前回の続き。
- 作者: リヴォンヘルム,Levon Helm,Stephen Davis,菅野彰子
- 出版社/メーカー: 音楽之友社
- 発売日: 1998/12/10
- メディア: 単行本
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グループ名
[アルバムが発売され]バンド名がクラッカーズでないのを見て、ぼくたちはおどろいた。
ザ・バンド。(略)
それは、ウッドストックの人たちがぼくたちを呼ぶときの名だった。(略)
[キャピトルが]勝手に名前を変えたのだ!(略)
ザ・バンドという名は、わざとらしくて尊大で威張っている感じがするが(略)ぼくたちがつけた名前じゃない。ぼくはクラッカーズを主張した。
セカンド・アルバム
セカンド・アルバムをつくるためカリフォルニアに行った。(略)
もう一度ジョン・サイモンを雇い、ハリウッド・ヒルズにあるサミー・デイヴィス・ジュニアの家を数カ月間借りきった(略)別棟になった大きなプール・ハウスがあり、それをスタジオに改造した。
(略)
〈ザ・ナイト・ゼイ・ドローヴ・オールド・ディキシー・ダウン〉は、ぼくとロビーがウッドストックでつくった曲だ。当時の歴史と地理を調べて歌詞を書き、ロバート・E・リー将軍を敬意をもってよみがえらせるために、ロビーを図書館につれていったのをおぼえている。これもまた、完成までに「研究会」のようにして長い時間をかけた曲だった。この曲で初めて、ザ・バンドの特徴となった二分割のビートを使い、その後たくさんの曲で使うようになった。フル・タイムのリズムを刻むのではなく、それをふたつに割れば、ちがう形で歌詞をのせることができ、強拍の移動がスムースになり、踊りやすくなる。リチャードのあとについていっしょに歌うことで、その歌いかたをおぼえるのは比較的やさしかった。
(略)
ちなみにあのハーモニカ音は、ほんとうはガースがローリー・オルガンのアコーディオン・ストップの音にメロディカをオーヴァーダブしたものだ。ガースは曲の最後でトランペットも吹いている。
(略)〈アンフェイスフル・サーヴァント〉ではリック・ダンコが歌っている。〈キング・ハーヴェスト〉は前の年の秋、ウッドストックにいるときにつくった曲で、ぼくたちのすべてを要約するものであり、完成までに長い時間をかけた。歌詞のなかには、ある夜ともに経験した思い出話をしていて生まれたものもある。それは五人の人間が共有するひとつの感情の表現だった。ぼくたちが人生について考えることのすべてを一曲で表わすことのできる歌。ぼくたちは、そういう歌をつくろうとした。この曲はカリフォルニアでいちばん最後に録音された。この録音のとき、ぼくたちは〈キング・ハーヴェスト〉の不思議な魔力に導かれていた。これこそがザ・バンドなのだという感じがした。
《ザ・バンド》は複雑なアルバムだ。ぼくたちは、このアルバムを二回聞いてみなければわからないアルバムにしたいと思った。〈ロッキン・チェア〉などの何曲かは、どこかの農場の裏のポーチでだれかがアコーディオンやマンドリンをひいているように聞こえる。
ウッドストック
ところで、ザ・バンドはウッドストックの映画には出ていないし、ウッドストックのアルバムにも参加していない。これは、映画の出演料を半分に値切られ、当然アルバートがノーといったからだ。ぼくたちの演奏のときもカメラはまわっていたが、演奏の邪魔をしないでくれと要請したので、明るさが足りないままでの撮影だった。
もちろん録音もおこなわれた。あとでアトランティック・レコーズの人が、ぼくたちの演奏テープはほかのだれのものよりもいいと教えてくれた。レコード会社は、本気でそれを発売したがっていた。しかし、ぼくたちはわるい演奏ではないが、それでも歌が得意でないロビーのマイクの音量がしぼられていなかったというミスがあり、基準には達していないと感じていた。(略)
『イージー・ライダー』のサウンドトラックの話は前に断っていたが、〈ザ・ウェイト〉が深刻な場面の緩衝材として使われていたせいで、新時代の開拓者というぼくたちのイメージがさらに強くなった(アルバートは、その曲を『イージー・ライダー』のサウンドトラック・アルバムに入れる許可さえ出さなかった)。
成功とドラッグ
ザ・バンドが『タイム』一九七〇年一月十二日号の表紙になったとき、ぼくはもう三十に近かった。
(略)
表紙を見て、ぼくたちは仰天した。爆発するような派手な色彩、ぼくたちを表わすひげを生やした五人の山男の絵。見出しは「カントリー・ロックのニュー・サウンド」。「長年のあいだ、一日十時間もの練習を重ねながら、彼らは南部とカナダの小さな街をまわり、一晩かぎりの演奏をつづけた。そのあと絶頂期のボブ・ディランの背後で目立たないバックを務め……ザ・バンドはいま、あのビートルズにひけをとらないすばらしい魅力とたしかな音楽的技術を持つグループとして脚光を浴びた」
(略)
リック・ダンコはつぎのようにいっている。「最初にもらった印税の小切手。あれだけでぼくたちの何人かは死にかけた。〈ジス・ウィール・オン・ファイヤ〉はヒット曲にならなかったが、何人かがレコーディングしたから、突然ぼくのところに数十万ドルが転がりこんだ。
(略)
ぼくたちのように一夜で百万ドルを手にしたことがある者でなければ、どういう感じかわからないと思う。そんなふうに金が入ったことで大勢の人がだめになっていくのを、死にかけるのを見てきたよ!(略)
まわりの人がおべっかを使ってすりよってくる。つまりほしいだけの薬をくれるってことだ。みんながただでぼくたちをハイな気分にさせたがり、ぼくたちのほうでもそういうふうに扱われて、いい気分になることもあった。大げさにいってるんじゃない。ほんとうにそういうことが起こったんだ。(略)いまでもおなじことが起こっていると思う。成功が人を破滅させるのを見るのは、つらいことだ。悲しいけれど、ぼくたちのバンドにもそれが起こった」
ウッドストックのいたるところに、ニューヨークのいたるところに、ヘロインがあった。どこにでもあった。ミュージシャンであれば、避けてはとおれなかった。「きみのために持ってきた」そういって大勢の人がぼくのところにやってきた。
(略)
このあとすこしして、ぼくもヘロインにのめりこみ、その状態が数年間つづいた。一度のめりこんでしまうと、コントロールをとりもどすのはむずかしい。しかし、最終的にはやめることに成功した。
分断。印税で亀裂
ロビー・ロバートスンが《ステージ・フライト》の時期を「暗闇」と称したことがある。ロビーはそのことばで、薬物依存とバンド解体の状況を表現した。(略)ザ・バンドの作品の権利の問題、そして今後のグループの進路の問題、それが[ドラッグより]大きな問題だった。
《ザ・バンド》のアルバムが発売されたとき、ぼくたちはソングライターのクレジットを見ておどろいた。(略)一枚目の《ビッグ・ピンク》のときは、それほどではなかった。ちょっと疑問に思うクレジットもないではなかったが、ぼくは長いあいだ抜けたあともどってきたばかりだった。だから意見をひかえた。
(略)
ジョン・サイモンはつぎのようにいっている。「当時は、それがふつうだった。グループであれば、そのなかのひとりが曲をつくったということになり、そのひとりの名がクレジットされた。そのほうがものごとが簡単に運んだ」
しかし、ぼくの考えでは、リチャード・マニュエルはザ・バンドのシンガー兼ソングライターとして重要な役割を果たしていたし、リックも数曲をつくっていた。それに、みんなでカリフォルニアとニューヨークであれだけの努力をしたあとなのだ。二枚目のアルバムのクレジットは、リチャード、リック、そしてぼくやガースを入れた分散したものになると思った。統括的な役割を果たした真の天才、ガースについては、とくにそう思った。(略)
ぼくは〈ジマイマ・サレンダー〉の共作者としてクレジットされていた。でも、それだけだ。リチャードは三曲で共作者になっていた。リックとガースはまったく名がなかった。ロビー・ロバートスンが十二曲すべての作者になっていた。
だれかがグループの和を乱そうとしていた。分断して征服せよ。昔から使い古されたやりかただ。
このあと、グループの共同作業のレベルは低下し、音楽づくりも停滞した。(略)
[バンドの共同作業でできたもので]ロビーひとりのものではなかったことを確認させた。ロビーとアルバートが残りの者に相談をせずに重要なビジネス決定をしていること、ふたりのところに金が集まりすぎていること、それについても文句をいった。音楽著作権が正当に分配されていない、だから訂正をするべきだ。
(略)
ロビーは、噂はほんとうだから心配することはないというようなことしかいわなかった。その噂とは、アルバートがベアズヴィルに芸術性を重視するスタジオをつくろうとしているというものだった。ロビーが、それを説明した。アルバートは、そのスタジオをぼくたちと共同経営しようと考えている。曲の印税の不公平は、そちらの計算とあわせて調整される。スタジオができれば、ぼくたちの場所ができて、つねにバンドとしての活動をすることができる。どこかの会社の不毛なスタジオで夜をすごさなくてもよくなる。ぼくはそれにひかれた。時間の制限なしに使えるスタジオ。
(略)
しかし、そんなふうにうまくは運ばなかった。
(略)
一九七一年夏には、アルバートの新しいスタジオ、ベアズヴィル・スタジオでつぎのアルバム《カフーツ》を録音した。(略)
[ザ・バンドと共同経営で]さまざまな音楽的試みを統括する場所になるはずだった。(略)[だが]ぼくたちがその夢にあずかることはなかった。
マイルスが前座
「その夏のハリウッド・ボウルのコンサートは(一九七〇年七月十日)、前座がマイルス・デイヴィスだった。チケットは売り切れていたので、前座候補のリストのなかから好きなのを選んでいいといわれた。ぼくたちはマイルスを選んだ。《スケッチ・オヴ・スペイン》が大好きだったからだ、わかるだろう?
(略)
マイルスの演奏が聞こえたので、ぼくは客席に行って聞いてみた。二万人の客は、マイルスの音楽にふるえあがっていた。彼のエレクトリック・バンドが放つ激しい炎、そのすさまじい攻撃にすくみあがっているみたいだった。マイルスは例の眼をおおいかくす大きなサングラスをかけ、客に背を向けて演奏し、会場全体を恫喝していた。
(略)
ぼくたちは、そのマイルスのあとに出ていかなくてはならなかった。そしてそれまでしたことがないぐらいひどい演奏をした
(略)
アルバートはこのふたりをロニー・ホーキンスのところからひきぬき、ジャニス・ジョプリンのバックにつけた。たいへんだった。ロニーがとうとうぼくたち一行をつかまえ、アルバートにくってかかった。「ちくしょう!おれからザ・バンドをとりあげただけじゃ足りないんだ、人でなしめ!(略)ひとりでバーをまわれっていうのか?今度はリッキーとジョンだ。こっちがいいバンドをつくるたびに、メンバーを盗むつもりか?」実際に殴りあうことはなかったが、ロニーとアルバートのあいだは険悪だった。
ワトキンズ・グレン
ニューヨーク州ワトキンズ・グレンの自動車レース場で開かれるフェスティヴァルに出演が決まり、高額の臨時収入にありつけることになったからだ。共演者は、オールマン・ブラザーズ・バンドとグレイトフル・デッドだった。
(略)
グレートフル・デッドは昼に演奏をし、ぼくたちは午後六時にステージに上がった。暑いー日のあと、ちょうど涼しくなりはじめた気持ちのよい夏の夕方だった。(略)
三十分ぐらいして調子が出てきたとき、リックが「来たぞ!」とさけんでフレットレス・ベースのストラップをはずした。雨粒がシンバルをたたき、ロビーとリックがショックをうけないよう楽器から手をはなして袖にかけこんだ。(略)
平らな岩に牛が小便をするときのような激しい雨が降りだした。最悪の事態を覚悟した。ワトキンズ・グレンもウッドストックとおなじ泥風呂に変わろうとしていたからだ。ぼくたちは待ちつづけ、ガースは同郷の友人にウィスキーを何杯かつきあっていた。そのときふいにローディたちが大きな声で何かいってあわただしくうごきはじめた。ガースがオルガン席に上がってひとりで演奏をはじめていた。それは、賛美歌の手法、シェープ・ノート、ゴスペル、J・S・バッハ、アート・テイタム、スリム・ゲイラードを混ぜたハドスン流の名曲だった。すばらしかった。大群衆も大喜びし、そして……雨がひっこんだ。(略)ダウジングの巨匠のガースが雨を止めたとしか思えなかった。ぼくたちはステージにもどってガースに歩調をあわせ、〈チェスト・フィーヴァー〉に突入した。ドラムの音を聞いたとき、五十万人が踊りはじめた。すごい光景だった!ぼくがすこしだけテンポを変えたときには、百万のひざがぐらつくのが見えた。ワトキンズ・グレン――それはいまでもぼくの記憶に強く焼きつけられている。
《ムーンドッグ・マチネー》
「ナイトクラブでやってた演奏を再現するのはどうだろう?」
だれがいいだしたのかは忘れたが、つぎのレコード《ムーンドッグ・マチネー》のアイデアはそんなようにして決まった。
(略)
《ムーンドッグ・マチネー》というタイトルは、アラン・フリードのロックンロール・ラジオ番組への賛辞だったが、同時にすべてがもっとシンプルだった十年前、トロントで十代の女の子たちのためにやっていた熱気に満ちた昼間のショーを指すものでもあった。
投資
《ロック・オヴ・エイジズ》の成功による著作権や印税の金、ボブとのツアーやそのレコードからの金など、そのころ大きな収入があった。(略)
[著者は反対したが、マネージメント・チームは税金逃れの隠れみのになる石油・ガス探査事業に出資し、結局、大失敗。著者が購入を提案した土地にはのちに銀行が建った](略)
あのことを考えると、いまでも腹が立つ。
ラスト・ワルツ
オリジナル・メンバー最後のツアー(略)を三分の二ほど消化したときだった。ロビーのところに息子が生まれた。そしてロビーは、家からはなれ飛行機に乗ってツアーをつづけるのがいやになった。たしかに、このツアーでは何度か飛行機がひどく揺れたことがあった。デイトン・ストラットンの悲劇的な[墜落]事故を知っているぼくたちは、ちょっと揺れただけで大きな不安を感じるようになっていた。
(略)
九月、演奏に脂がのってきたちょうどそのとき、テキサス州オースティンの近くでリチャードが船の事故にあって、首に怪我をした。しかたなく十回のコンサートが中止になった。ロビーが迷信深いことをいいはじめたのは、このときだ。
(略)
ぼくとロビーはあまり話をしないようになっていたが、ロビーがおかしなこだわりを主張しだして、溝はますます深まった。(略)
ロビーはいった。「なんか予感のようなものを感じる。つまり、こういうことだよ。何かが起こる、何かが……まちがっているという気がする。ぼくにはわからないよ、リー。一生ツアーをしていなくてはいけないのか?そのうちおたがいにたえられくなって、サム&デイヴみたいに楽屋でナイフをふりまわして喧嘩をはじめるのか?(略)でなきゃ、インク・スポットやミルズ・ブラザーズみたいになるのか?ある日コンサートをやろうとしたら、客がいうんだ。『うんざりだ。おまえら年寄りをもう百万回も見た。さっさと家へ帰ったらどうなんだ?』ってね」
「深刻に考えすぎてる」ぼくはいった。
「不吉なものを感じる」ロビーはおなじことをくりかえした。「もうぼくたちのつきは終わったんじゃないかって」(略)
もうたくさんだと感じたロビーはマネージメント・チームといっしょになって、ザ・バンドをつぶして終わりにすることにした。最初それを聞いたとき、ぼくは冗談だと思った。しかし(略)ロビーたちはすでに具体的な計画をたてていた。感謝祭のころに、ザ・バンドが初めて演奏をした土地、サンフランシスコで「さよなら」コンサートをやる。そのコンサートには、これまでぼくたちがいっしょに演奏をした人たちが――ロニー・ホーキンズからボブ・ディランまで――出演する。
(略)
ただひとつ問題なのは、ぼくはそんなものをやりたくないということだった。ザ・バンドを解体したくはなかった。
(略)
ぼくはいった。「残りのぼくたちがザ・バンドとしてツアーをつづけたいといったら?」
ロビーはすこし考えたあと、暗い顔でいった。「ぼくたちの力でそれを止めさせる」ロビーが「ぼくたち」といったのは、すでに大きな商売の話が進んでいるという意味だった。ロビーとマネージメント・チームがワーナー・ブラザーズに新しいレコード契約の話を持ちこんでいることは知っていた。(略)
これはぼくを怒らせた。「止めさせるだって。大きな会社が絡んでいるのはわかっている。だが、人の人生を勝手に決める気なら、ぼくの人生をいいようにする気なら、こっちも弁護士をつれてくる。(略)
おまえひとりでザ・バンドをやってるつもりかもしれないが、明日の十時、そうじゃないことを証明してやる。思いしらせてやる、おまえたちはすごく汚ないよ!」
「リヴォン、やめてくれよ……」
「そっちこそやめろよ。ほんとうは何が理由でグループをつぶしたいのか知らないが、迷信深いことをいって自分の命が惜しいからって、ぼくたちの音楽をとりあげて引退させるなんて最低だ。弁護士と会計士の全部を味方につけているのは知ってるが(略)これはまちがっている」(略)
[自分の弁護士に電話してみると]
ぼくの負けだといった。そして手短かにいった。「戦っても何も得られない。だからわたしの忠告はこうだ。契約どおりに何でもやれ、たとえそれが吐きそうなことでも、飲みくだして、げろを吐いて、さっさと逃げだすんだ。そのあと悪口をいえばいい。好きなだけやつらにいってやれ」
だから、ぼくはそのとおりにした。
次回に続く。