機械より人間らしくなれるか?・その2

 

前回の続き。

会話の間

一方が口をはさむと、もう一方はすぐに口を閉ざす。こんなふうに口をはさんだ瞬間に発言権がスムーズに受け渡されることは、実際にはあまりない。言葉の途切れ方が急すぎるのだ。
 発言権を巡って言い争いをする、少しずつ小声になったり少しずつ大声になったりする、相手の話に耳を傾けていることを示すために「へえ」や「ええ」と相槌を打つ、会話の流れを切らないように互いの言葉を補足する、口をはさまれても少し喋り続けてから発言権を譲る、などなど、実際の会話にはさまざまなバリエーションがある。
(略)
 このタイミングという問題こそ、言語学者プログラマーが共にその言語モデルから締め出してきたものであり、「ああ」や「うん」といった言葉は、会話におけるまさにこの点で重要な役割を果たしている。「話し手はこれらの言葉を発することで、たとえば、言葉を選んでいる、次に話す内容を考えている、発言権を渡したくない、発言権を譲りたい、などを示すことができる」

正反対のボット対決と正反対のナンパテク

《イライザ》はセラピストを演じたのに対して、《パリー》は患者――特に妄想型統合失調症の患者――を演じた。《イライザ》が(略)セラピストの「パロディ」であったのに対して、[精神科医が開発した]《パリー》(略)は、妄想症への理解を深め、モデル化するための真剣な試みだった。
(略)
パリー ちょっと前にベイメドウズの競馬場に行った。
イライザ それはあなたにとってどんな意味があるの?
パリー 競馬場に行ったんだ。
イライザ 他にどんなことについて話したい?
パリー 競馬は面白いね。
(略)
会話をテニスにたとえてみると、《イライザ》は練習用の壁であり、《パリー》はサーブばかり打つ機械である。どちらも、本当の意味で相手と関わる必要もないし、相手に合わせて行動する必要もない(略)
[《イライザ》は「自我がなさすぎ」、《パリー》は「自我がありすぎる」]
(略)
ここ20年で最も有名な二人の「ナンパ師」、「ミステリー」とロス・ジェフェリーズ[映画『マグノリア』でのトム・クルーズの元ネタ]も、《イライザ》と《パリー》みたいに正反対の存在に思える。(略)「ミステリー」は、二十代の頃は手品師をしていた。彼は最初、ステージでの「口上」として話術を身につけた。手順通りに手品をしているあいだにも観客を飽きさせず、その関心を自分に向けさせるためのものである。彼は「これまでに親しくなった女たちを振り返ってみると、出会ったときからセックスをするまで、ただ彼女たちの耳元に思いついた言葉をささやいていただけで(略)相手について話したりはしない。たくさん質問をしたりもしない。(略)[相手と]会話をしないからどうだというんだ?これは俺の生きる世界であって、そこに相手が入ってきただけじゃないか」と書いている。要するに、これは演者とその観客との関係である。(略)
正反対なのが、セラピストとその患者との関係である。「ミステリー」が登場する前には最も有名なナンパの第一人者だったと言われるロス・ジェフェリーズは、手品ではなく、《イライザ》の行動原理と同じ分野、つまり心理療法からインスピレーションを得ている。「ミステリー」がほとんど一人称で話すのに対して、ジェフェリーズはほとんど二人称で話す。「君自身のことを教えてあげるよ」といった具合にジェフェリーズは女性に話しかけるのだ。「君は心のなかではっきり、とても鮮明にイメージを思い浮かべる。つまり君は鮮明な白昼夢を見ることができるってわけだ」「ミステリー」のほうが自己中心的に思えるかもしれないが、ジェフェリーズはまるで相手を自己中心的にさせようとしているようだ。
 ジェフェリーズの話し方は、1970年代にリチャード・バンドラーとジョン・グリンダーが開発し物議を醸すことになった会話中心の精神療法である神経言語プログラミングNLP)からきている。
(略)
彼らのセミナーに参加した女性が意見を述べようとして「もしわたしが他の人に、自分にとって大事なものについての話をしたらどうですか……」と尋ねる。 「そんなことをしても、他人とのつながりが生まれるとは思えない。なぜなら、相手にそのような話をすれば、あなたの関心は相手に注がれるのではなく、自分自身にしか注がれないからだ」というのが彼らの答えである。(略)
 例の女性は「わかりました。セラピストの場合、自分自身の話をしないというやり方が治療で効果的であることはわかりました。でも友人同士の場合には」うまくいかない、と返している。その通りだと僕も思う。

訳者あとがき

ローブナー賞とは、コンピュータがどれだけ知的であるかを測定するために、審判員がコンピュータと人間(サクラ役)の両方とチャットをして、どちらが本物の人間であるかを判定するチューリングテストを利用して、どのコンピュータ(チャットボット)が最も人間らしいかを審査するコンテストだ。最も人間らしいと判断されたチャットボットには《最も人間らしいコンピュータ》が贈られる。ところがこのコンテストには別の賞が用意されている。それがサクラ役を務める人間のなかで最も人間らしいと判断された人間に贈られる《最も人間らしい人間》賞である。ほとんどだれにも見向きもされない、ニュースで取り上げられることもまずないこの賞に目を付けたのが本書の著者ブライアン・クリスチャンである。四人いるサクラ役のなかで《最も人間らしい人間》賞を勝ち取るには、さらにはコンピュータよりも人間らしいと判断されるためにはどうすればいいのか。それが本書のテーマとなっている。