哲学においてマルクス主義者であること アルチュセール

哲学者たちの集い

 カントは動揺していた。一座はざわめいた。というのも、レーニンが支持した以上、闘いは最終的にレーニンのものだ。「君は書いてるじゃないか。哲学者はブルジョワジーの下僕だ、と」。これはまた違った意味で深刻な問題だった。というのも、ヴォルフとカントのあいだでは、ことは最終的に道徳問題にとどまっていたけれども、レーニンにとっては政治問題だったからである。おまけに社会階級が記憶か忘却の地平に現れると、様々な情念が解き放たれてしまう。しかし人々が信じるのとは反対に、レーニンは孤立していなかった。大マキァヴェッリの登場である。歴史は彼に、真実を述べた廉で呪いの言葉を浴びせてきた。その彼が下層民を擁護して、その場の誰にというわけではないが、権力が階級闘争以外のものに依拠していると証明してみよ、と挑発したのである。するとホッブズも発言し、自分は誰からも忌み嫌われてきたが、それは『リヴァイアサン』でブルジョワ独裁の理論を作ろうとしたからである、と述べる。次はスピノザの番である。魚は共食いをする。いちばん大きい魚がまずそうする。悲しみの情念に支配された人間もまた、一種の魚であろう。マキァヴェッリホッブズという先人のおかげでものの分かったスピノザは、単刀直入に言う。「同類を嫌うのはつねに同類であるということに、みなさんはお気づきでないのでしょうか。哲学においても同じでしょう。はじめるのはいつも同類です。憎しみのなかで語っているのは政治です。有力者と金持ちたちに対する憎しみです」。ルソーも発言した。彼もまた好ましからざる人である。社会の起源に言及する。さらに、金持ちが貧乏人にサインさせて、貧乏人を服従させる詐欺的契約の話をする。「哲学者はなにをしているのか。彼らは権力の司祭だ」。ヘーゲルがようやく口を開き、指摘した。当然のことながら『法哲学の原理』を引き合いにだす。ご存じかね、富の膨大な蓄積には、貧困の蓄積がともなうのだよ。

大衆的哲学

カント自身、三批判書においてテーゼを厳密に提示する形式を選んだあと、大衆的哲学というジャンルを試みた。しかし首尾よく行かず、哲学は大衆的叙述に対し特殊な抵抗を示すと結論づけることになるだろう。
(略)
脚註*3 カント『人倫の形而上学の基礎づけ』、「まず純粋理性の原理にまで首尾よく上りつめたなら、その後、大衆的概念に下りてくることも文句なしに称賛に値する。そのように進めるということは、まず教義を打ち立て(略)次に、その打ち固められた教義を通俗化して手が届くようにする、ということだ。(略)
思考の深さをすべて諦めさえすれば、人間にとって共通のものを理解してもらうことになんの困難もない。しかしそのときには、雑然とした観察と半ば筋道だった原理が綯い交ぜになった反発を生む。空っぽの頭の持ち主どもがそれを餌食にする。なぜなら、そこには日々のおしゃべりのたねになるものがあるからだ。洞察力のある人々には混乱しか見いだせないだろうが。

再び、哲学は無からはじまる

 哲学が絶対的はじまりをもつことを要求する伝統に真っ向から対立して、哲学は絶対的はじまりをもたない、したがってなにからはじまってもよいし、なにからでもはじめるべきでさえある、と宣言するもう一つの伝統がある。
 それがヘーゲルの哲学原理である。それは任意のものから出発して哲学しはじめ、究極的には、『大論理学』のはじまりに見て取れるように、もっとも漠然としてもっとも空虚な観念である存在からはじめている。存在はヘーゲルの示すところでは、無媒介に無と一致することを自ら明らかにする。存在はなにものでもない。つまり哲学においては、虚無から、無からはじめることができるし、はじめなくてはならない。ヘーゲルは同じ操作を『精神現象学』において繰り返している。彼はそこで、私に現前するもの、私が知覚するもの、なんでもよいもの、「これ」、私が今ここで見ている「これ」からはじめている。その上でヘーゲルは、そのように今ここで知覚されるものは抽象的一般性にすぎないことを証明していく。それはなんでもよいのだから、なんでもない、というわけだ。再び、哲学は無からはじまる。この考え方を、レーニンは『哲学ノート』で取り上げている。ヘーゲルを注釈しつつ、レーニンは書いている。なんでもよいもの、一粒の砂、一枚の葉、一つの商品、要するに「もっとも単純なもの」が哲学全体と弁証法全体を含んでいる。すなわち全世界の最終的真理を少なくとも潜在的に含んでいる。レーニンはそこから、『資本論』におけるマルクスの叙述様式について、私の考えでは間違った結論を引き出している。
(略)
マルクスに戻って言えば、またより一般的に唯物論哲学について言えば(略)この哲学のもっとも深い要請もまたなんでもよいものからはじめることであるものの、そこにプラスアルファの要請が加わっている点が目を引くからである。なんでもよいものが、動いていなければならないのだ。対比としてこう言ってよいだろう。他の哲学は始発駅で列車に乗る。そこで乗り込み、終点に着くまで乗っている。ところが唯物論哲学はつねに、走っている列車に乗るのである。
 譬え話のようなこの対比は、深い哲学的意味をもっている。というのもそれは、他の哲学にとって哲学のはじまりは実際には見かけだけのはじまりにすぎない、と言っているからである。絶対的とされるはじまり(コギト、感覚的なもの、理念、等々)は、それに先行するカテゴリー体系のなかにあらかじめすでに書き込まれているのである。

デカルトの機械論

哲学は実際、少なくとも観念論哲学の場合、科学について哲学することがこのうえなく好きである。そして、それほど情熱を傾ける理由を、科学の対象は有限ではなく無限であるという幻想に見いだしている。これが具体的に意味するのは、観念論は科学から――科学の理論、概念、結果から――実在する対象全体に例外なく自らを広げる野望を汲みだす、ということである。この野望がはじめて表明されたのが17世紀初頭、物理学者ガリレオによってであったという点を見ておく必要があるだろう。彼は「自然の大いなる書物は数学の記号で書かれている」と書いた。デカルトはこのテーゼを反復し、そこに、あらゆる現実にかんする一般機械論の形式を与えた。すなわち、あらゆるものは部分に分割できるように作られているというのである。(略)
周知のように、デカルトはそこから動物機械の理論を引き出した。当時作られていた自動機械をイメージしながらである。彼はさらに、機械論を一般化させれば医学と道徳にかんする決定的な帰結が生みだせると期待していた。道徳は彼の目には医学の一分野であった。これらのことはこの哲学者の想像力を語って余りあるだろう。ライプニッツはこの想像力を批判して、デカルトの物理学は「小説」であると言ったが、その同じライプニッツデカルトの機械論に、神々しい形式主義によって尾ヒレをつけた。精神を、デカルトの「考える魂」よりはるかに完成されたなにかに仕立てたのである。ライプニッツの定義によれば、精神が「自動機械」のようなものである。

「すべて」とは

 ではこの「すべて」とはなにでありうるのか。観念論哲学にとっては(略)「すべて」とは存在する現実の総体である。世界、私、神、そして哲学のために付け加えれば、哲学自身である。(略)
「すべて」が無限であれば、このテーゼは観念論哲学に大きな困難を突きつける。我々の「生、言葉、運動」(聖パウロ)の場であるこの世界は、明らかに有限だからである。そこで観念論哲学には、無限〈存在〉と有限存在のあいだの媒介を考えだす必要が生まれる。有限のなかに無限を化肉させる媒介である。これは絶対的な理論的必要性であり、例えばプラトンにおいてはデミウルゴスの理論がそれに応え、デカルトにおいては創造の理論がそれに応える。永遠の真理の創造を含む創造である。一般的には、キリスト教系哲学者においては、化肉の理論がそれに応える。この理論は、無限を有限そのもののなかに(キリストとその後継代理人たちのなかに)実在させるという利点を示す。ヘーゲルの場合は少し違う。彼の認めるところでは、無限とは有限の有限自身に対する反省にほかならず、彼の哲学はこの反省の高次の例である。本質的な点で同じテーゼをハイデッガーに見いだすことができる。〔彼においては〕存在と存在者の差異が無限(あるいは定義不可能、言表不可能)と有限(あるいは定義可能、言表可能)の媒介役を果たすのである。けっして除去できず、つねに連れ戻されてくる同じ困難は、死にかんしても認められる。観念論的思考はそこに根づくのである(プラトンからカントを経てハイデッガーにいたる)。
(略)
いずれにしても次の点を記億にとどめられたい。観念論哲学はすべてにかんする真理を述べると言い張らずには存在しえないのである。すべてが無限であるとき、観念論哲学がいかなる帰結に晒されるのかは見た。すべてが有限であれば(あるいは、無限を統制する無限精神によって思考可能な無限であれば。ライプニッツの神のように。無限精神は無限を統制することにより、無限を実質的に計算可能にする)、また別の出口が目前にある。哲学によって思考されるすべてが有限であれば、そのときすべては数えられるのである。すべての結合関係は証明され、解析され、開陳されることができる。すべては徹底的に部分に分割されることができ、それにより分類されることができる。
 我々はここで、観念論哲学のもう一つの大きな伝統を再発見している。形式主義的ないし分類学的伝統と言っていい伝統である(略)。分類による支配への偏執は長い歴史をもっている。二による分割つまり二分法のプラトン的手続き(略)以来、アリストテレスの分類(略)、デカルトの区別、ライプニッツの普遍記号法、それが開始した形式主義の伝統すべて(略)を経て、レヴィ=ストロース流の構造主義分類学にいたる歴史である。
(略)
しかしまたしても詐術がある。自己流哲学の歓喜に酔ったレヴィ=ストロースが「秩序の秩序」と呼ぶものを構成しようとする哲学的野心である。そして、副次的秩序すべてを包括して、自分は自分が設定する秩序のなかに包括される秩序。より巧妙な詐術――ライプニッツの普遍記号法の夢に遡る――は、この秩序が独りでに秩序づけられ、独りでに配置され、さらにそれぞれの存在に場所と機能を割り振った結果、秩序が支配を保証される、とするところにある。
 唯物論の見かけ(主体なき過程)をもったこの視座のなかでは、機能主義と構造主義の双子の野心が結合している。

スピノザヘーゲルマルクス

 歴史的には、認識とその対象の差異を保存しながら無化するために、もう一つ別の驚嘆すべき理論が提出されたことがある。スピノザの平行論である。スピノザにとって、あらゆる現実は唯一の実体により構成されている。神すなわち自然であり(逆説的なことに、神はスピノザにとって、神から発する自然と同じものである。敵である神を自分の陣営に取り込むとはなんという政治的巧妙さ!)、それは無限個の属性をもっている
(略)
 ヘーゲルにも似たものが見いだせるが、ヘーゲルスピノザをもっとも偉大な哲学者だと考えていた。実際、ヘーゲルには認識の理論がなく、スピノザにおける認識の種類に相当する意識の「形象」があるだけである。また、スピノザにおけるのと同じように、認識(意識)とその対象のあいだの差異の承認と、その差異を無化すべしという要請の両方が見られる。無化はある労働全体、「否定的なものの労働」の結果である。この労働は弁証法に第一の役割を与えており、同時に哲学史においてはじめて、弁証法を形式的にではあれ労働として定義している。
(略)
ヘーゲルにおいては、連続する各段階は先行する段階の「真理」である。それが意味するのは、先行する段階はすでに「即自的に」後続の段階を含んでおり、後続の段階は先行する段階が「即自的に」そうであったものに「対自的」になる、ということである。
 差異を無化するこのやり方は安易であると認識すべきだ。端的に同語反復的であり、あらゆる結果はあらかじめ前提ないし原因のなかに含まれており、つまるところ差異の認知は偽装(またしても!)にすぎない。実はすでに永遠の昔から無化されていたのに、提出するふりをするのである。それゆえ、ヘーゲル哲学のなかではまったくなにも起きないと言える。起きているのは弁証法と呼ばれる形式変化のみである。弁証法とは形式や形象の変化の論理にすぎないのに、ヘーゲルはそれを絶対的論理とみなし、それについての科学を書いた(『大論理学』)。理性の、共通論理の、汝と我の弁証法である。科学は悟性論理のレベルに格下げされ、そこに隔離されて抽象化される。つまり、ヘーゲルにはスピノザより大胆で一貫した試みがあるように見えるものの、実際にはスピノザ以前に後退しているのである。科学の「労働」を捉える仕方、対象とその認識の差異を捉える仕方にかんしてである。この捉え方は世界の宗教的把握へと我々を連れ戻す。すべてを摂理、神の計画と目的に依存させ、これから生起するであろうことの認識をアプリオリに神に委ねる。そんなことができるのは、世界を作ったのが神だからであり、世界においては神がすべてをなしているからである。人間に事物を認識させているのも神である。距離も差異もない適合としての認識、いかなる労働も必要としない認識、労苦もリスクももたらさない認識。
(略)
 差異の捨象(スピノザ)にも弁証法的労働の目的論(ヘーゲル)にも振れない首尾一貫した捉え方に達するには、マルクス主義唯物論を待たねばならなかった。
(略)
 彼はあらゆる権利問題を(たんなる沈黙により)退けることからはじめる。観念論的な認識の理論を認識の理論へと構成する問題を、である。スピノザがなんの注釈も付さずに「我々は真なる観念をもっている」(数学の観念)と記し、《homo cogita》と断じたように(「人間は考える」。これが彼をデカルトの「我思う、ゆえに我あり」から決定的に分かつ。スピノザは人間が考えるという事実から、存在にかんしてはなにも引き出さない。カントが彼の批判的省察の全体を要約して「理性の行い=事実」を語ったように。彼らと同じように、マルクスは認識が存在するという事実について語る。科学的である認識もそうでない認識も、彼にはまず事実として存在する。事実から出発するとは(スピノザにおいてもマルクスにおいても)、むろん、権利問題(様々な能力が与えられた人間は、なにを認識することができるのか)を拒否することである。
(略)
それを退けることにかんしては、マルクスには曖昧にしてはならない信念がある。事実の優位と権利の派生的性格を承認するのである。事実にかんしてあらかじめ法的問題を立てる可能性を捨てるのだ。事実の真理性についてさえ。
 否定的ではあるが非常に肯定的なこの基礎のうえで、マルクス主義的な唯物論理論は展開される。

ガリレオデカルト、カント

デカルト[*14]はガリレオに対し、はっきりした観念をもたずに自然を迎えに行くと非難した。言い換えると、デカルトは〔ガリレオとは〕また別の観念を自然に対し抱いていた。ライプニッツが「小説」だと言って非難した観念である。カント[*15]は反対にガリレオを、自然に対しよき観念をもっていると称えた。その観念から引き出された問いを自然にぶつけ、検証した、と。とにかくそのようにしてあらゆる科学は進む。
(略)
*14 デカルト「(略)ガリレオはたえず脱線し続ける。立ち止まって一つのテーマを完全に説明するということがない。つまり彼はそれらを秩序立てて検証することをまったくしなかったのである。彼は自然の第一原因の数々を考察することなく、ただいくつかの個別の結果についてその理由を探ったにすぎない。かくて彼は基礎工事なしに建築した」。
*15 カント(略)「ガリレオが傾いた平面のうえで彼の天球儀をしだいに早く、彼の意志が決める重力に合わせて回転させたとき(略)それはあらゆる物理学者にとって光明となる啓示であった」。

次回に続く。