生命に部分はない アンドリュー・キンブレル

1995年に『ヒューマン ボディ ショップ』、2011年に『すばらしい人間部品産業』と改題されて出版された本の改訂版。

生命に部分はない (講談社現代新書)

生命に部分はない (講談社現代新書)

 

まえがき

人体を商品化

 これまで人間は500年にわたってこの地球上のあらゆるものを囲い込み私有化し商品化してきたが、その最終局面として「人体」をテクノロジーの対象とし商品化するにいたったのである。われわれはこの惑星のかなりの土地を私物化し、生態系をまるごと商業的な財産に転化してきた。海洋資源についても同様である。大気すらこれをとらえて通気管を通して運び、売買したりリースしたりする市場ができている。そしていまや、人体そのものに手をつけ商品化しつつある。
(略)
[著者]は非常に詳細な記述によって、個々の新しい技術とそれに付随する金もうけのからくりを解説しつつ、市場が着実に人体を侵しつつあることをみせてくれる。いまこうしているあいだにも、いくつもの巨大企業が人体に群がって、利用できるありとあらゆる臓器、組織そして遺伝子をことごとく地上げしつつあるのだ。
 人体そのものを植民地化したということは、近代資本主義の歴史における一つの偉業であり、人間の精神のなかのタブーを解体する過程における終章であるということなのだ。

規制されないバイオテクノロジー

かつてない影響力を有しているにもかかわらず、バイオテクノロジーに関する政策立案者たちは、正式な選挙で選ばれたわけでもなければ、一般市民を代表しているわけでもない。技術をめぐる問題を左右するのは、民主的な政策決定プロセスでも市民の投票でもない。むしろ、生物学革命を操っているのは、研究者や官僚、医師、ビジネスマン、科学者、判事などで構成される、無計画に組織されたグループである。たいていの場合、彼らの決定は、不可解なお役所的規制や、ほとんど市民には説明されぬままに進められる企業や取締役会の判断、あるいは、地方裁判所や連邦裁判所の意見から導きだされている。
(略)
新時代の生物学を規制し、制約を設けるべき今日の政策立案者たちは、広がりつづける生物学革命を適度に制限する方向へと社会を導けていないし、導こうとも考えていない。バイオテクノロジーの最前線にいる人びとは、その技術が社会にもたらす事態に正面から対応すべき確固たる見通しをもちあわせてはいない。
(略)
 いわゆるバイオエシックス生命倫理)を標榜する人たちでさえ、多くは生命の操作や売買の新展開に対して、それがどれほど疑わしいものであっても、ノーといえる強さをもちあわせていないように思える。そうした倫理信奉者たちは、ヒトの胚のクローン化や、ヒト遺伝子の動物への無制限の導入、胎児組織の規制なき利用といった、議論の余地がきわめて大きい先進技術にさえも賛成している。

血液の商品化

M・D・ラボラトリーズ社は、血液中にお金になる抗体をもっている供血者を見つけようと広告を出しているわけである。こうした抗体は、受動ワクチンとして使われたり、病気の診断薬として利用できる。狼瘡やA型肝炎の抗体保持者には、M・D・ラボラトリーズ社から採血一回あたり50〜200ドルが支払われる。(略)
 非常にまれな血液供与者には、さらに好条件が待っている。有名な例はテッド・スラビンの血液である。スラビンは血友病患者で、1950年代の中頃B型肝炎を患った。(略)
検査の結果、彼の血液中には驚くべき高濃度のB型肝炎ウイルス抗体が検出されたのである。この検査結果の意味するところが、スラビンにはすぐに理解できた。自分の血は、B型肝炎の診断薬を血漿からつくっている企業にとって、また血液由来の病気を研究している人びとにとって、非常に貴重なものであると。彼は自分のこの珍しい血を売る商売をはじめた。営利企業には1パイントあたり6000ドルで、また非営利的な肝炎研究者には無償で供与した。ほどなくスラビンは血液企業家として、自分の血液をはじめとした珍しい血液を販売する会社、エッセンシャル・バイオロジカル社を設立するまでになった。(略)
 血液を集めて買い上げ、血液製剤を売る営利的な血液企業はアメリカだけで400社以上にのぼっている。
(略)
血液の商品化が進むにつれ、血液の法的定義、さらには人体そのものの法的定義に関して今後困った悲喜劇的な事態が出現することが予想できる。その好例として、1980年国税庁がマーガレット・クラマー・グリーンを相手取って争った訴訟事件がある。
[グリーン夫人は珍しい型の自分の血液を自宅から20マイル離れた会社で数年間で計95回供血、7000ドルを得たが、夫人はこのうち2355ドルは必要経費として控除されるべきと主張]
控除の内訳として、自分のからだの金属資源と抗体の損失、セロロジカル社への行き帰りの交通費、医療保険代、薬代、特別な食事代などがあげられた。(略)
審判所はまず第一に血液は物品であると裁定した。そしてグリーン夫人は事実上、彼女は生産物である血液の「工場」であり、かつ「貨物車」であるとした。そして夫人は雇用されていたのではなく、むしろ「販売業者へ製造者が生産物を売る、あるいは生産者から加工業者への通常の商売を行っていた、とみなされる。事実、実体をもつ売るべき商品がある価格で手渡され、パイントあたりの値段で支払いが行われていたのである」と、認定された。(略)
審判所は、「この件では(グリーン夫人が)ユニークな製造装置である」として高タンパク質の食事代にかかった経費を商品製造にかかわる必要経費であると認定した。[交通費も必要経費と認定された]
(略)
法律上でも人間のからだは単に、新しい、お金になる医学的生産品の「工場」、もしくは「容器」とみなされるようになってしまったのである。

臓器売買

反対論や禁止令にもかかわらず、何万もの臓器が世界中で売買されている。インド、アフリカ、ラテンアメリカ、東ヨーロッパなどでは臓器売買が許されている。食事や家、借金の返済、さらには大学の授業料を得るため、人びとは臓器を売るのである。1991年現在、エジプトでは臓器が一万から一万五〇〇〇ドル、もしくは同額の電気製品と引き換えに売られている。インドでは、生きた提供者からの腎臓は一五〇〇ドル、角膜は四〇〇〇ドル、皮膚一切れ五〇ドルが相場である。インドやパキスタンでは、腎臓病の患者で、近親に腎臓提供者がいない場合、新聞に最高四三〇〇ドルの買い値で「求腎」広告を出すことが許されている。
 近年の調査によると、インドで臓器を売る人の大部分が低所得者であり、彼らにとって臓器を売って得た金額は一生涯に稼ぐ額よりも大きくなるという。腎臓を売って中規模の喫茶店を聞いたある提供者は、「この額なら片方の眼か片腕だって売ってもいいです」と語った。夫が職を失ったので腎臓を売ることにした二児の母親は、「私に売れるものがそれしかなかったんです。いまでも自分の腎臓に感謝しています」と語った。(略)
ムンバイの臓器バザーは、「金持ちのアラブ人たちで混み合っており、彼らは腎臓をいくらであっても買って、近くの入院費一日二〇〇ドルの医院か病院でそれを移植してもらう」という。
(略)
 一九九六年には、中国からの亡命者がアメリカ議会の公聴会に証人として立ち、「中国政府が死刑囚の臓器を日常的に売っていた」と証言した。こうした臓器の移植を受けたのは、中国政府や軍の高官のほか、日本人やアメリカ人などの外国人や、香港在住者だったという。
 かつては中国公安局の一員で、現在はロンドンで亡命生活を送っている高培祺氏は、「中国では刑務所と病院が密接に連携していて、移植の必要にあわせて死刑執行の予定を組むことができる」と証言している。
(略)
臓器販売業者が特に熱心に利用しようとしているのが、自然災害である。
 たとえば、二〇〇四年のインド洋津波は、インドの不法臓器ビジネスにとっては夢が現実になった瞬間だった。多くの人が突如として家を失った結果、臓器ハンターたちは俄にありあまるほどの腎臓を手に入れられるようになったのである。そのうえ、政府は大災害への対応に忙しく、臓器ブローカーを効果的に取り締まることができなかった。
(略)
倫理学者ウイリアム・メイは次のように説明している。(略)
もし私が南北戦争のときに認められていたように徴兵免除を金で買えば、市民であることの意味を堕落させることになる。もし私が子供を買ったり、売ったりすれば、親であることの意味を堕落させることになる。もし私が自分自身を売れば、人間であることの意味を堕落させることになる。

生ける屍

脳の高次機能だけを失った患者の多くは、臓器の供給源として長期間そのままの状態を維持できるという利点がある。(略)
[自発呼吸ができ、脳死患者のように]人工呼吸装置もいらないので、ネオモートとしてずっと容易に保有できる。(略)
国内のあちこちの病院で息のある何千ものネオモートが、生きた臓器銀行として臓器供与や研究のために使われるといった未来の一場面に対して、多くの人が反対を表明している。
(略)
倫理学者デイビッド・ラムは次のように述べる。
 いまだ息がある死体と言う考え方は、倫理的に受容しがたい。たとえば、それをどう葬ればいいのか。
(略)
ある有名な移植専門家は次のように述べている。
 脳の高次機能の停止を死とする定義に私は反対である。というのもこれは危険な坂道に通ずる第一歩になるからだ。もし高次機能の喪失を死と同一とみなすなら、高次機能とはどの高次機能のことだろうか。いずれかの大脳半球の損傷をいうのか、両方をいうのか。もし半球の一つとするなら、言語をつかさどる優位なほうの半球をいうのか、それとも情感をつかさどるもう一方の半球をいうのか。
 新生児の専門家であるジャクリン・バーマン博士も、子供の死について同じような懸念をもっており、無脳症児が自然死する以前に臓器供給源として使われることに反対している。(略)もし短い寿命しかない赤ちゃんと脳に重度の障害をもつ赤ちゃんがすべて潜在的な臓器供給源とされるなら、水頭症、第四型脳内出血、第13、第18トリソミーなどの小児患者はすべて含まれてしまうと、バーマン博士は憂慮している。

卵子提供

大学の看護学生で、卵子提供者となった一人は次のように語っている。「もしお金がもらえないのなら他人のためにこんなこと絶対しないわ」。別の提供者で、自分が卵子を売ったことを「非常に信心深い」家族に隠しているある女性は、このように告白した。「勉強を続けるためにお金が必要だったのです」。
(略)
 お金につられて卵子提供プログラムに入ると、多くの卵子提供者たちは身体的搾取に直面することになる。(略)
当時、卵子提供者には採取につき1500ドルが支払われていた。ケイティは卵子提供に先立って必要な四週間のプログラムを開始したが、この操作で起こりうる危険を知らされることもなく、同意書にサインすることもなかった。このプログラムでは、毎日大量のホルモン剤パーゴナルとメトラディンを自分で注射して卵巣を刺激することになっていた。血液検査、骨盤検査、超音波診断なども、たびたび受けなければならなかった。
 三週間目まではすべてが順調であった。しかし四週間目に、病院の医師がケイティの卵巣に嚢腫が発生しているのを見つけた。先にも書いたように、嚢腫は大量のパーゴナル投与の副作用としてよく起こるものである。病院はケイティから15〜20個の卵子を採取して他の女性に移植しようと計画していたが、嚢腫が卵巣をふさいでしまった。嚢腫が見つかった後、ケイティはプログラムから外され、しかも一銭も支払われなかった。ケイティは落胆した。「私は彼らの言うことをすべて行ったあげくに、ゴミ捨て場に投げ捨てられたようなもの。不要になった実験用ラットのように扱われました」。

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