようにいきおいよく〈マニッシュ・ボーイ〉に突入した。(略)マディの演奏に会場全体が活気づき、コンサート最高の場面のひとつとなった。
(略)
カメラがマディを撮っていないらしいのに気づいた。あとになって、手違いのため一台のカメラしかまわっていなかったのがわかった。マディの出演部分のほとんどが映っていなかった。マディがステージを去るとき(略)大きな手でぼくの頭をつかんで、額にキスをしてくれた!なんてすばらしかったことか。しかし映画監督はマディがステージに出てくるところも、ステージを出ていくところも撮っていなかった。だから、その場面は残っていない。
ディランの出演拒否
ボブ・ディランは前半の部のあいだに側近の連中といっしょにやってきたが、楽屋にとじこもってだれにも会わなかった。休憩のなかごろ、あと十五分ほどでぼくたちといっしょにステージに出ていかなければならないときになって、ボブは映画に出演しないことを決めた。
ぼくはたいしておどろかなかった。ボブは、『ラスト・ワルツ』と『レナルド・アンド・クララ』の両方の映画に出演して自分と自分を競わせることになるのを避けたがっている。その週のあいだずっと、ハワード・アークがそういっていた。しかし最後の瞬間まで決断は下されず、その結果がこれだった。ボブの弁護士が渋い顔をしてボブの楽屋から出てきた。ロビーは真っ青になった。ボブの側の人間たちが「ボブは映画に出ない」といった。
スコセッシは怒った。ボブが出ないなら、映画は存在しないのだ。すべて、なしだ。百万ドル以上の金がどぶに捨てられることになる。スコセッシはふつうでなくなっていた。(略)アルバート・グロスマンがいたが、その影響力を行使することはできなかった。(略)そこでロビーたちはビル・グレアムに仲介を頼んだ。ビルはボブの部屋に入り、そして首をふりながら出てきた。ビルによれば、ボブは映画出演のことを知らなかったといっている。初めてその話を聞いた、映画には出たくない、自分の演奏のあいだ、カメラがほかにむけられているのを確かめてくれ、といっていた。事態がどれほど差し迫っているかを説明するため、もう一度ビルに話してもらうことになった。「心配するな」ビルはうしろをふりかえっていった。「きっとやってみせるよ」(略)きっとビルはぼくたちのために、ザ・バンドの歴史のために、必死になってボブに頼んでくれたのだと思う。撮影したフィルムはすべて、ボブが見て了承してから使うことにする。それでもだめだろうか。ビルはボブにそう話してくれることになっていた。おそらく二、三分のことだったろう。しかし一時間のように思えた。みんなが我を忘れていた。あと五分というときになって、ボブの出演部分の最後の二曲の撮影が許可された。
その夜ビル・グレアムのおかげで、映画は救われた。(略)
ボブの側近たちがステージの両側で眼を光らせ、撮影されていないのを確認していた。(略)
最後の二曲になった。技術係があわててヘッドセットをつけ、カメラがむきを変え、照明がつき、ステージはふたたび映画のセットと化した。〈フォーエヴァー・ヤング〉のあと、ボブがまた〈ベビー・レット・ミー・フォロー・ユー・ダウン〉をやりだした。ぼくたちはおどろいたが、きっとボブは映画のなかに昔のロックンロールが一曲もないことに気づいたのだと考え、あとにつづいた。やがてボブもくわわって大フィナーレがはじまり、ステージの横でビル・グレアムが大きな声でボブの側近たちを止めていた。彼らは、その模様を映すカメラを止めようとしていた。演奏がつづくなかで、このごたごたがあり、ビルが「ばか!カメラをまわせ!これを撮らなきゃだめだ!」とさけぶのが聞こえた。ボブは怒っていなかったし、ぼくたちも笑ってそのままよい演奏をつづけた。
フィナーレの〈アイ・シャル・ビー・リリースト〉(略)が終わったとき、ザ・バンドらしい終わりかただという気がしなかった。
ステージからゲストが消えたあと、リンゴ・スターとぼくはドラム席に着いたまま、顔を見あわせた。ラスト・ワルツは終わった。ぼくはほっとして、ちょっと音楽をやってみるときだと考え、リンゴといっしょにはじめた。ドクター・ジョンが出てきた。(略)ニール・ヤング、ガース、リック・ダンコも出てきた。ビル・グレアムがクラプトンをひっぱってきてギターを持たせた。ロン・ウッドも出てきた。テープから判断すると三十分ぐらいジャムをしたようだ。やっとこれがザ・バンドだという気がしてきて、ぼくたちはザ・バンドの最後の曲〈ドント・ドゥ・イット〉をやった。
それが終わったときには、みんな疲れきっていた。「ありがとう」リチャードが客にいった。「おやすみ」、そして「さよなら」。時計を見ると午前二時だった。カメラマン全員が肩をたたきあっていた。ザ・バンドの消滅に涙を流している人もいたし、ステージに花束をおく人もいた。ぼくは立ちあがって伸びをし、たばこに火をつけ、何人かと握手をし、そしてステージをあとにした。楽屋に、数千ドル入りの封筒があった。ビル・グレアムは、ラスト・ワルツが成功裏に終わったのがうれしいというだけで、ザ・バンドのメンバーのひとりひとりにボーナスをプレゼントしてくれた。
それは特別な夜で、みんな、なかなか帰りたがらなかった。(略)
ジョン・サイモンがやってきて隣にすわったので、ぼくはレコーディングはうまくいったかと尋ねた。ジョンは、コンサートが終わるやいなやボブの弁護士がトラックのなかに入ってきて、ボブの部分のテープを持っていってしまったから、話しあいが必要だといった。何だかおかしな話だと思った。
後日撮影談
十六万フィートが撮影されていたが、フィルムを調べだしたとたん、つぎつぎと問題が発生した。サウンドトラックの録音は質がわるく、オーヴァーダブしてミックスをやりなおさなくては、映画にもアルバムにも使えなかった。つぎに、全体が白人的すぎて、たいせつなものが欠けているということになり、もう一度、今度はステイプル・シンガーズといっしょにカルヴァー・シティのMGMのスタジオで〈ザ・ウェイト〉の撮影と録音をすることになった。サンフランシスコのときの〈ザ・ウェイト〉は、コンサートの終わりのほうで録音されたので、すくなくともぼくのドラムと歌には魔法のきらめきがなかった。
メイヴィス・ステイプルズが〈ザ・ウェイト〉の歌詞を歌っているのを聞くのは、いい気分だった。ザ・バンドの三人の声のミックスは、ステイプルズ一家の歌声に最初のヒントを得たものであり、だからメイヴィスやポップ・ステイプルズとぼくたちの声を重ねあわせるのは、まさに正しいことだった。(略)
〈イヴァンジェリン〉も、エミルー・ハリスといっしょにやりなおした。(略)
最後にザ・バンドだけで演奏する〈ラスト・ワルツ組曲〉が撮影された。
(略)
『ラスト・ワルツ』の映画を見た人には、コンサート後のインタヴューの様子から(この場面はシャングリラで撮影された)、ぼくがすべてのことにかなり腹をたてているのがわかるはずだ。この場面は最初、みんなでたき火をかこんですわり、古きよき日を語りあい、できれば楽器をとりあげて楽しい演奏を再現するというものになるはずだった。(略)
その前から、ぼくは非協力的な態度をとりはじめていた。映画がコンサートの精神をまったく無視しているとわかったからだ。インタヴューがはじまり、スコセッシがぼくをすわらせ、カメラがまわりはじめた。スコセッシが、ミッドナイト・ランブルやメディスン・ショーやサニー・ボーイ・ウィリアムスンの『キング・ビスケット・タイム』の話を聞きたがっているのはわかっていた。しかし、ぼくの頭は、グループの豊かな創造性をこんなふうに踏みにじるのは犯罪的だという思いでいっぱいだった。
(略)
ぼくは彼をにらみつけていった。「あんたが訊きたがっているだけだ」スコセッシはひるんだ。そして落ちつかなげに書類をめくった。ぼくはつづけた。「つまり、こんなことはぼくには何の意味もないってことだ」ぼくは彼の顔を正面からにらんだ。ばかなことだった。礼儀を無視してひどい態度をとった。いなかものの特権をふりまわした。だけどほんとうに怒っていたんだ。あのときのぼくは、ザ・バンドにはぼくたち五人をあわせたよりもっと大きなものがあると信じていた。いまも、その考えは変わらない。
(略)
新しい著作権管理会社がいくつか設立され、ラスト・ワルツに関するいっさい、そしてワーナー・ブラザーズから発表する予定のぼくたちの新しい音楽に関するいっさいをとりあつかうことになった。ロビーが、ザ・バンドのメンバーの出資者としての権利を買いとろうとしているとの噂が聞こえてきた。
(略)
[会計士連中とケンカして]
ぼくはカリフォルニアを出た。『ラスト・ワルツ』の映画のポスト・プロダクションは、ぼくなしでおこなわれた。
(略)
ぼくが見るかぎり、映画『ラスト・ワルツ』はたいへんな失敗作だった。
(略)ポストプロダクションがおこなわれた十八ヵ月のあいだ、ロビー・ロバートスンとはほとんど接触がなかった。ザ・バンドの連絡網を通して、ロビーが女房に追いだされ、マルホランド・ドライブにあるマーティン・スコセッシの家に移りすみ、そこでハリウッドの独身者の、はなやかでワイルドな生活をしていることは聞いていた。(略)
マーティンが『ラスト・ワルツ』の映画の編集をするあいだ、ロビーはサウンドトラックをしあげた。ふたりは自分たちを喜ばせるように映画を編集した。
ジョン・サイモンはつぎのようにいっている。「たしかマディ・ウォーターズのヴォーカルをのぞけば、《ラスト・ワルツ》のなかでライヴの音そのままなのは、リヴォンの音だけだと思う。ほかのものはすべてオーヴァーダブしてやりなおしてある。リヴォンはラスト・ワルツのいっさいにいや気がさして、ロサンジェルスにいなかった。ロビーはもう一度やってくれと頼んだが、リヴォンは知らん顔だった。すべてがいかがわしい感じがする。リヴォンはぼくにそういっていた」
「オーヴァーダブしたほうがいいというロビーの考えにも一理あった。リチャードの歌はできがわるかった。リックのベースは調子がはずれていたし、ロビーもギター・ソロをもっといいものにしたかった。それにホーンの録音はバランスがわるく、しかたなくヘンリー・グローヴァーとぼくのアレンジでニューヨークで録音をしなおした。すごいと思ったのは、リヴォンのドラムは、もともとやり直す必要などなかったことだ。リヴォンは最初からちゃんとやっていて、それがそのまま最終的なドラム・トラックになった。リヴォンは、オーヴァーダブが実際に行なわれたことさえ知らずにいたんじゃないかと思う」映画にもおなじような問題があった。実際のできごとを映したフィルムはほとんどなかった――感謝祭のごちそう、オーケストラ、ダンスする人たち、バックステージの騒ぎは映っていなかった。ビル・グレアムはインタヴュー場面への出演を拒否し――噂によると、ビルは骨の折れる豪華なコンサートをプロデュースしたのに、ロバートスンがきちんと礼をいわないことに腹をたてていた――、そのため映画では小さくクレジットされただけだった。通し稽古のとき、スコセッシはただ見ているだけで、用心のために撮っておくことをしなかった。リハーサルのほうが本番よりよい演奏もあったから、残念なことだった。
映画公開
二時間のあいだ、カメラがほとんどロビー・ロバートスンの顔だけを映しだしていた。金をかけたヘアスタイル、こってりと化粧した顔の長いクローズアップ。映画は、ロビーが大げさにギターの首をふってバンドを指揮しているかのように編集されていた。ロビーがスイッチを切ったマイクにむかって力強く歌うと、彼の首の筋肉が縄のように盛りあがるのが映しだされた。ホークはこれを見て、ぼくを何度も小突いて笑った。
(略)
リチャードが映っている場面がほとんどなかったからだ。ガースもほとんど映っていなかった。リックとぼくはたくさん歌っていたので、かなり映っていた。だがリチャードはどこにいるのか?
(略)
[インタビューの場面では]ロバートスンひとりが話しているだけだった。(略)
試写室は静まりかえっていた。ぼくは映画のひどさにショックをうけていた。九台もカメラがあったのに、リチャードがフィナーレで彼の代表曲である〈アイ・シャル・ビー・リリースト〉を歌うところさえ映っていない。あとでわかったことだが、映画のほとんどが、九台あったカメラのうちの二台の映像で構成されていた。(略)ガースがバンドをひっぱり、みんなを鼓舞している様子もまったくわからない。映っていたのは、ほとんどが王者のようにふるまうロバートスンだった。
試写室の明かりがついた。ぼくはたばこに火をつけてホークを見た。彼はぼくの背をたたき、みんなに聞こえるように大きな声でいった。「おい、そんなにがっかりした顔をするなよ。この映画だって、きっとよくなってたぜ。もうちょっとロビーの場面がたくさんあればな。ワッハッハッハッハッ!!!」
『ラスト・ワルツ』はそういう映画だった。(略)ワーナー・ブラザーズは、事前に借りたアドヴァンス分を映画とレコードから差しひくことにした。だから、ビデオが世界じゅうで発売されているにもかかわらず、現在に到るまで、この事業からの金はぼくたちのふところには入っていない。
『歌え!ロレッタ・愛のために』出演
[共演のトミー・リー・ジョーンズから演技法の集中講義を受ける]
「リヴォン、忘れちゃいけないのは、絶対にカメラを見るなということだ。カメラは、そこにあってはいけない。忘れるんだ。台詞はもうわかっている(略)
つぎは速すぎる動きはいけないということだ。シーンにはリズムがあるから、それを感じとって、それにあわせる。早口もだめだ。きちんと伝えるためには感情を誇張しなければならないが、誇張しすぎてはいけない。監督に演技をコーチしてもらい、そのあと自分のやりかたでやる。そうすればすばらしい演技ができる。みんな、きみといっしょに仕事ができるというのではりきっているからね。きみがこの役をやることになって、みんなが喜んでる」
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