ポール・マッカートニー 告白

ポール・マッカートニー 告白

ポール・マッカートニー 告白

親たち

これは僕なりの見方なんだけど、ぼくらの親たち世代は、ようやく第二次世界対戦から立ち直ろうとしていた。リヴァプールじゃみんな、爆撃を受けていたからだ。だから彼らは今度こそ楽しんでやろうと思っていた。絶対に楽しむ決意でいたというか。そしてああいう前向きな歌にしがみついていた。どれだけ貧乏の家でも、たいていはピアノを工面していたからね。(略)戦争の思い出を消すために、みんな、前向きな曲を求めていた。そしてぼくは、そんななかで育ったんだ。

〈ペニー・レイン〉

全市にめぐらされたバス路線の終点から着想を得た、1967年の〈ペニー・レイン〉(略)
「実際にはバスに乗ろうと思ったら、もどっていかなきゃならなかった。バスはいつも満員だったからだ。だから停留所を10個ぐらい逆もどりしていた。(略)バスの始発が出るピアヘッドまで歩いていたんだ。ぼくは街を通りぬけながら、ありとあらゆるものに目を留めていた」
 〈ペニー・レイン〉を書く動機になったのは、そこからさほど遠くない、草木の生い茂る避難所を讃えたジョンの〈ストロベリー・フィールズ・フォーエバー〉を、下書きの状態で聞いたことだったのかもしれない、と彼は考えている。早くも1965年の段階で、ポールはこの通りの名前を曲のタイトル候補に考えていたが、それはジョンが〈イン・マイ・ライフ〉の初稿――ノスタルジックなリヴァプール紀行の形態を取っていた――に、この地名を使っているのを知ったことがきっかけだった。

父親の時代の曲

 「あれ[〈ホーム〉『キス・オン・ザ・ボトム』収録]は父親の時代の曲だけど、ビートルズをはじめるちょっと前に、よくインストゥルメンタルにして弾いていた。コードが好きでね
(略)
 そうさ、実際にぼくらが聞いて育ったのは、あの時代の曲なんだ。(略)
ぼくが知り合ったとき、ジョンがお気に入りだったのは、「瞳を閉じて、きみの頭をぼくの肩に乗せておくれ……」[〈クローズ・ユア・アイズ〉1933年]という、すごく30年代、40年代っぽい曲だった。それともうひとつは〈リトル・ホワイト・ライズ〉[1930年](略)
 それで彼と仲良くなりたいと思ったんだ。うん、ぼくもあの曲は好きだ、と思ってね。彼はよく「オレはこの曲が好きなんだ、あと、あの曲も」と言ってた。
(略)
[ロニー・ドネガンでスキッフル・ブーム]
ギターを手に入れたら、あとはコードをふたつぐらい覚えるぐらいでいい。やるのはブルースだったからだ。それとだれかがリズムを取る、洗濯板を調達しなきゃならなかった。それもできたら金属製の。ガラスのはあまり音がよくなかったからだ。おもしろかったよ。だって母親や年寄りのおばさんに、洗濯板持ってない?と訊いてまわったりしてたんだ。「ああ、そういえばエセルおばさんが持ってたわ。物置にあるはずよ」。それと茶箱のベース。だからすごく安くついた。

Close Your Eyes

Close Your Eyes

  • Ruth Etting
  • ポップ
  • ¥150
Little White Lies

Little White Lies

  • Annette Hanshaw
  • ポップ
  • ¥200

ジェリー・リー・ルイス、B面

ぼくらがジェリー・リーを好きだったのは、カントリー・パフォーマーのきわめつけって感じだったからだ。ぼくは〈陽気にやろうぜ〉が好きだったし、ぼくらはほかに、〈ユー・ウィン・アゲイン〉みたいなスローなカントリー調のB面曲も好きだった。(略)
物真似なら、ほかのバンドのほうがうまくやれる。(略)だったら裏口にまわってB面を覚えたほうがマシだろう、という話になったんだ。連中はB面なんて気にしてないから。
 これがだんだん、ビートルズの決まりみたいになってきた。[出番が先のバンドに自分たちのオハコをやられて嫌になり](略)
 それでぼくらは別のルートを探しはじめた。ベギー・リーの〈ティル・ゼア・ウォズ・ユー〉は、そうやって行き当たったレコードだ。とにかくメロディが気に入ってね。(略)
 ぼくらはボ・ディドリーの〈クラッキン・アップ〉とかチャック・ベリーの〈ハバナ・ムーン〉みたいなB面曲を探しはじめた。それとジェームズ・レイの〈イフ・ユー・ガッタ・メイク・ア・フール・オブ・サムバディ(恋の傷)〉――この曲はだれも知らなかったし、ロック・バンドがワルツをやりはじめたときの、連中の唖然とした表情はぜひ見ておいてほしかったな。音楽をやってるやつらはみんな、「ありゃなんだ?」となってたからね。
(略)
[ハンブルクでは時間稼ぎで]
適当に曲をでっち上げたり、〈テキーラ〉みたいな曲のばかばかしいバージョンをやって――「デ・デ・デ・デ・デッデ・デ、ニッカーズ〔*パンティ〕」――笑いを取ったりしていたんだ。

Till There Was You

Till There Was You

  • ペギー・リー
  • ヴォーカル
  • ¥150
Crackin' Up

Crackin' Up

  • BO DIDDLEY
  • ロック
  • ¥150
If You Gotta Make a Fool of Somebody

If You Gotta Make a Fool of Somebody

  • James Ray
  • R&B/ソウル
  • ¥150

謎のスプーンおばさん

どこのタレント・コンテストに出ても、ぼくらは負けつづけた。とにかくぜんぜんダメだった。
 いつもてんでイケてない相手に負けてたんだ。毎度のように、スプーン鳴らしの芸をやる女に。これはリヴァプールでのことで、判定が下る11時半ごろになると、みんなすっかり酔っぱらって、「いけいけエドナ!」って感じになる。チンチリリン。いや、たいした女だったよ。ぼくらはいつも、このおばさんにボロ負けしていた。たぶん、あのロクデナシ女はぼくらのことをつけまわしてたんだと思う。「ビートルズは今週、どこに出るの? わたしが負かしてやるわ。向こうの手の内はわかってるから」ってね。

キャヴァーン

あそこはビートルズ初期のレパートリーを形づくる、培養地のような役割を果たしてくれたし、チーズロールをパクつき、コカコーラをがぶ飲みし、セメント・ミキサーズだのなんだのと名乗る常連客のために、〈ショップ・アラウンド〉とか〈サーチン〉とかの曲をリクエストする紙切れをステージに送ってくる客たちがいる、汗臭くて湿っぽい空気のなかで友人たちと一緒に過ごした日々のことを思うと、ぼくの心はいつも大きな愛でいっぱいになるんだ。

ジョンとヒッチハイクでパリ旅行

なにかギミックが必要だということになって――ふたつの小さな頭が空まわりしてるところを想像してほしい――ぼくらはレザージャケットに山高帽をかぶり、その格好でスーツケースやズタ袋を持ち歩いた。黒のレザージャケットに山高帽をかぶったふたりだよ!そのふたりなら、トラックの運ちゃんだって、どういうことなのか知りたくて車に乗せてくれるに決まっている。ぼくらはそうやってパリに行き着き、最高に楽しい時間を過ごした。

キンクス

キンクスと共演したこともある。ちょうど〈ユー・リアリー・ガット・ミー〉が出たばかりのころだ。つまり、歴史の現場に居合わせたってことさ。ヘンドリクスが登場したときと同じようにね。いやもう、すごく興奮したよ。あの曲はいまだに最高だし。観客に見つからないように、全員、頭を低くして最前列まで出て行ったのを覚えている。

最初からずっと大人っぽかったリンゴ

[映画ではコミカルなマスコット的存在として描かれているが]
最初はバーボンのセブンアップ割りだった。ぼくらのなかじゃいちばん世慣れたリンゴが飲んでいたからだ。彼はいつだってそうだった。ラークのたばこみたいなアメリカっぽいもののことは、なんだって知っていた。でっかい車も持っていたし。あの暮らしぶりからすると、リンゴはGIだったとしても不思議はない男だった。フォードのゼファー・ゾディアックに乗ってたんだ。信じられないよ。こっちはみんな、ちっぽけな車しか持ってなかったのに。
 リンゴは年上で、バトリンズで仕事をしたこともあった。ヒゲを生やしていたし、スーツも持っていた。すごく世慣れた感じがして、ジャック・ダニエルズとかのバーボンを飲んでいた。バーボンなんて聞いたこともなかったから、それでぼくも「同じのをもらうよ」と言ったんだ。バーボン&レモネードがお気に入りの飲みものになり、それがスコッチ&コークに変わった。たぶん、バーボンが飲めなかったときに。たしか、リンゴがオーダーするのを聞いたんだと思う――「バーボンがなければ、スコッチをもらおう」って。
 彼は大人だった。リンゴはね。最初からずっと大人っぽかった。もしかすると3歳ぐらいのころから、もう大人っぽかったんじゃないかと思うよ。(略)
 最初に吸ったのはピーター・ストイフェサント。これもやっぱりアメリカのたばこで、外見がとてもクールだった。「知らないのか?これはニューヨークを発見した男の名前なんだ」。ほんとに?「ああ」。すごく洗練されていて、二枚目っぽい感じがする。「きみも吸うかい?」
 で、たばこをポンと取り出す。知ってるかな、あのポップアップ式のたばこ?(略)
簡単に出せるんだ。全部がすごくアメリカっぽい。
 リンゴは女の子とたばこを吸っていると、2本いっぺんに火をつけるような男だった。そういう、手練手管の持ち主だったわけでね。チャーミングなロクデナシ野郎と言うか。

ビートルマニア

よく「怖くなったんですか、ほら、あの狂乱状態が?」と言われるけど、ぼくらはとくに怖がってなかったと思う。(略)
あれは好意的な狂乱状態だった。拍手喝来となにも変わらない。それに時には、そのおかげで助かることもあった――音をはずしてたり、あんまりうまくうたえてなかったりしても、問題にならなかったからだ。(略)
追いかけまわされて車から出たり入ったりするのも、とくに気にはならなかった――仕事の一環である限りは。でも私生活にまで入ってこられると、さすがに黙っていられなくなる。(略)
 そのせいで気分を害することもあったけど、そういうのはたぶん、きみが思ってる半分もないはずだ。基本的にぼくらはそれを、OKサインとして受け取っていた――みんな、ぼくらが好きなんだ!

メンバー同士のおちょくりについて

なにしろそれはポールにとって、亡母の神秘的なイメージを中心に据えた、もっとも思い入れの深い作品のひとつなのだ。だがアルバムでは彼がうたいだす前に、ジョンが北部なまりの甲高い声で、皮肉っぽく「ほらほら天使のお出ましだ!」と口をはさむ。そして曲が終わると、唐突に〈マギー・メイ〉(その主人公は、リヴァプールの水夫街を根城にしていた有名な娼婦だ)のいい加減なおふざけバージョンがスタートする。(略)〈レット・イット・ビー〉にふさわしくないのでは?「いや」と彼は明るく笑う。「ビートルズというグループにいると、そういう職業上の危険がつきものだからね……
 ぼくらはおたがいをおちょくることができた。きみの言いたいことはわかるけど、ぼくらはいつもそういうことをしていたんだ。(略)
それがビートルズの一部だったんだ。ぼくも〈ゲット・バック〉でひとつやってる。ジョンがあの見せ場のソロ、むちゃくちゃ最高のソロを弾いてるときに、「家に帰れ」と言ってるんだ。おちょくってたのさ。
(略)
ぼくらはそうやっておたがいが、いい気になりすぎないようにしていたんだ。いつもだれか、おちょくってくるやつがいて。だからべつに気にしなかった。それはただの……習慣だったのさ。

ヌレエフ

 これは誓って本当だと言える思い出話があるんだけど(略)ビートルズマドリッドでヌレエフに会ってるんだ[彼らは1965年7月にバレエ・ダンサーのルドルフ・ヌレエフに会った]。
 ブライアンが彼を連れまわしていて、夜遅くのことだったから、ぼくらは“イモリなみに疲れはて”[へべれけに酔っぱらい]、退屈し、笑えるネタを探していた。で、ぼくら、頭に水着をかぶって彼に会ったんだ。「お会いできてうれしいです」。ムチャクチャだよ。と言ってもキツい感じじゃない。でもやっぱりちょっとシュールだった。ヌレエフ。水着を頭にかぶったぼくら。「会えてうれしいです!」

シェイ・スタジアム

何百万羽ものカモメたち、絶叫するアメリカの観衆だよ。ステージに立つと、今や伝説になったPAは野球用のシステムで、ぼくらがそれまでに使ったなかでも最悪のシロモノだった。ステージは小さく、風が少しあって、観客はみんな絶叫していた。自分たちの演奏が聞こえなくて、かなりキツい状況だった。
(略)
で、イギリスにもどったあと、実を言うと歌を全部入れ直したんだ。マイクはなにも拾えてなかったし、拾えててもひどい出来だったからね。今見直してみると、ぼくらは正直、いい仕事をしたと思う。ちゃんとライブっぽく見えるからだ。ぼくらはウェンブリーにあったスタジオに少なくとも2日入り、ボーカルやギターや、とにかくやり直す必要のあるものは全部やり直した。
(略)
 1966年のライブについては――「舞台裏は盛り上がってた。ヤング・ラスカルズみたいなニューヨークのバンドが訪ねてきたり、あと、ぼくらがファンだったラヴィン・スプーンフルも。それが60年代のよかったところでね、ぼくらはみんなおたがいのレコードが大好きだったんだ。みんなキャリアをスタートさせたばかりで、おたがいに感心し合ってたから、たとえばぼくらがジョン・セバスチャンに会うと、[感動の口調で]「ああ!」となってたのさ。だってぼくは彼の曲をもとにして、〈グッド・デイ・サンシャイン〉を書いたんだぜ。なんだっけ、あの明るい曲?」
――〈デイドリーム〉ですか?
 「そうだ、『今日は昼間からすっかり夢見心地』。あれはぼくらにとって、まさしく夏を象徴する曲だったし、〈グッド・デイ・サンシャイン〉を書く動機にもなってる。だから彼みたいな男や、ああいったバンドに会えるのはうれしかった。舞台裏じゃ、そういうクールな出会いがいろいろあったんだ」

マリファナ

 ――その夏、ビートルズは《リボルバー》をレコーディングしました。
 いちばん肝心なのは、みんながハイになっていたことだ。酒からマリファナに移ったのさ。(略)
ディランの影響がとても大きかった。(略)
[ポールによると、ディランは自分の客たちに「ジョイントをやろうぜ。酒はあんまり飲まないけど、ジョイントだったら吸えるから」と挨拶していた]。(略)
実のところあれは、酒の代用品だった。スコッチはちょっとキツすぎる感じがした(略)マリファナはもっと穏やかで、アイデアを剌激してくれた。
 それがみんなの心を大きく変化させたんだよ。「まさか、スコッチなんて飲んでないよね?」って、恥ずかしく思うようになったのさ。(略)それはぼく向きじゃないな、ワインか、マリファナをちょっとやるほうがいい、って感じの。

アートになったロック

[ディランに《サージェント・ペパー》を聞かせると]
「ああ、わかったぞ。きみたちはもうキュートでいたくないんだな」と言った。その言葉は、当時の状況をうまく要約していた。キュートな時代は終わったんだ。ぼくらはキュートな面を売りにしたアーティストだった。そうせざるを得なかったからだ。本音を言うとぼくらも、キュートなことはしたくなかったんだけど。でも「トップ・オブ・ザ・ポップス」に向かって「いや、衣裳はすごくタフな感じで行く。おたくの小屋をぶっ壊してやるぜ」なんてことを言うのは、いくらなんでも過激すぎた。まだそんな真似はしたくなかった。
 つまりなにがあったのかと言うと、ロックがアートになりはじめたんだ。ディランは歌詞に詩を持ちこみ、おかげでジョンは〈悲しみはぶっとばせ〉をうたうことになった
(略)
 ぼくらはおたがいに異種交配していた。彼が長いレコードを出すと、ぼくらも〈ヘイ・ジュード〉を長くしても大丈夫だ、となる。

『レット・イット・ビー』

[ある晩、初期バージョンを聞いていて]うん、こいつは挑戦的なスゴいアルバムだぞ、と思った。それは実際、なんの飾り気もないビートルズ、部屋にいる4人の男[+ビリー・プレストン]だけで演奏しているアルバムなんだ。(略)怖いと言えば怖かったよ。ぼくらはいつもダブル・トラックにしたり、ハーモニーを重ねたりしていたから。でもこれはある意味で、ライブ・アルバムと言ってよかった。
 からっぽのまっ白な部屋で――すごくミニマリストっぽい――このアルバムを聞いているうちに、ゾクゾクしてきたのを覚えている。すごく感動したし、スゴいと思った。これはきっと最高のアルバムになるぞ、って。でもそのあと、このアルバムは再プロデュースされ、言ってみれば売りやすいレコードに再構成されてしまった。そしてぼくは、それにはあまり乗れなかったってことさ。以上。
――つまりあなたが聞いていたのは、グリン・ジョンズのバージョンなんですね?

アップルの屋上でのセッション

――[あの時]人前でプレイするのはこれが最後になる、とはっきりわかっていたんでしょうか?
 いや。ぼくらがいちばん最後っぽくなったのは、マンチェスター・スクエアのEMIにもどっていって、あの写真[《プリーズ・プリーズ・ミー》の再現版]を撮ったときだ。みんな、ちょっとブルってたからね――「これはかなり最後っぽいぞ。これでふりだしにもどった。オレたちははじまって終わったんだ」。それ以外はみんな、「じゃあまた明日」って感じだった。あれはあくまでも映画用のコンサートだったのさ。

終焉

[撮影の]途中でグループは解散に向かいはじめた。(略)ぼくはとりわけ、ジョージの神経を逆なでしていた。(略)〈ヘイ・ジュード〉のときなんかがそうで、ぼくはこの曲をごくごくシンプルにスタートさせ、だんだん盛り上がっていく感じにしたかった。(略)でもリハーサルのときのジョージは[騒々しいギターのリフを弾きだし](略)「ジョージ、頼むから今のは弾かないでくれ。もしかしたらあとでソロを入れるかもしれないけど、いちいちフレーズに応えなくてもいい。それじゃすぐに面白味がなくなってしまうだろう」[すねた声で]「わかった、だったらもう弾かない」。そんなことがちょくちょくあったんだ。
 角と角を突き合わせるってやつさ。ふたりとも若いオスだったからね。(略)
[ある日ジョージがいなくなり]あわてて「ミーティングだ!クソッ、ぼくら、なにをしちゃったんだろう?」となってね。「いや、あいつは本気で気分を悪くしてたぜ。おまえはやりすぎた。あいつを小突きすぎたんだ。(略)
これはまさしくその通りで、ぼくには叱ってくれる人が必要だったんだと思う。
 ぼくらはジョンの家でミーティングを開いた。ジョンはすごく現実的だった――「だったらエリック・クラプトンを入れようぜ!」「いや、それはどうかな。ぼくらはビートルズなんだ。それはちょっとちがうと思う」。ぼくは思った。いや、ぼくがやりすぎてしまったせいだ、ジョージに謝らないと。だから実際にそうしたんだ。
 あれはすごく張りつめた時期だった。解散のはじまりと言うか。あのあとはちょっとやりにくくなった。全員が発言権をほしがったせいだ。それまではジョンとぼくがほとんどの曲を書いていて、ジョージの書く曲が1曲、そしてリンゴのために書く曲が1曲という感じだった。(略)
 ぼくらが解散した理由のひとつは、ビートルズの末期に、これからは「ポールの曲が4曲、ジョンの曲が4曲、ジョージの曲が4曲、リンゴの曲が4曲」というふうにしようとしたことだった。むろん、それじゃうまく行くわけがない。バランスが狂ってる。でもあのときはもう、民主的になること自体が目的と化していたんだ。
 映画にはぼくとジョンのあいだに、ピリピリした空気が流れる場面もある。でもふり返ってみると、あれでよかったと思うんだ。普通なら、あんな場面はOKにしないだろう。
(略)
 でも映画の題材としては、悪くなかったと思う。もちろん、意図してああいう映画にしたわけじゃないけど、実際にはすごくいいテーマだった。“劇中で解散する世界的に有名なグループ”どうだい、悪くないだろ?

ザ・ビートルズ・アンソロジー DVD BOX 通常盤

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次回に続く。